春、肉まん
春の出会いがテーマです。
アルファポリス・エブリスタにも掲載中。
冬は終わり、桜咲く春の始まり。
ふわりと風が吹いて、彼女の持つ真っ白な肉まんに花びらがひらりと舞い降りる。
彼女はその事に気づかず、あーんと大きく口を開けて────ぱっくん。
「んー……おいし♡」
──けど、あれれ?
もぐもぐと肉汁たっぷりの味わいを噛み締めつつ、眉根を寄せ覚えた違和感まで噛み締めている。
彼女の頭上にたくさんクエスチョンマークが見えるような気がする光景だった。
よく見たら、黒髪のポニーテールにも桃色が乗っかっていた。
また風が吹いて、更に一枚と結われた黒髪に桜が飾られていく。
セーラー服のスカートが踊るようにひらひらと揺れ────程よい肉付きの太ももがチラリ。
その女の子はスカートが風で捲れることも厭わず、ただ幸せそうに肉まんを食べていた。
肉まんとそれを美味しそうに頬張る女子高生。
春になって早々、僕が出会ったのはこの組み合わせだった。
・・・✽・・・✽・・・
新たらしい生活の始まりでもある四月二日月曜日の午前八時。
僕にとっては新年度になっただけという感覚だったが、春の訪れに浮足立った雰囲気に乗じてちょっぴりわくわくしていた朝だった。
街道に立ち並ぶ桜の木は八分咲きといったところか、舞う花びらの量はまだ少ない。
春色に染まりつつあるいつもの通り道。
途中のコンビニの前に差し掛かったとき、セーラー服の女の子が白い袋を持って出てきたのが目に入った。
明るく元気な印象をもたらすポニーテールに、健康的な肌色が春の陽射しに照らされ眩しい。
目鼻立ちもくっきりした、とても可愛らしい女の子だ。
身に纏っている紺色の光沢には真新しさを感じる。
新入生、だろうか?
でも入学式にはまだ早い。大体の学校は今週半ばあたりに行われるはずだ。
部活へ行く途中か、いや春休みに部活動なんてあっただろうか?
まだそんなに遠くはない過去のことなのに、自分のときはどうだったかが曖昧だ。
なんとなく気になって見ていると、女の子はコンビニの前でごそごそと袋を漁り出した。
ややあって取り出されたのは白い包みだった。
コンビニで販売されているスナック類を包むようなアレだ。
女の子はニコニコと包みを開け、──あーんと大きなお口がぱくりと。
「うぅん……、やっぱり肉まん最高だねー♡」
中身は肉まんだったらしい。
もぐもぐと口いっぱいに頬張り、女の子は至福の表情を浮かべている。
それはそれは美味しそうにぱっくん、またぱっくんと食べ続けあっという間に平らげてしまった。
それから白い包みをくしゃくしゃと丸め、ごみ箱にポイ。
「あー、美味しかった!」
満足げに呟いた女の子はくるりとポニーテールを翻し、るんるんと軽やかな足取りでコンビニの前から歩き去る。
時間にしてほんの数分か。
ハッと我に返り、僕はそこで無意識に足を止めていたことに気付いた。
女の子につい見惚れてしまっていたのだ。
だって本当に美味しそうに肉まんを食べていたものだから。
あんな幸福極まりない表情を可愛い女の子がしていたらつい見てしまうのも仕方ないだろう。
なんて胸中で言い訳しつつ、止めていた足を一歩踏み出したとき、くぅ……と静かに朝食を納めたはずの腹が鳴った。
ああ、お前も同じ気持ちだったか。
僕は観念したように腹を擦った。
「……肉まん、まだあるかな」
それから毎日同じ時間に肉まんと女の子に遭遇するようになった。
午前八時頃にコンビニの前を通ると必ず白い袋をぶら下げて女の子が出て来る。
そして至福の顔で肉まんを頬張り、ルンルンと去って行く。
しかし金曜日の朝、コンビニの前へ来ても女の子は出て来なかった。
ポケットからスマホを取り出し画面を確認する。
午前八時一分……いつもの時間帯だ。
早く来すぎてもいないし遅くも無い。
もしかしたら女の子の方が早く来てしまったのだろうか、それとも寝坊でもしたか。
分かっているのは、今日は女の子に会えないというだけ。
あの魅力的な表情を綻ばせる女の子は僕にとって密かな癒しになりつつあったのでとても残念だった。
寂しさを抱きつつ、僕はコンビニへと入る。
通勤通学途中の社会人や学生の姿があちこちに見える店内。
しかしそれの中にやはりというかポニーテールは無かった。
僕は二つのレジカウンターの間に設置された蒸し器の方を見やった。
下からピザまん二つ、あんまん二つ、それから肉まんが────一つ。
それを見た僕は、やはり今日は女の子が早く来てしまったのだと思った。
まあいいのだ。こちらが勝手に楽しみにしていただけだし。
でもやっぱり女の子の姿が見られないことを残念に思いながらレジに並ぶ。
実はあれから僕も毎朝肉まんが日課になってしまっていたのだった。
朝食も済ませた上での肉まんだから、太るのは覚悟の上。
というかあんな表情を見たら誰だって肉まんが食べたくなるだろう。絶対に。
「二点で216円になりまーす」
僕の前にはOL風の女性が野菜ジュースのパックと菓子パンを一つ会計していた。
隣のレジは開けられていない。
特に急ぐ必要もないのでレジが終わるのを素直に待つ。
その間、僕はもう一度スマホをポケットから取り出して画面を見た。
僕の背後に一人並ぶ気配。
スマホの画面は午前八時五分。
「お待ちのお客さまぁ〜こちらへどうぞ~」
男性スタッフの間延びした声が響くとともに目の前のレジが開いた。
レジが並んでいることに気づいたもう一人のスタッフが残りのレジを開けている。
僕は目の前のレジに進んだ。
後ろに並んでいた人がパタパタと隣のレジへ向かっていく。
そして────
「肉まん一つください」
「肉まん一つください!」
明るく元気な声と僕の声が重なったのはほぼ同時だった。
思わず隣のレジへ顔を向けると、ポニーテールを翻して女の子が振り向いた。
ばちっと交差した視線と女の子の困ったような表情。
いつものあの子だった。
僕は瞬時に決断し、そばにあったホットドリンクの棚から適当にひとつ取って店員に差し出す。
「やっぱりコレで」
百円一枚と十円二枚に一円三枚と値段ぴったり分を置き、商品を受け取って早々に去る。
ほかほかなドリンクの熱が手のひらをじんわりと温める。手に汗が滲んだ。
店員の『ありがとうございました〜』を背景に女の子の後ろを通り過ぎようとすれば、戸惑い気味の瞳が僕を追いかける。
その頬は桜のように色づいていた。
気にしないで、とにこやかに視線を送り僕は颯爽とコンビニを出る。
そして振り返ることなく足早に歩き出した。
スタスタと歩く僕の心臓はもうバクバクだ。
若くして不整脈かと思ってしまう程に心臓の音は早く、苦しいくらいだった。
何故ならものすごく緊張したのだ。
めちゃくちゃ緊張した……!
まさか僕の後ろに並んでいたのがあの子だったとは。ああびっくりしたと胸を撫で下ろす。
飲料缶を握る手のひらはもう汗でベトベトだった。
しかし、会えないと思っていた彼女を一目見られたのはとても嬉しい。
まああの至福の表情が見られないのは残念だが、それでも今日一日頑張れそうなほど僕は漲っていた。
テンションは急上昇、右肩上がりである。
だが、いい歳の男が女の子に会えたくらいで(しかも女子高生)はしゃぐのはみっともない気がした。
……ちょっと落ち着こうかと冷静にツッコミを入れ、僕は持っていた缶を開けることにした。
プルタブを押し上げ、空いた穴からぷしゅっと空気が噴き出す。
温かい缶を傾け口内へ液体を流し込むと、舌に伝わったのはピリッとした独特の苦味だった。
「……あっ、しまった。これブラックだ……」
手の中のものを見ると、真っ黒なデザインパッケージに英字でしっかり『BLACKCOFFE』と描かれていた。
コレの隣のカフェオレを手に取ったつもりだったのだが、間違えていたらしい。
しっかりと会計も済ませたというのに気づかないなんてどれだけ慌てていたのだろう。
実はブラックコーヒーが苦手な僕だった。
スマートに済ませたかったのに……と、情けない自分への思いと一緒に苦味をもう一口飲み込んだ。
「────あのっ!」
勿体ぶるようにコーヒーを飲みながら歩いていると、そこへ声が掛けられた。
あの女の子の声だった。
目だけを動かせば、白い袋を持った女の子がはあはあと荒い呼吸を繰り返しているのが見えた。
女の子の頬が微かに赤い。
どうやら急いで追い掛けてきたようだ。────この僕を。
予想外の出来事に遭遇し、僕の頭は思考停止した。
きっとあの後いつものように幸福な顔で肉まんを食べていくだろうと思っていたのだ。
それなのに、何故か女の子が目の前にいる。
まるで錆びついた機械になった気分だった。
ぎこちない動作で僕の身体が女の子の方へと振り向かされる。
身体のあちこちからギキギと軋んだ音が鳴っていないか心配になったけども、大丈夫、鳴っていない。僕は人間だった。
「あっ、あの……!」
振り向いた僕と目が合うなり女の子は慌てて袋の中に手を突っ込んだ。
ガサガサと擦れ合うビニールの音の後、取り出された白い包み。
それが小さな手によって開かれると──肉まんと思われる物体が頭を出した。
まさか目の前でわざわざ食べに来たのか?
────そんなまさかな考えが過ぎったあと、女の子はパカッと割るように肉まんを半分にしたのだった。
「ど、どうぞ……!」
そして片割れが僕の方へと差し出された。
ホクホクと湯気立つ、白紙に包まれた半分の肉まん。
ふわふわと僕と女の子の間を漂って、肉まんの匂いが僕の鼻へと届けられた。
食欲がチクリと刺激される。
「えっ、いや、……悪いから、いいよ。気にしないで食べて」
しかし僕は湧き立つ欲求を振り払い大人の対応を選んだ。
けれど女の子は引かない。
困ったように眉を寄せて僕に肉まんを差し出てくる。
「でも……!」
ぐいっと押し出されるように向けられた肉まん。
香り立つ具が食べて欲しそうにこちらを見ていたが、僕はふるふると頭を振った。
「いいのいいの。……いつも美味しそうに食べてるでしょ?」
あっ、と思ったときにはもう遅い。
それを言うつもりなんて無かったのに。
これでは『いつも見ていました』って告白してるようなものだった。
「み、見られてたんですか……」
────そりゃあんな風にコンビニの前で立って肉まんを食べていたら。見られていない筈がない。
案の定、女の子は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
耳まで赤くしていてとても可愛いのだが、僕は更にフォローのつもりで言葉を重ねる。
「……あんな美味しそうに食べるもんだから、残念な顔をさせたくなかったんだ」
言ってる途中で胸の奥から熱が染み出して身体がぽっぽっと火照ってきた。顔まで熱い。
何というかキザっぽい台詞だ、恥ずかしくて仕方がなかった。
だが、残念ながら吐き出した言葉はもう取り消せない。
そよそよと視線を泳がせて俯いていた顔がそっと上げられたが、僕は女の子の反応を待たずに去ろうとした。
「…………えへへ、じゃあ……美味しいのおすそ分けならどうですか? 今、お兄さんと食べたらきっともっと美味しいです」
そう言って照れ笑いを浮かべた女の子の頬に桜色が乗った。
────なんて殺し文句なのだろう。
正直、ときめくようなセリフだった。
そんな風に言われてしまったら、断れるわけがない。
「……うん、そうだね。じゃあ、ありがたく頂戴するよ」
「────! はい、どうぞ!」
僕がようやく片割れを受け取ると、女の子の表情がぱぁっと花開いたように明るくなった。
嬉々とした感情が滲み出ている。柔らかな風に吹かれて揺れるポニーテールまで嬉しそうだ。
「じゃあ、こっちで一緒に食べようか。まだ時間大丈夫?」
「はいっ、だいじょぶです!」
ここで立ち止まっていたら邪魔だろうと、僕たちは街道の端に寄って食べることにした。
ちょうどそこに自販機があったので、手に持っていた缶の中身をくいっと飲み干してゴミ箱へと捨ててやる。
僕は口の中の苦みに耐えながら、ニコニコ笑顔の女の子と自販機の前に並んで立った。
それから一度見つめ合って照れ臭そうに笑い合って、────息ぴったりに一言放つ。
「いただきます」
「いただきます!」
レジ前での出来事のように、僕の声と明るく元気な女の子の声が重なった。
二人そろってぱっくんと一口かぶり付く。
やはりというか、肉まんも冷めてしまっていた。
ほかほかだった筈の中身に温かさが無い。
それでも美味しいと思った。今まで食べた肉まんの中で一番だ。
先ほど言われた女の子の台詞を思い返す。
────今、お兄さんと食べたらきっともっと美味しいです。
「んー……やっぱりおいし♡ 誰かと分け合って食べる肉まんって最高ですね!」
女の子はいつものあの表情を見せていた。
ぽっと頬を桜色に染め、至福に蕩けた瞳、もぐもぐと肉まんを噛み締める薄紅色の口。
肉まんもそうだが、彼女の表情も今までで一番幸福さに溢れている。
蕩けた瞳がちらっと僕を見上げるものだから、ドキッと心が跳ねた。
「────ねっ? お兄さん!」
向けられたそれはまるで桜のような表情だった。
太く大きく枝を広げて満開に咲き誇る桜。
そんな笑顔が春の陽射しのように柔らかく僕の胸を射抜いたものだから────心臓がとても苦しい。
僕は口の中に残っていたものを無意識に飲み込んだ。
ゴクンと鳴らされた喉に、齧りついた肉まんの餡が甘みを広げて通り過ぎる。
そうしてハッと我に返った頃には、既に女の子は肉まんを食べ終えたところだった。
「……ふぅ♡ ごちそうさまでしたっ!」
にこやかに至福の表情を浮かべ、女の子は颯爽とポニーテールを翻し軽やかに前へ出た。
「それじゃあ、お兄さん! ありがとうございました! また半分こしましょうね!」
制服のスカートが踊るようにひらひらと揺れ────程よい肉付きの太ももがチラリとお目見えした後、女の子はいつものようにルンルンと軽やかな足取りで去って行く。
僕はただ茫然と女の子の後姿を見送っていた。
ざあっと風に吹かれ花吹雪が舞う。
春の陽射しに照らされて、散りゆく桜の木が煌々と明るく輝いている。
僕は半分の肉まんを持ったまま、春爛漫の景色の中に取り残されたように動けなかった。
冬は終わり、桜散る春の途中。
肉まんと女子高校生との出会いは、改めて僕に春の訪れを教えてくれたのだった。




