86話─滅びた世界の片隅で
「うう……ホロウバルキリー、大丈夫ですか?」
「ええ、何とかね。それにしても、一体何事なのよこれは」
「チョーサイアクー、擦り傷できたしー」
門の中に叩き込まれたフィルたちは、崩壊した石造りの古城に飛ばされていた。フィルも知らない、遠い並行世界。
空は不気味な黒い雲に包まれ、稲光がとどろいている。思いがけず呉越同舟となった三人は、雨が降ってきたためひとまず城の中に避難する。
「酷い雨ですね……それに、こんな黒い雨なんて見たことありませんよ」
「わー、ばっちぃ。あれ、絶対毒あるっしょ。マジ触りたくなーい」
降ってきたのは、雲と同じドス黒い色をした土砂降りの雨。どこか薄ら寒いものを覚えつつ、アンネローゼは周囲を観察する。
崩壊の度合いが激しい外観とは裏腹に、中はそこまで荒れ果てていなかった。薄暗いホールの先に、奥へと続く廊下がある。
一定間隔で設置されたロウソク立てには──火の着いたロウソクがあった。それはすなわち、誰かがこの城にいることを示している。
「ねえ、フィルくん。この城、何だか嫌な気配がするんだけど……」
「僕も感じています。ここには……いえ、この世界には強い怨念が渦巻いています。一体何が……危ない!」
「チッ、勘のいい奴だ。あと少し反応が遅ければ、その女の首を落としてやれたものを」
入り口の方から殺気を感じたフィルは、アンネローゼとエモーを押し倒す。直後、彼女たちが立っていた場所を丸ノコが通り過ぎた。
丸ノコは鋭い孤を描き、入り口の方へと戻っていく。そこには、フィルとイーリンの兄……アルギドゥスが立っていた。
「にい、さん……!」
「お前に兄と呼ばれる筋合いはない、フィル。全く、本当にお前はイレギュラーにも程がある。まさか、ウォーカーの法則すら通じないとはな」
アルギドゥスは戻ってきた丸ノコをキャッチし、分解して塵へと変える。立ち上がったフィルを真っ直ぐ見ながら、一歩距離を詰めた。
「やはり、その無限の魔力が悪さをしているようだなぁ。え?」
「いてて……。あのイーリンとかいういけ好かないクズに、仲間がいたなんてね。いや、それくらいは予想しとくべきだったかしら」
「クズ? 違うな、イーリンは優れた戦士だった。お前たちのような下等生物が勝てたのは、まぐれに過ぎない。あまり図に乗ると……む?」
「ちょっとー、うちの友達バカにしないでほしいんですけどー。あんまりバカにすると……激おこぷんぷん丸なんだかんねー!」
「ほう、これは……影を操る魔法か。フン、闇の眷属にしては面白い魔法を使うな」
アンネローゼをバカにされたエモーは、両手を地面に叩き付けながら叫ぶ。彼女の影がどんどん伸びていき、アルギドゥスの元へ到達した。
すると、影は相手の身体をするする登っていく。喉に手をかけ、全力を込めて首を絞め始める。
「へー、アンタ凄い魔法使えるじゃない! そのまま絞め落としちゃえ!」
「下らんな。こんな魔法、私の用いる『変性』の魔法を以てすれば……逃れるのはわけないこと」
「はれっ!? き、消えたぁ!?」
首を絞められながらも、平然としているアルギドゥス。指を鳴らすと、その場に崩れ落ち消えてしまった。
「二人とも、気を付けて! 兄さんは自分の身体を水に変えて床の隙間に逃げました! 足下に警戒してください!」
「なるほど、そういうことね。なら、こうしてやるわ! 赤い薔薇よ、輝け! フラムシパル・ガーデン!」
「あっちちち! うちまでこんがり焼けるんですけどー!」
フィルの警告を聞き、アンネローゼは盾に描かれた赤い薔薇を輝かせ力を解き放つ。盾から放たれた炎が床に広がり、灼熱のカーペットと化す。
これなら、水になっている相手が出てきた瞬間に蒸発させてやることが出来る。そう考えていたアンネローゼだったが……。
「愚かな。とうに床下から離れておるわ! アクアシェイブソード!」
「あぐっ! 嘘でしょ、もう壁の中に!?」
「イーリンを倒したからといって、図に乗るなよ下等生物ども。私の方が貴様らより遙かに格上だと、冥土の土産に教え込んでやる! アクアブリックハンマー!」
アルギドゥスはすでに床下にはおらず、壁の中に移動していた。僅かな隙間から姿を現し、腕を変形させた水の刃でアンネローゼを斬り付ける。
そして、今度は腕を巨大なハンマーへと変形させて追撃を放つ。が、そこにフィルが割って入って身代わりになり、攻撃を受け止めた。
水のハンマーが弾け、床を燃やしていた炎を完全に鎮火してしまう。
「そうはいきません! これ以上はやらせませんよ、兄さん!」
「何度も言わせるな、フィル! 貴様に兄と呼ばれる筋合いはないわ! 水禍滅縄絡め!」
「くっ、しまっ……」
「まずはお前が生存していることへの罰を与える。この脚……へし折ってくれるわ!」
攻撃を阻止されたアルギドゥスは、縄状に変化し素早くフィルの右足に絡み付く。そして、間髪入れず脚をへし折ってしまった。
骨の砕ける音と、フィルの悲鳴が城の中にこだまする。その瞬間、闇に覆われた廊下の奥で何かが動いたような気配があった。
「う、あぐっ……」
「フィルくん!」
「フィルっち!」
「これでもう、貴様は一人では戦えん。いいお荷物だな、里にいた頃と同じだ。そうだろう? フィル」
脚を破壊され、フィルは事実上戦闘不能に陥ってしまう。痛みに呻くフィルを見ながら、アルギドゥスは心底意地の悪い笑みを浮かべる。
そんなアルギドゥスに向かって、エモーは突撃していく。アンネローゼたちを逃がすべく、時間稼ぎ役を買って出たのだ。
「あいつはうちが食い止める! だからー、二人はその間に逃げてちょ!」
「無茶よ、一人で戦うなんて無謀だわ!」
「その通り。それに、逃げ場などどこにあるというのだ? 言っておくが、今降っている雨に当たれば死ぬぞ? この世界を滅ぼした元凶が放っているのだからな」
「だいじょーぶ、城の中に逃げてから門を使って帰ればいいだけだしー。アンネちんを、ここで死なせたくないからさ。ほら、早く行って!」
影魔法を駆使し、エモーはアルギドゥスを絡め取ろうとする。彼女の言う通り、基底時間軸世界に戻れさえすれば勝ちの目はあるだろう。
フィルとアンネローゼは顔を見合わせ、頷き合う。彼女の献身をムダにしないためにも、ここは……撤退するべきだと。
「ごめんね、レジェ。必ず迎えに戻るから!」
「チッ、邪魔をするな!」
無数の影の蛇に絡め取られ、アルギドゥスは身動きを封じられてしまう。隙間から逃げようにも、影が広がり止められてしまうのだ。
その隙に、アンネローゼはフィルに肩を貸し城の奥へと向かう。ここでゲートを開いても、アルギドゥスの力で妨害されるのは確実。
彼の影響から逃れられる場所まで撤退してからでないと、門を開くことは出来ない。二人は闇に包まれた廊下を、ロクソクの灯りを頼りに進む。
「うう、ぐっ……」
「大丈夫? フィルくん。あと少しの辛抱よ、向こうに戻れればすぐ治療出来るから!」
激痛に耐えながら、フィルはアンネローゼと共に先へ進んでいく。ある程度廊下を歩き、アルギドゥスからの干渉を避けられる距離まで逃れられた。
「とりあえず、そこの部屋に入りましょう。廊下にいると、背後から奇襲されかねませんから」
「そうね、レジェをすり抜けて追ってきてるとも限らないし」
適当に目に付いた扉を開け、中に入る二人。ホコリまみれな暗い部屋の中で、フィルは門を作り出す。元の世界に戻れれば、何とでも出来るが……。
「!? そ、そんな! そうか、だから兄さんはあんなに余裕の態度を見せてたんだ……」
「フィルくん、どうしたの?」
「兄さんは、門を開いたままにしてるんです。それも、別の世界からこの世界に向かう……一方通行の門を。それを閉じないと、新しい門を開けません!」
「な、何ですって!?」
困難は去らない。僅かに見えた光明が、途絶えようとしていた。だが……?
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「……なんだ、これは。生命反応が消えたから、様子を見に来てみれば……この門は……?」
基底時間軸世界、フィルたちのいた森。そこに、ジェディンがやって来ていた。フィルとアンネローゼの反応が消えたため、約束通り救援に来たのだ。
「ふむ、石化している者たちは先生に任せるとして、だ。やはり、この門に飛び込まなくてはならないようだな。恐らく、彼らはこの先にいるだろうからな……」
そう呟き、ジェディンは同行していたつよいこころ九号にギアーズへの伝言を伝える。これで、ラインハルトたちは助かるだろう。
そして、ためらうことなくアルギドゥスが開いた門の中に飛び込んでいく。その先に広がる世界にいる、仲間を救うために。