82話─イーリン、裁きの時
「ぐ、が……! まだだ、まだ……こんな下等なゴミどもに、殺されるわけには……!」
腹を貫かれ、致命傷を負ったイーリン。最後の力を振り絞り、フィルによって封印された門の一つを無理矢理こじ開ける。
力尽き息絶えた直後、門の中から新たなイーリンが現れる。だが、前の個体が受けたダメージを引きずっているのか、息が荒い。
「ぐ、はあ……はあ……。まさか、日に二度も耐え難い屈辱を味わうことになるとは……! ゴミどもめ、絶対に許さんぞ!」
「姉さん……もう終わらせましょう。あなたは、僕の大切な人を侮辱した。その罰を、これから受けてもらいます」
「罰だと? 貴様如きに何が……まさか!?」
「ええ、そのまさかです。因果応報という言葉の通りに、あなたには消えてもらう。対消滅によってね」
第三ラウンド開始……とはならず、怒りが収まらないフィルは死刑宣告を下す。今度は逆に、フィルがイーリンを消滅させるつもりなのだ。
それを察したイーリンは、門に飛び込んで逃げようとする。が、アンネローゼが即座に動いた。狙いを定め、盾を投げつける。
「逃がさないっての! シールドブーメラン!」
「がはっ!」
「もう抵抗なんてさせないわよ! 青と赤、二つの薔薇よ輝け! ツインエレメン・ジェイル!」
アンネローゼは盾の力を使い、水と炎で出来た牢獄を作り出す。その中にイーリンを閉じ込めて拘束し、完全に抵抗を封じる。
水の猿ぐつわを噛まされ、炎の縄で手足を縛られ。イーリンはただ、くぐもった唸り声をあげることしか出来ない。
「むぐう! むう、ぐうあああ!!」
「改めて門を開きますよ、姉さん。これで、全て終わりです。見下し嫌悪していた僕に、対消滅させられる……姉さんには似合いの末路ですね」
「ええ、お腹の底からスカッと爽やかざまあみろの笑いがこみ上げてきて仕方ないわ。自分でもだいぶゲスいとは思うけど……コイツには相応しい罰だと思うわ」
フィルもアンネローゼも、イーリンを許すつもりは微塵もない。怒りが頂点に達しているフィルは、いつもなら絶対やらないことをする。
門を開く速度をあえて落とし、イーリンに極限の恐怖と屈辱を与えているのだ。アンネローゼも、それを咎めずむしろ賞賛している。
「むぐう! うあああ!!」
「命乞いかしら? 今更遅いのよ、もうすぐ門が開くわ。消滅したらあの世に行けるのかは知らないけど、もし行けるんだとしたら……フィルくんにしたこと、永遠に悔いなさい」
みっともなく涙と鼻水を流し、頭をブンブン振るイーリン。もし猿ぐつわをされていなかった場合、口から放たれていたのは命乞いの言葉か。
あるいは、この期に及んでフィルやアンネローゼに対し、罵詈雑言や呪詛の言葉を吐き散らしていたか。どちらにせよ、全て終わる時が来た。
「この世界は一体……わたしを呼んだのはあな……あっ!?」
「ようこそ、並行世界の姉さん。残念ですが……全ての世界に存在するあなたには、消滅してもらいます」
「う、そ……待って、ダメ! こんなところで死にたく……あああああ!!」
並行世界から召喚されたイーリンの運命変異体の目に、オリジナルの己が映る。その瞬間、何のために呼ばれたのかを彼女は理解した。
門の向こうへ戻ろうとするも、もう遅い。ウォーカーの法則による、対消滅が始まったのだ。身体が砂になり、少しずつ崩れていくイーリン二人。
「いや、いやぁ……どうして? どうしてわたしがこんな目に? なんで……星の数ほどいる中から……わたし、が……」
「それは、あの世でオリジナルに聞いてください。僕の口からは……言うつもりはありません」
存在としての『格』がオリジナルよりも低かったのか、イーリンの運命変異体は一足先に息絶えた。残ったオリジナルも、すでに身体の大半が砂に変わっている。
「最後に一言、何か言いたいでしょ? 言わせてあげるわ、末期の恨み節くらいはね」
「ぷはっ! クソ……クソクソクソクソクソクソクソクソ!! こんな、こんな屈辱的な最期……この私が、迎えるなど……」
「無様ね。少なくとも、フィルくんに手出しをしなければこうするつもりはなかったわよ。不干渉を貫かないから、こんな死に方をするの。分かった?」
「ふ、ふふ。干渉するなだと? バカが、私たちが動こうが動くまいがフィルは死ぬ定めにある。魔神どもはもう、我らの里を嗅ぎ付けているだろうからな」
すでに下半身が砂になり、上半身が崩れていく中……イーリンは不穏な言葉を口にする。フィルもアンネローゼも、眉をピクリとさせた。
「奴らは本気だ……すでにディラーブ家が根絶され、次は我々を狙っている。お前が望まなくとも、アルバラーズ家と共に死ぬんだ! ハハハハハハ……はがっ!」
「……いい? その節穴な耳かっぽじってよく聞きなさい。そんなこと、私が絶対にさせない。アルバラーズ家は滅ぼされていいけど、フィルくんだけは私が守り抜く。必ずね!」
狂ったように笑うイーリンの顔面を殴り飛ばし、胸ぐらを掴みながらアンネローゼはそう宣言する。彼女はもう、覚悟を決めている。
愛する者を守るためならば、ベルドールの七魔神であろうと真正面から戦い抜くと。その覚悟を見せ付けられたイーリンは、何もかも諦めたように呟く。
「……強いな、お前は。私も……誰かを愛することが出来たら、お前のように強くなれたのだろうか……。いや、無理か。私たちは【●●●】様に、そんな感情を抱けぬよう刻まれて……」
「? ちょっと、何て言ったの? 聞き取れなかったわよ、もう一度言いなさい!」
「ああ……消える……。私という存在が、全ての世界から……まだ、死にたく……消えたく、なかった……」
アンネローゼの問いに答えることなく、イーリンは深い絶望を味わいながら砂になった。もう、どの世界にも彼女はいない。
今日この日を以て、イーリン・アルバラーズ・ウォーカーは……基底時間軸世界を含めた、全ての並行世界から消え去った。
「……終わりましたね、アンネ様。何だか少し……心が軽くなったような気がします」
「乗り越えたのよ、フィルくんは。辛い過去を克服して、一歩を踏み出せたのよ」
「ありがとうございます、アンネ様。あなたと一緒だったから、僕は姉さんと戦えました。もし一人だったら、きっと身体が竦んで勝てなかったと思います」
フィルはアンネローゼを見上げ、はにかみながらお礼を言う。姉を倒し、フィルは一つトラウマを乗り越えた。
だが、それを喜んでばかりもいられない。イーリンだけが、自身の抹殺に動いているとはフィルは考えていなかった。
里の総力を以て、自分を消そうとするはず。一刻も早く基底時間軸世界に戻り、己の運命変異体を保護しなければならない。
「帰りましょう、アンネ様。作戦の本命を成功させるために!」
「ええ、行くわよ!」
フィルは空中に浮かんでいる門を全て破壊し、新たに門を作る。そして、アンネローゼと手を繋ぎ共にくぐっていく。
そうして、元いた基底時間軸世界に帰ってきたのだが……。
「ただいま……あいたっ!?」
「いったぁ! もう、いきなり現れないでよ、誰だか知らな……えっ、ぼく!?」
「!? そ、そんな! 君は……僕の、運命変異体?」
門を抜け、元いた森へと帰ってきたフィル。が、出会い頭に誰かとぶつかってしまう。最悪なことに、それは……イレーナたちが保護してきた、己の運命変異体だった。
「わあああ!? し、シショー!? 大変っす、せっかくもう一人のシショーを見つけられたのにー!」
「あわわわ、このままじゃ僕も消滅……あれ? し、消滅しない?」
「あっははは! やっぱりね! ほら、エアリア。ぼくの理論は正しかったよ! ウォーカーの力をどっちかが持ってなかったら、対消滅は起こらないんだ!」
予想外のアクシデントに、その場に居合わせたイレーナたちも狼狽する……が、何かおかしい。いつまで経っても、フィルの身体が崩壊しないのだ。
「えっと……何これ、どういう状況なの?」
「あの、その……私にも、何がなんだか……」
少し遅れて門から出てきたアンネローゼも、運命変異体に寄り添っていたエアリアも困惑する中……ただ一人、平然としていたラインハルトが口にする。
「決まっているだろう? こちら側の作戦は、完全勝利で終わったということだ」
「そのとーり! お兄さん、飲み込み早いね!」
オリジナルのフィルたちが困惑する中、運命変異体は呑気にそんなことをのたまうのだった。




