77話─山積みになる悩み
「それで、基地の場所を敵に知られてしまったわけですが……博士、どうします? 基地を別の場所に移しますか?」
「そうしたいのは山々じゃが、簡単にはいくまい。新しい基地の建設、ここにある機材の搬入……軽く見積もっても、一年はかかるぞ」
「困りましたね、一年も悠長に待つ余裕はありませんよ。かといって、基地の場所がバレたまま対策をしないというわけには……」
その日の夜、遅くまでフィルとギアーズは議論を重ねていた。マッハワンに基地の場所がバレてしまった以上、カンパニー本社に座標を送られてしまうだろう。
そうなれば、基地にカンパニーの……否、魔戒王ヴァルツァイト・ボーグの本命の軍団が送り込まれてくることになる。
基地には様々な迎撃兵器を備えているが、これまでの比ではない物量で攻めてこられれば耐えきれるかは分からない。
「難しい問題じゃのう。……ここまで来ると、もうわしらだけでは戦い抜くのも厳しいのやもしれん。ここいらで、本格的に誰かに助力を」
「それだけは断固として拒否します。アゼルさんやコリンさんに迷惑をかけるわけにはいきません。それに……また、裏切られないとも限りませんから」
暗にコリンたちへの救援を頼んではどうか、と提案するギアーズ。だが、フィルは即座にそれを却下してしまった。
「……のう、フィル。おぬしがどんな人生を歩んできたか、わしは痛いほど知っておる。独立した大勢力への猜疑心が、心の中にあることもな」
「……怖いんです、僕は。コリンさんたちがいい人だっていうのは、分かっているんです。でも、だからこそ……疑念が拭えないんです」
かつて、フィルは冒険者時代に手酷い裏切りを受けて追放された過去がある。その出来事が、彼の心に大きな影を落としていた。
アンネローゼやイレーナ、オボロ。コリンたち他の大地の者ら、『個人』を信じることは出来る。だが、それが『組織』となると話が変わる。
「ギルド全体に手酷い仕打ちを受けて、資格の永久剥奪からの追放……。そんな経験をしたのじゃ、組織を信じられなくなるのも無理はない」
「人は組織に属すると変わってしまいますから。あの二人は、大きな組織を束ねる身。僕個人よりも、守らねばならない物が多くあります」
「だから、いざという時に自分が切られ、捨てられることを恐れておるのじゃな」
アゼルは生命の炎を守る王として、コリンは大いなる魔戒王として。それぞれ配下を率い、巨大な組織の頂点に君臨している。
故に、しがらみも多い。いざとなれば、フィルを切り捨て守るべき者たちを守らねばならない。そうして捨てられることを、フィルは恐れていた。
「裏切られることはもういいんです、馴れましたから。でも、それがアゼルさんたちから、となると……ダメなんです。そんな光景を想像するだけで、吐きそうになるんです……」
「それだけ、おぬしが彼らを大切に思っておるということじゃ。そうした感情を抱いてしまうのも、無理からぬことか……」
今はまだ、局所的に協力関係にあるだけに過ぎないからこそフィルは平然としていられる。だが、これが全面的な同盟や連合となると、トラウマが発動してしまうのだ。
冒険者時代のように、裏切られて捨てられるのではないか。アゼルたちに限ってそんなことはないと思ってはいても、そんな疑念を捨て去れない。
「僕も、彼らと同盟を組んで、ヴァルツァイト・ボーグと戦えればどれだけいいだろうとは思っているんです。でも……やっぱり、心のどこかでそれを拒絶してしまうんですよ。だから、全面的な協力は打診出来ません」
だからこそ、フィルは自分たちだけでカンパニーと対決することにこだわっていた。そんな少年を、どうすれば説得出来るのか。
ギアーズには、何の術もなかった。しかし、こればかりは時が解決してくれるのを待つ猶予はない。いつ脅威が訪れるか分からない中、やはり全面的に協力してくれる外部の者が必要なのだ。
「明日、あの子たちにはお礼の手紙を持たせて故郷に送り届けるつもりです。いつまでも、僕たちの戦いに付き合わせてしまうわけにはいきませんから」
「うむ、それに関してはわしも賛成じゃ。あの子たちはまだ幼い子ども。万が一のことがあれば、アゼルくんたちに顔向け出来ぬからな」
「ええ。……そういえば、ジェディンさんはどこに?」
「もう一人のエージェントの情報を探っているようじゃが、如何せん連絡がほとんどないからのう。どこで何をしておるのか、わしにも分からん」
「呼んだか? 済まないな、連絡もしないで」
話題を変え、ジェディンが何をしているのか話すフィルたち。すると、ちょうどそこに当の本人が帰ってきた。
談話室にテレポートしてきたジェディンは、分厚い紙の束をフィルに渡す。カルゥ=オルセナを渡り歩き、情報を集めていたようだ。
「カンパニーが送り込んできたエージェントについて調べていたが、かなり手強かった。奴ら、尻尾を見せなくてな。辛うじて一人、素性を暴いた」
「そうか、実は昼間基地をエージェントに襲撃されてのう。大変だったんじゃよ」
「そうか、それは悪いことをした。……ところで、そいつの顔には」
「例の傷はなかったぞい、残念ながらな。……む、この資料に書かれておるのは……」
ジェディンが集めてきた情報が記された資料をフィルから受け取り、目を通していたギアーズ。そこには、昼に遭遇したのとは別のエージェントの情報が記されていた。
「この女が、もう一人のエージェントか……」
「そいつの名はエモー。どうやら、単独で何かを嗅ぎ回っているようだ。あまりにも行動に脈絡がなさ過ぎて、目的までは分からないが……」
「何にせよ、警戒しておいて損はないでしょう。今は問題が山積みですが……一つずつ、こなしていくしかありませんね」
そう口にし、フィルはため息をつく。談話室を出て、自分の部屋に戻る。その途中、彼の脳裏にアゼルやコリンの顔が浮かぶ。
(あの二人なら、僕が頼めば助けてくれるのかな……でも、もし土壇場で裏切られたら……)
フィルの脳裏を、忌まわしい思い出が塗り潰す。冒険者時代に受けた、最悪の裏切りの記憶。
『フィル。悪いが我々と一緒に来てもらおうか。君のギルドに対する背信行為について裁判を行わねばならない』
『そんな、誤解です! ギルドの資金を盗むなんて、そんなことはしていません!』
『言い訳をするな! すでに証拠は君の仲間から受け取っているんだ、大人しく連行されろ!』
『そんな……嘘でしょう? なんで、そんなこと……』
冒険者時代、フィルは無尽蔵の魔力を活かした魔力の補給役として様々なパーティーに頼られていた。しかし、常に組んでいた仲間はそれを面白く思っていなかった。
『じゃあな、フィル。こうなった以上、もうギルドからの追放は決定事項だろうなー。今まで魔力袋やってくれて、ありがとよ。ハハハハ!!』
『お前のおかげで成り上がれたからな、もう用済みなんだわ! もし物乞いしに来たら、残飯でもくれてやるよ!』
フィルの協力の元、高ランクへ昇格したかつての仲間はあっさりと彼を捨てた。自分たちの横領の罪を、フィルになすり付けたのだ。
彼らが偽の証拠を用意していたことで、フィルは弁明すらさせてもらえずにギルドから追放された。それまでの稼ぎを罰則金として支払い、無一文になった状態で。
(また、あんな目に合うのは嫌だ……。ダメだな、どんどん考えがネガティブになる……)
そんなことを考えながら、トボトボ廊下を歩いていたフィル。その時、軽い目眩を覚えた。直後、瞳が金色に輝き始める。
『君は……エアリア!? どうしてここに!?』
『フィル様……どうか、力をお貸しください。もう一人のあなたを救うために……』
『ようやく見つけたよ。まさか、私たちを出し抜いて逃げ出すなんてね。クズどもは纏めて消し去ってやる。このイーリン・アルバラーズ・ウォーカーがね!』
「うう、あああっ! い、今のは……!? ただのサーチアイじゃない、こんなビジョンを見るのは初めてだ……。サーチアイもしばらく使ってなかったし、ちょっとおかしくなったのかな……」
フィルの脳裏に、全く知らない光景が次々と浮かんで消えていく。ここしばらく使っていなかったサーチアイが暴走し、変な光景を見せた。
無理矢理そう自分を納得させ、フィルは歩みを再開する。だが、彼はまだ知らなかった。これがもう一人の自分、運命変異体と同じ世界にいるが故に起きた現象であること。
少し先に起こる未来の光景を、垣間見たのだということを。