絶望の始まりとサンタクロース
何が幸福で、何が不幸かなんてことで悩んでいる人間は幸福だ。
悩むなんて暇があるということは幸福だ。
不幸な人間に暇なんてない。
常に不幸に追われ、常に不幸に付きまとわれ、ただ……がむしゃらに生きるだけだ。
僕もそうだ。
僕は自分で言うのもなんだが不幸だ。
生まれた時から、不幸。
生まれただけで幸せなんて言葉があるが、僕はそれを否定する。
むしろ、僕は生まれたからこそ不幸になった。
こんな世界に生まれたことを幸せなんて言う人間がいるのなら、よっぽどそいつは恵まれていて、幸福で……僕なんかとは真反対の人間なのだろう。
僕は生きるのが苦痛で仕方がない。
早く死にたい。
でも、死ぬのも痛いし、辛いし……勇気がいる。
だから誰か早く僕を殺してはくれないだろうか?
僕を……こんな僕を生み出した責任を取ってくれ。
世界よ……僕を早く殺してくれ。
そうしないとおかしくなる。
早くしないとおかしくなる。
いや、もうこんなことを考えている時点でおかしいのかもしれなかった。
僕は狂っているんだろう。
どうしようもなく、狂っているのだろう。
狂気に溺れ、沈み、狂気の底にいるのだろう。
「起床……現在時刻、八時」
癖でそう呟いて、僕は目覚めた。
そしていつものように行動する。
機械のように、淡々と作業する。
布団を畳み、小さい押入れに仕舞う。
いつも通りだ。
その後は六畳間という狭い空間を少し歩いて水道へ行き、顔を洗う。
「今日も汚い顔だな」
目の前にあるこの前買ってきた鏡を見ながら言う。
普遍的で、不変的な、いつもと変わらない顔。
唯一、他の人間と違うところ……個性というものを見つけるならば、目くらいのものだ。
ほんと、死んでるよな…………行き過ぎた表現という訳でもなく、僕の目は本当に死んでいる。
今まで、何人もの死体を見てきたが、それと全く変わらない。
そういえばなんで鏡なんて買ったんだっけ?
こんな死んだ目を見たところで、僕自身も気持ち悪くなるだけだというのに……。
そうだ、思い出した…………いや、やっぱり忘れた。
僕のこの物忘れの酷さはいい加減どうにかした方がいいと思うが、どうにかしたほうがいいと思ったこともすぐに忘れてしまうので、未だにどうにも出来ていない……。
鏡といえば、鏡は本当に全てそのまんまの姿を写しているわけではないと聞いたことがある。
少し前の大学の講義だったろうか? 教授が雑学として偉そうに語っていたことを覚えている。
なんでも、鏡は……、鏡は、鏡は…………忘れた。
細かいところは覚えていなかった。
まあ、細かいことなんてどうでもいいだろう。
鏡だってほとんどそのまんま写している。
細かいところが違ったって別に困ることはない。
さて、いつまでも鏡について考えていても仕方ない。
時間の無駄だし、何よりもお腹が空いた。
食事の準備をしよう。
僕はコップいっぱいに水を入れて、机の上に置く。
そして昨日買ってきておいたおにぎりも机に並べる。
五種類ほどあるけど、どれを食べようか?
まあどれだろうと変わらないか……僕の味覚は朝には働かない。
歯磨き粉だろうと、A5ランクのステーキだろうと、大した違いはない。
僕は五つの中から適当に取った一つを開封し、口に運ぶ。
味なんてほとんどしない。
僕はただ腹を膨らませるためだけにそれを食した。
そして、用意しておいた水を飲み干す。
随分と腹は膨らんだ。
さて、大学に行くまではまだ幾分かの時間がある。
何をして暇を潰そうか?
学生としては、空いた時間は勉学に励むというのが正しい形ではあるのだろうが、特に苦手なことも、学びたい内容もない今、そんなことをするのは中々に億劫だし……何よりも僕は勉強は好きではない。
そもそも勉強が好きな人間なんていない気がする。
勉強が好きだと言う人間は、決して勉強が好きなわけではなく、勉強をしている自分が……勉強をして段々と人間として成長している自分が好きなのだろう。
自分が好き……か。
そんな気持ち、理解できないな。
自分のことが好きだなんて気持ちが悪い。
僕は自分が嫌いだから、本当にそう思う。
「筋トレでもするか」
自分が嫌いな僕でも、筋トレは割と好きだ。
身体を動かしていると嫌なことを忘れられるし、何よりも健康に良い。
それと、僕は割と昔から争いごとに巻き込まれる性質なので、身体を鍛えておかないと死んでしまうのだ。
五年前から鍛えだして、今ではそこそこの細マッチョになっている。
それから数分間、筋トレに励んでいると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
ドンっ、ドンっ、と……鈍い音だ。
随分と焦っているのか、凄い勢いで叩いている。
「……今出ます」
僕の割には少し大きい声を出して返事をする。
お隣さんだろうか?
となりの部屋の……、名前を忘れた。
まあ、とにかく……隣の部屋の人は、かなり騒がしい女性だ。
毎日毎日、僕の部屋に夜ご飯を持ってくる。
味見して欲しいとのことだが、必ず美味しいし、味見の割には随分と量を持ってくるので、最近はなんだかご飯を毎日作ってもらっているみたいで少し悪いと思うのだが……残念なのはその後で、毎回僕の部屋に上がり込み、ダラダラとくつろぎながら訳のわからない話を延々と僕に投げかけてくるのだ。
一人の時間が大好きな僕としては、少し困る。
この子のせいでいつも睡眠時間が削られるし、何よりも暇な時間が無くなるのが困る。
暇な時間が、僕にとって唯一の娯楽なのだが……おっと、早く出ないとな。
立ち上がり、即座に扉を開ける。
「るーくん、私……人を殺しちゃった……」
そこには僕の予想通りお隣さんがいた。
血塗れで立っていた。
見慣れた白いワンピースは、真っ赤に染まっていた。
赤いなぁ……紅いなぁ……朱いなぁ……。
季節は冬、まるでサンタクロースが僕の前に舞い降りたかのようだった。