96話─第一の刺客、襲来
翌日の朝。起きた時から、アンネローゼはフィルにベッタリだった。着替えをする時以外は、食事を作る間も、食べる時も。
その後もろもろの家事をしている間でさえ、子犬のようにくっついていた。ただ後ろを着いてきているだけでなく、一応は手伝いもしている。
「はい、フィルくん。新しい雑巾よ」
「ありがとうございます、アンネ様。この部屋の掃除が終わったら、休憩にしましょうか」
「ええ、そうね。美味しいお茶でも飲みましょう」
使っていない部屋の掃除をしている二人を、扉の隙間から覗く者たちがいた。イレーナとギアーズ、ジェディンの三人だ。
「姐御、朝から様子が変っすよ。いつも以上に、シショーにべったりして……」
「無理もあるまい、オットーに続いて友人まで失ったのじゃ。悲しみで心が押し潰されそうなのじゃろう。哀れなものよ」
「……俺にも、気持ちが痛いほど分かる。大切な者を失うのは、身を引き裂かれるよりも辛いことだ」
三者三様の感想を述べるが、特にジェディンの声には強い同情心が込められていた。彼もまた、目の前で愛する家族を失ったのだ。
今のアンネローゼの気持ちが、痛いほど伝わってきているらしい。邪魔をしてはいけないと、三人はそっと立ち去る。
「そういえば、オボロはどこ行ったんすか? ここ最近、姿を見てないっすけど」
「例の孤児院内に併設されている、教会に通い詰めておるようじゃ。あやつもあやつで、師を手にかけたわけじゃからのう。いろいろと心境の変化があったんじゃろうて」
一方、アンネローゼだけでなくオボロもまた、変革の時を迎えていた。命とは何か……双子との問いかけ、そして師との激闘と彼の死でオボロは変わった。
連日、フィルが暮らしていた孤児院に足を運んではシスターと語らっているようだ。倒さねばならない存在だったとはいえ、師を手にかけた己の罪。
その贖罪のために、何をすればいいのか。シスターに懺悔し、新たな道を模索しているのである。
「これはしばらく、アンネローゼを戦線から外す必要があるのう。今のあやつに戦えなどとは、とてもではないが言えんよ」
「そうですね、先生。しばらくは、心の傷を癒やすのに専念してもらう必要が……」
その時だった。基地全体に、不審者の接近を知らせる警報が鳴り響いたのは。けたたましいベルの音に、全員の心臓が跳ね上がる。
「やれやれ、こんな時に敵ですか。アンネ様、メインルームに行きましょう。敵の正体を確かめないと」
「ええ、分かったわ!」
「イレーナ、ジェディン! 急ぐぞ、またカンパニーの連中が攻めてきたのやもしれん!」
「はいっす!」
「行きましょう、先生!」
全員がすぐに行動し、誰に言われるでもなくメインルームに集結する。モニターの電源を入れ、基地に接近してきている敵の姿を映し出す。
充電期間を経て、再びカンパニーがエージェントや軍団を送り込んできた。彼らはそう考えていたが、予想は外れることになる。
むしろ……さらに強大な、最強最悪の敵が襲来したことを彼らは知ることとなった。
『あっはっはっ! なぁにこのオモチャは。こんなもので私を止めようったって無理ムリむりのカタツムリってね! そーれ、斬雨の斧!』
「!? ち、違う……あいつはカンパニーの刺客じゃない! あいつは……」
「間違いない、あの特徴的な力……あやつはベルドールの魔神!」
モニターに映し出されたのは、テーブルマウンテン周辺に仕掛けられた迎撃用の兵器を破壊して回る女の姿だった。
エメラルドグリーンとスカイブルーの二色で構成された鎧を纏い、背中からは緑色の翼を生やした鳥の獣人。
ベルドールの魔神、新世代。第一の刺客、斧の魔神ルテリがフィルを抹殺するべく襲来したのだ。
「……ああ、やっぱり。嫌な予感が当たったわ。フィルくんを……殺しに来たのね」
「あ、姐御? 目と声が怖いっすよ?」
「……さなきゃ。あの女を、殺さなきゃ。フィルくんも、イレーナも、博士も、ジェディンも。誰一人殺させない! もう誰も失いたくない!」
「! まずい、みんなアンネ様を止めてください!」
モニターを注視していたアンネローゼは、暗く淀んだ声でそう呟く。イレーナが恐る恐る声をかけた直後、アンネローゼは走り出す。
己が心に巣食う、漆黒の殺意に突き動かされるままに、ルテリの排除に向かう。フィルたちは慌てて彼女を追い、部屋を出る前に捕まえる。
「離して、離して! あいつは殺さないといけないの! もう誰も死なせないために! 何があってもあいつは」
「済まない、アンネローゼ。当て身!」
「あ……」
羽交い締めにされながらも、ジタバタ暴れるアンネローゼ。これはどうにもならないと判断し、ジェディンは手刀を叩き込んで気絶させた。
「はあ、はあ。まさか、アンネ様がここまで病んでいたなんて……こんなに傷付いているのに、気付いてあげられなかったなんて……」
「嘆くのは後だ、フィル。まずは奴を倒さねば。基地に侵入されたら、厄介なことになるぞ」
「そうですね、ジェディンさん。反省するのは、あいつを倒してから……よし、迎撃に行きますよ!」
「俺はアンネローゼを見張っておく。悪いが、戦いは二人に任せた」
いつアンネローゼが目を覚まし、暴走するか分からない。念のためにと、ジェディンはギアーズと共に基地に残ることに。
未知の力を持つルテリ相手に、フィルとイレーナの二人だけで戦わねばならない。だが、彼らにはもう覚悟は出来ている。
「行きますよ、イレーナ! 今度の戦いは、カンパニーのソレよりも激しいものになります。……それでも、戦ってくれますか?」
「あったりまえっすよ、シショー! むしろ、この戦いでアタイも一皮剥けて……一つ上のオンナになってやるっす!」
フィルにそう問われ、イレーナは張り切って答える。仲間たちが試練を乗り越え、成長していくのを見て彼女も決心したのだ。
自分も、強大な敵との戦いを乗り越えて成長してやると。アッチェレランドとの戦い以降、目立った戦果を挙げられていないのもありやる気満々だ。
「ふふ、頼もしいですね。では、出撃しますよ。博士、サポートは任せます!」
「うむ、援護射撃は任せい! 二人とも、気を付けてな!」
言葉を交わした後、フィルたちはメインルームを飛び出していく。新たなる強敵との戦いで、彼らは目覚めることになる。
諦めない心と無限の闘志が絡み合った果てに生まれる、新たな力に。だが、二人はまだそれを知らない。
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「なぁんだ、もう弾切れ? ……あ、そもそも発射口を塞いじゃったから出せないんだね! あっはっはっ、てんで弱っちいのー」
一方、基地を目指して進んでいたルテリは母から受け継いだ力を使い、迎撃兵器を完封していた。ジャングルのあちこちに隠された兵器は、ツタが絡み機能不全に追いやられている。
「お母さんから受け継いだ力、ホント便利だよねー。特に、自然いっぱいのジャングルじゃ無敵だよ。ふっふっふっ、こりゃ私だけで終わっちゃうかも!」
きょうだいたちと話し合った結果、一人ずつ順番に試練を与えることに決まった。じゃんけんの末、一番手になったのが彼女だ。
「さーて、肝心のシュヴァルカイザーは……お、来た来た」
「そこまでです、侵入者よ! これ以上先へは進ませませんよ!」
「アタイらが来たからには、ボッコボコにしてやるっす! 覚悟しなさーい!」
先へ進もうとしたその時、フィルとイレーナが飛んでくる。両手に持った片刃のトマホークを構え、ルテリはニヤリと笑う。
「お、そっちから来てくれるなんて随分親切じゃない。こっちから殺しに行く手間が省けたよ~」
「……やはり、僕を殺すつもりなのですね。僕が、ウォーカーの一族だから」
「うん。あんな害悪どもは根絶しないとね? じゃないと、またよからぬことをしでかすからさ。というか、もうしでかそうとしてるしね」
フィルの言葉に、ルテリはゾッとするほど冷たい声で答える。かつてグラン=ファルダにて、ウォーカーの一族が起こした惨劇。
それを、彼女たちは許すつもりはない。もう二度と悲劇が起きぬよう、災いの元を絶つ。それが、魔神たちの悲願なのだ。
「好き勝手言ってんじゃねぇーっすよ! シショーは全く関係ないじゃないっすか! なのに、一族だから問答無用で殺すなんて間違ってるっす! それこそおーぼーっすよ!」
「うるさいなぁ、外野は話に入ってこないでよ。ま、いいか。二人まとめてなます斬りにしちゃえば。ってことで、この斧の魔神ルテリちゃんが! あんたらをぶっ殺しちゃうから!」
シュヴァルカイザーとデスペラード・ハウル、そして新たなる魔神ルテリ。異なる正義を掲げる者たちの戦いが、ついに始まった。




