76話─アルバラーズ家の闇
「今から五年前、私は住んでいた村から拉致され……この里に連れてこられました。アルバラーズ家の人たちの世話をする、『雑用奴隷』として」
「雑用奴隷……その言い方だと、他の奴隷もいるの?」
エアリアの言葉に、フィルの運命変異体は疑問を呈する。そんな彼に頷き、エアリアは里の裏にある醜悪なシステムについて語った。
「この里には、二種類の奴隷がいます。一つは、私のような雑用奴隷。日々の雑務全般を行う者たちのことで、主人の機嫌を損ねない限りは殺されることはありません」
「酷い……じゃあ、もう一つの奴隷は?」
「もう片方は、『娯楽奴隷』。彼らは……アルバラーズ家の人たちが、優越感に浸るためだけに様々な虐待や拷問を受け、死んでいく……そんな哀しい存在なんです」
それを聞いた運命変異体は、頭をハンマーでブン殴られたような衝撃を受ける。自分のいた世界とは真逆な、野蛮にも程がある同胞にショックを隠せない。
「そんな……そんなのって、あんまりだよ……。だって、その奴隷たちは罪人じゃあないんでしょ?」
「はい。それどころか、何の罪もない善良な人々を連れ去り、絶望しながら死んでいくのを楽しむクズの集まりです」
エアリアの声には、やるせなさと怒りが込められていた。何人もの娯楽奴隷が、『消耗品』として命を落としていくのを見てきた。
その度に、怒りと恐怖が心に傷を刻んだ。そんなエアリアにとって唯一の救いが、オリジナルのフィルだったと語る。
「雑用奴隷も、殺されないだけで待遇がいいわけではありません。死なない程度に虐げられる日々の中で……フィル様だけが、私に優しくしてくださいました」
「そういえば、オリジナルのぼくも虐げられていたんだよね?」
「はい。無限の魔力を持ちながら、魔法を使えない。そんな理由で、あの方は毎日除け者にされ、いじめられていました。そうした痛みを知るからこそ、私たち雑用奴隷に優しくしてくれたのでしょう」
どこか熱を帯びた声で、エアリアは語る。オリジナルのフィルにとっても、彼女たち雑用奴隷の存在は大きかった。
同じ痛みや苦しみを分かち合い、助け合うことが出来る者たちがいたからこそ、フィルは里で生き抜くことが出来たのだ。
「でも、私はそんなフィル様に何一つご恩を返すことが出来ませんでした。二年ほど前、あの方が里を追放されることになった時……私は、フィル様を助けてあげられなかった……自分の命惜しさに、見て見ぬフリを……うう、ぐすっ」
「仕方ないよ、むしろ何もしなかったのが正解だとぼくは思う。もし口を挟んでいたら、それこそ君は殺されていたよ」
フィルの追放が決まった日、エアリアは他の雑用奴隷と共に反対を表明するつもりだった。しかし、事前に圧をかけられ屈してしまったのだ。
だが、運命変異体の言う通り、勇気を振り絞ってそのまま反対意見を出していたら彼女たちは間違いなく殺されていた。
それも、フィルをさらに苦しめるため彼の目の前で。もしそうなっていたら、フィルがシュヴァルカイザーになることは出来なかっただろう。
「そう、でしょうか。とにかく、それから二年……私はずっと後悔の念を抱きながら生きてきました。でも、そこにあなたが現れた」
「ぼくが……?」
「里長たちの計画を盗み聞きした時、私は思ったんです。神様が、もう一度チャンスをくれたんだって。今度こそ、この恩を返す。そのために、私は無理を言ってあなたの世話役をさせてもらうことにしました」
「え? そうなの?」
「はい。幸いにも……と言っていいか分かりませんが、アルバラーズ家の方々はフィル様を忌み子として嫌っています。誰も世話をしたくないとのことで、承諾してもらいました」
並々ならぬ決意を語り、運命変異体の手を握るエアリア。確かな温もりに、フィルの運命変異体は頬を赤くする。
「彼らはあなたをオリジナルと引き合わせ、ウォーカーの法則による対消滅を狙っています。そのために、あなたを闇の眷属に引き渡そうと……何故笑うのですか?」
「あ、いや。こっちの世界のウォーカーの一族は、何にも知らないんだなぁって。対消滅を狙うなら、ぼくからウォーカーの力を取り上げちゃいけないのに。バカだなあって」
アルバラーズ家の計画を聞かされた運命変異体は、クスクス笑い始める。基底時間軸世界とは違い、彼のいた世界ではウォーカーの法則を破る方法が見つかっているらしい。
「対消滅が起こるのは、本人同士がウォーカーの力を持っている時だけなんだ。反発し合うのは本人の存在そのものじゃなくて、力だからね」
「そ、そうなんですか?」
「うん。ぼくがいた世界だと、ウォーカーの一族は神様たちと仲良しだから。協力して研究を進めて、いろいろ解明したんだよ。……こっちは、敵対してるみたいだけど」
アルバラーズ家の者から、かつて同胞が起こしたグラン=ファルダでの惨劇を嬉々として聞かされた運命変異体は、悲しそうに目を伏せる。
これで問題は解決、後は逃げるだけ……とは残念ながらならない。あくまで、少年の語ったウォーカーの法則を破る方法は、彼のいた世界『で』通用するものだと言う。
「こっちの世界でも、同じように対消滅を免れられるかは分からないんだ。だから、ここから逃げ出せてもオリジナルとは会わない方がいいと思う」
「なるほど、分かりました。なら、私がフィル様同士のパイプ役になります。オリジナルからウォーカーの力を分けてもらえば、自力で元の世界に帰れるのでしょう?」
「うん、それは問題ないよ。ただ、上手く逃げられればいいんだけどね……」
すでに、エアリアが世話役としてフィルの運命変異体と共にカンパニーのエージェントに引き渡されることが決定している。
故に、彼らが逃げ出すチャンスはただ一つ。引き渡されて里を出た後、エージェントの隙を突いて街へと逃げる以外にはない。
「里の外にさえ出られれば、アルバラーズ家の者は追ってはこないでしょう。彼らは今、神々に居場所がバレるのを何よりも恐れていますから」
「じゃあ、後はそのエージェント? ってのにさえ気を付ければいいわけだね。上手く行くといいんだけど」
「信じましょう。必ず成功すると。今の私たちには、それしか出来ませんから」
力無き少年少女に、出来ることはあまりにも少なかった。彼らに出来るのは、祈ることだけ。その祈りが届くかさえも、分からないのだ。
「……あの、エアリアさん」
「呼び捨てで構いません。フィル様」
「じゃあ、エアリア。もし上手く逃げ出せて、自由になれたら……ぼくの世界に、一緒に来ない?」
「え?」
「ここを出ても、君には行く場所もないでしょう? なら、新しい世界で人生をやり直すのも悪くないかな、って思ったんだけど……どうかな?」
思いもかけない誘いに、エアリアは言葉を失う。それと同時に、主人たちの話していたことを思い出す。
(オリジナルのフィル様には、すでに恋人がいるのだとか。噂でしかないから、本当かは分からないけど……それなら……)
オリジナルのフィルに淡い恋心を抱いていたエアリアは、目の前にいる少年を見つめる。顔も背格好も年齢も、何もかもオリジナルと同じ。
ならば、今度は目の前にいる少年を愛し、支えればいい。オリジナルだろうと運命変異体だろうと……同じフィルに変わりないのだから。
「……はい。その申し出、受けさせてもらいます。でも……私の頬には、奴隷の烙印があります。こんな顔で、やり直せるのか……正直、怖いです」
「大丈夫だよ、ぼくの世界の魔法ならそんな烙印くらい消せるさ! だから、一緒に行こう。ここじゃないところへ」
「ありがとうございます、フィル様。ならば、このエアリア……この身朽ちるまで、あなたの側にいることを誓います」
心から嬉しそうに笑い、エアリアは目の前の少年を抱き締める。フィルの運命変異体は、恥ずかしそうにしながらも腕を少女の背に回した。
誰も知らない、たった二人の脱出劇が……今、幕を開けようとしていた。それが無事成功するのか、それはまだ誰にも分からない。