224話─『糸繰り』の魔女ローグ
悦楽の君の攻撃を逃れ、岩のある方へ移動したローグ。それを追う悦楽の君は、高笑いしながら切り落とした手脚を生やしていく。
あっという間に距離が縮まり、ローグの元にたどり着いた。再生させた右腕を、鋼鉄の刃へと変化させてお返しとばかりに振るう。
「そぉら! 次は君がずんばらりんと斬られる番だよぅ! スティールスラッシュ!」
「ハッ、たかが鋼如きでオレの糸を斬れるわけねぇだろうが!」
ローグは慌てることなく、右手から伸ばす糸を繰り平べったい板を作り出す。頑強な糸の盾により、相手の攻撃が意味を成すことはなかった。
左手の糸を岩から離し、反撃に出ようとするローグだが……それよりも早く、相手は後ろに下がってしまった。無理に攻撃はせず、ローグは様子を見る。
「おやぁ? 攻めてこないのかぁい?」
「てめぇ、何か狙ってやがったろ。そんな奴に、バカ正直に仕掛ける奴はいねえっての」
「んふふふ、見抜かれてたかぁ。もし攻撃してきたらぁ、コレで反撃してあげのにねぇ」
残念そうに言った後、悦楽の君はマントの前を掴みグイッと広げて身体をさらけ出す。マントの下にあったのは、銀色の鎧。
その表面には、不気味にうごめく手の模様が浮かび上がっている。それを見たローグは、チッと舌打ちをしながら呟く。
「接触発動型の呪いを仕込んでやがるのか。さっき突進してきた時に、こっそりまじないを使ったな?」
「ぴんぽぉん、その通りだよぅ。私に触れてたら、糸を通して呪いをかけられたのにねぇ。いや、実に残念だよぅ」
悦楽の君が仕掛けた呪いを受けると、鎧に浮かぶ模様と同じ部位を支配されてしまう。現在鎧に描かれているのは、手の模様だ。
今の相手に触れれば、糸を伝って呪いが移り両手を操られてしまうのだ。そうなれば、戦いどころではなくなる。
「面倒くせぇことしてくれやがって。要するに、オレが直接的であれ間接的であれてめえに接触しなきゃいいだけの話だろ?」
「んっふっふっ、出来るのかぁい? 糸魔法の使い手である君に! スティールスピア!」
「出来るぜ? オレの糸はな、直接繰らなくても……いろんなことが出来るんだよ! 数百年ぶりに見せてやる、よく拝め。ウィッチクラフト、スレッド・オブ・マグナ=レギオン!」
悦楽の君が放った突きをかわし、再び大きく距離を取るローグ。七栄冠時代に編み出した魔女の力を、再び呼び覚ます。
両手を広げ、全身から大量の魔力を放つ。それまで生えていた糸が消え、新たな糸が十本の指から生えてくる。
「んふふふふ、今度は何をするつもりだよぅ? ま、もう懲りたから油断はしないけどねぇ」
「ほー、そいつはいい心がけだな。まあ、油断してようがしてなかろうが……こいつを見りゃ、誰もが腰を抜かすぜ」
そんな会話をしている間にも、糸は伸びていく。あっという間に、五メートルほどの長さまで伸びていった。
頃合いを見て、ローグは糸を指から切り離す。絶好の攻撃チャンスに見えるが、悦楽の君は動かない。本能が告げているのだ。
今仕掛けたら、逆にやられると。人ならざる存在である魔魂転写体とはいえ、そうした勘は備わっているのだ。
「お前の本体もカルゥ=イゼルヴィアで育った魔女だってんなら、この歌は知ってるよな? トントントン、お糸をくるくる回しましょう。回して結ったら出来上がり、っつー『糸繰りの歌』を」
「んふふ、知ってるさぁ。子どもたちの情操教育に使われる、ポピュラーな童謡だろぅ? それがどうし──!?」
「あの歌をモデルにしてるのさ。オレのウィッチクラフトはな! さあ、動き出せ! 偉大なる糸の兵団よ!」
空を漂っていた十本の糸が、突如激しくうねりはじめる。ひとりでに伸びていき、それぞれが別々の生物の姿へと編まれていく。
そうして生まれたのは、十体の糸の獣たち。獅子、虎、猛牛、巨大な鷹、ゾウ、ゴリラ、ワニ、大蛇、サメ、カマキリ。
その全てが独自の意思を持つ、ローグの忠実なるしもべたちだ。
「おお……これは驚いたよぅ。こんなことが出来るなんて、知らなかったよぉ」
「こいつがオレの切り札だ。お前の本体は、オレより長生きだってさっき言ったよなぁ? ってことはだ。切り札を出した意味……分かるよな?」
ローグが現役だった時代の魔女たちが、戦いにおいて己の切り札を放つ時。それが意味することはたった一つ、シンプルなもの。
ソレを見た敵は、確実に殺す。殺伐とした闘争の時代を生きる者たちの、言葉無き死刑宣告なのだ。
「こいつらはオレから独立してるから、その呪いも無意味だぜ。そういう相手の身体を操る呪いは、生物にしか効かねえからな」
「グルルルル……」
「キシャアアア!!」
ローグの意思を汲み取り、糸の獣たちがゆっくりと悦楽の君を包囲していく。おどろおどろしい唸り声をあげ、主の敵を威嚇する。
ベルティレムの分身とはいえど、本体のように弾撃の魔法は使えない。流石の悦楽の君でも、この状況は圧倒的に不利だった。
(んーふふ、こいつは困ったねぇ。ちょっと遊んでから始末してやろうと思ってたら、逆に追い詰められちゃったよぅ。ま、いいかぁ。今回は、勝ちを譲ってあげようねぇ)
レジスタンスの重鎮でもあるローグをサクッと始末するつもりで戦いに乗ったものの、結果はこれ。己の軽率さを、悦楽の君は恥じた。
己へのケジメも兼ね、あえてローグを勝たせることを決める。本体が倒されない限り何度でも復活可能なため、ここで敗れても痛いも痒くもないというのが本音だが。
「んっふふふ、これは参ったねぇ。流石の私も、この数で攻められたらひとたまりもないよぅ」
「観念したか? なら、大人しく投降しろ。そうすりゃあ、命は助けてやるぜ。ま、その仮面引っ剥がしてツラ拝ませてもらうがな」
「んふふふ、それは無理だねぇ。そもそも、私に素顔なんてないものぉ。ほぉらね?」
正体を暴く気満々のローグに、おどけた様子で悦楽の君はそう答える。仮面を外すと、その下にあったのは不気味な空洞だけだった。
厳密に言えば、顔自体はある。だが、正体がバレないよう仮面と一緒に外れるようになっているのだ。故に、誰にも素顔は見れない。
「チッ、そうかい。んじゃ、もうてめぇにゃ用はねえや。殺してから頭ん中覗いて、情報だけ貰ってくぜ。お前ら、行け。あいつを食い殺せ!」
「ガルルァァァ!!」
「ギャシャァァァ!!!」
生け捕りにする価値無し、と判断したローグ。糸の獣たちをけしかけ、悦楽の君を始末しにかかる。それに対し、相手が取った行動は……。
「おぉっと、そうはいかないねぇ! 本体の計画を成就させるためにもぉ……ここで情報を抜かれるわけにはいかないのさぁ!」
「! やべっ、自爆するつもりか! 戻れお前ら、爆発に巻き込まれるぞ!」
「んっふっふっふっ! 今回は君の勝ちだよぉ、ヴァルツァイト・ローグ。でもぉ……次は私が勝つさ。大いなる目的を果たすため、君を消させてもらうよぉ!
それでは、アディオス!」
魔力を暴走させ、全身を白く発光させた悦楽の君は高笑いする。糸の獣たちは、巻き添え上等で相手を食い殺そうと迫っていく。
が、それを主が止めた。魔法を解除すればただの糸に戻るとはいえ、ローグから見れば可愛いペットのようなもの。
死ぬと分かっていて、みすみす攻撃を続行させるつもりは毛頭なかった。少々不服そうではあるが、獣たちは大人しく退く。
直後、悦楽の君から漏れる光が強まり爆発が巻き起こる。木っ端微塵に砕け散り、悦楽の君は雪原を舞う塵となった。
「チッ、結局正体も目的も分からず仕舞いか。ま、いいや。仮称Xが実在したって裏付けにはなったし、誰かの魔魂転写体だってのが分かっただけでも大きな収穫だ」
そう呟いた後、ローグは指を鳴らす。すると、獣たちが一瞬でほぐれて元の糸に戻る。糸を魔力に還元して虚空に返した後、その場を去る。
「……もうそろそろ、夜になるな。今日は満月か……生きてる間に最後に見た月はまん丸お月様でした、ってことにならなきゃいいんだがな」
長いようで短く、短いようで長い悦楽の君との戦いが終わり……夕焼けは、夜の闇へと移り変わりつつあった。うっすらと、空に満月が見える。
縁起でもねぇな、と自嘲しながらもローグはそう口にする。また吹雪が強まる中、彼はレジスタンスのアジトへ帰還する。
「……黙ってアジトを出たからなぁ。いなくなってるのがバレたら、メイナードに大目玉食らうな、こりゃ」
その呟きを、びゅうびゅう吹き荒れる吹雪だけが聞いていた。




