拾肆:嵐の前の静けさ
……嗚呼、忌まわしい。
反論さえ与える隙も無いあの論じ方。確かにあの孫太子太傅を彷彿とさせる。
普段のよそよそしい姿は演技かと思うほど、あの若造は時より肝が据わったところがある。そこがまた鼻につく。
今回は流石に完封されたとは思う。意見はまっとうではあるが、やはり気に食わない。忠義だけではどうにかならないなど、最後に自身の意見を押し通そうとするあたり、とても陰湿さがにじみ出ていた。
そのうえ、礼部長官である私を目の前にして、優先的に文物を見る権利を奪うなど、言語道断であろう。礼部は教育、ひいては史学にも通じているはずである。
このままではあの若造の思うままに、ことが進んでしまうのではないか。
殿下に選ばれ、書局開局の書物を執筆し始めたあたりから、あの男の描いたままに何もかもが進んでいる気がする。
今となっては陛下すらあの若造に興味を抱いている。あの愚臣が実権を握る日もそう遠くないであろう。そうに違いない。
彼には悪いが、やはり頭角を現しきる前に潰しておくのが得策であろう。
正論ばかりではどうにもならないこともあるのだよ、青二才。
「……そこの子よ」
「はい、ご用でしょうか、あるじさま」
大量のごみ屑を持った童に王氏は声をかける。
短い手足を精いっぱい使って王氏の元へと近づいた幼い従者は、両手に持ったごみ屑を一度地面に降ろして拱手した。
「すまないが、この紙も一緒に捨ててもらえないだろうか?」
二つ折りにされた紙を差し出された従者は、何が書かれているか興味を持つこともなく紙を受け取ると、持っていた塵袋へ入れた。
「かしこまりました。僕が責任を持って焼却場まで持っていきます」
「頼んだよ」
王氏の屋敷に雇われた幼子は、両手でごみ屑を抱え直すと、焼却場へと消えていく。
その背中を見つめる王氏の表情は、決してすがすがしいものではなかった。
その日、後宮は忙しなく人が出入りしていた。
徳帝に、遼煌と央晧に続く第三子の誕生が発覚したのだ。
相手が宮女とあって、ある者は宮女の部屋の確保や職官の改定などで走り回り、またある者は職官の低い宮女が身ごもったとのことで悪態を付く主の八つ当たりに苦労していた。
様々な意味で、後宮は阿鼻叫喚であった。
そんな中、当人である徳帝は、私室にあたる乾清宮にて考え事をしていた。
第三子の話は既に聞いており、喜んでいたのもつかの間、悩みの種は別にあった。
宦官が朝の支度をしている途中、徳帝は肘をついて唸り声をあげた。
「そろそろ本気で遼煌の馬付馬を選ばねばならんのう」
整えられた髭を一撫でし、もう片方の手では肘置きについた金細工の装飾を撫でる。
「しかし、馬付馬となると政治的に実権を持たぬよう配慮せねばならん。何せ、馬付馬となってからその地位を利用するような男ではいかぬからな」
そうですね、と髪を梳いている宦官が相槌を打った。
上昇志向の強い男では、大事な娘を無下に扱われてはたまったものではない。……まあ、そんな軟な娘ではないが。
徳帝は気の強い一人娘の武勇伝の数々に乾いた笑みを漏らした。
「出世に欲が無い男か……。ううむ」
結論が見いだせない中、背後では手際よく髪がまとめられていく。
徳帝は顎に手を当ててじっくりと馬付馬候補を選別していた。
すると扉を叩く音と共に、側近の一人が徳帝に報告をあげた。
「李太子中庶子殿より、明日宝物殿に向かわれると連絡がありました」
側近の言葉に、徳帝が「閃いた」と手を鳴らした。
わけのわからない側近が首をかしげていると、徳帝は豪快に笑い始める。
「ああ、なるほどなぁ。居ったわ! 特段出世願望のない男が!」
目を細めて笑う姿は、央晧が企んでいる時とよく似ていた。
身支度を終えると、徳帝は人事を司る吏部長官を呼びつけた。
早速、馬付馬候補を選出するらしく、部屋は限られた官人のみ入出を許された。後宮が大騒ぎの中、さらなる大炎が燃え上がろうとしていた。
気付かぬ間に、楊武はその渦中へと巻き込まれていくのであった。
馬付馬…本来は馬へんに付の一文字で「ふ」と読みますが、環境依存文字のため、この通りに記載しております。




