魔物じゃない?
(魔物じゃん!)
狼を見た第一印象は、この一言にに尽きる。
尤も、大きな声を出して狼を刺激してはいけないので、心の中で叫んだだけだが。
「グルルルル……」
私と目が合った狼は静かな唸り声を上げる。
恐らく、これが例のフールウルフと言う奴だろう。
正直何が普通の狼と違うのか全くわからないが、フールウルフは身体魔法が使えると聞いている。
つまり、魔物とは魔法が使える動物を指すのだろう。
さて、この狼が魔物だとした場合、一番の疑問が――
(え?シッシーは何してたの?
五月蝿いだけで役に立たない魔導具とかある?)
私の訝しげな視線を受け、シッシーは首を縦に振る。
これはシッシーが肯定している訳ではなく、単純に横に振る機能が無いだけだ。
しかし、この行動はよろしくなかった。
位置関係としては、狼、私、シッシーなのだ。
つまり私がシッシーを見ると言う事は、後ろを振り返る事を意味する。
野性動物と遭遇した時に、隙を見せるなど言語道断だ。
私が視線を戻したその瞬間、狼は牙を剥いて飛び掛かってきた。
私はほぼ反射的に、斜め前へのローリングで避ける。
そのまま受け身を取り、反動で姿勢を立て直す。
中学の時に柔道の授業を真面目に受けておいて良かった。
ありがとう義務教育。
再び狼を見ると、着地の時点で二撃目を考慮していたのか、既に体を此方に向けている。
狼が体を沈ませ、いざ飛び掛からんとした瞬間、ガチャン!と言う大きな音が鳴った。
その音に、私も狼も意識を取られる。
其方を見てみれば、シッシーが地面に倒れ伏していた。
成る程。今のは私の『サイコ』が途切れた事により、シッシーが落ちた音だったか。
魔法を切ったつもりは無かったが、それだけ今の私に余裕が無いと言うことだ。
倒れたシッシーからは、水がだくだくと流れている。
絵面的には瀕死の重傷を負った感じだが、あれは別に体液でも何でもない只の水だ。
シッシー自体に何か影響がある訳でもない。
後できちんと水は入れ直すので、悪いが今は放置だ。
私と同じように、シッシーに興味を失った狼も視線を戻し、何事も無かったかの様に、再び体を沈める。
狼とっては酷く無駄な時間であっただろう。
だが私は今ので思い出した。
私はもう日本に生きる一般天才美少女女子高生ではない。
今の私は、天才美少女空気魔法使いだ。
『フライ!』
魔法を発動し、先程とは比べ物にならない速度で狼の攻撃を避ける。
崖付近は木々が少なくて助かった。テニスだって出来そうな程である。
この広さなら、木にぶつかる心配無く『フライ』での高速移動が可能だ。
これで少しは余裕が出てきたが、問題はこの状況が何時まで続くかだ。
相手は敵、若しくは獲物として私の命を狙っている。
害意や殺意と言うのは恐ろしく、一度受けたくらいで馴れる様な物ではない。
寧ろ一度殺された事で、より一層それに対する恐怖が増している。
バクバクと鳴る心臓が五月蝿い。息が上がっているのも単純な疲労と言う訳では無いだろう。
このコンディションで何十分も避け続けるのは無理だ。
何か打開策を考えなくては。
魔法を使う動物に対抗するには、やはり此方も魔法を使うしかない。
しかし、魔法使いになったとは言え、私の心はまだまだ一般天才美少女女子高生である。
生活を豊かにする魔法なら思い付いても、他を攻撃する魔法なんてサッパリだ。
(『帯電』で痺れさせる?……いや、あの魔法にそこまでの威力は無い。
なら『サイコ』で相棒の石を飛ばす?……駄目だ。今は手元に無い)
狼が飛び掛かってくるのを避けつつ、必死に考える。
それ自体は間違っていない。
だが、思考の海にほんの少しだけ深く潜り過ぎてしまった。
『フライ』の制御が乱れ、私は思い切り尻餅をつく。
「痛っ!」
そんな大きな隙を、狼が逃す筈がない。
何度も見た単純な飛び掛かりだが、今の私では避けられない。
(避けられない……ならっ!)
私は土壇場で思い出した魔法を唱える。
『プロト!』
私と狼の間に不可視の壁が出来上がり、弾かれた狼は何が起きたのかわからず目を丸くしている。
これは龍の領域でクラウディア達が降りてきた時に、砂埃を防いだ魔法だ。
空気を圧縮して作った壁を設置する。
あの時はまだ、この魔法に名付けを行っていなかったので、今咄嗟に名付けたのだが、なかなかカッコいい名前になった。
プロトは守るって意味の言葉だった筈。
……ん?なんかちょっと違う様な気が……
(……っと、今はそんな事を考えてる暇はないんだった)
私が次の一手を考えようとした所で、横から声がした。
「おい、何の騒ぎだ?」
洞窟の入り口から現れたのは、クラウス。
私の詠唱、狼の鳴き声、それに加えてシッシーが落ちる音。
音の反響する洞窟の前でそれだけ騒げば、遠くとも異常を感じ取れたのだろう。
狼はクラウスを視界に入れると少しずつ後退し、距離をとった所で一目散に逃げていった。
二対一だと分が悪いと判断したのか、それともクラウスが私よりも脅威だと考えたのか。
それはわからないが、とにかく助かった。
(こうなるなら、最初からクラウスの所に駆け込めば良かったなぁ)
緊張感から解放された私は、そのまま地面に寝転んだ。