259話─誰一人、死なせない
ペルローナのオリジナル、リアネスを無力化することに成功したフィル。直後、天井から『圧滅』の魔女テルフェのオリジナル個体が降ってくる。
全身をすっぽりと覆う白い外套をはためかせ、焦点の合わない目をフィルに向ける。フィルが身構えた瞬間、彼女の口が動いた。
「タス、ケテ……」
「! ええ、助けてあげますよ。だから……ちょっとだけ、痛いのを我慢してください」
「んふふ! ムダだねぇ、その娘は救えないよぅ! 早速だけれど、自爆させちゃうからねぇ!」
リアネスのように手早く無力化してしまおうとするフィルだが、そうはさせまいと悦楽の君が妨害を仕掛ける。
遠隔操作で魔力を流し込み、テルフェのオリジナル個体を暴走させた。苦しげな呻き声をあげながら、彼女は走り出す。
「ウ、ウ……アアアアア!!」
「ここからが正念場ね。あの少年がどう出るか……戦いながら見届けさせてもらいましょうか」
「あっははは! 余裕だねぇ、そうやってよそ見してる暇あるかなぁ!?」
「あるわ。少なくとも……貴女はこの一撃で死ぬ。さようなら、ベルティレムの魔魂転写体」
当初の宣言通り、全員死なせずに戦いを終わらせられるのかを静観するヘカテリーム。そんな彼女に、歓喜の君が襲いかかる。
それに対し、ヘカテリームが行ったのは至ってシンプルなムーブ。指先から、小指の爪程度の大きさの火球を放ったのだ。
「あははは、そんなちいちゃい火球でこのボクを」
「まずい、ソレは食らっちゃダメだよぅ! 避けろ、歓喜の君!」
「残念、もう遅いわ。じゃ、さようなら」
「え? なに……ああああああああ!!!!」
歓喜の君は気が付いていなかったが、悦楽の君は火球を見た瞬間に悟っていた。ヘカテリームが放ったのは、単なる火の玉ではないと。
極限まで圧縮された、骨すら蒸発させるほどの極高温の火炎であることを。忠告の叫びをあげるも、一足遅かった。
火球が触れた瞬間、歓喜の君の身体が豪炎に包み込まれる。凄まじい熱に焼かれ苦悶の叫びを漏らすも、ほんの十数秒間で終わった。
「……んふふ、驚いたよぅ。まさか、こんな侮れない技を持っているとはねぇ!」
「切り札というのはね、本当に必要になった時のために隠しておくものなのよ。もっとも、この程度は切り札ですらないけれ……なに、この冷気は?」
熱された鉄板の上に落ちた氷のように、歓喜の君は蒸発して消えてしまった。これで敵は二人減り、数の差は減った。
そんな中、ヘカテリームはフィルのいる方向から強烈な冷気を感じ取る。そちらを見ると……。
「ア、ア……」
「ごめんなさい、魔力の暴走を止めるために動きを封じる必要があったので……氷の大盾で覆っちゃいました。寒いですか?」
テルフェのオリジナル個体の自爆を止めるべく、フィルが行動を起こしていた。複数の氷の盾を展開、相手をその中に閉じ込める凍結させたのだ。
相手が凍っている間に、フィル自身の魔力を流し込み悦楽の君の魔力を打ち消した。そうすることで、自爆を阻止したのである。
「んふふ、驚いたねぇ。イルジェラの自爆を止めるとは思わなかったよぅ。でも、次は上手く行くかなぁ」
「なに……うわっ!」
「ウウ、ウウウ……!」
二人目の敵を無力化したフィルだが、まだ最後の一人が残っている。天井に吊られた照明にぶら下がっていた、ヘカテリームのオリジナルが降り立ち……。
「ちょっとどいてね。フンッ!」
「アギッ!?」
「え、ちょっと!? ヘカテリームさん、こっちには手を出さないって」
「気が変わったの。オリジナルの私が、あんなアホ面を晒してるのがイラッときたから。それに……貴方は自分の主張を貫いた。それに対する労いでもあるのよ」
第三ラウンド勃発、と思われた矢先にヘカテリームの放った飛び膝蹴りを顔面に食らい撃沈した。思わずフィルが抗議すると、そんな答えが返ってくる。
ヘカテリームなりに、当初の宣言を貫いたフィルを讃え、負担を減らそうとしての行動なのだ。これで、残る敵は一人になった。
「んっふっふっ、まさかこれほどとはねぇ。もっと時間をかけられると思っていたんだけどぉ、無理だったようだねぇ」
「降伏は認めないわ。貴女も消し炭にしてあげる。三人目の魔魂転写体を仕留めなきゃいけないの、手早く終わらせるわ」
「んふふふ、残念だねぇ。わたしは君たちに殺されるつもりはないよぅ? だって……君らを道連れにするからねぇ!」
「! ヘカテリームさん、離れてください! そいつ、自爆するつもりです!」
歓喜の君を倒され、基底時間軸世界から拉致してきた手駒も無力化された。だが、すでに憂いの君が目的を果たしている。
ならば、この状況で悦楽の君が取る行動は一つ。フィルとヘカテリームを葬り去るため、自爆を敢行するのみ。
「んふふふ、言っておくけどぉ……爆発の威力を舐めない方がいいよぅ! ソサエティ本部を丸ごと消し飛ばせるくらい、魔力を放出するからねぇ!」
「くっ、まずいわ……! フィルくん、その三人を連れて逃げなさい!」
「そんな、ヘカテリームさんは!?」
「私は逃げない。この建物は、私たちルナ・ソサエティの誇り。あいつと差し違えてでも、自爆を止めてやるわ!」
悦楽の君は薄い魔力の膜を全身に張り巡らせ、外部からの攻撃をシャットアウトする体勢に入る。その上で、体内の魔力を暴走させはじめた。
このまま爆発が起これば、まず間違いなくソサエティ本部は崩壊する。ヘカテリームは魔女の誇りに賭けて、命を捨ててでも阻止しようとするが……。
「ダメです! 言ったでしょう、一人も犠牲にしないって。それはヘカテリームさん、貴女も含めてのことなんですよ」
「説得なんて聞かないわ。この歴史ある本部を守れるなら、この命惜しく」
「貴女にだって、帰りを待っている人がいるはずでしょう!? マルカさんから聞きましたよ、貴女はカーリーという少年を愛しているって!」
「! ……カーリー。私の愛しい従者……」
「彼を一人ぼっちにするつもりですか? 建物なんて、壊れたら建て直せばいい。でも、貴女は一人しかいないんですよ!」
七栄冠のプライドが悪い方向に作用し、カーリーとの約束を忘れてしまったヘカテリーム。だが、フィルの言葉で思い出した。
愛しい従者の元へ、何があっても帰る。それが、自分の最優先しなければならない任務なのだと。
「……そうね、貴方の言う通りよ。時間がない、急いで逃げ」
「んふふふ、もう遅いよぅ! 全員仲良く……吹き飛べぇぇぇぇぇ!!!」
だが、少し遅かった。悦楽の君が魔力を解き放ち、全てを破壊するべく自爆を敢行する。このままでは全員死ぬ、そう判断したフィルは……。
「外への脱出は無理……なら! こうするまでです!」
「これは、ウォーカーの力……!? きゃあっ!」
「ちょっと手荒ですが、今はこれしかありません! 全員でカルゥ=オルセナに脱出しますよ!」
建物の外に逃げるのは不可能。そう判断し、フィルは自分とヘカテリーム、そして三人のオリジナル体の真下にウォーカーの門を作り出す。
門が繋がる先は、シュヴァルカイザーの基地。爆風が届く前に、辛くも脱出することに成功した。
「んぐ、ふふ……逃げられたねぇ、でも……。わたしたちを出し抜けたと思ったら、大間違いだよぅ……!」
フィルたちが脱出するのを見ながら、悦楽の君はそう呟く。直後、彼女の身体が内側から弾け……ルナ・ソサエティ本部諸共崩壊したのだった。
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「この……かはっ!」
「ふふ、ムダだね。私はこう見えて魔魂転写体の中でも最強なんだ。君の膂力では、ぜったいに敵わない」
外の世界での戦いに決着がついた頃。アンネローゼは鏡の中の荒野で憂いの君と戦っていた。侵入者と一緒に鏡の世界に入ったからか、本来戻る場所からかなりズレた場所に出てきていた。
「言ってくれるわね……。そんな台詞、私の本気を見てからでも言えるか試してあげる! デュアルアニマ・オーバークロス! ラグナロク……オン・エア!」
「ふふふ、何度でも言ってあげるさ。君では私には勝てない。どんな力を使おうが……打ち消してしまえばいいだけだからね」
「なにワケ分かんないこと言ってんのよ! 食らいなさい、グラヴィトーラ・ヘイトス!」
漆黒の堕天使に姿を変えたアンネローゼは、黒き槍を呼び出し憂いの君へ攻撃する。相手は避けることなく、攻撃を受けた。
これで、相手の身体に重力の枷となるリング模様が刻まれるはずだったが……。
「ウソ、なんで!? いつもならリングの模様を刻めるのに!」
「残念だったね、私の持つ能力はキャンセリング。要するに、相手の能力を打ち消すことが出来るのさ。ま、出来るのはそれだけ……なんだけどね」
「……なるほど。そっから先はアンタ自慢の腕力で相手をねじ伏せるってわけね。随分な脳筋だこと」
余裕たっぷりの相手を見ながら、アンネローゼは冷や汗を垂らす。魔魂転写体たちとの戦いも、終わりが近付いていた。




