無料より高い物は無い
「なんで!なんで湯船があってお湯張ってないの!」
「アカリさん落ち着いて!落ち着いて下さい
他にもお客さん居ますから!」
「銭湯にお湯が無かったら、それはもう只の銭だよ!
ああ、銭も発生しないんだっけ?
じゃあ無だよ!我々が今立っているこの場所は虚空だよ!」
「アカリさん、大丈夫!此処は大衆浴場で間違いありません!
そのセントウって所じゃありませんから!」
そうか、此処は銭湯じゃないのか……
只シャワーを浴びる場所なのか……
「うぅ……お風呂ぉ……」
「あ、アカリさん泣かないで!
湯船も魔導具を使えば一応お湯を入れられますから!」
……そうだ。湯船が只飾りとしてある訳がないのだ。
であれば、何故みんな使わないのか。
「一応って事は、皆が湯船にお湯張らない理由があるんだね?」
「え?……あ、はい。
湯船に入れるお湯も勿論自前の魔力が源です。
此処を利用する様な時間になれば、皆さん日中の作業で疲れているので、そこまでして湯船に浸かりたいとは思う人はなかなか……」
成る程。
セルフサービスだからこそ起きた問題と言う訳か。
「なら明ちゃんにお任せだよ!」
魔力なら散々鍛えてきたのだ。
(それに私は水だって作れるし、火だって起こせる。
お風呂がなんぼのもんじゃい!)
壁にある熱魔法と水源魔法の魔導具に、両手を翳す。
「うおぉぉ!」
気合いを入れて、いざ魔力を込める!
チョロ……
「あ、無理だこれ」
少し魔力を込めただけだが、十分に理解できた。
今ので出てきたのは、コップ一杯にも満たない僅かなお湯のみ。
クラウスが持ってる魔導具よりも質が悪いのか、力が伝わり辛い。
このまま二つを同時に発動させて、湯船いっぱいに湯を張るのは、少なくとも今の私には無理だ。
そもそも私は女神様の加護に依存して魔法を行使している。
空気魔法じゃないものが刻まれた魔導具は苦手だった。
「そもそも、二つとも一人で扱うなんて無茶過ぎますよ」
確かに、これでは湯船で回復するよりも、お湯を張る為の疲労の方が大きい。
だがしかし、解決策は思い付いた。
二つを一人で扱おうとするから駄目なのだ。
「こうなったら、恥も外聞も捨てるしかない……」
「え、諦めないんですか?」
私の辞書に諦めるなんて言葉は載っていな――くはないけど、今はそんな辞書は開かないので関係ない!
一度服を着て女湯から出る。
大きく息を吸い込んだら、やる事は一つだ。
「クラウスー!手伝ってー!」
他のお客さんが温かい目で見ていても、私は気にしないのだ!
――――――
「……で、女湯の湯船を貯めるのを手伝えと」
頭がびしょ濡れのクラウスは不機嫌そうだが、話は聞いてくれる。
もしかしたら呼び掛けたとき丁度、頭を洗ってる最中だったのかもしれない。後で謝っておこう。
「そう!クラウスが熱魔法の魔導具を外から、私が水源魔法の魔導具を中から使えば、ギリギリいけると思うの!」
そう。魔導具は壁に埋め込まれているので、建物の外側からでも魔導具を使用する事が可能なのだ。
「熱魔法の魔導具ねぇ……正直、俺が手を突っ込んで水を温めた方が楽なんだがな」
あ、その手があったか。
よ~し。空気魔法によるお湯なら明ちゃんにも――
「自分で水を温めて火傷する人が続出してから、備え付けの魔導具以外は禁止になっているので……」
「わかってる。
ボヤいてみただけだ」
ありゃ、知らなかったのは私だけか。
……あ、本当だ。立て札に書いてある。
注意書きは、ちゃんと読まないと駄目だね。
「着いたぞ」
『この声よ届け』で繋げたクラウスの声が、私の耳に届く。
「あ、今ちょっと体を洗ってるから待ってて」
「おい!」
だって湯船を用意したら、そのまま入りたいじゃないか。
体を洗わずに湯船に入る訳にはいかない。
大衆浴場を利用するならば、大切なマナーは守らなきゃ。
――――――
「はい。準備オッケーだよ」
「やっとか……さっさと始めるぞ」
今回は水源魔法の魔導具に両手を添える。
「はっ!」
掛け声と共に魔力を強めに込めと、大きめの蛇口から一気に水が流れ出す。
湯気も上がっているので、クラウスも上手くやってくれている様だ。
(出だしは上々。後は、このまま魔力を込め続けるだけ!
思ったより随分と余裕じゃん)
だが、それは大きな間違いであった。
――――――
マラソン大会。
中学の時に毎年行われていた行事を、何故今になって思い出したのか。
その答えは只一つ……
(やばい……序盤で飛ばし過ぎた……)
現在、湯船には半分程のお湯が入っているが、流れるお湯の勢いもまた当初の半分程度だ。
このままお湯がいっぱいになるまで、単純計算でも倍の時間はかかる。
そんな長時間も私が耐えられるとは思えない。
(半身浴するだけなら、ここで終えても問題はない。
だがしかし!肩まで浸からなくて何が風呂か!)
「うおおおぉぉぉ!」
無理に気合いを入れ直す事で、お湯も僅かに勢いを取り戻す。
―――ミソラ視点―――
「凄い……!
アカリさんは、お湯に浸かる為だけに此処まで……」
私の心は震えていた。
考えなしの発言や、突然泣き出した事で忘れかけていたが、アカリさんは確かに自分を救ってくれた恩人なのだ。
たかが湯船。だが、それに向けられているこの情熱は、私を救いに飛んで来た時と同じ物なのだ。
魔物でも魔導具でも関係ない。
勝てなくたって諦めない。
それは無謀?
いいや、違う。
他の心を惹き付ければ、それは勇気足りえるのだ。
―――明視点―――
突然、私の手に少し小さな手が重ねられる。
「私も協力します!」
「ミソラちゃん……」
訓練やお手伝いで疲れているだろうに……
「私の我が儘に付き合ってくれてありがとう。
一緒に一番風呂に入ろうね!」
「はい!」
そう笑顔で励まし合うが、私もミソラちゃんもわかっている。
疲れきったミソラちゃん一人を足しても、まだいっぱいには届きそうにない事を……
(どうする?
仮に無茶を通して上手くいっても、具合悪くなったり気絶したりして湯船に入れなくなったら意味がない)
だが、ここで意外な救世主が現れる!
「どれ、一つ私が力を貸そうじゃないか」
「その声は……」
私が振り返った先に居た人物、それは――
「……んん……誰っ!」
少し考えてはみたが、やはり見覚えはない。
冷静に考えれば別に声も聞き覚えはない。
「隣のお婆ちゃん!」
ミソラちゃんがそう言うなら、そうなんだろう。
私は端から全く面識のない人だ。
だが、助かった。
これならばゴールが見えてきた。
「さぁ、いくよ。
三人の力を合わせるんだ!」
重ねらた手にありったけの思いを込めて!
「うおおぉぉ!」
「とぉりゃぁ!」
「えっと……とぉ~」
ミソラちゃんだけ腑抜けた声を出してるのはご愛嬌だ。
――――――
膝を突き、肩で息をする私達。
もうこれ以上は無理だ。
だが――
「「「やり遂げたー!」」」
私達の眼前には、お湯がいっぱいに張られた湯船。
これにて私達のミッションはコンプリート
――いいや、まだだった。
私はミソラちゃんとお婆ちゃんの手を取る。
「一緒に一番風呂に入ろう!」
――――――
「ふぃ~」
思わず漏れた溜め息は、誰のものだったか。
ああ、やっぱり疲れた後のお風呂は最高だ。
雑補足
・湯船の魔導具
それぞれ、最低でも大人が五~十人で使う事を想定されている。
農村部では、それだけの余力があれば他の作業に回す為、あまり使われない。