拾壱:楊兄弟の恩義
英慶宮の門前にて、楊毅は属官たちと出くわした。
「すまない。殿下に呼ばれて来たんだが……」
人の良い笑みを浮かべた楊毅が姫沛を引き留める。その様子を、属官たちは珍獣を見るような目で見つめた。
「え、あ、お待ちください」
呆けた表情のまま、いつもの覇気がない劉巴が皇太子・朱 央晧へ取り次ぎに行く。
劉巴が戻るまでの間、五人の属官たちと楊毅の間には何とも言えない空気が流れていた。
尤も、気まずいと思っているのは英慶宮の従者たちのみで、楊毅は相変わらず気の良さそうな笑顔を絶やさなかった。
「楊職方司殿、お待たせいたしました。ご案内いたします」
劉巴と共に門前に出てきたのは央晧の側近である鄭 博文だった。
楊毅ほどでは無いが、身丈の高い博文と楊毅が並ぶ姿はまるで武官が二人並んでいるようだ。
傍で控えていた劉巴は、強靭な壁が並び立つ様子に顔を引きつらせていた。
博文と楊毅が姿を消したのち、英慶宮の属官たちは何故楊毅が央晧に呼ばれたのか、仲睦まじく推測を交わしていたと言う。
楊毅が通された部屋は、なんと央晧の私室であった。
前を歩く博文に「本当に此処であっているのか?」と聞くが、博文はただ寡黙に頷くのみ。
困惑した楊毅は頬をかき、首をかしげていた。その間にも博文は回廊を進み、たどり着いた部屋の扉を数回叩いた。
「太子、楊職方司殿をお連れいたしました」
開いた扉の向こうには、朱塗りの椅子に肘をつく央晧と、対面して床に座る楊武の姿があった。
「博文、ありがとうございます。楊職方司殿、どうぞこちらへ」
央晧は自身の隣に座るよう促したが、楊毅は丁重に断りを入れる。
楊毅の思わぬ行動に央晧は目を丸くするも「噂より謙虚なんですね」と涼しげに笑った。
「では、本宮も……」
「いやいやいや! お待ちください、殿下! 殿下まで地に座る必要はございません!」
「ですが今日はお礼を述べるために楊職方司殿をお呼びしました。なので、恩人を床に座らせるわけにはいかないのです」
臣下に配慮する良き皇太子。
まさにそう形容するしかない央晧の姿に、楊武は笑いをこらえるのに必死だった。猫かぶりの央晧と毎朝謁見に向かうようになり、それなりに耐性が出来たつもりでいたが、どうやら自分で思うほどではなかったようだ。
兄弟の中でも楊毅は特級の人たらしである。
楊武はその事実を知っているからこそ、猛烈な勢いで気を遣う楊毅に、央晧が気圧されている姿は、物珍しいだけでなく滑稽に思えた。
まさかこの状況で笑いを堪えているとは想像もしていない兄・楊毅は、俯いて肩を震わせる弟を横目で案じていた。
「……李師父? どうされました?」
額に薄く青筋を立てた央晧が微笑む。楊武は慌てて両手を振って何もないと否定した。
「では……」
「殿下」
「なんでしょう?」
眉を顰めて俯いた楊毅が声を絞り出す。膝におかれた拳は力んでかすかに震えていた。
「……やはり、床はよくないです! 次期皇帝となられるご身体を冷やすわけにはいきません!」
勢いよく立ち上がった楊毅を、央晧と楊武は呆然と見上げる。「失礼いたします!」と力強く声を上げ、楊毅が央晧の脇に手を添えて無理矢理椅子へ座らせた。
突然の行動についていけず、央晧の身体が強張った。
「いっ……てぇー!」
流暢に言葉を操っていた皇太子から一転、甲高い少年の叫び声が室内に響いた。
涙目で膝をさする央晧と、狼狽える楊毅。そして腰を抜かした楊武。
何事かと央晧の私室を開けると、博文の目の前にはかつてない混沌がそこには広がっていたと言う。
「……仕切り直しだ」
楊毅は混乱していた。
目の前の皇太子・朱 央晧は、朱塗りに金で模様が描かれた椅子に足を組んで座って不貞腐れている。
その姿は式典等で見かけていた優雅な立ち振る舞いの皇太子ではなかった。
咳払いをする央晧に、楊武がぽつりと「太子、成長痛だったんですね」と呟く。
「余は伸び盛りだからな。今にお前より背が高くなるだろうよ」
ふふん、と鼻をならして楽しそうに笑う央晧を見て、やはり普通の少年だと楊毅は思った。
「と、言うことは、もしかして最近、喉の調子が悪そうだったのも……」
「ええ、変声期が近いようです」
「だから気にしなくていいとおっしゃったんですね」
「……太子から黙っていてほしいと言われておりましたので」
博文と楊武の会話に「博文! 余計な事を言わんでいい」と照れた声が飛ぶ。楊毅は軽快に交わされる会話を、ただじっと見つめていた。
「ん、んっ」
わざとらしい咳払いをして、央晧は楊毅の方を見た。楊武と博文も同様に楊毅へ顔を向ける。
「まずはお主に礼を言わせてくれ。楊武、いや李梓を助けてくれてありがとう。感謝している」
「いえ……」
弟だから助けたわけではない。偶然、弟だっただけだ。
故に楊毅はなんと言い返していいかわからなかった。
「気付いていると思うが、余は普段、本性を出さないようにしている。それについては実姉と博文、そして博文の姉、楊武とお主しか知らない。すまないが内密で頼む」
年相応のあどけない笑みは消え、冷静に必要事項だけを淡々と話す。
これだけでも十分、央晧が聡い少年であることが伺えた。
「それにしても、武を助けたのがまさか兄とは。数奇な運命もあるものよ」
足を組みなおした央晧は、楊毅と楊武の顔を見比べた。
「年明けに遭遇していたと聞いていたが……。その時は人違いだとあっさり引いたのであろう?」
「ええ。あの時は確かに似ているだけだと思っておりました」
「では確証はやはりあの武器庫で?」
「はい。楊武は我ら六人兄弟の中で、唯一目元にほくろがありました。最初に出会った時はなかったほくろが、あの時はありましたので、ほぼ確信を持ったと言いますか……」
楊毅の言葉に央晧がぴくりと反応した。そして上機嫌に楊武へと絡み始める。
「聞いたか、武。やはり泣きぼくろは消して正解だったではないか!」
「まあ、結局ばれちゃいましたけどね」
「それはお前の不手際だろう!? 一回は肉親さえ騙せたのだ!」
「……たしかに。もし隠していなかったらあの公衆の面前で名前を呼ばれてしまうところでした」
「ほれ見ろ。もっと余を褒めてもよいぞ!」
楊武に向かって胸を張る央晧に、傍観していた楊毅がとうとう我慢出来ず笑い始めた。
「ははは! 殿下、今の方がとっても活き活きしていていいですよ! 俺、殿下のことめちゃくちゃ好きになりました!」
今度は央晧と楊武が呆気にとられる番であった。豪快に笑う楊毅に、央晧が数拍遅れて投げられた言葉の意味を理解した。
「なっ!? 不敬だぞ! ったく、この兄弟と来たら……」
照れた顔を見せまいと央晧は腕で隠す。前髪と腕の隙間から見える赤い顔は、やはり年相応の少年だった。
「楊武殿が天然の人たらしなのは血筋だったようですね」
「こんなのがあと四人いると思うと……」
頭を痛める央晧に、楊武と楊毅は目を丸くして互いを見合っていた。
博文が再度仕切り直し、ようやく本題に話を進める。
どうも楊一族に調子を崩されがちである。ため息を吐き出すと、央晧は目の前に控える二人を見た。
「早速で申し訳ないが、楊毅よ。弟を守るついででよい。余と手を組んではもらえないだろうか?」
皇太子直々の誘いに、楊毅は目を見開くも、すぐに目つきが変わった。
「もちろんです。その、申し上げにくいのですが……先日の一件はやはり王礼部長官が関わっておられるのでしょうか?」
「……話が早いな」
「と、言うことはもしや孫太子太傅の一件も?」
「その真相を余たちは追い求めておる」
楊毅は事のいきさつを察した。
孫師父と言う共通の師をきっかけに、二人が出会ったこと、そして孫師父亡き今、次に狙われているのが楊武であることも。
「実は……」
声量を抑えた楊毅が、先ほど遭遇した王氏との会話を報告する。央晧、楊武、そして博文は楊毅の口から伝えられた事実に眉をひそめた。
「今のところ、俺は中立として認知はされていると思います」
弟を巻き込んだ相手とは言え、騙すことを得意としない楊毅の表情は暗かった。
相手の裏の裏まで読み、軍の鬼と恐れられている楊毅だが、それは国防と言う大義の元でしか発揮しない。
一個人としての楊毅は、表裏の無い性格で、駆け引きが似合わない男だった。
「そうであるならば、やはり今後も李梓と楊毅は知り合いではない体を取った方がよいな」
「拙もそう思います」
顎に手を添えて思案していた楊武も頷く。袖から覗いた手首には、未だに複数の包帯が巻かれていた。
「毅兄は今まで通り、普通にしていて」
真っすぐ楊毅を見つめる視線は、彼が知っている楊武のものではなかった。
「ああ、そのつもりだ」
楊毅は歯を見せて笑う。
「では、何かあれば文で連絡をする」
「御意」
楊毅が、央晧の言葉に膝をついて拱手する。
その姿を見て、央晧は笑みを浮かべた。
「今日は突然呼び出してすまなかった。今後も頼む」
「……殿下」
楊毅は顔を上げ、しばし央晧を見つめた。
「こちらこそ、弟を。……楊武を救ってくださり、ありがとうございます……!」
床に額を擦り付ける勢いでかしずく。
央晧にどれほど感謝してもしたりない。楊毅は見せられるだけの誠意を行動に込めた。
「余が師父の為にしたことだ。恩義に思う必要はない」
楊武は兄の行為に声も出せなかった。自分が生きていたことを喜んでくれる人が居るのだと、改めて気付かされた。
他の兄弟にも生きていることを伝えられるなら伝えたい。その為にも早く真相に辿り着かねば。
人知れず、楊武の傷だらけの腕に力がこめられた。
「まだ安堵するのは早いぞ、楊毅。全て終わるまではこいつは李梓だ。一刻も早く王氏を糾弾したい。その為にもよろしく頼む」
「……御意!」
顔を上げた楊毅の目尻が光る。
対面して話すのは今日が初めてであるが、この短時間で楊毅の人柄の良さはよく伝わった。
武器庫で楊武を見つけたのがこの男でよかったと、央晧は心底めぐりあわせに感謝した。




