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痛っ……! / 跪け。

 






 ヴェイン様がわたしの護衛となってから数日。


 わたしは朝から憂鬱な気持ちだった。


 今日より家庭教師がつくことになったのだ。


 この早さでつくというのは、恐らくだが、わたしが帝国に来る前から既に決まっていたのだろう。


 しかも数日前に来た服飾店の人々が持ってきて試着までさせられたドレス達が、裾直しなどが終わったものから順次、送られてきた。


 それもあってわたしは今日からドレスで過ごすことになってしまった。


 いつもコルセットをしているけれど、ドレスのコルセットの方がこれまでしていたものよりも厚手でしっかりとしているせいか、ぎっちり絞られた。


 おかげで朝食はまともに食べられなかった。


 お腹は空くのに食べられないのは拷問だろう。


 なんとか呼吸は出来るものの、これで激しい運動など出来ないし、座っているだけでも少し息苦しい気がする。


 そんな状態で家庭教師と顔合わせをする。


 しかも勉強を教わるなんて、集中出来るはずがない。




「初めまして、お嬢様。モットル侯爵家のユッテ・モットルと申します。本日よりお嬢様のマナー全般の家庭教師を務めさせていただきます」




 そう言った女性は気の強そうな人だった。


 鮮やかな赤髪に緑の瞳をして、髪をきっちりと纏めており、眼鏡をかけた姿は確かに厳しそうな教師に見える。




「初めまして、篠山沙耶です。篠山が家名で、沙耶が名前です。よろしくお願いします」




 コルセットの窮屈さと息苦しさに耐えながら、出来るだけ笑顔で返した。


 けれどもすぐに溜め息交じりに首を振られる。




「全くなっておりませんわね」




 それにムッとしてしまう。


 ……いやいや、それをあなたが教えてくれるって話じゃないの? わたし、異世界人なんだよ? この世界のマナーを最初から知ってるわけないじゃん。


 なんのために家庭教師として呼んだのか理解していないのだろうか。




「最初から教えるようにと言われておりましたが、まさかこれほどマナーを知らないとは……。これから皇族になられるとは思えませんわ」




 ……これは怒っていいのでは?


 イラッとしていると女性が立ち上がった。


 そうしてわたしの後ろへ回る。




「まずは背筋をしっかり伸ばして、顎を引いて。手は膝の上に重ねて置くように。それから背もたれに寄りかかるのはいけません」




 言われ、手で姿勢を直される。


 ……うっ、これ結構きつい……。


 背筋をまっすぐにするとお腹に力が入り、余計にコルセットの圧迫が強く感じられる。




「この姿勢を維持してください」




 そうして、女性は持ってきたバッグから何かを取り出した。


 ……なんだろう……?


 思わず首を傾げた瞬間、ピシャリと肩に何かが当たった。一瞬遅れて痛みを感じる。




「姿勢を崩さない!」




 痛みに肩を竦めた瞬間、またピシャリと、今度は背中に痛みが走る。


 振り向けば、女性は細い棒の先に小さな出っ張りのある指示棒みたいなものを持っていた。




「前を向いて、しゃんとしなさい」




 その指示棒みたいなものは柔軟性があるのか、女性が振り下ろすとややしなってピシャリとわたしの背中を打った。


 遅れて、それが鞭みたいなものだと気が付いた。


 ……え、待って、これって体罰じゃない?


 そう思いながらもまっすぐに背筋を伸ばす。


 しかし頭の中は大いに混乱していた。


 この世界の教育というのがどういうものなのかは知らないが、これから皇族の一員となる人間を道具で叩いて、まるで動物の躾のようにするなんて、あって良いのだろうか。




「お待ちください!」




 リーゼさんの声が響き、飛び出してきた。




「サヤ様はディザーク殿下の、皇族の婚約者様です! それを鞭で打つなど何ということをなされるのですか!!」




 女性が鞭を持つ手をリーゼさんが掴む。


 だが、女性はそれが気に入らなかったのかリーゼさんを力一杯突き飛ばした。


 リーゼさんが床に倒れ込む。




「リーゼさん!」




 立ち上がったわたしの腕を鞭が叩く。




「あなたは座っていなさい。(わたくし)は皇帝陛下より、お嬢様の教師を任されたのよ? 急いで身につけさせるにはこれくらいしなければならないのです」




 リーゼさんは突き飛ばされた際に足を挫いたのか、痛そうな顔で立ち上がれずにいた。


 女性はそれを無視してわたしへ顔を戻す。





「よろしい。では、お嬢様はティーカップを持ってください。……ああ、中身は空でいいのよ」




 わたしは言われるがまま、空のティーカップを手に取った。


 途端にまたピシャリと鞭が腕を叩いた。




「痛っ……!」




 布地のある肩や背中よりも、直接肌に当たる手のほうが痛くて、ティーカップを落としてしまう。


 幸い膝の上のドレスに落ちたので割れたり傷がついたりすることはなかったけれど、女性が眦をつり上げた。




「まあ、ティーカップを落とすなんてはしたない! いいですか、ティーカップはこのように、ソーサーを片手で持ち、もう片手は取っ手を持つのです。間違っても両手でカップを持ってはいけません」




 女性が鞭を置いて、一度持ち方をわたしへ見せる。


 痛む腕を我慢しながら真似して持つ。


 鞭で打たれた部分が赤くなっていた。




「それから常に微笑を浮かべるように。淑女は常に微笑んで、男性に付き従うものです。多少の痛みは我慢なさい。さあ、笑って!」




 ピシッと脅すように鞭がテーブルを叩く。


 わたしは仕方なく微笑みを浮かべた。


 ……多分、目は全く笑ってないだろうけど。


 ピシャリとまた腕を叩かれた。




「背中が丸まっていますよ!」




 慌てて背筋を伸ばす。


 それからの授業は終始そのような感じだった。


 家庭教師はわたしが少しでも間違えたり、教えたことと違った動きをすると、すぐに鞭を打った。


 背中や肩も痛かったけれど、何より、腕が一番痛い。


 午前中の三時間ほどの授業でわたしの右手首の少し下は赤くなり、よく見ればミミズ腫れのようなものまでいくつか出来てしまっていた。


 ヒリヒリ、ジンジンと右腕が痛む。




「午後もティータイムに授業を行います」




 と、言って家庭教師は部屋を出て行った。


 赤くなった腕に触れると熱を持っていて、痛くて、わたしは即座に決めた。


 ……これはおかしい。


 部屋の隅に座り込んでしまっていたリーゼさんが這いずってきたので、慌てて駆け寄った。




「大丈夫?」


「はい、私は大丈夫です。お守り出来ず申し訳ございません……。お嬢様、どうかディザーク様に今あったことをお伝えください。このままではいけません……!」


「うん、そのつもり。でも私よりリーゼさんの方が痛そうだよ。ちょっと待ってて」




 すぐにベルを鳴らして人を呼ぶ。


 やって来たノーラさんとマリーちゃんは驚いた顔をしたが、すぐにマリーちゃんはお医者様を呼びに行ってくれた。


 ディザークはしばらくの間は宮で仕事をしている。


 だから、ここにはディザークがいるのだ。




「ノーラさん、ディザークのところへ案内して」




 こんなことをしていたら、わたしの右腕はあっという間に傷だらけになってしまう。








* * * * *









 ディザークは書斎で仕事を片付けていた。


 主に軍に関する内容の書類に目を通し、指示を出したり、許可の印を捺したり、修正したり、それぞれの書類に目を通すのは案外疲れる。


 サヤが宮に慣れるまでは、すぐに声をかけられる場所にいたほうが良いだろうと考えて宮でしばらくは仕事をすることは部下達にも通達してある。


 書類の移動などで少々時間がかかるが仕方ない。


 サヤが一人で過ごしても問題ないと判断出来るまでは、こうするほうが、ディザークにとっても安心だった。


 次の書類へ手を伸ばした時、部屋の扉が叩かれた。


 その叩き方はやや強く、使用人のものではないことだけは理解出来た。




「誰だ」




 やや声を張れば、扉の向こうから声がした。




「わたしです」




 それはサヤのものだった。


 この宮にサヤが来て数日が過ぎたが、ディザークの書斎にサヤが訪れたのは初めてである。


 ディザークは内心で首を傾げつつ返事をした。




「入れ」




 扉が開けられて、サヤと侍女、そしてヴェインが入ってくる。


 そうしてサヤの無表情を見てギョッとする。




「どうした?」




 思わずペンを置いて立ち上がる。


 まだ出会ってからの時間は短いが、それでも、サヤの無表情というのは初めて見た。


 泣いたり、不満そうな顔をしたり、喜んだり、呆れたり、サヤは基本的に表情豊かで何を考えているのか分かりやすい。


 ……そのはずだったのだが。




「結論から言う。礼儀作法の勉強、わたしには出来ない。このまま授業は受けられない」




 ハッキリとした強い口調でサヤが言う。


 ……確か、今日から家庭教師が来て、礼儀作法を学ぶ予定だったはずだ。


 午前中から授業を受けていただろうから、そこで何かがあったのだろう。


 ドゥニエ王国での雑な扱いですら我慢していたサヤだ。


 ただ授業が嫌でこんなことを言っているわけではない、というのは分かった。


 話を聞くためにサヤに近付く。




「何があった?」




 無言で右腕を差し出された。


 肘より少し長い袖の先、細い腕が赤くなっていた。


 しかもよく見れば赤い線が何本もあった。


 ディザークは驚きのあまり、その腕を掴んでしまった。細い腕は熱かった。




「この国では、家庭教師が生徒を鞭で叩くの?」




 サヤの問いにディザークは困った。




「どうしても言うことを聞かない場合などには鞭を使うこともあるが……」




 サヤの腕にあったのは確かに鞭の跡だった。


 しかもこの様子では鞭を打たれた回数も一度や二度ではないだろう。




「間違えるたびに鞭で叩かれたんだけど。しかも侍女のリーゼさんが突き飛ばされて、多分、足を痛めてる」




 それを聞いてディザークは眉を顰めた。


 子供の教育の中で、どうしても言うことを聞かない者に鞭を使うことはあるが、それでもこんな風に怪我をさせるほど強く打ったりはしない。


 しかもディザークの宮の人間に怪我をさせるなど……。




「その家庭教師はすぐに外す。……痛むか?」


「かなり痛い」




 そこでヴェインが口を開いた。




「あれは人間の教育としては間違っておるのか?」


「普通そのようなことはしない」


「そうなのか。てっきり、ああいうものだと思っておった。……そうか、違うのか」




 ヴェインは何度か頷いた後、近付いて来ると、サヤの右腕に手を翳した。


 ふわりとその手から聖属性の白い輝きが現れる。


 あっという間にサヤの腕の傷や赤みが消え、サヤが目を丸くする。




「……あ、もしかして今の治癒魔法ですか?」


「うむ、聖属性を持つサヤも使えるはずだぞ」


「そっか、魔法で傷も治せるんだっけ……」




 傷のなくなった腕をサヤがジッと眺める。


 たとえ傷が消えても、鞭を打たれたという事実は変わらないし、サヤにとってもそれはつらい経験だったはずだ。


 傷が残らずに済んだことにホッとしつつ、ディザークはサヤの腕から手を離した。




「家庭教師については兄上ともう一度相談する。それまで礼儀作法の授業は休みだ。歴史など勉学面の教師は来るが、それらについても教育の仕方に問題がないか確認しておく。もし何かあれば言ってくれ」


「うん、分かった」


「とにかく今日はもう休め。……すまなかった」




 ディザークはサヤに頭を下げた。




「ディザークが用意した人?」


「いや、選定は兄上だが……。こちらで用意した家庭教師だ。それに俺も同意した」




 今回呼んだ家庭教師は優秀だと有名だった。


 多くの貴族の子息令嬢の家庭教師を務め、生徒だった者達は皆、礼儀作法が素晴らしいと言われていた。


 サヤの場合は一から学ぶ必要がある。


 だから国で最も優秀な者を用意した。


 しかしその教育方法までは調査しなかった。


 そこでようやく、ふっとサヤが小さく笑う。




「ディザークは真面目だなあ」




 サヤに表情が戻ったことに安堵する。


 それから「部屋に戻る」とサヤが言うので、ディザークは部屋まで送ることにした。


 書斎を出る際に使用人に、家庭教師を応接室の一つに呼ぶよう伝えておく。同時にある物も用意するように告げた。


 廊下を歩きつつ、横にいるサヤの気落ちしている様子が気にかかる。




「……無理はするな」




 こういう時、上手い慰めの言葉をかけられれば良かったのだが、いい言葉は思いつかず、そんな端的なものしか言えなかった。




「……うん」




 左手に添えられたサヤの手に、微かに力がこもる。


 腕を掴んだ時の感触を思い出した。


 ……あんな細く柔い腕に、赤く腫れるほど鞭を打つなど考えられん……。


 サヤを部屋に送り届けた足で応接室へ向かいながら、ディザークは眉間のしわを深くした。


 たった数時間でそれなのだから、もしサヤが黙っていたらと思うとゾッとする。


 目的地に着き、扉を叩き、開ける。


 中へ入れば礼を執る家庭教師の女性がいた。




「皇弟殿下にご挨拶申し上げます」




 ディザークは近付いたものの、ソファーに座らず、立ったまま声をかけた。




「モットル侯爵夫人、一つ問いたい」


「はい、なんでございましょう?」


「何故、俺の婚約者に鞭を使った?」




 家庭教師は平然とした顔で答えた。




「お嬢様は全く礼儀作法を知らないご様子でした。ですが、わたくしは陛下より、お嬢様を『皇族として問題ない程度に教育せよ』と承りました」


「それと鞭となんの関係がある?」


「一日でも早く礼儀作法を覚えていただくためには、多少手荒であっても、確実に身につく方法が最善と判断いたしました」




 ……あれが多少だと?


 腕が赤く腫れ、いくつもの線が走り、そのせいで熱を持って、差し出した手が微かに震えるほどだった。


 同時にディザークは別のことを思い出した。


 モットル侯爵という響きに聞き覚えがあると感じていたが、確か、一時期ディザークの婚約者候補の令嬢達の中にモットル侯爵家の名があった。


 その令嬢とも一度話した記憶もある。


 けれどもディザークが婚姻に興味がなかったことと、継承権などの問題で、ディザークの婚約者の選定は見送られた。


 モットル侯爵令嬢は最後まで名前が残っていたが。




「なるほど、確実に身につく方法か」




 ディザークは部屋の隅に控えていた使用人に手を出し、用意させていたものを受け取った。




「モットル侯爵夫人、利き手を出せ」




 差し出された手にそれを振り下ろした。


 ピシャリと乾いた音が室内に響く。


 家庭教師が「ひっ!」と声を漏らし、鞭を打った場所に赤い線が走る。




「あ、な、何をなさいますか……!?」




 慌てて手を引っ込めたのでディザークは答えた。




「それはこちらの言葉だ。サヤはいずれ俺と婚姻を結び、皇族の一員となる。貴様は皇族となるべき者に鞭を振るったのだ」


「それは礼儀作法を覚えさせるためで……!」


「教育のためならば暴力は許されると?」




 それこそが間違っている。


 サヤが帝国にとって重要な人物であることは前もって伝えられており、皇族の一員になることも知らされていたはずだ。


 そんな人物をまるで馬の躾でもするかのように鞭打ったのだ。


 突然異世界に召喚されて、ドゥニエ王国でまともに扱ってもらえず、やっと帝国で正しい待遇を受けられるようになったというのに、これではサヤが気落ちするのも当然だった。


 ……不愉快だ。


 ギリ、とディザークは苛立ちに奥歯を噛み締める。




「跪け」




 サヤに対して恋愛感情があるわけではない。


 しかしながら、人としては好意的に感じている。


 皇弟という地位を狙ってくることもなく、ディザークのしかめ面に怯えることもなく、気楽に接してくれる。


 まるで友人にするような態度なので、時々、婚約者という意味を理解しているのかと気になることはあるものの、その対応が心地良い。


 やや流されやすいところがあるが、そんな部分を知ると、つい大丈夫だろうかと心配になる。


 ……サヤが正直に話してくれて良かった。


 たとえ治癒魔法で傷は治せても、心に負った傷までは癒すことは出来ない。




「貴様の行いがどういうものなのか、身をもって理解させてやろう」




 鞭を手にディザークが踏み出せば、家庭教師が慌ててその場に膝をついて謝罪の言葉を述べる。


 だが許すつもりはない。




「モットル侯爵夫人、貴様には失望した」




 サヤが傷つけられた。苦しめられた。


 それがディザークには酷く不愉快だった。







 

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小学校の時、お寺で座禅体験したときをすごい思い出します。 ぼんさんに木の平棒で何度も肩叩かれたぜ。。。 あれは二度とやりたくない(真顔)。。
鞭で打たれたサヤに対して、多少の痛みは我慢しろ、常に微笑め、とか言っといて自分はそれが出来ていない侯爵夫人なのであったw 失望されて当然。
暴力家庭教師のくだり、格好いい主人公なら暴力に屈しず、ぐうの音の出ない完璧なマナーで立ち向かうんだろうけど、この主人公は王弟に泣きついてその権力を持って罰するんだな。 庶民的で気を張らない沙耶に王弟は…
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