19話─眠る子犬と天使と悪魔
しばらくして、ようやくアンネローゼは落ち着いた。セキュリティを解除し、泣き止んだ彼女を部屋まで送った後フィルは例の廊下に戻る。
「やれやれ、これは修復が大変そう……ん? 何か落ちてますね。これは……」
アンネローゼの暴走で破壊された廊下を見て首をすくめていると、床に王の目だった残骸が落ちているのを見つける。
念のため、シュヴァルカイザースーツの肘から先を展開して装着し、フィルは手を伸ばして残骸を摘まみあげた。
「これは……一度、ギアーズ博士に見てもらった方がよさそうですね。ふあ……眠いけど、もうちょっとの辛抱……むにゃ」
何か違和感を覚えたフィルは、王の目の残骸をギアーズの元に持って行く。一晩中アンネローゼの特訓に付き合い、基地を走り回ってへとへとになりながら。
「ふーむ、これは……。フィル、どうやらわしらが想像していたよりもかなり厄介なブツが侵入しておったわ」
「そうなんですか?」
「うむ。解析してみた結果、こいつがとある人物の眼球を加工して作った装置だということが分かった」
十数分後、ギアーズによる解析が完了した。うとうとしながらも寝ずに待っていたフィルを気遣い、博士は手短に説明を行う。
「これはわしらの敵……ヴァルツァイト・ボーグが生身の身体を持っていた頃の目玉じゃ。遺伝子解析の結果、九十九パーセント一致したよ」
「なんで目をキカイに? 相手の考えることはまるで分かりませんね」
「恐らく、シュヴァルカイザーの正体を探る……あるいは、この基地の場所を特定するために送り込んできたのじゃろうな。君たちが戦ったという、カンパニーのエージェントが」
残骸の解析を終え、ギアーズは息を吐く。そんな彼に、眠気を我慢しながらフィルは問う。これからどう動くべきかを。
「そうさなァ、ボルス王子は無事救出したし……。しばらくは敵の動向を探りつつ、隙を見て叩く他あるまいて」
「ですが……あふ、そうこうしてる間にも……むにゅ、エージェントたちは『双子大地』の秘密をさぐ……すぴー」
「フィル、無理することはないぞ。後はわしとつよいこころ軍団に任せてもう寝なさい。子どもがいつまでも起きてちゃいかん」
「ふぁい……分かりました……」
いよいよ眠気が限界を迎えてきたフィルは、ギアーズの部屋を去る。そんな少年を見送った後、ギアーズはポツリと呟く。
「……そろそろ、オットーに腹を割ってもらわねばな。あやつが『双子大地』の秘密に一枚噛んでいるのは、敵にもバレておる。大事になる前に秘密を暴露してもらおうかのう」
一方、絶賛睡魔に襲われている真っ最中のフィルはよたよたのろのろ廊下を歩いていた。もはや、自分の部屋に帰るのも億劫といった感じだ。
すっ転んでしまわないよう、手足にスーツを纏い自動歩行をするフィル。あまりにも眠気が強くなりすぎて、もう部屋に戻るのは諦めてしまった。
「ねむい……もういい、どこかのへやでねる……」
汗だくになった服と下着を、魔法を使って新しいものに取り替える。最近気に入って常用している犬の着ぐるみパジャマ姿になり、適当に選んだ部屋に入る。
「ふわ……むにゅむにゅであったかい……おやすみなさい……すぴー」
ベッドに潜り込むのと同時に手足のスーツを解除し、フィルは何の違和感も抱かないまま眠りに着く。誰の部屋に入ってしまったのかも知らぬまま。
◇─────────────────────◇
「ん……ふあー、よく寝たわー。一晩中走り回って疲れたから、しっかり熟す……ん? なんか膨らんでる?」
翌日の朝。泣き疲れて爆睡していたアンネローゼが目を覚ました。それと同時に、自身に襲いかかる違和感に気付く。
明らかに不自然なのが分かるほど、掛け布団が膨らんでいたのだ。おまけに、人肌の温もりを感じる。疑問に思ったアンネローゼが、布団をめくると……。
「え゛っっっっっ!!?!!!??!?!? な、なんでフィルくんが!?!?!!?!???!」
「ぐー、すぴー」
運が良いのか悪いのか、フィルが入ったのはアンネローゼの部屋だった。何故自分にしがみついてフィルが寝ているのか。
これは神様からのご褒美なのか、もうゴールしてもいいよね等とアンネローゼが考えていると……熟睡していたフィルが寝言を呟く。
「にへ……もうそんなにたべられないですよぅ。むにゃむにゃ」
(はい可愛いーーーーー!!!!! なに? えっなにこれ? 天使? 私のお腹に天使が舞い降りてきたの? 食べちゃっていいの?)
普段は絶対に見せない、緩みきった表情で幸せそうに惰眠を貪るフィル。その尊さに思わず叫びそうになるも、アンネローゼは自身の脇腹に爪を食い込ませ耐えた。
(落ち着け、落ち着くのよアンネローゼ。何でフィルくんがここにいるのか分からないけど、とりあえずは起こさないようにして……。ああ可愛い……ほっぺぷにぷにしたい舐めたい【掲載禁止ワード】したい)
予想外のハプニングに寝起きのテンションが加わり、アンネローゼの理性は決壊寸前だった。そんな彼女を、無慈悲な追撃が襲う。
「えへへ…あんねさま、しゅきぃ……ぐー」
(ごぷぱあっ!)
寝言とはいえ、ダイレクトに好き好きアピールをされたアンネローゼの鼻から鮮血が吹き出す。幸い、咄嗟に横を向いたためフィルにかかるのは避けられた。
(あ……もうダメ、理性が擦り切れてなくなる……)
『へっへっへっ、襲っちまえよアンネローゼ。欲望の赴くままによぉ!』
『ダメです、そんなことをしては!』
残りわずかな理性をフル動員して耐えるアンネローゼの脳内に、悪魔の声が聞こえてくる。一方、天使の声も──。
『最初から激しくしたらフィルくんが怖がります! ここはやさしーくリードしてあげるのがレディの嗜みというものですよ』
(グッジョブマイデビル&エンジェル!)
……聞こえてきたが、理性を破壊するトドメの一撃を食らわせてきた。もう自重する気など微塵も無くなったアンネローゼが行動に移ろうとした、その時。
「……うう、やだ……。ごめんなさい、もうぶたないで……」
「……フィルくん? どうしたの?」
「ごめんなさい……出来損ないに生まれて、ごめんなさい。だから、おうちに入れて……寒い、寒いよ」
それまで幸せそうに寝ていたフィルが、突如苦しそうに呻き出す。寝言の内容から、アンネローゼは即座に理解した。
フィルは今、故郷にいた時のこと……出来損ないとして虐げられていた頃の夢を見ているのだと。瞬間、それまでの堕落しきった思考が消える。
「う、ひぐ、ぐすっ」
「よしよし、大丈夫よ。ここにはあなたを傷付ける人はいないわ。怖い夢なんて見なくていいの。私がずっと、フィルくんを癒やすから」
悪夢に苦しむフィルを救おうと、アンネローゼは小さな少年の身体を抱き締める。優しく頭を撫で、悪い夢から覚まそうとする。
そんな中、ふとアンネローゼは思い出す。遙か昔、今は亡き母に歌ってもらった子守歌のことを。おぼろげな記憶をたぐり寄せ、彼女は歌う。
もう二度と、フィルが悪夢に苦しめられる日が来ることがないようにと。愛する少年が、安らぎの眠りを享受出来るように、と。
「う、ぐす……すう、すう……」
「そう、もう怖い夢はおしまい。ここからはまた、楽しい夢を見ましょう? 二人で一緒に、素敵な夢をね」
フィルが落ち着いたのを確認したアンネローゼは、布団を掛け直す。恋人と共に、二度寝をすることを決めたのだ。
「……決めた。いつか必ず、フィルくんの故郷を見つけ出して……そこにいる奴ら、全員ブン殴ってやる。フィルくんを苦しめた連中は、絶対許さないわ」
目尻に残る涙を指で拭った後、少女は決意する。そっと少年の額にキスをし、彼女もまたまぶたを閉じて眠りに着く。
今日はもう、フィルが悪夢に苦しむことはない。愛する者が、寄り添ってくれているのだから。