伝わらない気持ち
その日は珍しく早い時間に目が覚めた。
窓からは丁度日の出が見える。
(……よし、二度寝しよう)
そう決意して布団に潜り直すが、喉が渇いて眠れない。
仕方がないのでキッチンまで歩いていく。
コップに注いだ水を少しずつ飲みながら、ぼんやりと外を眺める。
広い庭には、大量に飛んで来る丸太を避けるクラウスが居るだけ。
穏やかで静かな朝だ。
「……いや、穏やかじゃないでしょ!」
私は窓を開けてクラウスに問いかける
「何してんの?」
「おぉ珍しく早起きだな。
……まぁ……朝の運動って所だ」
「いや、朝の運動ってレベルじゃないよ……」
一秒毎に複数本の丸太が打ち出される光景は、宛ら少年漫画の修行シーンだ。
私と会話しながらも尚、丸太を避けるクラウス。その姿はぶれて見える程に速い。
クラウス自身も、これが普通ではない自覚があるのか、詳しく説明してくれる。
「昔、姉貴から課されてた訓練の延長だ。
姉貴の人柄は大嫌いだが、訓練のメニュー自体は悪くなかったからな。
多少アレンジしつつ、今でも続けてるんだ」
ひょっとして、これを毎朝やってたのかな?
大きな音も立てずに、よくできるなぁ。
「お前も少し速度を下げた奴でやってみるか?」
……少しがどの程度かわからないけど、とてもやってみる気にはなれない。
私は普通の人間だ。龍人と違い頑丈な体ではない。
あの丸太一つ当たっただけで、下手をしたら死んでしまう。
「私はいいや」
そう断ると、クラウスは少し残念そうにしつつも諦めてくれた。
窓を閉め、もう一杯の水を飲む。
タツヤ君の訓練も、あんな感じなのかもしれない。
(きっと龍の領域で一番弱いのは私だ)
そう気付いた時、私達を隔てる窓が少しだけ厚く感じた。
―――タツロウ視点―――
雲一つ無く晴れ渡った空。山の間から昇ってくる朝陽が、今日と言う日を祝福している様だ。
「今年こそは聞こえるかもしれないな」
今日は年に一度の神託の儀だ。
神託と言っても、全ての人類が五歳の時に受け取る平坦な声とは訳が違う。
かつて龍人だけが聞こえたと言う、真なる女神の声だ。
最初に龍人をこの地に導く為の声が聞こえたこの日に、毎年儀式を行い、神託をもう一度賜ろうと言うものだ。
儀式により実際に女神の声が聞こえた事はまだ無いが、それでも神聖な儀式に違いはない。
特に神官の役割を担っている、この私にとっては。
ここ一週間は準備で忙しかったと言うのに、馬鹿息子ときたら研究者の弟子になりたい等と巫山戯た事をぬかしおった。
小さい頃に服を選ばせる為に一度連れていっただけだと言うのに、まさかその時からずっと考えていたのか?
……ありえんな。大方、厳しい戦闘訓練から逃げる為の口実に使っただろう。
竜人の息子は龍人よりも身体的な側面で劣る。
だからこそ騎士団長と言う手練れの稽古をつけさせる事で、その差を埋める程の力を身に付けて貰おうと思っている。
時間は成人までと限られている。油を売ってる暇など一分たりとも無いのだ。
「……おっと、息子の事を考えている場合では無い。
儀式を始めなければ」
私は教会へと足を踏み入れ、中央の像の前で跪く。
……三十分程経っただろうか。やはり女神の声は聞こえない。
(今年も駄目だったか……)
そろそろ立ち上がって終わりにするべきかと考えていると、今までに無い変化が訪れた。
―――女神視点―――
大変です。
どうやら私は、龍の領域の何処かにアカリ=ヒノを落としてしまった様です。
幾ら加護を持つ体とはいえ、脆弱な人間には違いありません。
落としてから一月程度は経ったでしょうか?
私にとっては僅かな時間でも、人間にとっては長い時間です。
それらしき魂が死んだ形跡はありませんが、人と出会えてなければ時間の問題でしょう。
せっかくなので、出来れば死んでほしくありません。
こんな時はどうすれば良いのでしょう?
マニュアルにも載ってませんし……
……五月蝿いですね。
こんな時に、何ですか?
なになに……龍の里からの交信?
あ!定期的に来てましたね、そんなのも。
丁度いいです。彼等の望む神託とやらを授けてあげましょう。
『領域に巫女を送りました。丁重に保護すれば、里の安寧は約束されるでしょう』
これでアカリ=ヒノも安全ですね!
第一章もクライマックスです。