拾:武英殿での察知
宮城内でも一際武官の集う一角・武英殿。
今日もいつものように董鶚が楊毅の分も書類を処理していた。
「あ? これ禁軍宛か?」
禁軍とは、皇帝や皇太子ら皇族の身辺警備や、宮城の警護などを執り行う部署の総称である。政治を取り仕切っている組織形態からは独立しており、国の軍事を司る兵部とは役割が異なっていた。
「それっぽいな」
珍しく兵法書から顔を上げた楊毅も董鶚の持つ書面を覗き込んだ。
「他の書類と混ざったんかね?」
「だろうな。……にしても」
「ああ、ちょっと奇妙だな」
書類の内容は、ある日に配置される後宮の衛士ついての嘆願書であった。
「後宮内……しかも幸皇后や周貴人の居る東六宮から東側の衛士全員を変更希望ってのは、なあ?」
「それも部署からの申請じゃなくて一個人の希望で? 下心しかないだろ」
董鶚の言葉に楊毅も同意する。更に文字を読み進めると、嘆願者の名前に顔を顰めた。
「しかもこの書面の責任者、礼部の役職なしだぞ?」
礼部の官人――國維の名前で提出された衛士交代の嘆願に二人は顔を見合わせた。
「こんなの出したところで通んのか?」
「……通るから出してるんじゃねえの? 國維ってあの人だろ、王礼部長官のところの」
董鶚は肩をすくめ「お抱えの衛士でもいるんだろ」とおどけて言う。
一方、楊毅は何度も出てくるその名前に眉を寄せていた。つまりこの嘆願書は、王氏が裏の責任者である可能性が高いと言うことか。
後宮、王氏、衛士の交代。
楊毅の中で一つの仮説が導き出された。
「……もしかして李梓殿がらみか?」
「確かに。李梓は頻繁に後宮に行ってるもんな。って、そこまでやっちゃう?」
董鶚は他人事のように軽口を叩いた。尤も、李梓が楊武と知らない董鶚にとって、手助けする義理もなければ、下手に首を突っ込むと自身にも火の粉が降り注ぐ可能性すらある厄介な人物だ。彼にとっては関与したくない案件であろう。
「あー、東って言えば公主の住まいもそっちか」
「……とりあえず、代わりに出しに行ってくる」
険しい表情のまま、楊毅は董鶚から書類を取り上げた。
頭では理解しているが、やはり気持ちの整理がつかない。董鶚に下手な八つ当たりをする前にさっさと処理をしてしまおうと楊毅は考えた。
何故彼が眉を顰めているのかわからず、何も知らぬ董鶚は面を食らった。呆けた表情のまま、「ああ、頼む」と有無言わさぬ楊毅の背中を見送った。




