8話─特訓とご褒美
フィル特製のご馳走に舌鼓を打った翌日。打倒カストルを目指し、アンネローゼの特訓の日々が始まる。
訓練用の服を着たフィルとアンネローゼが、朝から訓練場に足を運んでいた。
「まずは走り込みです。バルキリースーツの重量に慣れてもらいますよ! とりあえず、今日は十周コートを回れるようになりましょう」
「うん、頑張る! ……ところで、ノルマを達成出来たらご褒美が欲しいなー」
「ご褒美ですか……じゃあ、美味しいクッキーを焼きますね。バター味と紅茶味の二種類作りますから、楽しみにしててくださいね」
「やった! ……他のご褒美はもっとキツいノルマをクリアするまでお預けね」
フィルの言葉に喜びつつ、アンネローゼは不穏な言葉を口にする。どうやら、もうノルマを達成した気でいるようだ……が。
「ぜえ、はあ……! す、スーツが重い……嘘でしょ、昨日着た時はあんなに軽かったのに」
「そりゃそうですよ、ダイナモ電池にかけてある重量軽減の魔法をオフにしてありますから。そうじゃないと、体力を付けられませんからね」
ランニングを始めてから、たったの三分でアンネローゼは轟沈していた。本来の重量になったバルキリースーツを着ての運動で、体力を使い果たしたのだ。
訓練場の真ん中に寝転がり、汗だくになりながら荒い息を吐く。そんな彼女の頬をつんつんしながら、フィルはスパルタ指導を行う。
「起きてください、まだ半周も出来てませんよ? せめて五周……いえ、三周はしてもらいますからね?」
「ま、待って……もうちょっと、休憩……」
「ダメです、アンネ様のためにもビシバシ! 厳しーく指導しますからね!」
その宣言通り、フィルは心を鬼にしてアンネローゼをスパルタ指導で鍛え上げる。時折、捨てられた子犬のような目で手加減を懇願されるも、頑として聞かない。
もっとも、フィル自身かなり罪悪感を感じているため、訓練が終わったら思いっきり労い甘やかす気満々ではいるが。
その後、二時間ほどかけてやっとこさアンネローゼはノルマである十周を走り終えることが出来た。
「何とかノルマを達成出来ましたね。お疲れ様でした、アンネ様」
「はあ、はあ……。やり遂げたわ……私だってやれば出来る子なのよ、ふふふ」
「では、次の訓練に移りますね。今度は翼を使って空を自在に飛ぶ訓練をしましょう」
「え゛っ゛。ちょ、ちょっと待って? そろそろ休憩を……」
てっきり、一度休憩を挟むと思っていたアンネローゼの口から、汚いダミ声が飛び出す。漏れる寸前でたどり着いたトイレに入ろうとした瞬間、横から来た相手に先に入られた時のような絶望の表情を浮かべていた。
「まだ早いですよ、休憩には。次の訓練が終わったら休憩にしますから、頑張ってください」
「やーだー! 休憩休憩きゅうけーい! 休憩したーいー!」
駄々っ子のように手足をビッタンビッタンさせながら、アンネローゼはゴネる。ゴネまくる。ゴネりの嵐を見舞う。
何とか宥めようとするフィルだったが、アンネローゼは聞く耳を持たない。が、流石に疲れたようで手足を動かすのはやめたようだ。
「うーん、困りましたね……」
「ご褒美の上乗せを要求しまーす! もっと刺激的でやる気の出るご褒美を貰わないと動きませーん!」
「ええ……そうですね……じゃあ……」
アンネローゼの要求に、フィルは考え込む。しばらくして、いい案が浮かんだようだが……何故か顔を赤くしている。
「分かりました。じゃあ……アンネ様が訓練を頑張ったら、は、ハグしてあげます!」
「ホント? 何分?」
「え!? えっと、じゃあ五分……」
「言ったわね? 聞いたよ? 覚えたわよ? あとでやっぱ無しってのはダメね。しかと記憶に刻み込んだから。っしゃあああ!! やる気出てきたわぁぁぁぁぁ!!!!」
「わあお……」
追加のご褒美の約束を取り付け、アンネローゼは復活した。それまでの疲労はどこへやら、見違えるような機敏さで飛行訓練に取り組む。
天井の一部が開き、吊り下げられたリングがいくつか降りてくる。次は、リングを連続でくぐれるようになる訓練が行われるのだ。
「次は向こうのリングです!」
「あっちね! っしゃあ、やってやるわぁ! 重量軽減の魔法が効いてるから、楽々飛べるわ!」
「す、凄い……僕も苦労した飛行訓練を、あんな簡単にクリアしてる……」
シュヴァルカイザーとしての活動を始めたばかりの頃、フィルは空を飛ぶのが苦手だった。自由に飛べるようになるまで三ヶ月はかかったが、アンネローゼはもっと早く上達しそうだ。
そして、一時間後……。あっさりとノルマをクリアしたアンネローゼに、待望のご褒美タイムがやって来る。
「ふふふ。待っていたわ、この時を! さあ、来てフィルくん! 私の胸に飛び込んで! 全力で受け止めるから!」
「いや、それはいいんですけど何でスーツを脱いだんですか!?」
「そうしないとフィルくんの温もりを味わえないじゃない! さあ、カモン! ハリーアップ!」
バルキリースーツをベルトに格納し、アンネローゼはバッチコイモードになってフィルを呼ぶ。恥ずかしそうにモジモジしていたフィルだが、自分から言い出したことだと覚悟を決める。
「わ、分かりました。では、失礼しうわぷ!?」
「ああ……あったかい。フィルくんの温もりが伝わってくるわ」
「むぐ、もがもが!」
一歩前進した瞬間、アンネローゼの腕が伸びてフィルを捕まえる。そのままたぐり寄せ、胸の谷間に少年を閉じ込めた。
至福の表情を浮かべているアンネローゼとは対照的に、フィルは息が出来ずじたばたしている。それに気付き、少女は締め付けを緩めた。
「あ、ごめんね。強く抱きすぎちゃった」
「ぷはっ! し、死ぬかと思いました……」
「立ってるのも疲れるし、あっちで座ろっか」
「そうですね、分かりました」
ベンチに移動して座った後、改めてフィルを抱っこするアンネローゼ。少しして、彼女は話を切り出す。
「ねえ、フィルくん。博士から聞いたわ、あなたの過去のこと」
「! それは……どのくらいの範囲までですか?」
「フィルくんと出会ってから、シュヴァルカイザーになるまでのことをね。……辛かったよね、故郷からも冒険者ギルドからも捨てられて。私と、おんなじ……」
ギアーズに話を聞いてから、アンネローゼは考えていた。直接、フィル自身の口から過去のことを聞きたいと。
フィルはアンネローゼの背中に回した手を握り締め、忌まわしい過去を思い出す。故郷の同胞や、冒険者たちからかけられた罵声が脳裏をよぎる。
『一族の恥さらしめ! 貴様のような出来損ない、どうして生まれてきたんだ!』
『十歳までは奴隷として里に置いてやる。だが、それ以降は留まることを許さん。下等生物どもの世界で惨めに一生を終えろ、このクズが!』
『わりぃなあ、フィル。これまで魔力タンクしてくれてごくろーさん。でも、もうお前いらねーんだわ! ってわけで、これからはゴミ漁りにでも精を出してくれよ。ハハハ!!』
『お仲間の方々から、貴方への苦情が複数届いています。申し訳ありませんが、冒険者の資格を永久に剥奪させていただきますね。では、さようなら』
家族や仲間から受けた、無数の心無い言葉。幼い少年の心を壊してしまうには、十分なものだった。ギアーズと出会えていなければ、彼は立ち直れなかっただろう。
「そう、ですね。でも、今はもうへっちゃらですよ。昔のことですもん、今更気にしたって」
「嘘。だったらどうして、手が震えてるの? ……涙を、流しているの?」
「え……」
アンネローゼに指摘され、フィルは初めて気が付いた。自分が泣いていることに。そして、そんな自分を見て彼女も涙を流していることに。
「辛い思いを、一人で抱え込まないで。私たちは、もう恋人同士なのよ? フィルくんの心を癒してあげたいの。あの日、あなたに救ってもらったように。今度は、私があなたを救いたい」
「アンネ、様」
「今なら二人っきりよ。いいの、私の胸でたくさん泣いて? 私が、ずっと抱き締めてあげるから」
「う、うう……うわああああん!!!」
それまでずっと心の中に押し込めていた苦しみや悲しみを、フィルは涙と共に吐き出した。泣きじゃくるフィルを抱き締め、アンネローゼは頭を撫でる。
数分後、フィルはようやく泣き止んだ。真っ赤に腫らした目でアンネローゼを見上げ、お礼の言葉を口にする。
「ありがとうございます、アンネ様。おかげで、心がスッキリしました」
「ふふ、いいのいいの。大切な恋人の役に立てて、とっても嬉しいわ」
「アンネ様……ふふ、何だか僕も嬉しいです」
お互いに微笑みあった後、二人はじっと見つめ合う。とちらからともなく、少しずつ顔が近付いていく。
あと数センチで、二人の唇が重なり合う。心臓を高鳴らせるアンネローゼだったが……その時、非常事態を知らせるベルの音が鳴り響いた。
「ぴっ!? こ、こんな時に襲撃ですか!」
「全く、空気を読まない連中ね! あと少しでちゅー出来たのに!」
「出撃してきます、アンネ様は基地で待ってい」
「いや、私も行くわ。何だか、無性に侵略者どもをボコボコにしたい気分なの。あばらを蹴り折ってやりたいわ!」
ファーストキスを妨害され、アンネローゼは怒りをあらわにする。こうなったらもう、彼女は止まらない。それをよく理解したフィルは、ため息をつく。
「ふー……分かりました。バルキリースーツのサポートシステムをオンにしておくので、一緒に戦いましょう。アンネ様の初陣ですよ!」
「よっし、やってやるわ! うふふ、いよいよフィルくんと一緒に戦えるのね。楽しみだわ!」
こうして、想定よりもだいぶ早いアンネローゼの初陣の時がやって来た。闘志を燃やし、少女は獰猛な獣のような笑みを浮かべるのだった。