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壱:『太公史誌』曰く

 楊武は眉間に皺を寄せ、机とにらみあっていた。


 何日も何日も寝ずに英慶宮の書庫へ居座る楊武は、女官・鄭 博麗の化粧なしで目の下に隈をこさえている。

 ようやく肩甲骨あたりまで伸びた髪も、手入れを怠っているようで鳥の巣のようだ。


 現在、楊武は発掘途中の王墓で発見された竹簡の字解きをしている最中である。

 楊武が皇太子・朱 央晧の新しい教育係に李梓として選ばれた初日。央晧直属の臣下たちと墓内を探索していたところ、墓内の壁が崩れ、隠し通路と散らばる竹簡を発見した。

 既に墓内へ何度も調査に入っていたが、副葬品もなく、被葬者の特定も出来ず研究は滞っていた。

 唯一、破壊されずに残っていた棺と副室に描かれていた壁画だけが頼りであった。


 ところが、新たに見つかった通路から古代文字でしたためられた文書が見つかり、被葬者特定の足掛かりを得た。

 とは言え、古代文字の解読は未到の挑戦だった。未だに研究の進捗は一進一退である。

 楊武がもどかしい思いをしている反面、孫師父の後釜となった若人が早々に手柄を得たと宮中は李梓の噂で持ち切りだった。

 


 ――『太公史誌(たいこうしし)』曰く。


 はじめより、この一帯に「(ずい)」が興った。神仙との境目が曖昧な歴史が長く続き、次に「(こう)」が興る。「康」は「瑞」の暴政を嘆いた天より天命を受け、「瑞」を放伐(ほうばつ)し、新たに王朝を建てた。


 古代よりこの一帯を統べる王朝は天によって選ばれ、王の徳によって国が続くと考えられていた。優れた王が続けば王朝は長く繁栄し、逆に王が民からの信頼を失い、暴政に走ると天はその王朝を見切り、新たな王朝と王を選ぶ。人はすべて、天に決められていた。


 「康」も長く続いたが、数度の衰亡の危機に瀕した。「康」の最後の王・伐王(ばつおう)も、初めこそ中興の祖とも呼ばれ、諸王らと肩を並べていた。しかしある美姫と放蕩に溺れ、「康」もまた天命を失った。


 次に天命を受けたのは「(かん)」であった。

 「寛」は元々「康」の諸侯の一つであったが、天命が下ると同時に蜂起し、「康」との全面戦争の結果、国を興した。

 「寛」は前期こそ栄華を極めていたが、内乱や蛮族との戦による国力の衰退、諸侯の地位の強まりなど度重なる要因によって、寛王族の権威は次第に弱まっていった。

 都を遷し再起を図ったが諸侯の力は衰えず、遷都を機に諸侯が独立し、国の乱立が始まった。そして時代は戦国時代へと移る。


 しかし、国の力が弱まれど、依然として天命は「寛」にあった。

 前期の栄華を極めた「寛」を「前寛(ぜんかん)」と言い、後期の滅亡までを「後寛(ごかん)」と言う。

 王の天命は二十三代に渡って続いた。『史誌』内における最長の王朝である。


 その後、長命だった「寛」も、「(いつ)」と言う国に滅ぼされた。

 戦国時代になると、それまで当たり前であった天命と言う概念は消え、秩序のない時代へと下る。

 その秩序のない世界を統一したのが「逸」であった。

 字の通り、早くに国は潰え、国名はのちの時代の人がつけた後付けである。


 しかし、その短命さとは裏腹に、画期的な改革を次々と成しえた。

 逸王朝以前は広い国土を統治するのに諸侯を選び、領土を統治させていた。しかし、諸侯に権力を与えたがために、「寛」から独立する諸侯が後を絶たなかった。

 故に「逸」は古の制度を廃止し、首都から官吏を派遣した。古代王朝として初めて、全国の領土を治める中央集権国家を築き上げた。


 また、文化においても新しい試みがなされた。

 諸地域で発展した文字をまとめ上げ、逸国以外の元領土でも統一した文字を使用させた。

 また、通貨や測量も全て新しい単位・貨銭に置き換えた。

 更に、前代までの基本思想を廃し、「逸」が新たに重きを置いた書物以外を炎の中へと葬り去った。

 結果として「逸」は変革を急ぎすぎたため、十年と持たずに滅亡した。しかし、その革新的な制度のほとんどは、次の王朝へと引き継がれた。


 そして「逸」を滅ぼしたのが「(じゅん)」である。

 「淳」は「逸」の急すぎる改革に蜂起した元・諸国の精鋭が作り上げた小国であった。

 混乱を平定し、「逸」の領土を再び統一すると、「逸」が行おうとした改革を少しずつ実行しはじめた。

 唯一「逸」から引き継ぐことをしなかったのは、思想だけであった。


 そのおかげか民からの信頼も厚く、「淳」は順調に国力をあげていったが、王には世継ぎがいなかった。

 「淳」の王は統一後、十年足らずで病床に臥した。国の崩壊は世継ぎ争いをきっかけに内部から崩れていく傾向が多かったが、「淳」は違っていた。


 王の側近となった開国の功臣たちは、病に倒れた王への忠誠を違えることはなかった。

 結果、ある「淳」の功臣が王より禅譲(ぜんじょう)を受け、新たに王が立った。

 これだけ争いが絶えぬ時代に、誰一人として王の判断に否と言わず、全員が新しい王を受け入れたという。


 ほどなくして「淳」もまた一代で途絶えた。次に興る国こそが「()」である。


 「嘉」は「淳」からの一切を引き継ぎ、国を治めた。

 「嘉」と言う国名も、「淳」を建国した王族から名付けられた。自身の王を国名とし、未来永劫その名を刻むためである。

 そして、この『太公史誌』が作られたのは、まさに「淳」が「嘉」に禅譲される真っ只中であった。

 本書にはそれまでも「瑞」より以前、神仙がこの一帯を治めていた頃に禅譲――つまり王から臣下へ国を譲る行為は記録として残っているが、おそらく実際に執り行われたのは「淳」から「嘉」への禅譲が歴史上初めてだろう。

 

 「逸」が滅んで約二百数十年。

 以降は『史誌』に関する先人の研究を軽くまとめる。

 『史誌』の言う前代は「逸」を指しており、「逸」の悪政ぶりを全面的に出すことによって、「淳」の建国を正当化していると推察されている。

 また、「逸」に関しては「淳」よって書物はほぼ消失したが、代わりに発掘調査が発展していた。出土文献から、近年は「逸」の暴政については疑問視されている学者も多い。


 とりわけ「逸」の焚書(ふんしょ)については、「逸」が意図的に消失させたのか、戦乱の最中で散逸していたのを「逸」に擦り付けているのか、憶測が絶えない。

「淳」が「逸」に関する書物を散逸させた記録があるため、「淳」の情報を鵜呑みにするのは危うい。


 つまり、『史誌』は国書として認定されているが、すべてを信用してはいけない。

 特に、孫師父や楊武のような国史に関わる人間には猶更である。


 

 竹簡発見から数か月。


 新たに見つかった横穴は、盗掘者が掘った物と見て間違いないだろう。通路は出口まで向かったが、塞がれており、何処に繋がっているかは不明である。また、何故竹簡を隠したのかも、現状は不明のままだ。


 地面に散らばっていた竹簡(ちっかん)は、まず古代文字を読み解くことから始まった。

 今回発見された科斗書(かとしょ)と呼ばれる古代文字は、戦国時代に一部の地域で使用されていた文字である。

 戦国時代を統一した逸王朝によって、文字は統一され、逸以前の書物も理由はどうあれ散逸している。

 『史誌』に引用された書物から「科斗書」と言う単語は実際に何度か出てくるのだが、いずれも現存していたという事実だけである。

 おそらく楊武は逸王朝以後、解読を試みている初めての人物であろう。


 「科斗」と言うのはおたまじゃくしの意味である。漆で文字を書く際、筆圧の都合上、画数が進むにつれて筆が細くなっていく形からそう呼ばれていた。

 根本は現在使用している文字と同じであるが、統一された文字とは異なり、地域によって字体の癖などが異なるため、解読に時間がかかっている。


 数か月でやっと半分と言ったところであろうか。

 中には楊武たちがよく知った科挙(かきょ)試験に出題される書物とほぼ同一のものもあったが、逆に全くわからない書物も多くあった。

 見知った書物であっても一冊丸々修復できた書物は今のところ発見されていない。


 また、盗掘者はこの竹簡を墓内で灯りにしていたと推測されている。回収した竹簡は焦げて散逸している箇所が多数見られた。

 竹簡と言うのは、古代の様々な事象がわかるものであり、今回のような書物の類から、執務体制がわかる竹簡なども近年発見されている。

 研究者にとっては大変貴重なもので、歴史的価値が高いとみなされるが、一般人からするとただの木片同然である。

 副葬品を目当てに盗掘しているのならば、その場で松明(たいまつ)代わりにして使い捨てるだろう。


 復元する側としては、ただの破損を順番に並べるだけでも苦労するのに、一部分が焼失しているとなると更に難易度があがる。

 頭に叩き込まれた文章だけならまだしも、見知らぬ文章がまざった欠片を延々と「此処にいれるか」「それともこっちか」と修復しているのである。しかも消失箇所は不明だ。

 さながら、完成することのない嵌め絵を解いているようなもので、歩く書庫と呼ばれた楊武であってもお手上げだった。



「失礼」


 机に伏していると、女性の声と共に勢いよく自室の扉が開いた。

 質の良い布地を優美に舞わせ、女性は楊武の座する机に向かってきた。

襟巻きを頭に巻き付け、顔は見えないが凛とした姿に楊武は固唾を呑んだ。


 楊武の出自を知ってこの部屋に訪れているとしたら、王氏の刺客だという可能性もある。だとしたら何処から情報が漏れたのだろうか。いや、それ以前にもしかして死ぬかもしれないのでは。


 思考がまとまりきらない楊武は、机から離れることもできず、ただ女性が自身に向かってくるのを凝視するしか出来なかった。



「聞いていた話より見た目は悪くないのね」


 こめかみに冷や汗が伝う楊武に対し、女性は両手で頬を掴んで、むにむにと揉みはじめた。


「隈は書いてるって言ってたのに、これ自前よね?」

 独り言なのか、それとも楊武に問いかけているのか。逆光で表情が見えない女性に対し、不信感はあるものの敵意などは感じられなかった。


「おい、武! ここに女性が来なかった……か」


 大きな音を立て、本日二度目である自室の扉を開いた。


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