89話─さらば、友よ
「……終わったな。これで、奴は死んだだろう。アンネローゼ、フィルは俺が連れて来る。……看取ってやれ、友の最期を」
「……うん。ありがとう、ジェディン」
アルギドゥスを打ち倒したジェディンは、気を利かせてフィルを迎えに行く。アンネローゼから部屋の場所を聞き、廊下の奥へ向かう。
一人残ったアンネローゼは、ホールの片隅に倒れているエモーの元へ歩み寄る。肉体の修復に必要な疑似体液をほぼ使い果たし、彼女は死に始めていた。
「勝ったねぇ……アンナちん。よかったぁ、友達を守り抜けて……」
「レジェ……本当に、本当にありがとう。私たちを守るために、こんな……こんな、うう……」
アンネローゼの頬を涙が伝い、エモーの顔にポタリと落ちる。自分たちのために、己の命をも捨て最後まで戦った友の姿に、涙腺が決壊してしまう。
「えへへ……アンナちんの涙、あったかい。うちも、サイボーグになる前は……泣き虫でよく泣いてたっけ」
「レジェ……もう、どうにもならないの? 急いで戻れば、助かるかもしれないわ」
「むり、だよ……もう、疑似体液……空っぽだから。うちはもうね……助からない。身体を修復しても……」
エモーは最後の力を振り絞り、残っている右腕を伸ばす。アンネローゼの頬に触れ、彼女の温もりを確かめる。
少しずつ、第二の心臓の鼓動が弱まっていくのを感じながらエモーは話し出す。アンネローゼへの感謝と、少しばかりの悔恨を。
「うちね、嬉しかったよ……。アンナちんと出会って、一緒にお話して……あんなふーに、誰かと笑い合えたのって……初めてだったから」
「私も、楽しかったよ。あの瞬間だけは、いろんな重責から解放されて……一人の女の子でいられたから」
「えへへ……そっかぁ、よかったぁ。でも……ちょっとだけ、悔しいな。うち、まだたくさん……アンナちんと遊んで、お話して……いたかった」
「レジェ……!」
あり得たかもしれない未来を思い描き、エモーは力なく笑う。そんな彼女を見て、アンネローゼは己の無力さを呪った。
アルギドゥスとの戦いで芽生え始めた、己の心に巣食う黒い感情が湧き上がってくる。彼女の代わりに、自分が死ぬべきだったのではないかと。
「ごめんね……本当に、ごめんなさい。私は結局、あなたに何もしてあげられなかった……」
「そんなこと、ないよ。アンナちんは、うちの初めての友達になって……くれたんだよ。それだけで、すっごく嬉しかった。それだけで、救われたんだよ」
孤独だった、カンパニーでの日々。暗く閉塞感に満ちた彼女の心の殻に、アンネローゼが風穴を開けた。それが、エモーには嬉しかったのだ。
自分と一緒に笑い合い、楽しい気持ちを共有出来る相手が出来た。それだけで、彼女は満足だった。
「アンナ、ちん。お願い……聞いてくれる?」
「ぐすっ……なに? レジェ」
「うちのコア……貰ってほしいの。うちはもう死んじゃうけど……生きた証を、受け取ってほしいなって……思ったんだぁ」
「ええ、分かったわ。これからはずっと一緒よ。もう、あなたをひとりぼっちにはしない。だから、安心してね」
「えへへ……うれ、しいな。これでもう……なぁんにも……思い残すこと、ない……や……。ばいばい、アンナちん……もし、生まれ……変われた、ら……」
また、友達になりたい。声にならない想いを残して、エモー……レジェは息を引き取った。直後、胴体に空いた穴からコアが転がり出てくる。
「ゆっくり眠ってね、レジェ。さようなら……私の、大切なともだち……」
コアを片方の翼で大切に包み、アンネローゼは友の亡骸を抱き上げる。この場に残して帰ることは、彼女には出来なかった。
せめて、基底時間軸世界で眠らせてあげたい。そう考えたのだ。
「……別れは済んだか? アンネローゼ」
「ええ。おかげさまで……ちゃんと、別れの言葉を交わせたわ」
「アンネ様……ごめんなさい、僕が脚を折られなければこんなことには」
そこへ、フィルを連れたジェディンが戻ってくる。鎖を組み合わせて作ったカゴの中に入れられたフィルは、アンネローゼに謝る。
「フィルくんは何も悪くないわ。悪いのはあのアルギドゥスとかいうクソ野郎のせいよ。アイツさえ来なければ……アルバラーズ家さえいなければ……!」
すでに倒したアルギドゥスだけでなく、フィルを除くアルバラーズ家全体への憎しみを募らせるアンネローゼ。
アンネローゼもフィルもジェディンも気付いていなかったが、この時……バルキリースーツの翼の根元が、黒く染まりかけていた。
「……っと、ダメね。もうここには用もないし、帰りましょう? 元の世界に」
「ええ、今なら僕の力で門を上書き出来ます。さあ……行きましょうか」
勝利と引き換えに、大切なものを失ったアンネローゼ。悲しみを押し殺しながら、三人は基底時間軸世界へと帰っていった。
それから、数分後……。
「ぐ……はあ、はあ……! 奴らめ、絶対に許さんぞ……よくもこの私に、これほどまでの傷を!」
薄いもやがあちこちから湧き上がり、一つに纏まっていく。そして、瀕死の重傷を負ったアルギドゥスが姿を現した。
ジェディンの奥義が炸裂する瞬間、彼は身体を水蒸気へ変えることでギリギリ死を免れたのだ。
「奴らは私が死んだと思っている……これはチャンスだ。奴らが油断しきったところを襲撃して、今度こそ殺し」
「おお、おめおめおめだだだだ誰だ? えも、えもえも獲物か?」
身体を休め、体力の回復に努めようとしたその時。ホールの二階へ続く階段から、不気味な声が聞こえてきた。
「な、なんだお前は? あり得ん、この世界にはもう生き物はいないはずだ!」
アルギドゥスはそちらへ顔を向け、息を呑む。階段から降りてきたのは……身の毛もよだつ風貌をした、おぞましい怪物だった。
ヘドロのようなものが流れ落ちるドス黒い身体を持ち、四つん這いで這ってくるナニカ。背中には十を超える目玉が生え、爛々とした光を放っている。
そして、本来首があるべき場所からは細長い触手のようなものが生え……その先端には、ヤツメウナギのような口があった。
「えへ、えへえへえへ。嬉しいなぁ、嬉しいなあ。久方ぶりの獲物だど。ミカボシ様への貢ぎ物だど。おまおまおまおま、お前旨そうだなぁ」
「く、来るな! クソっ、まずい……奴の毒のせいで、まだ力が」
「お前、喰う。んでんでんでんで、残りミカボシ様に捧げる。おめら、逃がすな。そいつ、まだ元気だど」
「おめ……ら? まさか!?」
まるで、自分以外にも仲間がいるかのようなことをのたまう怪物。その言葉にアルギドゥスが背筋を凍らせた直後。
城の正面扉が開け放たれ、降りしきる雨の中から続々とやって来る。数え切れないほどの、おぞましい怪物たちが。
「えへ、えへえへえへ!」
「おがぁぢゃーん、おがぁぢゃーん」
「どうじで、ごんな……どうじでぇぇぇ!!」
ほとんどの個体は、最初に現れたモノと違い意味のある言葉を発さない。だが、彼らの思考を読み取ることは出来た。
獲物を狩る。その意思だけは、全ての個体が明確に宿していた。
「クソッ、ふざけるな! こんなところで死んでたまるか、私はまだ」
「おめら、かかれ! こいこいこいこい、こいつを逃がしちゃならんど!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
門を作り出し、逃げようとするアルギドゥス。が、怪物たちの動きはそれよりも早く、統率されていた。最初の一体が飛びかかり、アルギドゥスの動きを封じる。
そして、他の個体が群がり手足にかじりつく。生きたまま貪り食われる恐怖と苦痛に、アルギドゥスは絶叫する。
「ぐあああああ!! やめろ、やめろぉぉぉ!! 頼む、私はまだ死にたくな」
「あぐあぐあぐあぐあぐ」
「がぶりがぶりがぶり」
「!? バカな……こいつら、門を食って……」
命乞いをする中、アルギドゥスは信じられない光景を目にした。怪物たちのうち、数体が門にかじりつき食らい始めたのだ。
「おめおめおめおめ、逃がさねど。おめ、責任取って死ね。ウォーカーの一族は、いまいまいまいまいま、ここで死ね」
「!? ……ああ、そうか。そういうことか。お前たちは」
最後まで言い切る前に、アルギドゥスは頭を食い千切られ絶命した。怪物たちはもう、一体も喋らない。
ただひたすらに、アルギドゥスの遺体を貪り食らうだけだった。