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参:第一公主と李君

「ごめんねぇ、李君」


 嘉国第一公主・朱 遼煌は困った笑みを見せていた。


 此処は宮城の北西角にある庭園。数代前の皇帝が南へ遠征をした際に見た庭を気に入り、後宮内に再現したと言う。

 宮城内でも絶景と名高い庭園の一つであった。


 二人は大きな池にぽつりと浮かぶ六角亭で向かい合っていた。

 人払いはされているようで、遼煌の宮女も池の周囲で二人を遠巻きに見守っている。


「急に呼び出してごめんなさいね」

「いえ……」


 唯一、六角亭に入ることを許されていた遼煌の側近・鄭 博麗が楊武に茶器を差し出した。

 楊武が小さく会釈すると、博麗も背筋を伸ばして一礼する。無駄のない所作で茶会の準備をこなすと、博麗は主君から距離を取った。


 本来、楊武が遼煌と対面して座ることなど死ぬまでありえないはずが、何故か今、客賓としてもてなされている。


「此処なら聞き耳立てても聞こえないと思うし、どうぞくつろいで?」

「は、はあ……」


 そう言われたところでくつろげるはずもなく、楊武は膝から両手を動かすことが出来なかった。

 なぜ楊武が遼煌と庭園に居るかと言えば、例の馬付馬(ふば)候補の一人として選ばれたからである。


「本当なら部屋に呼ぶべきなんだろうけど、他の男は庭園とか別宮とかに呼んでおいて李君だけ部屋ってのは、ねえ?」

「そ、そうですね……。いきなり公主様の自室はちょっと……」


 視線をさ迷わせる楊武を見て、遼煌は想像通りの反応だと口角を上げる。


「下手にひいきしてるように思われたら本当にお父様の思惑通りになりそうだもの」


 豪勢な彫刻がされた背もたれにもたれると、遼煌はつまらなさそうに肘をついた。


「それはそうと、李君。すっかり有名人になったわね」

「……ええ、まあ」


 遠い目をする楊武に、遼煌は同情した。疲れた顔をする楊武に「どうぞ飲んで」と促し、自身も茶器に手を伸ばした。


「お父様、相当李君を気に入っているみたいだけど、直接話したことってあるの?」

「一度だけ。あ、いえ、二度ですね。書庫の中でも一応お話しましたし」

「ああ、あの武器庫に閉じ込められて遅刻した上にぼろぼろだったっていう」

「……はい」


 後宮でも楊武の噂はよく流れていた。

 市井から引き抜かれた若造と聞き、いつまで宮城に居るか宦官たちの賭け事の対象にもされていた程である。

 書庫に遅れてきたと噂された時は最高潮に”逃げる“に賭けられていたらしいが、今となっては”残る“に賭けたごく少数が大勝利を収めた為、楊武が賭けの対象にされることは無くなった。


「あと一回は?」

「太子と王長官の四人でお話をする機会がありまして……」

「何それ、詳しく!」


 遼煌は小さい円卓一つ分しかない距離を更に詰め寄った。楊武も近づかれた分、距離を取ろうとするが背もたれにぶつかる。


「あの、公主様……。ち、近いです」

「あら、ごめんなさいね」


 これも血筋なのだろうか。出会った頃の央晧もやたら距離感がおかしかったのを思い出す。

 当の遼煌は「ほほほ」と口に手をあてて笑っているが、全く謝罪の色がない。


「殉死について、拙が太子に講義でお話したのですが、それを太子が陛下に伝えたらしく……。反対意見の王氏を含めた場で、主張を述べよと言われました」

「それで?」

「一応、ご納得はいただけたと思います。意見を述べた前と後では場の雰囲気が違ったので」


 遼煌はほっと息を吐いた。


「まあ、そうよね。その場でお父様が納得したから今回()()()()()になってるのよね」


 眉を顰めている様子から、馬付馬(ふば)選びについて不服なのだろうと楊武は察した。


「ちなみに何故、今、馬付馬(ふば)を選ばれることになったんでしょうか?」


 楊武は茶器を卓に置き、おそるおそる尋ねた。遼煌は口元から茶器を離して、二、三度視線をさ迷わせ、肩をすくめた。


「さあ? でも匡曄が生まれたからでしょうね。これ以上行き遅れるなってことでしょ? けど、結婚なんて興味ないのよねえ」


 大きなため息をついた遼煌を見て、楊武は苦笑した。


 遼煌は残りを一気に飲み干すと、音を立てて茶器を机に置いた。いや、叩きつけた。叩きつけられた茶器が悲鳴を上げる。

 楊武と博麗が彼女の手元を凝視するも、ひびや割れた様子はなかった。一体、あの茶器一つで何人の官人の年俸が払えるのだろうかと、二人の背中に冷や汗が伝った。


「それにつり合いそうな候補が居ないのよ!」


 目を吊り上げた遼煌は勢いよく楊武の方を向き、彼を頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見つめる。


「あまりに軟弱! そんなんじゃ私の手綱は握れないってば!」


 楊武は、自分がじゃじゃ馬であることを自白している遼煌に、あえて突っ込みは入れまいと瞬時に誓った。


「ち、ちなみに他の候補の方は……?」


 遼煌は釣り目がちな大きな目を細める。公主らしからぬ遼煌の表情に、楊武はたじろいだ。

 おそらく遠巻きの宮女には見えていないと思うが、「李梓はおしとやかな第一公主の機嫌を損なわせた」などこれ以上余計な噂が立つのは勘弁願いたい。


「えっとねぇ……」


 口を尖らせた遼煌が他の馬付馬(ふば)候補の名前を羅列していく。どの名前も楊武が知らないはずがない有名人ばかりであった。

 ある人は実権を持つとある高官の息子、またある人は政治に直接関わりがない役職の副官。その同列に皇太子府の一官人が選ばれている場違いさに、楊武は額に手を添えて首を左右に振った。


「李君は一回会っているし、央晧や博麗からも聞いてたしいいんだけど、他の奴らは初対面なのよ。二人きりで話すことなんてないっつーの」

「や、奴ら……」


 高官の息子や副官たちを”奴“呼ばわりする女性は、この宮城内でも彼女ぐらいではなかろうか。

 以前英慶宮に突然やってきた時も思ったが、朱 遼煌と言う女性は、男顔負けの性格と行動力、そして知性を兼ね揃えている。

 男性社会でも打ち勝てそうな遼煌のたくましさに「これは馬付馬(ふば)になる人は苦労するだろうなあ」と自分のことを棚に上げ、楊武は未来の婿に同情していた。


「公主様は、強い男性がお好きなのですか?」

「強いっていうか……そうねえ、回れ右する犬は嫌」


 辛辣すぎる返答に楊武も、傍に控えている博麗も苦笑するしかなかった。


「……身内に心当たりが多いなあ」

「ん? なんか言った?」

「いいえ、なんでも」


 ぽつりと呟いた楊武の声は、未だ軟弱な馬付馬(ふば)候補たちの愚痴が止まらない遼煌には届いていなかった。


「そういえば李君に何か言おうとと思っていたんだけど……」


 遼煌は首を傾げると、はっと顔をあげた。そして食い込みそうなほど力強く、楊武の肩掴んだ。


「そんな話はどうでもいいのよ! 李君! 『穆天子伝』について話を聞かせて!」


 この時、遠巻きから見ていた宮女には、遼煌が楊武に口づけをしたように見えていたなど、本人たちは知る由もなかった。


馬付馬…本来は馬へんに付の一文字で「ふ」と読みますが、環境依存文字のため、この通りに記載しております。

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