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結:復讐の先

 あの王氏と國維の糾弾から数か月。


 王氏は央晧が望んだ通り失脚し、國維に至ってはどうなったか定かではない。

 楊武こと李梓は咎められることなく、何事もなかったように楊武として再雇用を受けた。

 もちろん、英慶宮の属官たちも驚きを隠せなかったが、案外すんなりと受け入れていた。

 今まで以上に身分や家柄を気にすることなく家の悩みを話せるようになり、属官と楊武は以前より親密度は増した。

 二年以上呼んでいた名前を今更変えるのは難しいらしく、未だに「李殿」と呼ばれることもある。英慶宮ではその程度の変化しかなかった。


 ところが、英慶宮以外での変化はすさまじかった。孫師父の弟子が生きていたと言うだけでも大事であるのに、更に楊一族の四男となれば武官も文官も楊武に注目をせざるを得なかった。

 楊武主催の金文を読む会が、孫師父の直弟子から学べるとあって参加者が溢れて混乱状態になっていたのも、今となっては遠い昔のように感じる。


 

「り……じゃなかった楊殿~」

「はいはーい」

「起きてます!?」


 起きていますよ、と楊武は自室の扉を開けた。

 今日は流石に寝惚けて返答していたわけではなかったか、と劉巴は胸をなでおろした。


「そろそろ出ますよ」

「ええ、行きましょうか」


 楊武の身だしなみを確認し、劉巴が曲がっていた帯を軽く直す。

 「今日くらいちゃんとしてくださいね」とたしなめられると、劉巴に連れられ楊武は英慶宮の隣に位置する奉先殿へと向かった。



 ようやく楊武への関心も落ち着き始めたこの頃。央晧が十五を迎えた。


 嘉王朝では皇太子は成人を迎える前に、「釈奠(せきてん)」と言う儀式を行う。

 この儀式をもって嘉国皇太子として正当性が認められると言っても過言ではない、重要な儀式である。


 時代によって行う年齢は季節、意味合いすらも異なるが、嘉王朝では十五から成人を迎える二十歳前後の間に行うことが多かった。

 祀るべく先聖・先師と呼ばれる対象も時代と共に変わっているが、現在は「孝」の祖とその弟子の像、そして自身の師父がその場に座することが多い。



 今日は釈奠の当日。師である楊武は、央晧よりも先に奉先殿へと足を踏み入れ、先聖・先師の像と共に東面して儀式が始まるのを待っていた。


 しばらくして荘厳な音と共に央晧が入場する。

 一歩一歩と音に合わせて進み、東の壁沿いに添えられた椅子へ座した。


 釈奠の儀式の目玉である経典の音読が始まった。音読を先聖・先師に奉納することで、先聖・先師への弟子入りを表している。

 経典と一言で言っても膨大な量の書物である。これを暗記することによって、皇太子が人の上に立つに値する人物だと評価されるのだ。

 一字一句間違えることの出来ない場面、楊武は暗記にどれほどの時間を費やしたか理解していたため、緊張で始終顔を強張らせていた。


 無事に音読が終わり、央晧から師父である楊武に供え物を送り、儀式全ての工程が終わった。

 今、この時をもって、皇太子・朱 央晧は儀礼的側面からも嘉国の皇太子として認められた。



「緊張した……」

「お疲れ様です」


 げっそりとした楊武に、奉先殿の外で待っていた羅浪たちが声をかける。


「はやくこの服脱ぎたいです」

「もう少しで脱げるので、英慶宮まで我慢してください」


 姫沛が楊武の背中を押し、目と鼻の先にある英慶宮の門をくぐる。

 自室に戻ると、楊武は着ていた儀礼用の服を一目さんに脱ぎ散らかした。

 着慣れた袍に着替えて広間に向かい、楊武は属官たちと皇太子府の繁栄を祝ってささやかな宴を催した。




 その日の夜。央晧は楊武の自室を訪ねた。

 釈奠の儀式後も央晧は別の儀式に参加しており、楊武とちゃんと顔を合わせたのは、今日はこれが初めてであった。


「お疲れ様でした、太子」

「ああ、武も長丁場で疲れただろう」


 変声期を迎える前から愛用している龍彫りの指定席にもたれかかり、央晧は目だけを楊武へと向けた。


「経典の音読には拳を握ってしまいました」

「お前、ずっと変な顔してたぞ」

「え!」

「何回か笑いそうになった」

「す、すみません……」


 相変わらず冗談の通じない楊武を見て小さく笑う。出会った頃から変わらない関係性と居心地の良さに央晧は安堵していた。


「で、明日は武が主役となる日だが」


 起き上がった央晧が前のめりに座る。つり目がちな形の良い双眸が楊武を捉えた。


「今の感想は?」

「まだ実感はないですね」


 そう応えると「今日は太子の釈奠のことしか考えられませんでした」と胸のあたりを押さえる。思い出すだけで緊張がぶりかえすのか、楊武は眉をきゅっと顰めた。


「まあ、そうだろうな」

「正直、今までの延長線と言えば延長線上の話ですし」


 首を傾げる楊武に、央晧は口の端をあげて言う。


「だが、それを受けてようやく復讐は完成するんだろう?」

「……そうですね」


 心なしかいつもより嬉しそうに見える楊武を見て、央晧も口角があがった。


「余とお前の悲願が明日、達成されるわけだが」


 央晧は膝を組みなおし、肘をつくと楊武を真っすぐ見据えた。

 久しぶりに真摯な目を向けられ、楊武は一瞬たじろぐ。呼吸を整えて静かに央晧を見つめ返した。


「次は余に対して、()()をしてみんか?」


 挑発的な笑みを浮かべた央晧が、楊武を指さす。


「それはどういう……」

「お前の数年間を奪ったうえに、宮中に縛り付けた男への復讐だ」

「……達成の条件は?」


 央晧が何を考えているのか読めない。楊武は訝しげな様子で尋ねる。


「余が成人するまで、でどうだ?」


 差し出された条件があまりに拍子抜けで、楊武は目をぱちくりと瞬いた。

 してやったりと自慢げな表情をしているが、復讐と題する割に控え目な央晧の提案に、楊武の頬が自然と緩む。


「相変わらず、お優しいですね」

「ん? どういうことだ?」


 まさかそんな言葉が返ってくるとは思わず、央晧は肘置きから腕を上げ、身を乗り出した。


「ご成人まであと五年。既に拙は三年ほどお仕えしておりますよ。復讐と呼ぶにはあまりにぬるい年月ではありませんか?」


 楊武がにっこりと有無を言わさぬ笑みを浮かべた。


「せめて太子が即位されるまで、とおっしゃっていただかないと」


 温和な佇まいはなりを潜め、央晧に対して挑発するような笑みを見せていた。


「は?」


 今度は央晧が虚を突かれる番であった。

 目を丸くしたまま硬直する央晧をよそに、楊武は話を続けた。


「だってそうでしょう? 拙は太子の治世を後世に残すつもりなのですよ?」

「あ、ああ……」


 珍しく食い気味に声を上げる楊武に、央晧は腰を引いた。まるでいつもと立場が逆転している。


「即位でも短いぐらいですが……。とりあえずは即位までを期間といたしましょうか」


 瞼を伏せ、ひと呼吸置くと楊武は央晧を見て微笑んだ。


「その復讐、お引き受けいたします」


 央晧の座る椅子の前に跪き、楊武は拱手する。しばらく間をおいて楊武が顔をあげると、得意げな笑みを浮かべた央晧と目が合った。


「長い復讐になるぞ?」

「ええ、覚悟の上です。次の復讐が終わるまで、拙は貴方のお傍におりますゆえ、太子もお覚悟を」


 冷静に告げているが、口元は緩みそうになるのを必死にこらえていた。そんな楊武の様子に、片目を閉じた央晧が歯を見せて笑った。


「無論だ。これからも頼むぞ、師父(せんせい)


 聞きなれない敬称に、楊武は反応ができなかった。

 ――せんせい。

 小さく復唱すると胸の内からこみあげてくる。目からあふれ出そうな感情をぐっとこらえ、楊武が笑顔で「はい」と応えた。


 今度の復讐はいつ終わるのだろうか。

 即位までと称しているが、央晧の婚姻だろうか、それとも次の皇太子が立つまでか。おそらく朱 央晧の治世が続くかぎり終わりはしないのだろう。


 明日、楊武は国史編纂を任命される。かつて皇太子・朱 央晧は、彼を「孫師父の頭脳」と称して”李梓”という偽名を授けた。

 その偽名が示す通り、楊武は嘉国の梓――記憶の要として、この国の歴史を紡いでいくこととなる。


 かくして、『嘉国史』として刻まれる長い復讐が始まろうとしていた。


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