2.真剣導とお隣さんの関係
鵠沼の立合いから数日たったある日。
放課後、道場で剣を振っていると珍客が迷い込んできた。
「こんにちは、右下君」
「鵠沼、珍しいな何か用か?」
「用と言うほどの事はないのだけれど、少し様子を見に来たの。新学期になって新しい部員も増えたことでしょう? 練習に来ているメンバーは増えたのかな、と」
「相も変わらずの閑古鳥だよ、こっちは」
「そうなの…… 当てが外れたかしら」
呟いた言葉は聞き取れなかったが伽藍堂の道場には俺と鵠沼だけ。
ここは顧問からも見放された男子真剣導部。
所属している部員は多いが誰も彼も幽霊部員だ。
うちの高校はなにかの部活に所属しなければならないものの、所属した部の活動を続けていく必要はない。
顧問もうるさく言わないため、ここは帰宅部になりたい奴らの受け皿になっている。
今日は道場内に人はいないが遊び場として幽霊部員が騒いでいることもある。
「右下君は独りで良く練習を続けられるわ。そのひたむきさは見習いたいものね」
「別に大したことじゃない。独りで練習するの、好きなんだ」
胴打ち、籠手打ち等の基本的な打ち方を繰り返す。
練習こそすれ、俺は大会で活躍したいと思っているわけではない。
そもそも大会に出るのは女子真剣導部で、男子にお鉢が回ってくることはない。
それでも練習を続けるのは彼女とのつながりを失いたくないからだ。
「追いつきたい背中があるんだ。一日でも休むとどんどん遠ざかってしまう気がして、ついここに足を運んでしまう」
「素敵ね、そんな人があなたに居たなんて…… プロの方とかかしら?」
興味を持ったのか鵠沼は畳の上に腰を下ろすと少し姿勢を崩す。
僅かに頬を緩めこちらの練習を眺めている。
「いや、プロなんかじゃない。俺が真剣導に入ったきっかけの人…… だな。
体躯は小さいんだが、自分より大きい相手に一歩も怯まず怯えず立ち向かう勇気。
そうだな、その意志を貫く姿勢に惚れたのかも知れない。
今はまだ背中も見えないほど遠いが、いつか隣で肩を並べたくてな」
「隣に…… か。うん、それなら一人で続けられるのも分かる気がする。
胸の内に目標が居るから独りという感覚が無いのよね。
それ以外には目もくれずただ追いつくために必死なの」
肝心の所は話していないので彼女は自分のことだと気づいていないのだろう。
彼女なりに納得がいったのか、しきりに頷きながらこちらを見上げる。
「えぇ、似た者同士ね私達。憧れの人に追いつきたいって気持ち、よく分かる」
それは例えるなら満開の花。
ただただ魅入られる咲き誇る笑顔だった。
「ん、どうしたの、私の顔に何かついている?」
「いや…… ついてはいない」
突然の出来事に空返事のようなものしか返せない。
笑顔を浮かべたのは一瞬で既にいつもの澄まし顔に戻ってしまっている。
先ほどのは俺の妄想だったのではないかと、そう思えるほど彼女の姿は普段通りだった。
「あ、話の腰を折ってごめんなさい。目標があるなら右下君が練習に熱を入れるのも納得ね」
話は終わりと彼女は練習の再開を促す。
その言葉に頷き構えを作る。
彼女が見せてくれた笑顔が嬉しくて腕に力が入ってしまう。
一振り、二振りと体を動かしていくうちに今までの雑念が消えていく。
転校生だとか、クラスが別だとかそんなことに不安を抱かなくても良い。
彼女が隣に居れば何が来たって怖くないんだ。
「俺、頑張るから」
「えぇ、応援している…… さて、そろそろ部活の時間だから戻るね」
鵠沼は周囲を見渡すと少し残念そうな表情を浮かべて立ち上がる。
結局何の要件なのかを聞き忘れたがそれも些細な問題に思えた。
彼女のあんな笑顔を見れたのが何よりの励みだ。
陰陽刀を握る手に力を入れ再び素振りを繰り返す。
いつか彼女の隣に並び立てるように。
それから一月が経った頃。
体育館の窓から見える空は曇天で、梅雨のこの時期は気分までも湿ってしまいそうだ。
気だるい暑さも相まって学校全体がジメジメとした気分になっていた。
「鵠沼さん試合頑張ってね!」
「次で四十九連勝なんだろ!? 俺たちもマジ応援してっからさ、テッペン取ってくれよ!」
「えぇ、ありがとう。皆の期待に応えられるよう全力を尽くすわ」
だからだろうか、この曇り空を吹き飛ばすような話題に学校全体が関心を持つのは。
四月以降彼女は真剣導の上達は目覚ましく、もはや三年のレギュラー陣も歯がたたないほどだ。
公式の試合で連勝記録を伸ばし続けていて、その数は四十九に届こうとしている。
女子は五十連勝が最高記録で二位は四十九連勝となっている。
人伝の話ではあるがそのどちらも二十年前の記録らしい。
記録の更新にあたって学校側は地方新聞の取材を受け入れるほどの熱の入れようだ。
学校の連中も例外ではなく今もひっきりなしに応援の言葉を伝えている。
人の輪は途切れず鵠沼の表情は緊張のためか僅かに固くなっている。
試合まであと二十分そろそろ解散してもらったほうが良いだろう。
「皆、試合時間二十分前だよー。ほら、応援したい気持ちもわかるけど勝ってもらいたいんなら、試合に集中させよう?」
「まじか、もうそんな時間かー。鵠沼さん記録更新期待してるぜ」
「またね、鵠沼さん。応援しているから試合頑張って!」
「石上君…… ありがとう」
俺が口を出すまでもなく、顔を出した石上は生徒達を追い払ってしまった。
彼らと行き違いに前に進んでしまったため一人取り残される形になってしまう。
そんな俺を気に留めることもなくそのまま二人で会話を続けていた。
なんとも格好のつかない状態だがその様子が気になってしまい耳を傾けてしまう。
「今どき公式戦五十連勝なんてそう珍しく無いんだけどなぁ。みんな大げさすぎじゃない?」
「ふふ、そうかもしれないわ。でも、皆が応援してくれるんだから期待に応えないと。五十連勝…… あと二つ、私が頑張れば良いのだから」
「負けたってまた勝てば良いだけだし、そう気負うものじゃないよ。勝ち星なんて強ければ自然と溜まるんだし」
「それは…… そうかも知れないけど、また勝てる保証なんて無いわ。相手も相応の実力者になるのだから」
あまりにも楽観的に連勝記録など大したことないものだと石上は言う。
記録を更新する機会などそうそう巡ってくるものでも無いだろう、少なくともこの二十年、更新できる者は現れなかったのだから。
「それに、連勝記録を塗り替えるのは他の人に任せたくない。あなただってそう思うでしょう?」
何かに縋るようなその姿に針のような痛みに胸を締め付けられる。
記憶をさかのぼってもそんな姿を俺は見せられたことがなかった。
「さっきも言ったけど、記録自体はずっと前に抜かれているんだ。今さら女子とか男子とか関係無いよ」
石上の言葉は少しずつ鋭さを増していく。
「それに期待を背負うとか、余計なこと考えすぎじゃない?」
批難めいた声色も隠そうともしない。
「試合をするのは自分だよ、背負えないものまで背負う必要はない。君は連勝したくて剣を握ったの?」
「わ、私は……」
「もう良いだろ石上。お前鵠沼を負けさせたいのか?」
これ以上の詰問に耐えきれず二人の会話に割って入る。
ぎょっとしたように鵠沼がこちらに振り向き、その瞳は震えて僅かに濡れていた。
鵠沼が傷つけられた、そう理解した瞬間自分でも驚くほどの熱を持って石上を睨みつける。
「負けさせる? なるほど、負けさせる…… か」
口元に手を当てて何やら思案げな顔を浮かべる。
「うん、試合で負けてくれたら良いと思うよ。今なら――」
「もういい、わかった。鵠沼はここには勝ちに来たんだ。負けて良いなんて言うやつは試合の邪魔になるから、出てってくれ」
これ以上の暴言を聞かせたくなかったので石上の返事に割って入る。
アイツの向ける視線も暴言も代わりに全部受け止める覚悟で、鵠沼の前に立つ。
「鵠沼は皆の期待を背負ってるんだぞ。応援するべきだろ、お前だって同じクラスの仲間なんだから」
「クラスメイトとしての親切心だよ。試合だとツマラナイ剣を振るって君は気づいていないの?」
「俺は見たことがないが、そのツマラナイ剣ってのは何だ?」
「定石通りにしか打ち込まない、勝ち筋狙いの剣」
笑顔のまま上から目線での物言いに背後からビクリと音がえたような気さえする。
「お前が分かっていないだけだ、石上」
楽しいまま続けられるならどれだけ楽だろう。
彼女の練習を脳裏に浮かべてもそんな言葉とは無縁だった。
「鵠沼は強くなりたいんだ試合を楽しむことが目的じゃない。勝負に対する真剣さをお前はつまらないというのか」
「なるほど、随分詳しいんだね」
「まぁな。お前よりかは付き合いが長いんでね」
「み、右下君そんな言い方しないで――」
「…… はぁ、分かったよ。お邪魔虫は大人しく戻るからそんな怖い顔しないでくれ」
何が気に入ったのか興味深そうにこちらを眺めている。
「それじゃね鵠沼さん。応援はしないけど試合は全力を尽くしてね」
両手を上げて降参の意思を見せながら皮肉交じりに石上は去っていった。
姿が見えなくなるのを確認して、体に溜まった熱を追い出すように一つ息を吐く。
何故あんな事を言いだしたのか見当は付かない、前に会った印象では暴言を吐くような奴には見えなかった。
ただ事実として鵠沼はアイツの言葉で涙を浮かべるほど傷ついている。
対峙するには十分だ。
「大丈夫か」
「…… えぇ。右下君、気持ちは嬉しいのだけれどあまり無理をしないで」
「無理はしてない、ただ見てられなかったんだ」
「ありがとう。石上君は私を慮っての事だから気を悪くしないで」
「優しいな、アイツの言うことを真に受けるなんて」
居なくなった方を向いたまま、こぶしをかすかに震わせている。
貶した相手を庇う言動に胸のモヤモヤが広がって、動き出す口を止められなかった。
「期待に応える事が悪いはずなんかない、現にここまで期待に応えながら勝ってくれた」
彼女の強さを口に出して嫌な気持ちを切り替える。
「それに楽しいなんて軽い気持ちで強くなれたら、俺も鵠沼も苦労してないだろ」
「それ以上はいいの、もう大丈夫だから…… えぇ、大丈夫。応援してくれる皆のため絶対に勝つから」
口数少なくそのまま彼女は部員がいるベンチへと向かっていった。
出来ることならそばに居たいが、同じ部員とはいえ男子は試合場まで入ることは出来ない。
先程のやり取りが試合に影響しないが不安だがここに居ても俺に出来ることは無い。
観客席で不安をかき消すほど精一杯応援するそれが今できる事だろう。
観客席に戻り暫くすると試合場の開始線の前に鵠沼が立つ。
先程の出来事が無かったかのような冷静沈着な様子だった。
姿を見せた鵠沼に学校の皆から一斉に応援の声があがる。
「鵠沼さーん、頑張れー!」
「応援してっから、負けるなよー!」
応援してくれる人がこんなにもいるのだ、自信を持って試合に臨めばいい。
場内に木霊する応援に胸が熱くなり俺も負けじと声を張り上げる。
「鵠沼ぁ! 皆お前の勝利を信じてるぞっ! 勝って、期待に応えてくれ!!」
歓声が止まない中、鵠沼と対戦相手が互いに向かい合うと騒然としていた場内はしんと静まり返る。
いよいよ試合開始だ。審判が両者の間に立ち立合いのルールを説明する。
説明が終わると試合を判定するドローンの飛行音が聞こえ、その後に両者ともに剣を構える。
黒い刀身が陰陽刀から現れ準備は整った。
「それでは試合…… 始めッ!!!」
場内に開始を告げる鋭い声が響く。
その声を皮切りに鵠沼は一刀一足の間合いに踏み込む。
相手も上段の構えから鋭い一太刀繰り出す。
僅かに立ち位置をずらしてその切っ先を躱し、相手の返す刀を受け止める。
鎬をぶつけ合ったまま一気に間合いを詰め、一進一退の攻防を繰り返す。
このアウェイの中相手も気圧される事なく向かってくる。
間違いなく強敵だ、勝負の行方はどちらに傾くのか全然分からない。
俺は息を呑んでその結果を見守った。
「勝者、片瀬高校二年、鵠沼アヤメ!」
しんと静まり返った場内に勝利者の名前が響くと、それを皮切りに怒涛の勢いで歓声が上がった。
「やったな、鵠沼!」
この叫びもかき消えてしまうほどの大歓声の中、勝利した本人は、その余韻に浸るでも無く泰然としている。
「おめでとうございます、ついに四十九連勝ですね。お母様の記録に並んだ気分はどうですか?」
「はい、母に並び立てたことで身が引き締まる思いです。娘として勝利のバトンをしっかり受け継いでいきたいと思っています」
「それは次の女子連勝記録の五十勝に向けての言葉でしょうか。当時、お母様に土をつけた方が保持している記録です。そうなると親子二代の挑戦となりますね」
「はい、偉大な記録ですので母達に胸を借りる思いで挑戦したいと思います。後続の私が女子の真剣導に泥を塗らないよう、全力を尽くします」
「偉大な記録に並び立つ姿期待しています。回答ありがとうございました」
鵠沼はレポーターからの質問を卒なくこなし、待合室へと引き返していく。
その際に何かに気づいたのか視線を観客席に向けて立ち止まる。
つられてその方向を見るとそこには石上の姿があった。
皆が勝利を祝福する声をあげている中、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
アイツにとってはこの状況は望んだものではない。不服そうな顔をするのも当然だ。
二人の視線が交わる中、そのまま身を翻しアイツは観客席を後にした。
ザマァ見ろと心のなかでガッツポーズを決める。
多少のハプニングはあったものの次を勝てば女子の記録に並ぶ。
鵠沼が大記録に挑む、それが自分のことのように嬉しかった。
翌日、教室について暫くするとけたたましい足音と共に勢いよく扉が開かれる。
朝から騒々しい限りだが騒音の元はどうにも俺の友人のようだった。
荒い息を吐きながらこちらと目が合うとグッと息を詰め、近づいてくる。
「おい、大変だぞミギー! 鵠沼の次の対戦相手聞いたか!?」
「とりあえず落ち着け。次の対戦相手は知らんが、もう決まったのか?」
前の席に座ると真剣そのものでこちらに向き直る。
こちらに聞いてくるということはもしかしたら、対戦相手は俺の知る人物なのかもしれない。
「聞いて驚け、次の対戦相手は石上だってよ。次勝てば記録タイってところで、同じ学校の相手だなんてな」
「そうか……」
「アイツも事情は分かってるだろうし、こりゃ勝ったも同然じゃねーか? 八百るってわけじゃないと思うがよ、やり辛いだろ流石に」
「その発想はなかった」
「おん、何だその反応?なんか訳ありか」
こちらの表情を察して怪訝な顔をする友人。
こいつは何だかんだと顔が広く茶化しはするが頼りになる。
事情を話しておいて損はないだろうと、
試合のあった日の出来事を掻い摘んで説明することにした。
「ほーん、負けて欲しいと言ったねぇ。応援がプレッシャーになってるんじゃないかってことか」
「俺には…… プレッシャーになっているふうには見えない。試合運びも良かったし、剣捌きも迷っていなかった」
応援されて辛そうな様子を見た記憶はない、昨日も堅実な立ち回りで勝ちを引き寄せていた。
転校生が気付ける程度の不調ならば、付き合いが長い俺や鵠沼の友人にだって気づける筈だ。
「応援されるのだって昨日今日の話じゃない。あいつの指摘は今更すぎる」
ほぅ、と目を細めてこちらを見る。
何だか値踏みされているようで、頬杖をついて窓の外を見上げた。
「よく見てんな、さすがお隣さん」
「ほっとけ」
「褒めてんだよ。ちなみに石上だが剣士名簿の戦績は0勝0敗、勝率なしだ」
「そこまで調べたのか」
「まー一応な。それと五組の人間に聞いたが最近までは怪我で体育も見学だそうな」
友人の差し出したスマートフォンの液晶には石上の登録日が表示されていた。
登録自体も数日前、公式の試合をしていないのだから戦績については当然だ。
「そんな状態の奴が試合申し込むってどーいう状況だろうな?」
「全然分からん。ただ、鵠沼が困った状況になっているのは助けてやりたい」
「もしかしたら余計なお世話かもしれんぞ?」
「俺がやりたいからやるんだ、その時はその時だろう」
「ならあれこれ策を考えるより、鵠沼に直接話をしてこい。今こそ行動を示すところだぞ、ミギー」
「あぁ、部活終わりにでも話してみる。ありがとな」
「武運を祈ってるぜ!」
やっぱり話をしておいて正解だったと頼もしい友人に心からの感謝を送る。
始業のチャイムが鳴りその場はお開きとなった。
放課後、自主練を終えて体育館へ向かうと女子部員たちが帰ろうとしている所だった。
「あの、ちょっと良いか。鵠沼はいるか?」
「鵠沼先輩ですか、先輩なら先に帰られましたけど」
「あ、右下先輩お疲れ様でーす。鵠沼先輩なら先に上がっちゃいましたよ」
「まじか」
「あーでも、ついさっきなんで走れば追いつけるんじゃないですか」
「そっか、ありがとな!」
教えてくれた後輩部員に頭を下げ、中廊下を走り抜ける。
逸る気持ちを抑えて校門を出ると遠目にも目を引く濡羽色の髪が目に入る。
彼女の足取りは重くこのまま走れば追いつくことが出来そうだ。
「よ、よう……いま帰りか」
「え、右下君? 自主練かしら随分息が上がってるけど?」
「いや鵠沼に用があって。後輩に聞いたら今さっき帰ったというから、走ってきたんだ」
「それはごめんなさい。私に用事って何?」
一度大きく深呼吸をして不安や緊張も吐き出す。
これからが本番だ気合を入れていけ右下洋二。
「次の対戦相手は聞いたか?」
「えぇと、真剣導の試合の話かしら。石上君、怪我が治りきっていない時期なのに」
対戦相手のことは把握していたのだろう、悪戯が見つかった子供のようにバツの悪そうな顔をする。
「私は随分と不興を買ったみたい、連勝もここでストップでしょうね」
連勝が途切れることを嘆いているのか、後悔をにじませて鵠沼は空を仰ぐ。
その声も瞳にもいつものような覇気は全く無かった。
「正直、負ける見込みは無いと思ってるんだが。相手は病み上がりで練習全くしてないんだろ?」
「ふふ、皆同じことを言うのね。でも考えてみて、ただ負けるだけの試合なんて申し込む? 私だったら勝てる算段は付けてから挑むけど」
たしかに鵠沼の言うことは尤もだ。
自分が逆の立場だったとき勝つ見込みも無いまま公式戦など行うだろうか。
もちろん答えはNOだ。
「連勝を止めたい…… と言っていたが正直想像は付かないな。あいつの試合は見たことはないが本当に勝つ気があるのか?」
空を見上げるも一面を覆う曇天に答えは見いだせなかった。
鵠沼も答えることをせず俺達は無言で通学路を進む。
どうにかして不安を取り除きたいのに杞憂だと笑い飛ばすことも、連勝してきた自分を信じろと応援するのも、何か違う気がしていた。
今欲しいのは気休めの言葉なんかではないだろう。
この空のような雰囲気がそれを物語っている。
「いやーお二人さん、お揃いで今帰り? 今日は雨降らなくて良かったよね」
能天気な声に顔を向けると対戦相手がそこに立っていた。
大きめのスポーツバッグを肩にかけこれから試合にでも行く姿だ。
こちらの悩みなどお構いなしの深刻さの欠片もない笑顔を浮かべている。
「そ…… 石上君、その荷物は今から練習? 体育館はもう閉めてしまったけど?」
「あぁ、これ? 練習するからちょっと泊まり込み用にね」
「え…… どうして」
「いくら他が勝っていても、流石に体力戻さないと話にならないからね。暫くはホテル住まいだよ」
「わざわざ挑発しに来たのかお前は。こんな事せず正々堂々と試合に挑めば良いだろ」
相変わらずの見下した物言いに鵠沼を相手にさせたくなくて間に割って入る。
こいつはどういうわけか本気で負けるわけが無いと思っている。
その絶対の自信がどこからくるのか羨ましくさえある。
「鵠沼はお前なんかに絶対負けない」
「それならそれで。あ、せっかくだから右下君も練習相手になってあげたら?」
「お前……!」
「やめて」
俺が掴みかかるよりも前に鵠沼が背後から割り込んでくる。
避けようとするが急には止まれず、勢いを殺すために両肩を掴んで後ろから抱きつく形になる。
咄嗟に練気でもしたのか男一人の体重をかけられても倒れること無く踏みとどまっていた。
「わ、悪い!大丈夫か!」
「平気だから、少し落ち着いて」
不意の事故とはいえこんなに彼女に触れたのは初めてだった。
慌てて鵠沼から体を離すが、掴んだ肩の細さと柔らかさや絡んだ髪の感触に、心臓が痛いくらいに早く打って体がどんどん熱くなっていくのを感じる。
「うーん、お隣さんに手伝ってもらったら、案外うまくいくかも?」
「関係のない人を巻き込むのはやめて頂戴。下手な挑発は不要よ」
「挑発下手じゃないし効いてるし」
「他の人に効いててもしょうがないでしょう。本命は私なんだから私だけを見ていればいいの」
茹で上がった頭は思考するのを完全に放棄していて、二人が話しが頭に入ってこない。
どうやらお互いの主張は並行線だったのか、住宅地の真ん中で生活音だけが耳に入ってくる。
「…… はぁ」
暫くすると石上は一つ息を吐き、肩にかけたスポーツバッグを担ぎ直した。
「試合になるようにちゃんと調整しておいてね。勝負したいのは万全の君だから」
それだけ言い残すと学校の方へと歩いていった。
先ほどとは違った沈黙が俺たちの間に流れる。
漠然とは思っていたことだが今はっきりとやるべき事は決まった。
「絶対に勝つぞ、鵠沼。俺も精一杯サポートするから」
「えぇ、見返してあげないと…… って、え、サポート?」
困惑する鵠沼に全力でサポートをすることを伝える。
何とか了承してもらい、負けられない二週間が始まった。
読んでいただきありがとうございます。