想像以上にでかい。
その後、ファニールさんのところを出て、わたしは皇帝陛下とディザーク、そして皇帝陛下の使用人の四人で馬車に乗っていた。
城内の移動は基本的に馬車らしい。
それだけ敷地が広いということだろう。
「あの、どこに向かっているのでしょうか……?」
皇帝陛下とディザークがわたしの今後についてあれこれと話していたが、それが落ち着いた頃合いを見計らって声をかける。
ディザークはわたしが出来るだけ自由に過ごせる時間を持てるように、皇帝陛下にかけあってくれた。
皇帝陛下もわたしの条件については知っているので、聖女としての仕事と皇族としての必要最低限の公務さえ問題なくしてくれるなら、後は自由にして良いと言っていた。
……その聖女の仕事と皇族としての公務、絶対忙しいんだろうなあ。
ニコニコしながら頷いた皇帝陛下からは「のんびり出来るならどうぞ」という雰囲気が感じられた。
ディザークも微妙な顔をしていたので、多分、気のせいではないだろう。
「ああ、皇家の霊廟に向かっている」
「霊廟ってお墓ですよね……?」
わたしが全属性持ちと分かり、聖女疑惑も出てきたせいなのか、皇帝陛下に「今から聖竜様に会いに行こう」と言われてから数十分。
……その聖竜様ってそんなに簡単に会えるの?
というわたしの疑問とは裏腹に、馬車はガタゴトと進んでいく。
「聖竜様は騒がしいのを好まないから、昔から霊廟の地下にいらっしゃるんだ。まあ、あそこなら多少警備が厳重でも不審がられないしな」
「聖竜様のいる場所はもしかして秘密なんですか?」
「秘密と言えば秘密だが、皇族の血が入るような爵位の高い貴族ならば知っていることだ。我が国が黒を欲する理由も察しているだろう」
……それってやっぱり秘密なんじゃ……?
そんな場所にわたしを連れて行っていいのだろうか。
ディザークの婚約者と言っても、まだ結婚したわけではないのに重要な場所に連れて行くなんて……。
「我が国の重要事項を知った以上、逃がさないよ?」
こちらの心を読んだようなタイミングで言われ、つい、自分の顔を触ってしまう。
……考えてること顔に出やすいのかな。
そうしていると目的地に到着したのか馬車が停まった。
外から扉が開けられて、皇帝陛下の使用人、ディザーク、わたし、皇帝陛下の順に降りる。
ディザークよりもわたしが降りたほうが身分的に正しいのでは……。
「ただの皇弟より、貴様のほうがよほど重要だ」
という言葉で一蹴された。
霊廟は真っ白な建物で、確かにお城並みに警備がされており、皇帝陛下が霊廟の入り口へ歩き出す。
ディザークにエスコートされながらついて行く。
侍従も静かに付き従っている。
そうして皇帝陛下が建物の壁に手を触れると、入り口の扉が重そうな音を立てて開いた。
同時にポッと霊廟の中が明るくなる。
「こちらだ」
皇帝陛下に手招きされ、霊廟に入った。
中に大きな石室がいくつも並んでいる。
恐らくあの中に歴代の皇族が眠っているのだろう。
後ろでまた重い音を立てて扉が閉まった。
霊廟の奥には祭壇のような場所があり、皇帝陛下がその祭壇の横辺りを手でゴソゴソと触ると、それが奥へ静かにスライドした。
そこには地下へ続く階段があった。
皇帝陛下は階段を躊躇いなく下りて行く。
わたし達も続いて階段を下り始めたが、階段は予想よりもずっと長く続いていた。
階段をずっとずっと下りた先には両開きの扉があり、また皇帝陛下が壁に手を触れると、扉が静かに開いた。
そこに、それはいた。
元の世界のファンタジー系小説やゲームで見かけるような、ともすれば邪竜なんて呼ばれていそうな、厳ついドラゴンがいた。家一軒分くらいの大きさがある。想像以上にでかい。
皇帝陛下もディザークも入って行くので、わたしもついて行ったものの、未知の生物にちょっと逃げ腰になってしまう。
ディザークが「落ち着け、攻撃されることはない」と囁いてくれたけれど、なんとか頷くことしか出来なかった。
ドラゴンがパチリと目を開けた。
視線が合った。
ドラゴンの紅い瞳が見開かれる。
「なんと……」
ドラゴンがスッと首を持ち上げた。
「そこの人間の娘よ、近う寄れ」
……って、え、ドラゴンって喋れるの?!
驚いているとディザークが歩き出す。
手を引かれながらゆっくりと近付けば、ドラゴンがわたしに合わせて首を下げた。
「……おお、おお、その髪、真の黒であるな。これほど我に近い色は初めてぞ」
ドラゴンの声が喜色に満ちている。
「人間の娘よ、おぬし、名はなんという?」
「えっと、篠山沙耶です。篠山が家名で、沙耶が名前です。……異世界から召喚されてこの世界に来ました」
「なるほど、異界の者か」
少しだけ笑いが混じっていた。
「サヤよ、おぬしは今日より我の愛し子だ。そこの皇帝よ、サヤを皇族に入れよ」
ドラゴンの言葉に皇帝陛下が微笑んだ。
「サヤ嬢は私の弟ディザークの婚約者でございます。二人が婚姻すれば、いずれは皇族となるでしょう」
「そうかそうか、我が愛し子が皇族になると言うのであれば、今後もこの国を守護しようぞ」
「ありがとうございます、聖竜様」
ニコニコしている皇帝陛下は機嫌が良さそうだ。
黒を持つわたしは元々、この聖竜と呼ばれるドラゴンに気に入られるだろうからとディザークの婚約者に選ばれた。
最初は「そんな理由で?」と思ったけれど、こうしてドラゴンを見て、ドラゴンからあふれる魔力を感じて理解した。
……このドラゴン、強いんだろうなあ。
少しピリピリするような、でも温かいような、不思議な感覚がする。
「それにしても、全属性持ちでそれほどの魔力量とはさすが我が愛し子であるな」
ドラゴンが不意に前足の片方を近付けてきたので、びくりと震えてしまった。
パッとディザークがわたしの前へ出る。
庇われたのだとすぐに気が付いた。
「邪魔だぞ、退け」
ドラゴンの言葉にディザークが首を振る。
「恐れながら申し上げます。我々人間は聖竜様より脆い生き物です。その爪がほんの少し触れただけでも死んでしまうこともございます」
「なるほど。確かに我の爪はどのような魔物でも切り裂く。人間には危険であろうな」
ドラゴンが前足を引っ込める。
そうして、ドラゴンの体が光り出した。
眩しくて直視出来ないほどの光りと風が辺りを支配して、ふわっとそれは数秒で収まった。
「これならば問題なかろう?」
そこには黒髪に赤い瞳の男性が立っていた。
全身、黒い衣服を身に纏っていて、背が高く、その顔立ちは息を呑むほどに美しいが、どこか人外じみている。人間なら二十代後半ほどに見える。
…………ドラゴン、だよね?
皇帝陛下とディザークを見ると、二人も酷く驚いた様子だった。
「聖竜様は人の形にもなれるのですね……」
皇帝陛下の言葉にドラゴンが頷く。
「うむ、我ほどになればこの程度、容易いことよ」
ドラゴンがわたしを手招くので、そろりそろりと近付けば、伸びてきた手がわたしの髪に触れた。
「む? あまり手入れをしておらんな?」
「それですが、サヤ嬢は元々ドゥニエ王国に召喚されたものの、このように魔力がないように見えたせいで聖女ではないと判断されて、まともな扱いを受けられなかったのです」
「ああ、あの国か。あそこの王族は昔から傲慢なところがあって好かんかったが、愛し子の才を見抜けぬとは腑抜けになったものよ」
髪に触れていた手が頭の上に置かれる。
「それにしても本当に愛い色だ」
ぐりぐりと目一杯撫で回されて、首がもげそうになって慌てて声を上げる。
「聖竜様、痛い痛い!!」
「おお、すまん、久しぶりにこの形になったでな、力加減を誤ってしまった」
はっはっは、と笑いつつ、今度はそっと撫でられる。
顔はとんでもなく美形なのだが、美しすぎて逆にドキドキしない。そもそも全く別の生き物なのだ。
その撫で方もなんだか犬猫に対するみたいな感じがして、微妙な心境になる。
しばらくわたしの頭を撫でた後、ドラゴンが言う。
「うむ、決めたぞ。我は外へ出る」
皇帝陛下が訊き返した。
「どういう意味でしょうか?」
「我は愛し子のそばで過ごしたいのだ。人間の寿命なぞ我にとっては瞬く間であるからな、たまには人間の中に紛れて過ごすのも一興よ」
「え、ついて来るつもり!?」
つい聖竜を見上げれば、頷き返された。
「我を護衛にすれば愛し子も安全だぞ?」
と、言われても不安しかないのだが……。
しかし皇帝陛下は頷いてしまう。
「かしこまりました。ではサヤ嬢の護衛の魔法士とするのはいかがでしょう? ただし、その間は働いていただくことになってしまいますが……」
「良い良い。面白そうだ」
「すぐに手配いたします。サヤ嬢は現在ディザークの宮で暮らすことが決定しておりますので、聖竜様もそちらでお過ごしください」
「分かった」
二人でポンポンと勝手に決めていく。
……わたしとディザークの意見は?
チラとディザークを見てみたけれど、相変わらず眉間にしわを寄せて黙っている。
話に集中しているからか、頭からドラゴンの手が離れる。
「ねえ、いいの?」
こっそりディザークへ訊けば、小さく頷かれた。
「俺は構わん。サヤはまだこの世界のことを知らないだろう? 聖竜様が護衛としてそばにいてくださるならば、危険な目に遭うこともないはずだ」
「わたし、皇族の婚約者になったんだよね?」
「今後、聖女だと公表することで他国から狙われる可能性も出る」
「……聖女かあ……」
自分でも思った以上に嫌そうな声が出た。
ディザークが不思議そうに見下ろしてくる。
「嫌なのか? 聖女の立場を望む者は多い」
わたしは首を振った。
「いやいや、だって聖女って国中の魔道具に魔力を注がなきゃいけないんでしょ? それに他にも色々面倒な仕事多そうだし」
「貴様は地位や名誉などに興味はないのか」
「ないね。むしろ地位が高いほど忙しそうって感じがするからやだ。ただでさえ皇族の婚約者ってだけでも大変そうなのに、更に聖女になったら、のんびり出来ないじゃん」
ふっとディザークが微かに笑う。
「怠惰な奴め」
言葉とは裏腹に柔らかい声だった。
ディザークの手が伸びてきて、わたしの頭に触れて、ドラゴンのせいで乱れた髪を整えてくれる。
意外にも優しい触れ方だ。
ディザークの手が離れるのと、皇帝陛下が振り向くのは、ほぼ同時だった。
「そういうことで、聖竜様は今後はサヤ嬢の護衛となる。……これからサヤ嬢には家庭教師もつけるので、人間の常識なども一緒に学ぶことが出来るでしょう」
前半はわたし達に、後半はドラゴンに向けて言った。
皇帝陛下が決めたことなら反対しても、これはもう決定事項なのだろう。
「よろしくな、愛し子よ」
ドラゴンのほうもその気のようだ。
とりあえず「分かりました」と答える。
「聖竜様、サヤと呼んでください。その『愛し子』という呼び方はちょっと落ち着かないので」
「確かに愛し子という呼び方では勘ぐる者もいるであろう。我も人間のふりをせねばならん。……そうだな、我のことはヴェインと呼ぶがいい」
「聖竜様はヴェイン様って名前なんですか?」
「正確には我の名の一部だが、そうだ。人の形の時にはこの名を使うこととしよう」
皇帝陛下が「かしこまりました」と頷く。
このまま出て行くと急に人数が増えて警備兵達に怪しまれるため、ヴェイン様──なんとなく様付けになってしまう──は自分に透明化の魔法をかけて、わたし達と共に外へ出ることとなった。
長い階段を上りながら思う。
……なんだか、どんどん深みにはまってる気がする。
最初は帝国でひっそりと過ごせられれば良いと思っていたのに、全属性持ちだとか聖女だとか、余計なことになっている気がする。
霊廟の外に出ると侍従は御者台に移動した。
馬車に乗り込み、扉が閉められると、馬車の中にヴェイン様が姿を現した。
「これで良かったか?」
「ええ、問題ありませんでした」
「ああ、皇帝よ、おぬしも言葉を崩せ。皇帝たるおぬしが我にそのような言葉遣いをしていたら怪しまれる」
皇帝陛下がそれに頷いた。
「ディザーク、それではヴェインを頼む」
「了解しました」
「私は政務に戻る。お前達は今日は宮に戻れ。この時間なら、午後は服飾店の者を呼べるだろう。早めにサヤ嬢のドレスを用意してやるといい」
全員の視線がわたしに向けられる。
正確には、わたしの着ている服に、だが。
……はいはい、どうせこの国では流行遅れなんですよね。言わなくてももう分かってるから。
「はい、そうします」
ディザークが大きく頷いた。
……ドレスなんて着たくないんだけど。
でも郷に入っては郷に従えと言うし、そうするしかないだろう。
馬車がお城に着くと、皇帝陛下は「それでは、またな」と颯爽と馬車を降りていった。
「ヴェイン様、改めましてディザーク=クリストハルト・ワイエルシュトラスと申します。これからよろしくお願いいたします」
浅く頭を下げたディザークにヴェイン様が鷹揚に頷く。
「ディザークか。おぬしも普通の言葉を使うが良い」
「……分かった」
ちなみに、ディザークの宮を見たヴェイン様は「おお、美しい宮だ。それに広い」と喜んでいた。
霊廟の地下はドラゴンの姿では狭かったのだろう。
「これほどの広さならば庭で寝ても十分よな」
などとヴェイン様が言い出したものの、ディザークの説得で無事、ヴェイン様は客室の一つに住むこととなった。