93話─闇の世界をぶらぶら歩き
城を出たフィルとアンネローゼは、そのままポータルを使って帰還……はせずに、少し暗域の散策を行うことにした。
以前訪れたコリンの住む大地、イゼア=ネデールとはまた違う活気に満ち溢れている。闇の眷属だけでなく、大地の民もいた。
「賑わってるわね、この街。いろんな種族がいて、見てて飽きないわ」
「なんでも、大地の民に有害な闇の瘴気を極限まで薄めることで共存出来るようにしているらしいですよ。おかげで、僕たちも生身で出歩けてありがたいです」
アルギドゥスとの戦い以来、寂しげにしているアンネローゼがリフレッシュ出来れば……と考え、フィルがちょっとしたデートをして帰ろうと提案したのだ。
その優しさと配慮に感謝し、アンネローゼは思いっきり甘えることにした。友を失った心の痛みを癒やすため、二人は街を歩く。
「おや? お二人さん、見ない顔だね。ま、ここはいつも出入りが激しいからな、見ない顔なんてしょっちゅう見るがね。ガハハ!」
「こんにちは、おじさん。ここは何を売っているお店なんですか?」
「ここかい? ここはハチミツ漬けクッキーの専門店さ。いろんな種族の職人が協力して、美味いクッキーを作ってるんだ。試食してくかい?」
「へえ、美味しそうね。じゃあ、食べてこうかしら」
とくに行く当てもなく、商店街をぶらぶらしていると闇の眷属の男に声をかけられた。誘われるままに店内に入ると、甘い香りに出迎えられる。
店内には所狭しとクッキーの缶を載せた棚が並べられ、奥からは職人たちの和気あいあいとした会話が聞こえてくる。
「どれにするかい? まあ、試食出来るのはプレーンとチョコとバターシュガーくらいなもんだが」
「どれも美味しそうね……じゃあ、一番甘いのを試食してみたいわ」
「じゃあ、僕はプレーンにします」
「あいよ、ちょいと待ってな。おーい、客が来たぞ。試食用のクッキーを出してくれ!」
「あいよー!」
店主は一旦奥に引っ込み、少しして試食用のクッキーを載せた皿を持って戻ってきた。作りたてほやほやの、ハチミツが染みこんだクッキー。
プレーンとバターシュガーの二種類が山盛り。アンネローゼたちはクッキーを手に取り、口に運ぶ。サクッとした食感と、まろやかな甘味が口の中に広がっていく。
「ん、美味しい! ハチミツの甘さにバターの香ばしさが合わさって……それでいてパサパサしてなくて、飲み物がなくてもたくさん食べられるわ!」
「ええ、サクサクした食感も美味しさを引き立てていますよこれ。専門店なだけあって、文句なしの美味しさですね」
「へっへっ、よせやい。褒めたっておかわりしか出てこねえぜ。今日は安息日じゃねえから、客が少なくてよ。試食用のクッキーが余ってんだ、好きなだけ食ってってくれ」
「いいの!? へー、闇の眷属ってけっこう太っ腹なのね。気に入ったわ」
カンパニーと戦っているが故に、闇の眷属という種族全体が悪であると思っていたアンネローゼは少し認識を改める。
そんな彼女に、店主は腕組みをしながら答えた。
「ま、大地の民と仲良しこよしやってるのはコーネリアス様の治世下にあるところだけだがね。あの方は偉大だよ、先代に負けず劣らずの名君さ」
「そんなに凄いんですか? 彼は」
「おうよ、凄いなんてもんじゃねえ。ヴァルツァイト・テック・カンパニー傘下の企業を追い出して、俺らみてぇな個人店が真っ当に商売出来るようにしてくれたんだ。あの方がいなかったら、俺ぁ今頃カンパニーに借金漬けにされて首括ってるぜ」
お喋り好きな店主は、コリンが即位するまでの惨状について語り出す。以前は、どこもかしこもカンパニーの息のかかった店が乱立していたのだという。
それらの店はカルテルを形成し、所属していない個人店や他の企業の排斥を行っていたらしい。逃れるには、高い加入金を払ってカルテルに加わるしかないとのことだった。
「あくどいのね、カンパニーは。予想よりひっどいことしてるのね」
「おうよ。嫌がらせなんて当たり前、酷い時にゃ直接店をぶっ壊される奴までいたんだぜ。加入したらしたで、毎年バカ高い年会費を払わなくちゃいけねえんだわ」
「でも、そういう状況をコリンさんが打破したということですね?」
「そうそう。あの方の地元、イゼア=ネデールを経済の拠点にして、暗域との商業パイプを強化してくださったんだよ。そのおかげで、カンパニーの連中と取り引きする必要がなくなったんだ」
自分も試食用のクッキーを摘まみつつ、店主は話を続ける。イゼア=ネデールをはじめとした、様々な大地との取り引きにシフトしたことでカンパニーの勢力は衰退。
コリンの打ち出した様々な政策が功を奏し、彼の統治する階層世界からカンパニーは完全に撤退することになったのだという。
他の王がカンパニーの干渉から逃れられない中での快挙だと、店主は心底嬉しそうに笑った。
「カンパニーの奴らに睨まれず、自由に商売出来るってのは素晴らしいことだ。先代のフェルメア様も優れた女王様だったが、こと経済に関しちゃコーネリアス様の方が遙か上だね」
「へえー……やり手なのね、あの子」
「ふふん、そうじゃろ? ま、それだけわしの辣腕っぷりが素晴らしいということじゃな! わーっはっはっはっ!」
アンネローゼがクッキーに手を伸ばした、その直後。店の入り口から、聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。
振り向くと、戦場で指揮を執っているはずのコリンが立っていた。後ろには、護衛らしきエルフの少女が控えている。
「うおっ!? こ、コーネリアス様!?」
「コリンさん、どうしてここに? カンパニーの軍隊と戦ってるんじゃ」
「うむ、コーディから連絡があってのう。そなたらが重要機密を暴いてくれたと聞いての、指揮をラインハルトに任せて急遽戻ってきたんじゃ」
店主やフィルたちが驚く中、金色の羽根飾りが付いた鎧を身に纏ったコリンが近付いてくる。そっと右手を差し出し、フィルと握手をする。
「礼を言うぞよ、フィル。そなたのおかげで、奴の目的が暴けた。あれだけ言い聞かせたのに、奴め……並行世界への侵略を目論むとは」
「あわわ……大変だ! おーいみんな、コーネリアス様がいらしたぞ! もてなせもてなせ、盛大にもてなすんだ!」
「なにっ!?」
「まじか、なら試作品の試食を……」
「あ、あれもう食べちゃった」
「なにやってんだこのバカゴブリンがー!」
店の奥の喧噪を聞き、コリンはカラカラと笑う。後ろに控えていたエルフの少女も、楽しそうにしていた。
「やあやあ、はじめましてだね。ボクはアニエス! ししょーの仲間なんだよ。よろしくね」
『そして、私はテレジア。二人揃って、十二星騎士の一角を務めているんだ』
「わっ、お化け!?」
「違うよ、お姉ちゃんは……うーん、なんて説明したらいいんだろ」
少女、アニエスは自己紹介を行う。すると、その隣に瓜二つな容姿をしたもう一人のエルフの少女……テレジアが亡霊のように現れた。
彼女らとアンネローゼが話を始めたのを幸いと、コリンはフィルを手招きする。近付いてきた彼の耳元に口を寄せ、小さな声でささやく。
「魔神たちのところに潜り込ませていたスパイから、連絡があった。きゃつら、とうとうアルバラーズ家を滅するために動くらしいぞよ」
「! やっぱり、そうですか……ディルスさんからも、そんな忠告をされたんです」
「表立って彼らと敵対することは出来ぬ。裏からこっそり手を貸すくらいは出来るが……あまり期待はするでないぞ? 奴らと全面戦争するような事態だけは、避けねばならぬのじゃ」
「……ええ、分かっています。僕はもう、覚悟を決めていますから。アルバラーズ家とも、魔神たちとも……戦うって」
アンネローゼたちに聞こえないよう、小声で話し合うフィルたち。戦いへのカウントダウンは、静かに進んでいた……。