95話─壊れゆくココロ
暗域散策を終え、コリンたちと別れ基地へと帰ってきたフィルとアンネローゼ。コリンやアニエスにおすすめされた店を巡り、大量のお土産を買ってきた。
「ただいま、みんな。はい、お土産いっぱい買ってきたわよ」
「おかえりっす、姐御! わー、食べ物がいっぱいっすね!」
「お菓子に生鮮食品、珍しい香辛料……いろいろ面白いものがあったので、全部買ってきちゃいました。食べ切れればいいんですけど」
「問題ないっす、シショー! アタイ、胃袋の大きさには自信あるっすから!」
「ふふ、そうですか。では、今日はこの肉を使ってステーキでも焼きましょうか」
和気あいあいとした雰囲気の中、お土産を漁るイレーナ。暗域特産のボリューミーな肉を夕飯で堪能し、眠りの時間がやって来た。
満腹になり、満足そうな笑みを浮かべながら眠るアンネローゼ。そんな彼女は、夢を見た。安らかな眠りを助ける楽しい夢ではなく、悪夢を。
『アンネ、さま……にげ、て。ぼくは……もう、いいですから』
『いや、ダメよ! まだ助かるわ、諦めないでフィルくん!』
夢の中、二人は炎で焼かれる町をさまよっていた。フィルは大怪我をしており、アンネローゼも軽くはない傷を負っている。
全身から血を流すフィルは、自分を置いていけとアンネローゼに言う。敵の狙いは、自分ただ一人だと。自分を捨てていけば、アンネローゼは助かると。
『嫌よ、絶対に置いていかない! あなたまで失ったら……私は、どうやって生きていけばいいの?』
『心配ねえさ、二人とも。仲良くあの世に行けば済む話だからな』
その時、二人の背後から男の声が響く。直後、飛来した槍がアンネローゼの腹を貫いた。アンネローが倒れる中、フィルは後方へと引き寄せられる。
『アンネ、さま……』
『フィル、くん……! 嫌、やめて……お願い、もう私から何も奪わないで! どうして私から何もかも全部奪うの!』
『何でかって? 決まってるだろ。ウォーカーの一族は、存在すること自体許されない。だから消すんだよ。オレたちベルドールの魔神がな』
声の主が、倒れたフィルとアンネローゼの元に歩み寄ってくる。そこに、さらに複数の人影が集う。一人、二人、三人……。
やがては、数え切れないほどの影が二人の周囲にうごめいていた。アンネローゼは地面を這い、フィルの元へと向かう。
『させ、ない……。もう、嫌なの……大切な人がいなくなるのは。あんな悲しみを背負うのは……』
『もう悲しまなくていいぜ。お前もこいつも死ぬんだ。死は救いだ、あの世に行きゃあ全部終わりだからな。こんな風によ!』
『あぐ、かはっ!』
『フィルくん! やめて、やめてよぉ!』
男──ダンテが手を伸ばすと、アンネローゼの身体に刺さっていた槍が抜け持ち主のところへ戻る。その直後、ダンテは迷うことなくフィルを槍で刺す。
何度も何度も、執拗に。アンネローゼの懇願を無視し、フィルの息の根が止まるまで。否、事切れても止まることなく……死体が無惨に損壊するまで。
『あ、あ……いや、いやよ……そんな、フィルくん……』
『これでウォーカーの一族は滅びた。もう一人も、力を持つ者はいない。さあ、次はお前だ。愛しい奴の元に送ってやるよ』
そう冷徹に言い放ち、ダンテはアンネローゼの元へと向かう。周囲を取り巻く人影が一斉に笑い出し、不快な声がアンネローゼの脳を蝕む。
『あ、あ……』
『じゃあな。地獄で彼氏と仲良くしろよ』
うつ伏せのまま、上を見るアンネローゼ。最後に見たのは、自分を貫かんと振り下ろされる……血にまみれた槍だった。
「いやあああああ!! ……はあ、はあ。今のは……夢なの?」
絶命した瞬間、アンネローゼはようやく悪夢から解き放たれた。嫌な汗が全身を濡らし、不快感が身も心も蝕んでいく。
ここに来て、彼女はハッキリと自覚せざるを得なくなった。自身の心が、限界に近付きつつあることに。気付いてしまったからには、もう……耐えられなかった。
「う、ぐす……。なんで、なんでよ……なんで私ばっかり、こんなに苦しまなくちゃいけないの……。もっと、普通に暮らしたかった……誰も、失いたくなかったのに……うう、うえええ……」
涙が頬を伝い、シーツに落ちる。肩を震わせながら、アンネローゼは泣いた。その時……部屋の扉が、控えめにノックされる。
「アンネ様、どうしました? とりあえず、開けてもらえませんか?」
トイレに行こうと起きたフィルは、帰りにたまたまアンネローゼの部屋の前を通りかかった。部屋の中から彼女の泣き声が聞こえてきたため、心配して声をかけたのだ。
すぐに扉が開かれ、アンネローゼは素早くフィルを抱き抱える。そのままベッドにダイブし、恋人を抱き締めながら号泣する。
「フィル、フィルく……うあああああん!! びぇぇぇぇん!!」
「アンネ様……そうですよね、辛くないわけがありませんよね……。オットー閣下も、エモーも失って……悲しむな、という方が無理ですよね」
「うわあああああん!!」
フィルも、薄々は気付いていた。彼女が無理をして明るく振る舞っていることに。どうにかして、彼女を傷付けず心をケア出来ないか考えている間に、限界が来てしまったようだ。
「わたし、ゆめ、ゆめみて……フィルくん、しんじゃ……死んじゃやだぁぁぁ!!」
「アンネ様……」
「みんな、みんな……ぐすっ、いなくなっちゃった……もう、いやだよ……もう、いなくならないで……」
子どものように泣きじゃくりながら、アンネローゼはフィルの胸に顔を埋める。彼女の痛ましい姿に、フィルも涙をこぼす。
「……大丈夫ですよ、アンネ様。約束します、例え何があろうとも。僕はあなたの元からいなくなったりはしません。死ですらも、僕たちを別たせることは出来ない……だから、安心してください」
「フィルくん……フィルくぅん……」
「絶対に、あなたを残して消えたりはしませんから。だから……眠りましょう? ゆっくり、安らかに。僕が、子守歌を歌いますから」
アンネローゼの頭を撫でながら、フィルは優しい声色で歌い出す。遙か昔、まだ彼が里で迫害を受けるよりも前。
今はもう、顔すら思い出せない母が歌ってくれた子守歌を口ずさむ。少しずつアンネローゼは落ち着いていき、やがてうとうとし始める。
そして、やがて深い眠りへと落ちていった。悪夢すらも見ることのない、深い深い眠りの彼方へと。
「……もう、覚悟を決めなければなりませんね。あの戦いで、姉さんがああしたように……もしもの時には、僕も……」
アンネローゼが眠りに着いたのを確認した後、フィルはそう呟く。コリンやディルスの忠告を聞いた時から、彼は覚悟していた。
もうそこまで迫ってきている魔神たちとの戦いの中で、命を落としてしまうかもしれないと。もしそうなった時、フィルは……。
「……ダメですね。僕まで暗い気持ちになってしまう。せめて、僕がしっかりしないと。アンネ様を支えるのが、僕の役目なんだから」
嫌な想像が頭の中を埋め尽くそうとするも、フィルはすぐにソレを打ち払う。そうして、自身もまぶたを閉じて眠りについた。
もう少しだけ、平穏な時間が続いてほしいと願いながら。だが、その願いは虚しく粉砕されることになる。
「おっ、あれかな~? 大きな山の中に隠してあるみたいだけど、バレバレだね。それじゃあ、明日の朝……早速仕掛けちゃおーっと!」
夜の闇に紛れ、ジャングルの空を一人の獣人が羽ばたく。ベルドールの魔神、新世代。第一の刺客、ルテリが──すでに動き始めていた。