拾参:拝顔―徳帝と李梓
数日後、楊武は中和殿に居た。
徳帝から直々に呼び出しを受け、央晧と楊武、そして王氏が北面していた。
何も聞かされないまま中和殿へと連れていかれ、央晧と二人だけ室内に入らされた。
重い扉を開けると、今上皇帝と王氏が控えている。目の前の光景だけで、楊武は心臓が止まるかと思った。
「お待たせして申し訳ございません」
楊武の開けた扉をくぐり、央晧が穏やかに笑う。広間を歩く央晧に、王氏は頭を下げた。
涼し気な央晧とは反対に、楊武は回らない頭で「自分は一体何をしでかしただろうか……」と自分の行動を思い返していた。
現状、徳帝と王氏は真正面で対面している。
この時代の左右における上位は左であった。つまり、徳帝から見て左に王氏が居る状況を作るのが格下の役目となる。
肩を狭めて下を向いた楊武が、王氏の左側に座ろうとしていると、何故か央晧も自身の隣で膝をつこうとしていた。
「た、太子!? 何故太子もこちらにお座りに……!」
徳帝の隣、もしくは近くに座る筈の央晧が王氏より低い地位に座ろうとしたため、楊武が慌てて止めに入る。
すると央晧はにっこりと笑みを浮かべた。
「いいえ。今日の本宮は李師父を推薦した一人の臣下です。なので、この場所に座るのは当然ですよ」
戸惑う楊武を気にもせず、央晧は先に腰を据えた。一人、いつまでも立っているわけにもいかず、楊武も渋々央晧の左隣に座る。
「李太子中庶子」
金細工が施された宝座に肘をついた徳帝が楊武を呼んだ。
視線は冷たく、読書会で遅刻を追求されていた時のようであった。
「はい」
「……央晧から聞いた。お主は殉死を求めていないそうだな」
首を傾げて央晧を見ると、貼り付けた笑みを浮かべて楊武を見ていた。
先日、講義の際に何か考えているとは思っていたが、これだったのか。
楊武は頭を抱えたくなるのを必死に堪え、徳帝へ答えた。
「はい。僭越ながら」
「其処に居る王氏はお主とは正反対の意見でな。故に今回、同席してもらっている」
徳帝が王氏に視線を移すにつられて、楊武も王氏の方へ顔を向けた。
目線の先で、ばっちりと目が合う。
睨まれているようにも、品定めをされているように見える視線は、決して歓迎はされていないようだった。
よもや今更ではあるが、楊武と王氏、この二人が顔を突き合わせた瞬間であった。
「何故、太子中庶子は殉死を望まない?」
徳帝が促す。
おそらく、此処で自分の意見を述べなければ、築き上げた紙上の地位は崩れ落ちるだろう。楊武は目を閉じて深く息を吸い込むと、腹をくくった。
「まず、歴史上から見ますと、逸の時代には既に臣下自身ではなく、代わりの人形を埋葬する習慣がありました。それも逸が天下を統一する以前――戦国時代には既に存在が確認されています。
あの時代はどの国も盛んに殉死を行っていましたが、いち早く俑を取り入れた国が、奇しくも前人未到の偉業を果たしました」
つばを飲み込み、話を続ける。
「また、孝の教えから見ても、あまり歓迎はされていないようでした」
徳帝が眉をぴくりと動かした。
楊武はそれに気付き、開いた口を閉じかけたが、徳帝の目が続けろと訴えている。
「『礼記』には”明器を為る者、喪の道を知れり“と言う言葉があります。
本来の意味合いでは俑も人を埋めるようで良くないと言うことになるのですが、俑では殉死に近いから相応しくないと申されています。つまり、俑以上に殉死は孝の思想においては歓迎されていないものだったと言えます」
楊武は徳帝を見据える。今の彼は、孫師父の弟子として、そして朱 央晧の教育係として恥じぬよう、意地と覚悟を持って徳帝へと訴えかけていた。
「次に、臣下の質と言う点から述べますと、殉死によって、臣下の能力は世代が下れば下がるほど、能力の低い官人が中央政府を統べることとなります。これではいずれ嘉は滅びます」
「……何故そう言える?」
「簡単なことです。優秀な人材ほど、先に死ぬからです」
あっけからんと答える楊武に、徳帝も王氏も返す言葉が浮かばなかった。
「不謹慎な例えをお許しください。例えばですが、今陛下が突然お亡くなりになられたとします。
そうすると、王長官を含めた中央政府を取り仕切る優秀な側近の方々も共に王墓へと眠られることになります」
楊武は姿勢を正して言葉を続ける。
「次の礼部長官は、王長官よりも能力も地位も低い官人が就くことになります。
大体は副長官が長官に昇格されるでしょうが、陛下への忠義によっては副長官の侍郎殿も共に亡くなられた場合、その次と言えば、かろうじて五品以上の官人が次の長官に選ばれることになります」
徳帝は楊武を見据えたまま動かない。
「礼部だけでなく、他の省・部でも同じような代替わりが一斉に起きます。
本来、六十まで生きるはずであった才人が、陛下の在位にあわせて三十年しかその才能を発揮できなかった。忠義としてはあっぱれですが、国政としては数年後に”あの方々がまだ生きていらっしゃれば“と思う日が来るやもしれません」
王氏は徳帝に顔を向けつつ、時折楊武を横目で伺う。
「何より、陛下や太子の時代はよくても、果たしてその次の世代、次の次の世代となるとどうでしょうか。人徳がある皇帝の代であればあるほど、次世代に残る官人は少ないです。代を重ねていけば、どうなるかは安易に想像が出来るかと思います」
央晧の言葉に楊武が頷く。
「父上ほどの人望ですと、確かに予想がつきませんね」
徳帝は既に中興の祖と名高い功績をあげている。
殉死を許すことになれば、央晧の代に一体どれほどの官人が残ることになるか、定かではない。
「拙は可能であれば太子の代にも秀でた方に政治をお任せしたいと思っています。
ご自分の後釜をご用意されているのならば、太子と後継者の方々が作る嘉国を見守っていただきたいです」
そう言い切った楊武が、徳帝の目を逸らすことはなかった。
「いいのか? 先代の遺物は目の上のたんこぶかもしれんぞ?」
「みなさまはご自分の引き際は見極められる方ばかりかと」
「それに、朕と共に側近どもが死ねば、お主も今上皇帝の側近として、中央の役職が与えられると思うが? 出世願望は無いのか?」
場にそぐわない柔らかな笑みを浮かべた楊武に対し、徳帝が感情的な声をあげる。
「ありません」
きっぱりと断る楊武に、全員が目を丸くした。
「適材適所。拙に国を動かす力などありません。
拙には政治よりも文学の方が性に合っていると自負しています。
それならば優秀な目の上のたんこぶに采配をふるっていただく方がよっぽど国は安定した政治ができると思います」
想像もしていなかった返答に、徳帝と王氏は絶句していた。楊武は二人を気にすることなく話を続ける。
「拙は太子の側近と言う名前の教育係です。ですので、中央政府にそれ以上の干渉は行いません。
次の皇太子が立つまで、毎日書物や銘文を読んで好きなように暮らせるならばそうありたいぐらいです。
そして、いつか拙の生きた嘉王朝……陛下や太子の功績を後世に伝えていけたら、なんの悔いもありません」
この時の楊武に、国史編纂を奪還すると言う気持ちは無かった。純粋に、徳帝や央晧の治世を後世に残したいと言う思いを具現化したに過ぎない。
「故に、拙は殉死を望んでおりません。
尤も、陛下のご意思が全てですので、殉死を求められるのも一つかと思います。しかし、もしも薄葬をお考えであるならば、殉死を禁止されるのは悪いことではないかと存じます。
正直、忠義だけでどうにかなるほど、政は一筋縄ではいかないものだと皆さまの方がよくご存じかと思いますので」
楊武にはとどめのつもりは無かったが、最後の最後まで王氏に反論を与える隙を作らなかった。
王氏は論じることすら封殺され、悔しさのあまり拳に力が入る。
徳帝は何か考えているようで、視線は遠くを見つめていた。
「李太子中庶子。お主の考えは孫師父と似ているな。あの方も以前、そのようなことを言っていた」
徳帝は自身の師でもある、在りし日の孫師父を思い出していた。
「孫師父……ですか?」
「ああ。お主の前任だ。政治に関わる気がないところもよく似ておる。面白いこともあるのう」
徳帝が纏っていた空気が、一気に柔らかくなった。目尻を垂らして自前の髭を撫でる姿に、先ほどまで感じていた皇帝の威厳はない。
「王氏よ、何か反論はあるか?」
「……いいえ。李殿は先の繁栄まで配慮されたうえで殉死を反対されているなら、老臣が拒絶することなど出来ますまい」
固く閉じていた拳が解かれ、王氏の口元は緩く微笑んでいた。
王氏の様子に、央晧は「勝った」と心の中で拳を握った。
今まで面と向かって話すことが無かった二人が、対面して正反対の意見をぶつけあった。結果、無自覚ではあるが、楊武は王氏を完膚なきまで言いくるめた。
楊武自身は政治に興味がない前提で、彼は側近たちを尊重して殉死を廃してほしいと嘆願した。
王氏の楊武に対する警戒心は薄れたはずである。央晧はそう推測していた。
その後徳帝は、楊武もとい李梓に対する疑念がすっかりなくなり、改めて試し刷りで出版された書物の感想や、『穆天子伝』について、ほぼ一方的に会話を繰り広げた。
饒舌な徳帝に対し、楊武は「はい」や「ええ」と言った相槌しか返せなかった。
「いやぁ。今日は有意義であった。李太子中庶子よ、褒美にまもなく宮城の宝物庫に収められる青銅器群、お主に最初に見せる権利を朕から授けよう」
「せ、青銅器ですか!?」
「うむ、またしても前寛の都があったと言われている地域から複数の青銅器が見つかったと聞いた。……もちろん、解読してくれるのであろう?」
片目を閉じて口角をあげる様はやはり親子で、央晧を彷彿とさせた。
本来であれば央晧同様、その顔は何か悪巧みをしているのではと勘繰るところであるが、今の楊武はそれどころではなかった。
「はい! 恐れ多くも大変楽しみにしております!」
楊武がその日一番の笑みを見せる。
またしても前寛に関する文物の発見に、楊武はもう青銅器のことで頭がいっぱいだった。
徳帝はそんな楊武を「本当に知識にしか興味ないのだな!」と笑い、央晧は「御前ではしたないですよ」と諫める。
今の殿中は、まさに李梓が徳帝に認められたと言っても過言ではない雰囲気であった。
しばらくすると宦官が徳帝を呼びに中和殿を訪れた。宦官が次の会合に出席するよう促すと、徳帝は後ろ髪をひかれつつも退出した。
徳帝の退出にあわせ、楊武たちも自然に解散となった。
非公式ではあるが徳帝と王氏との初対面は、楊武にはつつがなく幕を閉じたと言えるだろう。




