参:『穆天子伝』と愛好家
数日後が経ち、英慶宮の属官たちは早朝の謁見に参上していた。
楊武こと李梓も、鄭 博文の真後ろで、時折大きなあくびをしている。
数か月前に徳帝へ『微氏青銅器群から見る『太公史誌』の真実性についての一考察』と名付けられた書物を献上した日。皇太子・朱 央晧は李梓に国史編纂を褒美として授与できないかと皇帝に冗談を述べた。
結果として冗談だったのでよかったものの、国史編纂を任じられるのも時間の問題と噂されている礼部長官・王氏の前で言う話題ではなかった。
今でも英慶宮の属官たちが楊武に愚痴る程度には、あの時の乾清宮の空気は最悪だったという。
そんなこんなで、属官たちに泣きつかれただけでなく、徳帝と央晧の会話を伝え聞いた楊武が「央晧の戯言が半分以上本気」だと察したため、謁見に仕方なく顔を出すことになった。
尤も、楊武を起こす属官たちは、毎日が戦争だと嘆いているらしいが。
今日もつつがなく謁見が終わり、正殿から出ようとしていた楊武に、背後から声がかかった。
「李梓殿、でしょうか?」
「はい、そうですが」
楊武と共に隣を歩いていた劉巴も振り返る。
二人が振り返った先には、やたら目を輝かせた三十代ぐらいの官人が二人、こちらを見ていた。
「いつも連載楽しみにしています」
「穆王が次にどのような地に向かうのか、毎回楽しみです!」
「ありがとうございます」
興奮しているのか、口早に声援を送る二人に、楊武は眉尻を下げて答える。
官人の言う”連載“こそ、元旦に行われた朝賀の儀に際、楊武が言葉を濁していた案件であった。
年が明けより、書局が本格的に始動し、定期的に公報が発行されるようになった。その中で楊武こと李梓はある小説の連載を勝ち得たのだ。
きっかけは徳帝の無茶ぶりで発行された、楊武と央晧が出会った王墓の報告書、『洛陽城北西に隣接する王墓に関する報告書』だった。
報告書は王墓の大きさや深さ、横道の長さなど基本的な内容に始まり、推定される被葬者、そして孫師父の代から行っていた壁画調査の断片的な絵解きが推論されていた。
何より、この書物の目玉は楊武らが発見した竹簡の解読であった。発見された竹簡には、科挙試験でも使用されている書簡が数点と、新たに日の目を見た書簡・三篇が記されていた。
その内の一篇は紀伝体――つまり『史誌』と同様、歴史を年代順に記録しており、他の二篇より復元が容易かった。
そのうえ、『太公史誌』と似通った歴史を記していたことから、この竹簡の発見によって、『太公史誌』の記す神代から瑞、康、寛代の歴史は、淳代に捏造されたものではなく、それ以前から通説として知れ渡っていたことがわかった。
ちなみに紀伝体の竹簡は『竹書紀年』と題して、全文を別冊で発行することとなった。現在、鋭意印刷中である。
『竹書紀年』以外の内容は、一つが前寛の穆王が遊行した物語、もう一つが寛代の制度などを記した文章で、未だにどのような内容かは全貌が明らかではない。本書では解読が進み次第、逐一報告と言う形で終わっていた。
また、史料となる文献と、出土する文物を併用して歴史を紐解いていくことの必要性を、先日発見した青銅器群を交えて提唱した。
今回の王墓での発見は、古代文字が実在していたことを証明しただけでなく、嘉における歴史学に大きな一歩を与えたのだった。
この報告書を読んだ徳帝が「穆王の物語は、小説として形にならんだろうか」とつぶやいたのがきっかけとなり、李梓に執筆の依頼が届いた。
原文を直訳するには欠字が多く、文章として成り立たない箇所が多い。
しかし、小説として意訳するのならば自身の勉学にも役立つと思い、楊武もその試みに二つ返事で答えた。
現在、『穆天子伝』と言う名で公報にて好評連載中である。
未だに直接会話はないものの、徳帝の中でも李梓と言う人物は着々と居場所を確立しつつあった。
話を早朝の謁見後の楊武と劉巴に戻す。
李梓こと楊武に思いのたけを述べていた二人が、顔を見合わせて何か言いたげな表情を浮かべた。
「それでですが……」
「金文解読の会は次いつ開催されるのでしょうか?」
劉巴は、なんの会? と声をかけそうになったが、楊武が当たり前に返答しているので、三人のやりとりを傍観することに徹した。
「まだ予定は立っていませんが、既に何人かご希望の方はいらっしゃいますよ」
「でしたらぜひ、私たちも参加させてください!」
「よろこんで。では次の拙の休暇が決まり次第、お伝えしますので、所属とお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
ありがとうございます! と口々に喜ぶ二人は、所属先を告げ、何度も礼を述べて自分の持ち場に戻った。
「最近よく声かけられてますねえ」
振り返る官人たちに一礼した楊武に、劉巴は脇を小突いた。
「お待たせしてすみません」
「いいえ~。おかげで遅れる口実が出来ましたので」
日々、「与えられた仕事は卒なくこなすが、なるべく仕事はしたくない」と豪語している劉巴はへらへらと笑う。
「てか李殿、青銅器を読む会とか開いてるんですか?」
再び英慶宮へ歩き始めると、会話の中で気になっていた話題を尋ねた。
「『穆天子伝』の連載が始まったあたりから、たまに声をかけられるようになりまして……」
楊武は恥ずかしそうに頭を掻く。
「気付いたら月に何度か、休みの日に金文を読む会を開くことになっていました!」
「いや、休んでくださいよ!?」
けろりと言う楊武へ、劉巴は間を置かずに言い返した。
「さすがに休日全部使ってるわけじゃないですよ」
「寝不足でいつも死にかけなの、誰です? 起こしてるの誰です?」
「……まあ、それを言われるとおしまいなんですが」
怒涛の反論は、身に覚えしかなく、楊武も申し訳ない思いで肩を狭めた。
しかし、楊武とて無意味に会合を開いているわけではない。そこまで言うつもりは無かったが、楊武は口を開いた。
「読む会を開きながら、拓本集めているんです」
楊武が言うと、劉巴の攻撃はぴたりと止んだ。
「参加してくださる方って、結構熱心な拓本蒐集家が多いんですよ」
あの李梓が、意味もなく会合を主催しているわけではないと思っていたが、しっかりとした理由がありそうだ。劉巴は口をつぐみ、楊武の言葉を待った。
「出回っていても、誰も読んでいない金文は必ずあるはずですし」
「……確かに」
自身も蒐集しているが、意味がわからない金文は多い。あながち他人事ではないと、劉巴は頷いた。
うんうんと首を縦に振る劉巴を見て、楊武は続ける。
「なので読む会は蒐集のため、致し方なく、です。ついでです」
「……李殿って、意外と目的のためなら手段は選ばないっすよね」
出会った頃は人に注目されるのが苦手だと言っていたが、李梓もとい楊武の底知れない知識欲の前には、会合を催す程度の障害など、紙以下の厚みしかなかったようだ。
楊武にとって探求心に勝るものは何も無いのだと理解し、劉巴は苦笑した。
「じゃ、俺も李殿にあやかって、今度、李殿が集めてる拓本見せてもらってもいいですか!?」
「ええ、また宿直の日にでもどうぞ」
ちゃっかりと恩恵を受けた劉巴が「やった!」と拳を握った。
英慶宮にたどり着くまでの短い時間ではあるが、二人は熱心に拓本について話し合った。




