漆:対面
騒々しくなる場内に、楊毅はにやりと笑って楊武を降ろした。
その際、「立てるか?」と肩に手を添えて声をかけたいたことを、皇太子府の人々だけでなく客人たちも聞き逃さなかった。
「これはどういうことだ?」
「皇帝陛下、騒ぎ立てしてしまい、申し訳ございません。
武英殿にて武器庫に閉じ込められた李梓殿と出会いましたので、お連れいたしました」
徳帝に対し楊毅が、手を組んで片膝をつく。楊毅の言葉に、書庫内が騒然とする。
視線は楊毅から隣に立つ楊武、もとい李梓へと向けられた。赤くなった目元、両手は腫れているだけでなく切り傷もあった。戸惑っていた楊武だが、手元に視線が集中しているのに気付き、慌てて背後に隠した。
「何故、武英殿へ?」
央晧が鋭い目つきで楊武を見据える。
眉の下がった情けない表情の楊武は、視線をさ迷わせると、全て話すべきか否か少しばかり悩んでいた。
「昨日手紙が届いたらしいですよ!」
しかし、楊毅は弟の気持ちを汲むことなく、楊武の懐に手を突っ込み、二つ折りの紙を取り出した。
「”読書会の当日、開始前に武英殿にお越しください。お伝えしたいことがあります。“要約するとこんな感じっすね」
おろおろとする楊武を横目に、楊毅は読み上げた手紙を更に見せびらかす。
「なるほど。見せていただいても?」
「どうぞ!」
決して楊毅の私物ではないのだが、伸ばされた央晧の手へ、楊毅は笑顔で件の紙を渡した。
「……確かにこれは、李師父の筆跡ではありませんね」
視線を落としたまま、央晧が言う。
その隣に座る徳帝は、楊武を見定めるような目つきで上から下まで見ていた。
嘘を言っているようには思えないほどぼろぼろの姿で、よく見れば片足からは血も出ている。
服も品位の高いものを着ているが、見事に埃だらけでほつれもあった。
また、隣に立つ楊毅もにこにことしているが、脇に書類を抱えており、提出する途中に李梓に出会ったのは容易に想像できた。
「じゃ、俺はこれにて! あ、長官殿! ついでにこれもらってください!」
楊毅は用事が終わったと言わんばかりに、片手を挙げて踵を返そうとした。
しかし、振り返る途中で兵部長官と目が合い、彼の座る机に足を向けた。始終笑顔のまま、楊毅は書類の束を兵部長官に差し出した。
「侍郎殿のところに提出する予定だったんですが、長官殿に直接お渡ししますね! じゃ、今度こそ俺はこれにて!」
重い空気を感じることなく、楊毅は颯爽と文華殿を去った。
途中、門衛に謝罪する声も聞こえており、場違いではあるが彼の人の好さも伝わっていた。
嵐のように去っていった楊毅を見送り、徳帝と央晧を含む書庫内に居る全員の関心は李梓、もとい楊武へと向いた。
静まり返った書庫内で、徳帝がねめつけて言う。
「それで? 李太子中庶子。弁解は?」
「ありません。どんな理由があろうと太子主宰の催しに遅れたことで、拙が太子のお顔に泥を塗る結果となりました」
徳帝の言葉をきっぱりと否定したうえで、楊武は痛む身体でゆっくりと膝をつき、額を床につけた。
「処遇はなんでもお受けいたします。ですが、拙の不祥事に太子は関係ございませんので、全ての責は拙一人に申しつけください」
徳帝は楊武の言葉に片眉を吊り上げる。その様子を見た各省・部の長官たちは息をひそめた。
「……面を上げよ」
低い徳帝の声に、書庫内は緊張が走る。
楊武は顔を上げると、周囲の視線を気にも留めず真っすぐ徳帝を捉えていた。
先ほどまで注目を浴びるだけでも挙動不審だった楊武が、物怖じすることなく国の頂点に立つ男を正視している。それだけでも彼の誠実さをひしひしと感じる。
徳帝と楊武、互いに目を逸らすことなく見つめあうことしばらく。
数秒が一刻にも感じるほど長い沈黙は、徳帝によって遮られた。
「よかろう、今回は不問とする。ひとまず先に傷を癒せ」
徳帝が博文を呼びつけると共に、場の空気は一気に軽くなった。長官たちも安堵した様子で談話を始めた。
楊武もほっとしたのか腰が抜けて尻餅をつく。
その際に傷にあたったのか「あいだっ」と間抜けな声を上げ、徳帝が声高く笑った。
「とんだお披露目会だったな、央晧」
「さすがに寿命が縮むかと思いました……」
「何を言っておる小童が」
徳帝は大らかに笑うと、央晧を一瞥した。
大きな息を吐き出した息子は、心底安堵した様子で泣きだしそうな笑みを浮かべていた。
馴染みの臣下のみを重用していた息子が、自ら推薦し宮中に押し上げたと言う師父がどのような人物か。ようやく対面して話す機会を得て、紙面では伝わらない人物像を見定めようと思っていたが、二人の様子を見る限り野暮だろうと、徳帝も安心していた。
李梓の方に向き直ると、博文が李梓を抱えて退出するところであった。
「これにて、今日の読書会は終幕である!」
徳帝の号令と共に、李梓のお披露目会が終了した。
一時はどうなるかと思われたが、見送りの際、謝罪する央晧らに対して各省・部の長官たちは「面白かった」と笑い飛ばし、徳帝と対峙した李梓への賛辞を申し添えていたと言う。




