まだ止まってない
さぁ、空気魔法使いの本領発揮だ。
『マスク!』
フォースホースの頭を覆うように空気のフィルターを作る。
これで臭いの元がフォースホースの鼻に入る事はなくなった。
だが、これだけじゃ足りない。
鼻の中に入った匂いの元も全部出しきらなければ意味がない。
『換気!』
フォースホースの気道にある空気を外の物と取り替える。
サバイバル時代に作って、久しく使ってなかった魔法だが、名付けのおかげで簡単に発動出来た。
『換気!』『換気!』
後は『換気』を繰り返し、強制的に深呼吸をさせる。
「落ち着け、落ち着け、落ち着け!」
もはや落ち着いてないのは私の方だが、これは割りと命懸けの時間との戦い。落ち着いても居られない。
「止まれぇぇ!!」
私の祈りが通じたのか深呼吸の効果があったのか、私達の方へと走ってくるフォースホースは徐々にスピードを緩め、私の鼻先で大きく息を吐き出すと漸く止まった。
『マスク』のフィルターに残っていた臭い空気を全部私の顔に吹き掛けた事は、この際見逃してやろう。
「ふぃ~」
一仕事を終えて、私も力が抜けて座り込む。
緊張が解けた事で気が付いたが、何故か私は汗だくの土塗れだ。
こんな格好で領主様の所へ行くのは流石に無礼と言う奴だろう。これは一度、宿に帰って着替えるしかあるまい。
「まさか、こんな騒ぎまで収めちまうとは……アカリは凄いな」
そんな事を言いながら此方に歩いてくるのはマグマだ。
思いきりフォースホースに踏みつけられてたが、踏まれた脇腹を抑えてる程度で普通に歩けている。
本当に、どれだけ頑丈なのやら……
「私が凄いのは当然だよ。なんたって誰もが認める天才美少女だからね」
「……まぁ、その、なんだ……うん。本当に凄ぇよ」
マグマとそんな会話をしていると、馬車の中から誰かが出てくる。
「バンバ!良かった。落ち着いてくれて……」
そう言ってフォースホースに抱き着いた事から察するに、この馬車の御者さんだろう。
フォースホースのバンバを一頻り撫で回した御者さんは、ハッと我に返ると此方に向き直り深々と御辞儀をする。
「この度は、このバンバを宥めて頂いて本当にありがとうございます」
「当然の事をしたまでです!」
バンバに襲われた人を助けるのも、暴れてるバンバを助けるのも、等しく当然なのだ。
だって、バンバだって突然強烈な臭いを嗅がされた被害者なのだから。
しかし、助けたは良いが一つだけ気になる事がある。
「あの、このあとバンバってどうなっちゃうんですか?」
人間を襲った動物に対しては、場合によっては殺処分などの対応が行われると聞いた事がある。
それが可愛らしいペットなどではなく、魔物――猛獣より危険な存在なら尚更だ。
そんな私の不安げな問いかけに、御者さんは安心させる様に笑顔で答える。
「今回は馬が足りなくて急遽使われただけで、この子は馬車の牽引よりも警備が本業なんです。
流石にもう外には出せませんが、殺処分なんて事にはなりませんよ。
それもこれも、貴女が死傷者を出さないでくれたお陰です」
そう言って再び深く御辞儀をされ、少し照れ臭くなってしまう。
「まぁ、それは私だけじゃなくてマグマの活躍もあってこそだしね」
「おうよ!俺の怪我だって只の掠り――痛っ!」
元気だとアピールする様に力瘤を作ってみせるマグマ。
だが流石に消耗していた様で、バランスを崩して私の方に倒れてきた。
「ちょっ!」
マグマの巨体を私が支えられる訳もなく、私はそのまま下敷きになってしまい、早くどいてくれとマグマの体を叩いて知らせる。
「マグマ重い。重いってば!…………マグマ?」
だが、幾ら叩いても話しかけても反応が無い。
流石に消耗していて気を失ってしまったのかもしれない。
助けてもらったし、そっとしておいてあげたい気持ちもあるが、このままじゃ私も苦しいし、何よりマグマの汗が私の服まで染みてきてて正直嫌なのだ。
『サイコ』でそっとマグマを横に下ろすと、まだ解散していなかった野次馬達が再びざわめきだす。
いったい何かと戸惑っていると、メロディが私を指差して告げる。
「アカリ……それ……」
私の服に染みていたのは、マグマの汗などではなかった。
「……え?」
私の服は、真っ赤な血に染まっていた。
雑補足
・バンバ
馬車を牽引する馬を指す輓馬ではなく、番犬の馬バージョン的な意味。
ただ、番馬だとまた別の意味があるらしいので漢字表記にする事はない。