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3.記録更新とお隣さんの関係

 梅雨も中頃だが幸いにも降り出しておらず、どんよりとした雲だけが覆っている。

 石上の宣戦布告から三日が経った。

 あれから練習の助言や型の説明など、自分なりにアドバイスは続けている。

 コーチやトレーナーの経験などない自分がサポートすると意気込んでみても、練習を手伝うには限界があるのは百も承知。

 段取りが組めず今日まで延びてしまったが、考えて出した結論はシンプルなものだ。

 女子真剣導部の練習が終わった後、俺は部長に話があると伝え体育館の裏に来てもらっていた。

「部長、お願いがあります、六心流の奥義を教えて下さい。再来週の試合、鵠沼をどうしても勝たせてやりたいんです!」

 自分よりも上手な相手に教えを乞う。

 単純な話だが、俺に取れる手段はこれしかなく、個人戦で県大会にも出た部長ならば適任だ。

「体育館裏に連れてきて何かと思えば、そんなことか。あの子も次勝てば大記録に並ぶことだし、手伝うことはやぶさかじゃない」

「あ、ありがとうございます」

「でも、その前に聞きたいことがあるわけ。男子真剣導部の右下君」

 一体何を聞こうというのだろうか、頭の先から爪先まで値踏みするように視線が絡む。

 やましいことは無いのだが、見透かされているようで居心地が悪い。

「お、俺に答えられることなら」

「これってあの子が頼んだわけじゃないでしょ。男子に手伝いを申し出るような子じゃないのは、私もよく知ってる」

「はい」

「あの娘モテるから、普段から勘違いされるような行動はしないよう気をつけてるし、厄介事は基本抱え込むタイプね」

 さすがは部長というべきか、部員のことをよく見ている。

 この人が力になってくれれば俺の何倍も心強い。

「つーわけで、あんたはなんで鵠沼の手伝いをしようとするわけ? 正直、本人は望んでいないと思うけど」

「それは……」

「それは?」

 ちょっとでも誤魔化すようならそれで話はお終い。

 そう言外に滲ませ、こちらの返事をじっと待っている。

 彼女のことが好き、それは当然だがそれだけじゃない。

「俺が手伝う理由は。そんなのは決まっている、彼女は俺の憧れです! 鵠沼は、誰よりも強いんだって証明したいんです!」

「……憧れ?」

「中学の頃、ガラの悪い連中に絡まれたことがありまして」

 こちらを睨んだとか顔が気に食わないとか、言いがかりも同然の理由で因縁をつけられたのを覚えている。

 そんなくだらない理由で巫山戯るなと叫んだが、現実で非情で何も変わらなかった。

「相手は三人だったんで勝ち目は無かったんです。だから、相手が飽きるのをじっと耐えていたんです」

(一人相手に三人がかりなんて、あなた達は恥という言葉を知らないのでしょうね)

 関わろうとせず過ぎ去っていく大人達を尻目に、威勢良く啖呵を切り、相手の前に立った少女。

 男子三人相手に怯むことなく、果敢に相手に挑んでいく。

 女子一人と最初は舐めていた奴らも、相手の技量が上だと知ると、恥も外聞もなく少女に殴りかかっていった。

 勝てっこないと諦めていた自分とは対象的に、何度殴られても蹴られても諦めずに立ち向かった。

(綺麗な顔が台無し?声をかける男が減って重畳ね)

 武術のような動きで三人を捻じ伏せ、彼女は一人で戦い抜いた。

「諦めてた俺をよそに、鵠沼が不良たちを返り討ちにしたんです。怪我だらけで服もボロボロになって」

 顔は痣で腫れ上がり、着ている服も一部は破けて土や血で汚れていた。

 夕焼けに照らされるその姿はとても不格好だった。

「綺麗とはお世辞でも言えない姿。でもその姿は俺にとってまさしくヒーローで、泣きたくなるほどカッコよかったんです」

 不良を追い返した後、何も言わずに立ち去った彼女。

 翌日絆創膏だらけの彼女に感謝の気持ちを伝えようと話しかけた。

(私の不注意、転んで怪我しただけ)

 彼女はその事実を話そうとせず、助けた相手が俺だと認識もしていなかった。

 それが分かり、当時の俺はそうなんだと喧嘩のことを言及するのをやめた。

 これ以上、本人が黙っている内容を聞き返そうとは思わなかった。

 あの日の出来事は、心の深いところに刺さっていて忘れることはない。

 それで十分だった。

 それからだ、自分も鵠沼のようになりたいと思うようになったのは。

「あの子、昔はそんなヤンチャだったの!? 全っ然、想像付かないな…… 見た目も言動もホントお嬢様だし」

「いや、俺もあんな姿見たはあの時だけです」

「それで惚れちゃったってわけ?」

「いや、あの…… 惚れ直した、感じです。鵠沼に初めて会ったのは、俺が引っ越してきた時なんで」

「あははは、一目惚れってやつ? おっけー、好きな子のためなら全力出さないとね! 練習のサポート、任せな」

「ッ……! ありがとうございます!」

 手を差し出す部長と固く握手をする。

 こちらの気持ちが伝わったようで良かった。

 安堵した背中越しにパチパチと拍手をする音が聞こえる。

「なになに、随分とアオハルしてんねぇ。先生にも一枚噛ませて欲しいなー」

 真剣導部の顧問が中庭の通路から顔を出していた。

 どうやら今の話を全部聞いていたらしい。

 猫の手だって借りたい現状だ、先生ならば心強い。

 あからさまに面白がっているのは、この際脇においておこう。

「助かります!」

 協力してくれる二人に頭を下げる。

 過去話を聞かれた恥ずかしさはあるが、今は一つでも出来ることをやっておきたい。


 翌日の放課後、鵠沼に助っ人を紹介するため道場に来てもらった。

「右下君、伝えたいことって何かしら?」

「鵠沼の練習をサポートしてくれる人達を捜してきたんだ。俺だけじゃ、どう頑張っても力不足なのは分かってるからな」

「やぁやぁ、鵠沼さん。連勝記録だけじゃなく、面白いことになってるねー」

「鵠沼、二週間後の試合に向けて」

「私達が徹底サポートしてあげちゃうよー。奥義の一つや二つ覚えてみないかい?」

「お、お手柔らかにお願いします」

 怒涛の展開に目を白黒させながら、鵠沼は二人の助っ人と握手を交わしていた。


 初日の練習から数日後、先生の指導と言うことで座学が始まった。

 試合に向けて仕込む、奥義の講義らしい。

「なんで、縮地は二工程でやるもの、と理解してくれたまえ。一つ目、踏むこむ時に練気で脚力を強化し一気に加速する。二つ目、透明な膜を練気で作り、身に纏って透過する」

 踏み込みの速さだけで姿を消すのではなく、実際は姿を消すのには種も仕掛けもある、らしい。

 俺も話を聞かせてもらっているが、理解できない単語が右から左に頭を通り過ぎていく。

「これが全容、実に単純な構造をしていると思わない? それじゃあ、まずは踏み込みの練習から始めるよー」

「分かりました」

「右下君は、ちょっとそこに立っててねー」

 そういって、五メートルはゆうに離れている場所で待機しているように言われる。

 これは一歩や二歩で踏み込める距離なのだろうか。

「鵠沼、練気を使って右下の所に…… そうだねぇ、三歩で到達してみよっか」

「分かりました。右下君、準備はいい?」

「おうよ」

 鵠沼は腰を落とすと、こちらに一歩踏み出した。

 まるで飛ぶような一歩は速度もこちらの想像を遥かに超えて眼前へと迫る。

 次に認識できた時には、ろくに体勢も整えられない俺の首元に、鵠沼の陰陽刀が突きつけられていた。

「うっそ、二歩で踏み込むとか、合格じゃん。先生教えてないんだけどなぁ……」

「友人にコツを教わったんです。先生、問題なければ練気のほうを教えていただけますか?」

「ん、あぁそうだね、そうしよう」

 先生も驚くほどに、第一段階の踏み込みは合格だったらしい。

 その後は練気に関する練習のため、受け手の俺は特にすることがない。

「んじゃ、右下は私と組み手しよっか。あんたも強くならないと駄目でしょ」

「よろしくお願いします!」

 手持ち無沙汰な俺を見かねた部長と、組手を何度か繰り返した。

 結果は言うまでもなく、実力の差をまざまざと見せつけられた形になった。


「うぅ…… 練習の後に、追加の練習って…… 試合に出る前にオーバーワークで体壊しそう」

 やつれた表情を浮かべて鵠沼はフラつきながら隣を歩く。

 梅雨の合間の夕暮れ時、家に向かって緩やかな坂道を下っていく。

 部長達と練習を始めてから一週間は過ぎた。

 経過は至って順調、俺の目から見ても鵠沼の動きが初日に比べて洗練されていっているのが分かる。

 ただ、本人は連日の練習に大分お疲れの様子だ。

「連日お疲れさん。喉乾いたろ、飲みもん買っといたから」

「ありがとう。持つべきものは優しいお隣さんね」

 微かに笑顔を浮かべて、手渡した缶に口をつける。

 最近は同じ時間に帰るようになり、俺の知らない日常の表情も随分見かけるようになった。

「…… はぁ、やっと人心地つける。右下君も随分と巻き込まれているけど、体は大丈夫?」

「全然平気だ、むしろ良いトレーニングになっている。体のキレも良いし、やっぱり指導者が居るってのは違うもんだな」

「それなら重畳ね。最近は踏み込みや体捌きがかなり向上しているし。『剣現』も早くなっているものね」

 俺の方も連日受け手を続けているおかげで、彼女の動きが大分分かるようになってきた。

 思わぬ収穫と言いたいところだが、帰り際にこちらに不審な笑顔で向けてくる先輩達から察するに、俺の練習も合わせてやってくれているのだろう。

 部活の指導で忙しい中、終わったあとに俺の面倒まで見てくれるあの二人には頭が上がらない。

「右下君」

「なんだ?」

 鵠沼は立ち止まると、こちらを真剣な眼差しで見つめている。

 視線が交差する中、鵠沼の手からアルミの凹む音が響いた。

「色々と手を回してくれてありがとう。私一人だったら、ここまで頑張ろうと思っていなかった」

 そう言って鵠沼は頭を下げる。

 その姿に、彼女に頼られている実感が体に浸透して頬が熱くなる。

 安堵、歓喜、プラスの感情が次々と湧いては体をどんどん熱くする。

「い、いや、お礼を言われるほどのことじゃない。俺が好きでやってるだけだ」

「でも、お礼を伝えてなかったから。こういうのは、きちんと言葉にしないと」

「そういうもんか」

「そういうものです」

「…… ならしょうがないな」

 そこまで言われたらと苦笑する。

 本音を言えば、迷惑になっていないか心配だった。

 練習の手筈も、先輩達の手伝いも俺が勝手にやったことだ。

 おそらく、彼女なら普段どおりの練習で問題なかったはずだ。

 実際に感謝されていると聞いて、俺は間違ってなかったと叫び出したい気分だ。

 この興奮が体の中をグルグルと巡って、感情の抑制が効かなず、どうしても口元が緩んできているのを自覚してしまう。

 そんな様子が彼女にバレるのが恥ずかしくて、誤魔化すために空を見上げる。

「ふふ、急に空を見てどうしたの。…… うん、綺麗な夕焼けね」

「梅雨の晴れ間っていうのか、珍しいから普段より綺麗に見えるな。ずっと見ていても良いくらいだ」

 目にも鮮やかな夕焼けだが、日没は物事の終わりを連想させる。

 石上との試合が終わったら、この間柄も終わってしまうのだろうか。

 男子とは違い、女子は市内でも有数の強豪、こんな風に男女一緒に練習をすることは無い。

 現金な話だが、いつまでもこんな時間が続けば良いと思ってしまう。

「皆にこれだけ応援してもらったんだもの。絶対に結果を出さないと」

「できるさ、鵠沼なら。試合でアイツに目にものを見せてやれ」

「えぇ、目に焼き付けてあげないと。梅雨の夕焼けよりも、夏の青空のほうが私は好きだから」

「どういう例えなんだ、それ……」

「何気ない日常が好きってこと。私が勝ったら、またいつもの日常に戻れるから」

「毎日このハードな練習は辛いからな」

「それもあるわね。さぁ、夕焼けが落ちる前に帰りましょう」

 そうして再び歩き出す鵠沼に半歩遅れて後を追う。

 今はまさしく梅雨の晴れ間。

 高校になって接点が少なくなってしまった自分に、友人から進展のない日々に、一筋の光が差している。

 この関係がこの後も続くのなら、彼女の言う夏の青空、何気ない日常になったと言って良いのだろうか。

 青空に思いを馳せながら二人で帰りの道を歩いた。


 練習を続けて慌ただしい日々が続く。

 気がつけば、残りの一週間はあっという間に過ぎていった。

 今日も生憎の曇天で、明日の予報は晴れるらしい。

 試合会場となる体育館には、学生達が多く詰めかけていた。

 その一角で、俺達は鵠沼を囲んで作戦会議を開いている。

 今回は関係者として試合場に入ることを許されていた。

「やれるだけのことはやった。奥義の完全習得には至らなかったけど、二秒あれば出来るようになったのは大きい。あの短い期間でホント頑張ったよ鵠沼」

「右下も受け手としてよく頑張った。最後のほうはかなり長い時間競り合えてたね。大分自信ついたんじゃない?」

 訳知り顔でこちらを見てくる先輩。

 おまけのような扱いだが、たった二週間でもかなり上達した感覚がある。

 しかし、今は鵠沼の試合が一番だ。

「いや、俺は良いですって。今は試合のほうを優先してください」

「ごめんごめん。どう鵠沼調子の方は。大分無茶な工程だったけど、信じて付いてきてくれたね」

「……感謝をするのはこちらのほうです、先輩。六心流の型も随分と様になったと思います」

 声の調子は落ち着いて、周囲の声援にも頷き返す余裕がある。

 体調は万全と言ったところだろう。

「鵠沼ちゃん、最後にワンポイントアドバイス」

「なんでしょう」

「奥義自体を使うのではなく、踏み込みの速さを利用して一本狙うんだよ。緩急をつければ、そう易々と対処はできないはずだ」

「はい、踏み込みの速さですね。練習の結果、精一杯見せつけてきます」

「おう、期待してるよ!」

 作戦について話し合っていると、体育館の扉が開かれる。

 対戦相手の入場に周囲が騒然とする中、その様子を気にすること無く、石上は試合場へと歩いてきた。

 付き添いは見当たらないので、アイツ一人なのだろう。

 ちょうどこちらの反対側に陣取り、荷物を置くと試合への準備を始めていた。

 遂にこの時が来たんだ。


「鵠沼さーん、イッシー、頑張ってー!」

 観客席になっている二階から声援が飛んでくる。

 両者を応援する声は、クラスメイトだろうか。

 開始線に立っている二人が声援の方に向かって手を振っている。

 何を話しているのかここからだとイマイチ聞き取れないが、表情を見る限り悪い話ではないのだろう。

 ジリリリリと試合開始前のベルが鳴り、周囲が徐々に静まり返っていく。

 開始線の前に立つ二人に、審判が試合形式の説明を始める。

「試合は三ポイント先取で、同ポイントの場合最終戦で決着を付けます。両者異存はありませんね」

「ありません」

「ありません」

 ルールの確認が終わり、判定用のドローンが展開されたらいよいよ試合開始だ。

 鵠沼が陰陽刀を軽く握ると、黒く薄い刃が形成された。

 僅かに揺らぎながらも研ぎ澄まされた鋭い刀身。

 石上が陰陽刀を片手で握ると、黒い刃が形成された。

 僅かなゆらぎもなく、まるで始めから刀身があるような錯覚をうける。

 悔しいが、その技術は鵠沼と比べても遜色はないように思う。

「右下君、彼は協会の登録をしてから試合が無いんだっけ?」

「怪我する前はどうだったかわかりませんが、今の情報だとそうですね」

「そう……」

 その問いが何を示すのだろうかと口を開こうとした時、複数の電子音が耳に入る。

 三台のドローンが起動し、審判の補助として周囲に展開されていた。

 もう試合が始まる、開きかけた口を再び閉ざして鵠沼に視線を戻す。

 集中を乱すような真似はできない、今は彼女の勝利を信じるほかは無い。

 ほどなく試合を開始する電子音が響き、ついに戦いの火蓋が切って落とされた。


 試合開始とともに、鵠沼は間合いを一気に詰めると袈裟懸けに振り下ろす。

 石上は体をずらして躱すと、反撃とばかりに刀を翻す。

 目前に迫った黒刃を咄嗟に刃で受け止め、

 鍔迫り合いの中で、練気で踏み込みを補強し鵠沼は体ごと押し返す。

 石上もその流れに逆らうこと無く、鍔迫り合いから距離を離した。

 押し返した側の鵠沼もそれ以上踏み込むことはせず、互いの思惑通りに近間の間合いまで距離が離れる。

 一呼吸置いて、鵠沼は再び刀を振るう。

 場内には二人の打ち合う音が響いていた。

「……いける」

 と思わず口から溢れる。

 現状はかなり鵠沼が優勢に試合を進めている。

 石上は鵠沼の攻めに防戦一方、時折隙を突いて反撃をするに留まっている。

 体格差を感じさせない打ち込みに、踏み込みの速さ。

 この二週間で練習したものが、鵠沼の強さを裏付けている。

「ふっ!」

 鵠沼の攻めを捌ききれなくなり、石上は刀を跳ね上げられ完全に無防備な姿を晒す。

 その隙を見逃さず、鋭い薙ぎが胴へと吸い込まれていった。

 ドローンから一戦目の終了の音が鳴る。

 鵠沼の勝利に会場が一斉に沸いた。

 その本人は無表情を装っているが、ほんの僅かに口元が緩んでいる。

 珍しく勝ったことを喜んでいるようだ。

「よしっ! 石上も結構やるじゃない、こりゃ右下もうかうかしてられないね。手強いライバル登場ってやつ?」

「からかわないでくださいよ。でも、負ける気はないですから」

 喜びと興奮に、先輩とハイタッチをする。

 先程の試合の感想を言い合いながら、次の試合を待った。

 まずは一ポイント、次も勝てば勝利は目前だ。

 逸る気持ちを抑えるため周囲を見渡すと、先生は難しい顔をしたまま、試合場の二人を眺めていた。

「先生、どうしたんです?」

「いや、石上君って試合中もポイント取られてもずっと笑ってるなーって、それが気になってさぁ」

「アイツは楽しくやるのが信条らしいんで。勝っても負けても、楽しければ良いんじゃないですかね」

「うーん、そういうのとちょっと違うというか。まぁ、次の試合を見れば分かることか」

 歯切れ悪く言葉を濁す先生に、先輩と顔を見合わせる。

 第二試合の始まる合図がドローンから響く。

 体育館を包んでいた弛緩していた空気が張り詰めていくのが分かる。

 ここが正念場、けれども俺の中に不安は無かった。

 鵠沼ならやり遂げてくれると、心の底から信じられるから。


「やったな、鵠沼! 最後の一突き、完全に決まったぞ!」

「はぁはぁ、ふぅぅ…… ありがとう、あと一試合も勝ちを狙うわ」

「お疲れ様、鵠沼。ちゃんと接戦をモノに出来たじゃんか、良い気迫だったよ」

 第三試合までの休憩時間、俺たちは戻ってきた鵠沼に声をかける。

 吐く息は荒く、二戦目までの疲労は溜まっているようだった。

 それでも第二試合を取ったアドバンテージは絶大だ。

 三ポイント先取の試合、石上がこの後一ポイントを稼いでもポイント負けを喫する。

 二ポイント取るためには、相手の背後への一本を取るしか無い。

 対して鵠沼は、背後の攻撃だけを気にしていれば良い。

 極端な話わざと一本取られれば、その時点で勝敗は決まるのだ。

 試合場を挟んだ向こう側には、渋面の石上がいる。

 場内もほぼ試合が決まったような雰囲気が流れていて、今では石上を応援する声さえ上がっていた。

「鵠沼ちゃん、最後はどう狙う? 分かってると思うけど、同じ手は体力的にキッツいんじゃないかな」

「私は…… 奥義で決めようと思います。短期決戦でないと、勝ちきれない」

した一手が必要じゃん?」

「それなら、掛け声で相手を怯ませるくらいやってみな。相手は一本取っても取られてもお仕舞だ、打ち込みに迷いが出ないわけがない」

「はい」

 先輩と先生が僅かな時間で立ち回りを話している。

 これには口を挟む余地は無い、だが何か俺に出来ることはないだろうか。

 一秒いや半秒でも良いから、時間を稼げないか。

「そろそろ時間だ。右下、あんたも一言なんかあんでしょ? バシーっと決めてやんなさい」

「…… 鵠沼ならあんな奴には負けない、絶対に勝てるから。そして女子の大記録を超えるって信じてるぞ」

「えぇ、私は勝って証明するの…… そうよ、記録を超えるのは絶対に、私なんだから」

「お、おぉ」

 ここを勝てば母親の記録を超えるからか、受け答えには鬼気迫るものがあった。

 この試合にかける熱意が、あの表情を作っているのだろう。

 休憩が終わり、開始線へと二人が歩いていく。

 さぁ、これが最後だと息巻いていると、石上が手を挙げ審判と何かを交渉しはじめている。

 審判は頷くと、そのままドローンを飛ばさず待機していた。

 一体何事かと注目を集める中、開始線の前で二人は何かを話し始めた。

「違う! 楽しいとか、楽しくないとかそんな話じゃない! 私は、貴方に勝つために、練習したの!」

 ざわついていた場内に響く怒声。

 最初の会話はここまで聞こえてこなかったが、段々と声量が大きくなりはっきりと声が届くようになった。

 一体何を言えばああも怒らせることが出来るのだろう、

 鵠沼があそこまで感情的になるのは初めてみた気がする。

 相手のペースを惑わせる、これもまたアイツの作戦なのだろうか。

 遠目には薄ら笑いを浮かべている表情から何も読み取れない。

 会話の荒れように、審判が間に入って場をとりなす事になった。

 石上は開始線に戻され、対戦相手の精神を乱したと見なされ警告を食らう。

 警告二回で一ポイントとなることを考えると、さらに石上の状況は悪くなった。

 自業自得とはいえ、あらゆる流れが鵠沼が勝つことのお膳立てをしているようだ。

「それでは、第三試合を始めます」

 審判が試合の開始を説明し始める。

 鵠沼は奥義で決めると言ったが、問題は先輩達に言われたとおり二秒の『待ち』をどう稼ぐかだ。

 そうして、ふと審判に頼んでまで鵠沼と会話した石上を思い出す。

 その執着なら一瞬でも意識をこちらに向けることも可能ではないだろうか。

 試合の邪魔をする気はないが、蚊帳の外の俺にも一矢くらい報いることが出来るだろう。

 よし、まだドローンは起動していない。

 決意を胸に、控え席から立ち上がり大きく息を吸い込む。

「アヤメっ!! 俺達の練習の成果を見せてやれっ!!」

 二階の観客にも届くような大きな声援を送る。

 俺が叫んだ後にドローンが飛び上がり、試合開始のベルが鳴り響く。

 審判はこちらを一瞥しただけで、試合を中断させることはなかった。

 俺の行動は試合に支障がないと判断されたのだ。

 鵠沼を名前で呼べる間柄の男子は居ない、少なくとも俺はこの四年間で一人も見なかった。

 つまり俺の叫びはただのブラフだが、名前で呼びうような間柄になったと誤解して意識をこちらに逸してくれるか賭けてみる。

 ほんの僅かな時間でも意識を逸らすことができれば上出来だ。

 さぁ、こっちを見ろ。

 全てがスローモーションに流れていく感覚の中、刀を構えた石上がたしかにこちらを見ていた。

 こちらを凝視しているのは驚きか、羨ましさか、それとも別の何かか。

 それは時間にして三秒ほどだろうか。

 意図してはないが稼いだ時間うちに、鵠沼は大きく後退して距離を稼ぐ。

 練気で底上げした脚力とはいえ、助走なしでゆうに三メートルは後方に下がっただろうか。

 刀を鞘に収めて姿勢を低くし、そこから一気に相手へと踏み込めるようにしている。

 六心流の奥義だと気づいたのだろう、石上が驚きに目を見張った。

 でも、もう遅い。

 『二秒』は無事経過し、床を蹴る音とともに鵠沼の姿がかき消える。

 縮地の名が示す通り、石上が居たところに一瞬にして姿を現し、鞘から抜かれた陰陽刀の一閃が走った。

読んでいただきありがとうございます。

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