参:皇太子との邂逅
うんざりとした表情で、央晧はひじ置きに片腕をついた。
「も、申し訳ありません……」
寝台に向かって足を組んで座る央晧と、萎縮し寝台に正座する楊武の姿がうまく対比されていた。
「なぜそこまでくどくどと話す」
「ど、どこからお話しすればよいかわからず……」
しどろもどろに答える楊武の態度に、央晧は苛立ちを覚えたが、ため息として吐き出した。
この部屋は皇族の住まう宮城の一角、皇太子にあてがわれた英慶宮と呼ばれる宮の一室である。
楊武は央晧と出会った後、手を掴んだまま失神した。仕方なしに、央晧の傍にいた「がたいの良い男」こと鄭 博文が抱え、この部屋まで密かに運び込んだ。
楊武は丸二日間も眠り続けたが、人を匿ったこともない男二人では看病ができるわけもなく、宮女として働く博文の姉を後宮から呼び寄せる始末となった。
皇太子とその側近を振り回したなど知る由もない楊武は、目が覚めるなり見たこともない華美な天井を目にし、蛙を潰したような声を上げて寝台から落ちた。起きて早々、彼は手当を受けた再び傷を開かせたのであった。
「まさかお前が例の楊家の四男坊とは」
央晧は顎に手を添え、眉を顰める。
おそるおそる央晧の様子を伺った楊武は、憂いを含んだ表情が幼い姿には不釣り合いだと思った。
(この人が、あの噂の皇太子……?)
現皇帝・徳帝は二人の皇后の間に、二人の子を儲けていた。
後宮の西側に宮を構える旻皇后との間に生まれた公主は、すでに成人を迎えている。聡明だが、物事ははっきり言う性格のため、時にして男の面子は丸つぶれになった。その性格もあってか、いまだに馬付馬つまり婿選びには苦労していると後宮で噂されている。しばしば彼女に仕える宮女たちは頭を抱えていると言う。
そして[[rb:幸 > こう]]皇后との間に生まれたのが、念願の男児であった。
生まれた時から皇太子の役目を背負った少年は、周囲の期待を一身に受け、文武両道兼ねそろえた理想の皇太子に成長した。また、異母姉とは異なり物腰の柔らかいところも評判が高いらしい。
(物腰の柔らかい、笑顔の絶えない人だと聞いていたけどな)
師父も冗談を言うこともあるのだな。楊武は孫師父が自分を揶揄っていたのだと結論づけた。
「楊家は先日、死体が判別できないので空の棺でお前の葬儀を行ったと聞いている」
実家の名前にはっと意識が浮上した。央晧から聞かされた事実に驚きと悲しみが同時に訪れる。うなだれた楊武の拳に力が入る。楊武には、もう居場所が無いと突き付けられた気分だった。
「……そうですか」
つむじしか見えないが落胆している楊武の姿に、央晧はかける言葉が見つけられず視線を逸らした。
「し、しかし、お前の話はよく師父から聞いていたぞ」
央晧は話題を変えるべく、弾んだ声を上げた。
部屋の隅に控えていた博文は、眉一つ動かさず、気遣う央晧と失意の楊武を交互に見つめていた。
「お前のおかげで、書庫整理から始まるはずだった史料集めが随分短縮されたと聞いた。科挙を目指していたのか?」
「両親からは覚えているなら受けろと言われていたのですが……。正直、受けるつもりはありませんでした……」
幼いながらも重い空気を晴らそうとしたにも関わらず、依然として張りのない声におどおどとした態度の楊武に、幼い央晧はすぐさま癇癪を起した。
「ああもう! 胸を張れ! しゃんとせんか! お前は師父の弟子であろう!?」
龍の繊細な透かし彫りの入った腰掛けが音を立てて倒れた。
博文が傍に駆け寄る。倒れた椅子を元の位置に戻し、央晧に「太子」と声をかけた。肩で息をする央晧は博文の方に目を向け、大きく深呼吸をした。感情を表立って見せないよう孫師父から言われていたこと思い出す。息が整うと、何も言わず座りなおした。
「話を聞く限り、お前は兄弟子たちに生かされたのだろう? では生きろ。選択肢などない」
右手をひじ掛けにつき、足を組みなおす。垣間見えた少年のあどけなさはそこにはなく、幼いながらも皇太子としての風格が現れた。
「それに、師父を襲撃した犯人に心当たりはある」
「……!」
勢いよく顔を上げた楊武に、央晧は鋭い目つきで言葉を続ける。
「そいつを失脚に持ち込むには相当な力が必要だ」
「し、失脚?」
「そうだ。我らの力でしようではないか」
楊武は器用に片方の口角だけを上げた央晧の姿に息を呑んだ。
「師父の弔い合戦を、な」
央晧の目は、冗談を言っていると思えなかった。本気で師父や兄弟子たちの仇を取ろうとしている。何より、弔い合戦など、幼子の口から出てよい言葉とは思えなかった。
目を瞠ったまま動かない楊武をよそに、央晧は言葉を続ける。
「それにはまず、ある程度の実績が必要だろう」
央晧は椅子から立ち上がると、楊武に勢いよく指を差した。なんだろう、嫌な予感がする。楊武の背中をぞぞぞと悪寒が駆け上がった。
「まずはお前が余の師父となれ、楊武」
「え、えぇ!?」
寝台の上で楊武は尻餅をついた。実績も何もない自分が、皇太子の教育係に選ばれるなんて。つい先日すべてを失ったばかりの楊武には到底理解できるはずもなかった。
昼下がりの宮中、目を丸くしたまま動かない楊武へ声変わりのしていない笑い声が降り注いだ。
傍に控えた博文が何かに耐えるような表情をしているのは、この場に居る誰も気付いていないようだった。
馬付馬…本来は馬へんに付の一文字で「ふ」と読みますが、環境依存文字のため、この通りに記載しております。