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冬籠り×黄金の卵を産む鶏の反乱+病猫に憑かれて破滅寸前の少女

「冬籠り」「黄金の卵を産む鶏の反乱」「病猫に憑かれて破滅寸前の少女」三作品クロスオーバー番外編。

がっつりご都合主義。

なんでも許せる方向け。

 ガラガラと崩壊の音と共に爆発が巻き起こった。

 奇怪な精霊の金切り声と、王の罵倒、悲鳴と怒号が飛び交う中で、落ちていく感覚がする。



 どこまでも果てしない、内臓が浮遊する気持ちの悪さをこらえながら、柊は必死に壱琉の細い身体に腕を伸ばした。


 少女の小さな手が空を掻きながら彼を求めている。


「壱琉っ!」


 落下の強風にあおられながら細い手首を掴んだ。


「ひいらっ」

「黙ってろ舌噛むぞ!」


 すっぽりと抱えるように壱琉を抱きしめたその直後だ。

 耳をつんざく風切りの音と共に地面に落下したのは。











「っ!」


 身体が跳ねるように転がった。意地と矜持で彼は腕を決して緩めなかった。


「い……ちる、怪我は……」


 腕のなかに抱えこんだ栗色の頭を柊は確かめた。


「……は?」


 柊は灰色の目を瞬かせ、呆けた声を出す。

 しっかりと抱きしめて、腕に包み込んでいる少女は彼の唯一の主ではなかった。


 栗色の柔らかな髪の女の子だ。大きなたれ目をパチッとさせ、凍り付いたように柊を見上げている。

 壱琉よりも年上、年のころは一見して15歳ほど。


「だ、誰……」

「きゃあああああああ!!!」


 少女は……黄金の卵を産む鶏と揶揄された扇田桃花は悲鳴を上げた。


「痴漢!」

「ち、違う!」


 バッと柊は起き上がった。明らかに押し倒している自分の態勢に、心臓を凍り付かせながらも周囲を見回した。


(いない)


 壱琉がいない。

 どこにも黒い髪の少女の姿がなかった。


 扇田桃花は右手をかざし、金色の紗を纏わせると一本の木の杖を形作らせ柊に突き付けた。


「誰?! どこの魔法使いですか?! 言っとくけど襲ってくる男には容赦する必要ないって家族会議で決まったんだから……!」

「玖蘭国王立軍、王城警備連隊壁門守衛団第十六小隊、柊・シュッテパルム」


 柊は急いで腕に付けた兵士の腕章を少女に見せた。


「痴漢じゃない! アンタに触ってしまったのは不可抗力だ。許せないということであれば、軍広報に俺の名前を言って正式に苦情を上げてくれ、それで……どこの魔法使いだ?」

「……私は魔法使いじゃないですけど」


 桃花は杖を柊に突き付けながら、彼の姿を上から下までマジマジと見つめた。

 簡易の鎧と剣を帯びた姿はどう見ても……。


「海外の軍人さん?」

「悪いが話し込んでいられない、俺の主がいなくなった、他に人間を見なかったか?!」


 桃花は緩く首を振った。

 柊のなかで焦りが募る、灰色の目を歪ませて周囲に向かって叫んだ。


「壱琉! 壱琉いたら返事しろ!」


 問いかけに返事はない。近くにいれば、彼女は必ず柊の言葉に応えるはずだ。

 改めて柊は自分がいる場所を見回した。


 樹々が生い茂る温室だった。丸いガラス天井からは太陽の光が差し込んでいるが、それを肥大した樹々が遮って薄暗い鬱々とした空間にしていた。


「これ……蓮の葉、ですかね?」


 桃花は足元の緑の床に触れた。大地ともリノリウムとも違うふわふわとした感覚がある。


 水の上に浮かんだ巨大な蓮の葉が落ちたときの緩和剤になったのだ。


「ここがどこか分かるか?!」

「……たぶん、グリモワールのなかだと」

「グリ?」

「魔導書です。時哉さん……私もさっきまで家族と一緒にいたんですけど気が付いたら、その……」


 柊に抱きしめられていた。

 てっきり桃花は柊が自分を狙う魔法使いだと思ったのだ。


「薔薇十字団っていう魔法使いの秘密結社が父の作った魔導書を持っていて……それを取り戻したんです。私が触ったら魔導書の文字が浮かんで爆発してしまって……」


「俺は城にいたんだ。労働組合の組合員を押し付けられたから、決起集会に出なくちゃならなくて……集会の春季闘争で年間休日を30日増やしたい陛下と、雇用側のくせに春闘を先導してる陛下に、キレた宰相が大喧嘩して春闘組合本部の東棟が爆発した」

「か、過激な労働組合ですね」

「魔導書の文字が浮かんだと言ったな、それは光り輝いて一文字づつ浮かび上がったのか? 蛍火みたいに」

「そうです。……なんで知っているんですか?」

「ウチの宰相が持っている本と一緒だ、これくらいの大本で革の装丁の」

「同じです」


 柊は剣を抜き、鎧の内側から天蚕糸(てぐす)を取り出して巻きつけ、槍を投げる要領で頭上の大木の枝に剣を投げた。


 天蚕糸(てぐす)がクルクルと枝に絡まり、鈍色の鋼がガギッと刺さる。


「俺は主人を探しに行く、アンタはどうする?」

「私も家族を探したいんですけど……」


 桃花は反乱の杖を金の紗に戻し手の中に返しながら、天蚕糸(てぐす)の先を見て言い淀む。彼女の腕力ではこの細い糸は登れないだろうことは明らかだ。


「アンタの名前は?」

「扇田桃花です」

「もしイヤでないなら、アンタを保護させて欲しい」

「いいんですか? 私、基本的に一般人なのでなにも役に立てないんですけど」

「壁門守衛団暗黙の鉄則は、困っている女の子は助けてとりあえず口説け、だ」

「く、くど……」

「ソレが出来ないヤツは簀巻きで弓射の的になる」

「それはひどい」

「だから助けられてくれると俺が助かるんだが」

「……いいですよ」


 くすっと桃花は笑って、屈んだ柊の背中におぶさった。

 桃花が知っている男たちのどれとも柊の背中は違った。鍛えた兵士の背中だ。


「しっかり掴まってろよ」

「はい」

 天蚕糸(てぐす)を掴んで、桃花を背中にしがみつかせた柊は温室の大木へと糸を登っていった。





















「ぅっわ……なにここ?」


 鍋島まいるはあんぐりと口を開けて嘆息した。自分が横たわっている部屋を驚愕に満ちた瞳で眺める。


 一柱の柱に似た一枚の壁もない円形の、本だけで埋め尽くされた部屋。

 背表紙に指をひっかける隙間もない本の壁は、一冊抜き出したら崩れてしまうだろう完璧な配列でそこに収まっていた。


「天井、ないじゃん」


 上を見上げても、円柱に詰まった本がズラッと積み上がっているのが真っ暗闇まで続いている。果てのない円形の本の世界。彼女が寝転がっているのも、本が乱雑に打ち捨てられている上で、床ではなかった。


「昼寝したはずなんだけど……」


 学校から帰ってきて、本来の持ち主が不在の部屋で心安らかに惰眠をむさぼっていた、寝返りでベッドから落ちた感覚がして、目を開けたらコレだ。


「これはなに? なんの記念編?! 絶対病猫(ウチ)じゃないでしょ?! だってファンタジックすぎるもん、いつもの感じじゃ……」


 言っていて、まいるは頭上で動いたものに目を細めた。

 あれは……。


「ひ、と……?」


 人間の印影を見つけたとき、それが落下してきているのが分かった。そしてそれが見覚えのある男であることも。




「ま、魔法使いさ……?! ひゃっ?!」


『先見の魔法使い』、黒瑪時哉(くろめときや)がまいるが寝転がっていた本の海に落ちてきた。

 大きな音を立てて、黒瑪の身体が本の中に落ちて沈む。十数冊が男の身体を飲み込んだ衝撃で飛沫のように舞いあがった。


「う、そ……あの、生きてま、ひぃいいいい!!」


 黒瑪が落ちて沈んだ場所に四つん這いで近寄ったまいるは、ズボッと本の海から生えた手に悲鳴を上げた。


「……っ、まいった。落ちる時のことを考えてなかった、天井に届くだろうって跳んだのが甘かったか」

「黒瑪さん!」


 顔をしかめながら、無数の本の中から黒瑪が這い出てきた。


「鍋島さん? なんで……ああ、そうか引っ張られたのか」


 よっと本の海から生還を果たした魔法使いにまいるは首を傾げた。


「引っ張られ……?」

「ちょっとひと波乱あってね。俺の師匠が残したグリモワールを取り戻すのにキミの恋人」

「……アレを他人から恋人って言われるのに慣れてなくてどうしても否定したくなる」

「キミの男」

「その言い方は嫌!」



 黒瑪はまあいいと肩をすくめた。


「とにかく『野良猫』に今回、『ウラ』で仕事を頼んでいたんだ。魔法使いのカルト結社が俺の師匠のグリモワールを使って並列世界の均衡を崩そうとしていたんでね。『薔薇十字団』って知っているかい?」

「しりません」


 まいるは素直に首を横に振った。


「それって大変なことなんですか?」


 まいるの言葉に黒瑪は苦笑した。


「津波のあとの海は豊漁だって言うだろう? それと一緒で、並列している世界を全部ごちゃまぜにすることによって、独立の回路を保っている各世界の魔法因子を一つの世界に」

「それ長くなりますか? 結果だけ言えません?」


「師匠の残したものを取り戻したまではよかったんだけど、ウチの子が触ったら暴走してしまってね。キミが来ているってことはノラくんも来ているはずなんだけど……」


「誰もいませんけど……」

「座標が違うのか」

「あの、つまり魔法使いさんの用事に、巻き込み事故的な感じで私はここにいるってことでいいんですかね? なんで?」

「正確には『野良猫』に引っ張られたんじゃないかな。彼の一部が鍋島さんの身体のなかにあって、それで巻き込まれたんだと思うよ

「アイツの一部?」


 まいるには身に覚えがまったくなかった。黒瑪は少し気まずそうに顔をそむけた。


「えっと……体液、とか」

「たい、え…………」


 バッとまいるは口元を抑え、耐えきれず真っ赤に顔を震わせ本の地面突っ伏した。


「ぅわあああああ!! あの、あの変態め!! だから嫌だって言ったのに! 昨夜あれだけ嫌だって言ったのに……!」

「鍋島さん落ち着いて、昨夜何をされたかは俺も大人だから聞かなくてもなんとなくは……」

「察せられるのもイヤなんですけど?!」

「とにかく、キミがここにいて桃花がいないってことは『野良猫』と一緒の座標にいる可能性が高い、なんとかして合流しよう」

「……会いたくない! 今アレの顔を見たら殺意が湧く!」

「湧いていいから手伝ってくれ。俺の大切な人が困っているかもしれないんだ」


 まいるは涙目で顔を上げた。


「大切な人……?」

「大事な家族なんだ。跳んでここを出ようとしたけれど果てがない、早く見つけてあげないと……」


 顔を悲痛にゆがめた黒瑪に、まいるは制服の袖でぐしっと目元をこすった。

 彼女は家族というものを知らない、母親はいたけれど大事な家族と思えたことはなかった。


「……なにをしたらいいですか」


 思えたことはなかったけれど、それが尊いものであることは知っていた。


『先見の魔法使い』は足元にある本を革靴でコツっと蹴った。


「キミが引っ張られてきたってことは、こっちも向こうを引っ張れるってことだ。猫の首をひっつかんでくれ」



















 ハッハッハッ、と壱琉は小刻みに呼吸を繰り返した。心臓が早鐘を打って、肌に汗が浮かぶ。身を隠し、見つからないように息をひそめていた。

 彼女の頭の上では兎のように耳の長い精霊、月兎(らいと)が追ってくる足音をなんとかして捕らえようと耳をパタパタしていた。


「わかる?」


 ほとんど吐息のような音で尋ねる。

 そこかしこでカチカチカチと鳴り響くせいであの男の足音わからない。


 壱琉が落ちたのは、大小無数のぜんまいが噛み合って動く部屋だった。

 天井も壁もぜんまい出来ていて、常に休まることなく動いている床のない部屋は、時計の内部が延々と底なしで続いている。



 それだけでも一大事だというのに――



「出ておいでー、子兎ちゃん。イイ子だからさー」


 ねっとりとした男の声がぜんまいの向こうか壱琉を追いかけてきた。


「痛いのほんの一瞬、すーぐ楽にしてあげる。俺も忙しいからそんなに時間はかけないよ。ナイフでさくっと終わらせるから、野良猫さんのまえに出ておいで」


(なんでこんなことに)


 城の東棟にいたはずだ。

 労働組合春季闘争に参加していた。

 彼女の唯一の臣下は同僚から押し付けられ、イヤイヤとその場にいたが壱琉は違う。

 壁門守衛団の賃金底上げ、休日増加、柊の生活を少しでも向上させる為、横断幕をもって待遇改善を唱和していた。


(お父さんが勝手に参加したから……!)


「僕も休みが欲しい、長期休暇を年一回要求する」と言い出した国王陛下が、兵服を着て春闘にもぐりこんできたせいで精霊宰相が激怒した。

 アヌイ宰相曰く「貴様はそろそろ自分の立場をわきまえろ!!!」とのことだったが、全くその通りだ。


「柊、城にいるのかな……」


 キレた精霊宰相と父がぶつかり合った衝撃で東棟が崩れた時、確かに壱琉は柊と手をつないでいたはずだ。それなのにいない


 ここに落ちたのは壱琉だけ。

 そして……。





「みーつけた」





 ゾっとするほど機嫌のいい声が頭の上から聞こえる。

 壱琉が顔を上げた瞬間、鈍色の刃が降ってきた。


 バチリっと火花が散る。


「ぅおっと」


 目に見えない障壁が刃物を弾いた、壱琉が契約し影の中に住む従僕の一席たる精霊、強羅の結界だ。


 月兎(らいと)を頭に乗せた壱琉がその隙に転がるように距離をとった。


「こら逃げない」


 ゆったりとした足取りで、それでも確実に追い詰めるように、シルバーアクセサリーを付けた手の中でナイフを遊ばせ芥生(あざみ)ノラが笑った。


「うまく刺せないだろ」

「刺されたくないから逃げてるんですけど! なんで襲ってくるの?!」

「この手のマジックダンジョンはエリアにいる敵を倒せば帰れるって相場が決まってるんだよ」


 刃渡り20センチのナイフをぺろりと舐めてノラは言った


「残念ながら、野良猫さんはロリに興味がないんだ。処女のまま世を去るのは可哀想だから、せめて俺のナイフでキスしてやるよ」

「ろ……? あの、なにか誤解があるみたいなんですけど……私はただの労働環境改善を訴える善良な子供です」

「俺もだよ、実は環境保護と人権運動に精を出している善良な慈善家なんだ。さ、怖がらずにこっちにおいで」

「嘘だ! 刃物持ってるもん!」

「嘘つきはお互い様だろラビットパイ、ただのガキが俺のナイフを避けられるかよ。子兎の皮をかぶって男を騙そうとするアバズレには、硬くて気持ちいいのをずっぷりその肉に咥えこませてやるよ」



 言葉が通じるのに話が通じない相手に壱琉は初めて出会った。嫌悪感が汗となって小さな身体に滲む。


「ち、近づかないで……!」

「大丈夫、ハジメテはいつだって痛いけどすぐ気持ちよくなるから。俺のテクで天国に連れて行ってあげる」

「へ、変態っ」


 ぞぞぞっと肌を泡立たせながら、壱琉はノラを睨んだ。


「それ以上そばに来たら……やっつけちゃうから!」

「やってみろよ、そのかわり俺に捕まったら子兎ちゃんの誰も知らない恥ずかしいトコロを暴いちゃう……ぞ!」


 ノラのブーツが足元のぜんまいを蹴った、俊敏な猫のような動作で飛ぶ男は容赦なく壱琉に向かってナイフを振り下ろした。


















「……今悲鳴が聞こえなかったか?」

「え? 全然なにも」



 柊に背負われていた桃花が周囲を見回した。巨大な温室の枝に、揺れた様子はない。

 水の上の蓮の葉から、大木に移動した二人はそのままおんぶを続行しながら樹の上を渡り、巨大な幹を降りてようやく降りて地面にたどり着いた。



 柊の背から降りた桃花は顔を曇らせている彼に気が付いた。


「だ、大丈夫ですよ! さっきも話したけどシュッテパルムさんの主さん、きっと時哉さんと一緒にいますよ。私と入れ替わっちゃんです! ウチの時哉さんはすごい魔法使いですから、事情なんてすぐに察してますって」


「壱琉はたまに無茶をするんだ……アンタの家族に迷惑をかけていたらすまない」


「時哉さんもたまにぶっ飛んでいるんで、お姫さまに失礼があるかも……あの、そうであっても悪気はないんです! ちょっと心配性が過ぎて暴走するっていうか……! できましたら不敬罪はご勘弁頂きたいと言うか……!」


 必至の桃花に柊は少しだけ肩の力を抜いて笑った。


「愛しているんだな」

「え?! いやっ、その……!」

「家族を」

「あ、ははは……、そうですね」

「家族仲がいいのは幸せなことだ。俺の主はそういう連中を悲しませることはしない」


 灰色の目を細めて柊は歩き出した、その後ろを桃花はついていく。

 蓮の花が浮かんでいた湖から流れる川に沿って歩いた。温室の地面は鬱蒼と濃い緑が腰元まで生い茂っていて、獣道すらない。

 剣を抜いて雑に伐採していく柊の後ろ姿に、桃花はいつかの樹海での黒瑪の姿を重ね、そして肩の力を抜いた。


「私、本物の騎士の人に初めて会いました。お姫さまと一緒にお茶会とか夜会に出たりして踊ったりするんしょう? 」

「申し訳ないが俺はただの下っ端兵士だ」

「でもお姫さまの護衛なんですよね?」

「いや、門番」

「門番?!」


 桃花のおどろきに柊は苦笑した。


「護衛は近衛隊の任務だ、俺は壁門守衛。城の城壁や外玄関を守るのが任務だからお茶会も夜会にも参加資格がない、顔を出せるのはせいぜい労働組合くらいだな」

「門番なのになんでお姫さまと?」

「恐れ多くも一の臣の座を頂いている」

「……信頼されてるんですね」

「俺がアイツを信頼しているんだ」


 肩をすくめて、柊はザクザクと藪を斬り進めていったが、ふと後ろを振り返った。

 桃花が立ち止まって難しい顔で柊を見ていた。


「……それはお姫さまだから?」

「どうした?」

「あの、私……私と時哉さん血はつながってないんです。あの人はお父さんの弟子で……色々あって家族って関係に落ち着いてはいるんですけど……全然、信頼してもらえなくて」

「仲が悪いのか」

「仲は良いんですけど……」


 桃花は言い淀んだ。

 会ったばかりの男に、この状況で言うべきことではないことは充分わかっていたが、ここに落ちる前の黒瑪の言葉が身体の内側にぐずついていた。


「子供は余計なことをするなって言われてしまって」


 父親の魔導書が魔法使いの秘密結社に悪用されたのは本当だ。

 黒瑪と桃花がそれを取り戻したことも。


 ただし、桃花は勝手についてきた。


「時哉さんはいつも1人でなんでもやってしまって……それが大体私が関わっていることで、危ないことも沢山あるのに全然教えてもらえないんです」


 グッと桃花は腕に爪を立てた、情けなさで身体が震えそうになる。


「今回だって、私が気が付かなかったらあの人は黙ってたんです。子供は何も知らなくていいって理由で……」

「贅沢と傲慢のせめぎ合いだな」

「え?」


「子供扱いされながら、何もかもを求められる人間を俺は知ってる。ソイツは自分の家に帰ってきても、ただいまも言えないほど息が詰まってた。ただの子供でいたいと泣いて願って……でも誰もそれを叶えてやることができない。ソイツがただの子供でいてくれないからだ。それからすると、アンタは贅沢者だしアンタの家族は傲慢に聞こえる。限られた可能性の時間をすれ違いで消費してる」


 柊はそう言って小さくため息をこぼした。


「……いまのは無いものねだりだ。忘れてくれ」

「グサッときました」


 桃花のなかのぐずついた靄を晴らすにはちょうどいい刺さり具合だった。


「シュッテパルムさんお願いがあります。私を口説いてくれませんか?」
























「お、もい~!」

「頑張って鍋島さん」


 ぐぎぎっと歯を食いしばりながらまいるは『先見の魔法使い』が4枚のタロットカードで作り上げた魔方陣に両腕を突っ込んでいた。

 古代ヘブライ語と幾何学模様を合わせた青く発光する陣は円形の本の壁にぼんやりと浮かび上がり、まいるの腕の肘から先をどこかへと誘っている。


「もういい、もうやめましょう! きっとノラは桃花ちゃんと一緒じゃないですよ。その方が絶対いいはず……! あの変態と2人きりになったが最後、清いままでいるのは無理なんだから!」

「そうなったら俺は彼を殺さないといけない。桃花はまだ子供なんだ」

「極端! そういえばアナタもジャックポット組でしたもんね!」


 普通じゃないわけだ、と黒瑪の固く決意した様子にまいるは叫んだ。ただただ巻き込み事故の被害者たる少女は、それでもこれ以上の新たなる犠牲者が出ないことを祈らずにはいられない。


「ノラ……馬鹿! あの馬鹿猫、本当にっ。なにが『割のいいお仕事行ってきます』だ……! 割食ってるのは私だっての!」

「桃花が無事だったら割増しで料金払うよ」

「直接私にもらえませ……痛い痛い痛い! 魔法使いさん手がビリビリしてきたんですけど! もうやめていいですか!?」

「キミの腕より桃花の情操教育の方が大事だから頑張ってくれ」

「ですよねー、どうせ鍋島まいるは誰からも愛されない貧困少女ですよ!」


 文句を言いつつ、まいるは腕を抜かなかった。

 額から汗を噴き出しながらも、彼女とつながっているだろう存在を懸命に探す。

 黒瑪が渋面を作った。


「巻き込んで本当に申し訳ない、キミもノラくんも……俺のせいだ、もっとキツく桃花に言い聞かせておくべきだった」


 黒瑪は後悔していた。こんなことになったのは自分の甘さが原因だと。


「嫌われるのが怖かったんだ、あの子は思いやりと優しさの塊みたいな子で……それを突き放すことが出来なかった。世の中にはソレが通用しないこともあるって、桃花にまだ絶望して欲しくなかった」

「優しさが世の中で通用しないって教えるよりずっとマシだと思いますよっ」


 心の底から本気でまいるはそう言った。

 まいるの母親は、子供に暴力と欺瞞と辛酸を教えたが、誰かに優しくする術を教えてくれたことはなかった。

 おかげさまで絶賛人間不信中だ。


「家族を大事にして何が悪いんですか、いいじゃないですか。大切だって思える相手がいるなんて幸せですよ……! 私なんて早く嫌われたくてたまらないのに」


 誰にも好かれたくない、1人で生きていきたい。隣に温もりを感じてしまったら、それを必要としてしまったら、もうまいるは生きていけない。これまでの自分として生きていくことが出来ない。


「世の中には言葉が通じるのに会話が出来ない馬鹿がいるんです。思いやりと優しさを桃花ちゃんが持ってるなら、魔法使いさんは話し合えるだけ救いがあるじゃないですか」


「……ノラくんは話が通じないかい?」

「アレと会話できるのは異世界人くらい……なんか掴んだ」


 両手にふわふわの感触。


「引け!」

「ひゃっ?!」


 黒瑪がまいるの首を子猫のように掴んで全力で引っ張った。

 青い陣の中からまいるの両手が、そして掴んでいるふわふわ……兎だ。


 2人は思わず目を見張った。


 長い耳を捕まれた兎に似た生き物と、その小さな動物の毛皮を乱暴に鷲掴んだノラがまいるの手と共に飛び出してきた。


「なっ?!」


 ナイフを持ったノラの身体が本が散らばった床に投げ出されたが、彼は受け身をとって転がった。


「……まいる?!」

「ノラ! ……え、ぅわっ!?」


 ノラはまいるを視界に収めるやいなや、彼女に飛び掛かって押し倒した。


「ダーリン17時間ぶり! 逢いたかった! けど……俺以外の男と2人きりでなにやってんの? 怒られたいの? 何時間何分何秒俺以外の男といたんだよ、なに話したんだよ、全部言え!」

「アンタこの状況で真っ先に言うことソレ?!」

「今日の下着は何色?」

「もっと違う!」

「桃花がいない……ノラくん桃花は?! 一緒じゃないのか?!」


 黒瑪の愕然とした声が責めるように尋ねた。まいるに馬乗りになったままノラは黒瑪に顔を向け首を傾げた。


「誰それ」

「女の子だ、いただろう!」

「あっれー、もしかしてあの子兎ちゃんは魔法使いの知り合い? 道理でへんてこなわけだ」

「私の衣服を乱しながら普通に会話をするな変態!」

「いいから黙ってブラを見せろビッチ」

「いやあああ!! 助けて変態が襲ってくるー!」


 まいるはバシバシと手元にあった大きな本でノラを叩いた。変態はちっとも効いた様子を見せない。

 2人のことなど最早どうでもいい黒瑪は、ノラと一緒に飛び出してきた兎を焦ったようにジッと見つめた。


善き精霊(シーリーコート)? なんでこんなハッキリと実体が……」


 その時だ、コツンっと黒瑪の頭に小さなぜんまいが落ちてきた。


「なん……」


 天井のない頭上を見上げること三拍後――

 バラバラと大小無数の歯車が落ちてきた。


「『寄り添いの力(ストリングス)』!」


 タロットカードを一枚滑らせると黄金の毛並みをした獅子に変わる。


「『野良猫』上だ!」

「え?」

「ん?」


 まいるとノラは同時に真上を見上げ同時に「げっ」とソレを視認した。


 落ちてくるのは無数の歯車と天井一杯の大量の水、そして――


「いた! 変質者! 月兎(らいと)を返して!」


 水を背負った壱琉がノラに向かって水流の槍を放つのと金色の獅子がまいるの身体を咥えたのはほとんど同時だった。


「な、なになになに?! え、ライオン?!」


 まいるの身体を咥えた獅子が本の壁を四本脚で登って落ちないように爪を立てた。まいる・ノラ・黒瑪がいた、本を乱雑に敷き詰めた床はいまや見えず、かわりに巨大な水流が渦を巻いていた。


「大丈夫ですかお姉さん!?」


 子供の声にまいるは顔を上げた。

 1人の少女が落ちてきた。頭の上に先ほどノラと一緒に引っ張りこんだはずの兎を乗せている。


 壱琉はまいるを咥える獅子のたてがみに捕まって、自分より年上の彼女を覗き込んだ。

 動揺と衝撃に身体を固め、手直に会った本を藁をもすがる思いで胸に抱いていたまいるの衣服の乱れを見つけ、壱琉は顔を青ざめる。


「お姉さんも変質者の被害に……?!」

「えっまさかアナタも?!」


 まいるは瞠目し、そして気が付いた。


(え、この子……)


「もしかして魔法使い?」

「はい」

「よかった……! アナタの家族が心配して探してたんだよ。本当にもう切羽詰まった感じで」


 パアアッと壱琉の顔に笑顔が浮かんだ。

 太陽のような眩しさにまいるは少しめまいを覚えた。


「柊来てるんですか?! どこに……」

「やってくれるな子兎ちゃん」


 不穏と怒りを纏った声が遮った。

 壱琉とまいるはそろって下を向いた。

 本を飲み込んで渦を作っている水の中から生還を果たしたノラが、壁にナイフを突き立てて、壱琉をギラギラと睨み上げていた。


「あっは、ちょっと濡れたよ。俺をその気にさせたんだヤリ逃げできると思うなよ、そこにいるビッチとまとめて犯してやるから足を開け」


 ペロッとノラが赤い舌を出した。

 その卑猥さに――



 乙女の柔肌に寒気が走る。

 2人の少女は同時に叫んだ。




「変態!!」





















「滝壺?」


 桃花は呆然と呟いた。

 終わりがないように思われていたジャングルのような巨大な温室の探検は突然にして終点となった。


 川沿いを歩いていた地面が無くなり、柊と桃花の前に現れたのは川の中のぽっかりと空いた大きな丸穴、そしてその穴に轟々と飛沫を上げて流れ込んでいる水だ。


「ここで行き止まり? え、本当に?」

「……もしくはあの穴に水と一緒に落ちるか、だな」

「そんな! いくら何でも無茶ですよ、そんなことする人間……」


 ぐわっと水が落ちる滝穴が目の前で盛り上がった。

 2人の目の前で間欠泉が噴き出すように巨大な柱となって水が逆流してきたのだ。


 水と一緒に二人の男が飛び出してきた。

 1人は銀色の髪、1人は黒い短髪、そして大量の本。


「遡上してくる人間はいるらしいな」

「時哉さん!?」


 大雨のように噴き上がった水が降るなか、滝穴から金色の獅子が男たちを追いかけるように駆け出てくる。



『先見の魔法使い』はずっと探していた声に顔を巡らせた。水しぶきの向こうに彼を呼ぶ少女の姿を見つけ名前を呼んだ



「桃花……! 『寄り添いの力(ストリングス)』!」


 金色の獅子が『先見の魔法使い』が命じるまま水の上を桃花目指して駆ける。その背にはまいるを乗せたままだ。


 桃花が向かってくる獅子とソレに乗る少女に目を見張った。


「シュッテパルムさん! いましたよお姫さま!」

「……違う」

「え? ……きゃあっ!」


 獅子が桃花をその大きな口に咥え、同時に背中にしがみついていたまいるを振り落とした。反射的に柊は落ちてきた見知らぬ少女を抱き留めた。


 ガチガチと歯を鳴らし命綱のようにまだ本を抱いていたまいるが涙目で安堵する。


「し、死ぬかと思った……! ありがとうございます見知らぬ人!」

「どうも」

「……なにやってんだよ馬鹿女」


 地の底を這うような憤怒を湛えた声に、まいるは柊の腕の中でびくりと身をすくませた。


「ひっ?! きた……!」


 浅瀬に投げ出されたノラが、じゃぶじゃぶと水を蹴りながらナイフを片手に黒い目を怒りでぎらつかせている。全身が尖ったナイフのように殺気立っていた。


「この短時間で2人目の間男とか……しかもなんだそのお姫さまだっこは、俺がすると嫌がるのに……酷い、酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い。俺の心は深く傷ついたよ」


 近づいてくるノラの恐ろしさのあまり、まいるはギュッと柊の服に縋りついた。少女の怯えようと男の異常性に柊は眉を寄せる。


「……痴話喧嘩?」

「ちがいます!!」

「俺以外の男と喋るな」


 ピッとノラのナイフがピタリと柊に狙いを定めた。ぎらついて感情がマグマのように渦巻いている、ぐるぐるとしたノラの眼光にまいるが悲鳴を上げる。

 柊が水のむこうからやってきた姿に灰色の目を見張らせた。


「……やめろ」

「ヒトの女に手を出したんだ、頭と胴が離れる覚悟はできてんだろ」

「話せばわかる、だからいまは待ってくれ頼む…………(たつ)(ひめ)


 まいるが「え?」と首を巡らせ……直後息を飲んだ。

 ノラの背にぞくりと悪寒が走った。これまで幾多の血の回廊をくぐってきた野良猫の本能が、警告を発している。


(水が……)


 足元の違和感に気が付いた。ノラの立っている場所、膝下あたりにまであったはずの水が引いている。



「ほう、妾に物申すか。随分と偉くなったものじゃのう……柊」



 柔らかい少女の声音であるのに、肌に直接氷を当てられたような冷ややかな傲慢さを帯びた声だった。



 ノラが振り返る、柊に抱っこされたまいるがパッと口元を持っていた本で隠した。


「……うそ、水の上を歩いてる」


 川の水が流れる丸滝、急流の変化する川面の上を軽い足取りで歩いてきた壱琉が幼い黒い目を歪めて酷薄に笑った。

 壱琉の眼光に、()()彼女の身体を動かしている確かな存在が見て取れた。


「アヌイの阿呆だけでも怒り心頭じゃというに、分もわきまえない小動物が爪を立ててきよって……!しかもなんじゃ、黙って我慢しておればようもベラベラと下品極まりないことばかり並べて……主さまのお耳が腐り落ちるわ。聞くに堪えん……!」



 竜姫は壱琉の声で吐き捨てるように言った。

 川の岸からブルブルっと水をはじきながら上がった月兎が恐れおののいて柊の頭の上に飛び乗った。

 キッと壱琉の柳眉が逆立つ


「精霊宰相への罰は昼行燈の長子にやらせるとして、月兎(らいと)、柊! この愚弟共が!!」


 怒髪天を突くように川の水が盛り上がった。爆発する前の風船のように膨らんだソレが大津波になって飲み込もうと強襲する。


 柊はまいるを抱きながらノラに叫んだ。


「尋常じゃなく怒らせたな! 一体なにをした!!?」

「うるせえ! いいからその手を離せ、まいるに触るな!」

「ノラ謝って! あの子にあやまっ……」


 水が叩きつけるように三人と一匹の精霊を飲み込んだ。


「桃花っ、岸に……」

「時哉さん!」



 金色の獅子の背に乗った桃花がまだ水の中の黒瑪に手を伸ばすも、獅子が川岩の上から岸へと跳躍した。桃花の目の前で黒瑪が水に飲み込まれる。


「時哉さん!!」


 水が音を立てて引いていき、ゆっくりと一か所へと集まっていく。あっという間に巨大な水牢が出来上がった。




「な……なんなの」



 びしょ濡れになりながら、なぜか水に攫われることなく済んだまいるが、ペタンと岸で腰を抜かした。砂利の川底にさざ波と共にナイフと一本の兵士の剣、そしてタロットカードが打ち上げられた。


「大丈夫?!」


 呆然とするまいるに獅子に乗った桃花が駆け寄った。四つ足の背中から降りると濡れる彼女の肩を掴む。


「怪我は…………これ、時哉さんのカードとシュッテパルムさんの剣じゃ……」

「ひぃい! 来た!」


 2人の少女はグッと身構えた。

 トンと川底が見える砂利に降り立った水の牢を作った張本人は桃花とまいるを傲慢に見据え、ふんっと鼻を鳴らし、柊の剣を手に取った。


()()はうつけだらけ、ちと折檻が必要じゃのう。そこの小娘ども!」

「は、はい!」


 ビクリと桃花は身体を跳ねさせて返事をした。竜姫が壱琉の身体で川辺に座り、腰を抜かして泡を食っているまいるの肩にコテンと頭を預けた。


「主さまのお世話係を命ずる、妾が戻るまで誉れに励めよ。戻ってきたとき主さまにご不快を与えておったら殺す。肩を抱いておれ、お倒れになるからな」

「へ? えっ、うわ?!」


 返事も待たず、壱琉の身体からこぽりと魚の形をした水が離れた。そのまま魚は川の中へ泳いでいく。剣を持ったままの壱琉の身体からふっと力が抜ける、まいると桃花は慌てて自分たちよりも年下の女の子の身体を抱き留めた。


「……寝てる」


 ほーっと2人は同時に息を吐き、顔を見合わせた。


「ふ、不快を与えるって……なにが不快になるのかわかります? ていうかこの子誰?! さっきの感じと今と全然ちがうんだけど……!」

「とりあえず砂利でそのまま寝かさない方がいいんじゃないかな」


 桃花が金色の獅子に手招きをする。魔法のライオンは尻尾を揺らしながら猫のように座りこんだ。獣の温かい腹に壱琉を寝かせ、まいるは怖々壱琉を見つめポツリと呟いた。


「桃花ちゃんて意外と過激なんだ……」

「え?! そんなことはない、ですよ!?」

「……? 桃花ちゃんと知り合いなんですか?」

「あの……扇田桃花は私ですけど」

「え?!」


 今度はまいるが驚く番だった。獅子の腹を枕に眠っている壱琉と桃花を交互に見比べる。


「ごめんなさい。この子も魔法使いだって言ってたし」

「もしかして時哉さんと一緒に……? えっと……壱琉さん、じゃないですよね」


 どう見ても桃花にはまいるが自分と同じ現代日本の女子学生にしか見えなかった。



「鍋島まいる、高校一年生です」

「あ、同い年」

「そうなの?! ごめん、魔法使いさん……黒瑪さんの言ってた感じだとてっきり年下だと……」

「時哉さんの知り合いなの? なんでここに……?」

「私は巻き込み事故らしくって……ココに来た時には魔法使いさんといっしょの場所にいたんだ。本ばっかりの部屋で」

「じゃあ、この子が壱琉さん……?」


 桃花が信じられないといった面持ちで眠る壱琉を見つめた。

 自分よりも小さな女の子が、シュッテパルムから絶大的な信頼を得ているのだ。


「知ってる子?」

「異世界のお姫さまなんだって。私とこの温室にいた男の人の主さんだって……」

「異世界のお姫さま……?」



 2人の間で眠っていた壱琉が飛び起きた。


「変質者!! どうなっ……あれ、お姉さんが増えてる?!」


 桃花を見とめて壱琉は大きな目を険しくした。


「大丈夫ですか?! お姉さんも変質者の被害に遭われたんですか?!」

「え、私は……別に、あの……お姫さまですか?」

「違います」


 壱琉は即答した。ノラが分かりやすい嘘をつくときの顔に似ていると、見ていたまいるは思った。

 桃花が狼狽する。


「そんな……じゃあシュッテパルムさんの主さんがまだ1人でどこかに……」

「あ、それは私です!」


 はーい、と良い子の返答の壱琉に桃花はますます困惑した。


「壱琉さん……? でも、お姫さまじゃないって」

「私は壁門守衛団16小隊労働組合員特別補佐です。 目指せ真の働き方改革!」


 ドンと胸を張った壱琉はまいると桃花の顔を交互に見て安心するように笑った。


「お姉さんたちのことは私が守ります! 壁門守衛団暗黙の掟、その3! 困っている女の子は無条件で助ける、ですから!」

「女の子限定なんだ」


 まいるが思わず笑った。壱琉が神妙に頷いてみせる。


「男子に細かな条件があるらしいです」

「助けないと弓矢の的にされるんでしょう?」


 桃花の言葉に壱琉が喜色ばんだ。


「そうです! よくご存じで……これはアレですか、私の日頃の細やかな『門番が一番カッコいい』運動が実を結んできた証……」

「シュッテパルムさんが教えてくれたの」


 壱琉は弾かれたように顔を水牢へと向けた。

 ジッと幼い黒い目が巨大な水球を見つめると瞠目する。


「ホントだ」


 少女がふいっと手を振った。その三拍後、不承不承と言ったように水の檻が癇癪玉のように割れた。


 川に水が戻る。


 差し潮の波に乗って、最初に岸にたどり着いたのは柊だった。せき込みながら水の中から上がる男の頭の上では月兎が恐怖に怯えていた。竜姫にこってり怒られた精霊は、つぶらな瞳を潤ませて壱琉の腕の中に飛びこんだ。


月兎(らいと)!」

「かっわいー!!」


 桃花とまいるは声をそろえて黄色い声を上げた。壱琉の頭の上によじよじと昇って甘える月兎に女子学生達は一瞬状況を忘れた。


 ブルルっと月の光に似た濡れた身体から水しぶきを飛ばす月兎と、キャーキャーと楽しそうに騒ぐ女子学生達を気にしつつ、柊は壱琉のそばへと歩み寄った。


「ヒドイめにあった……」

「柊! よかった会えた!」

「無事だな。それはそうと……なにがあった? 相当怒ってるぞ竜姫」

「時哉さんは!?」


 桃花が黒瑪のカードを胸に抱きながら柊につよめった。灰色の目がスッと水辺に動いた。


「どっちだ?」

「黒い髪の魔法使いです」

「あれか。気の毒に……」

「なにが水のなかであったんですか?!」

「で、銀髪のほうがなにをした?」


 壱琉がプンプンと怒りをあらわにして言った。


「卑猥な言葉を浴びせながら刃物を振り回して私を襲ってきたの、ココに来たことを私のせいだと思ってたみたい」


 月兎の耳をつんつんしていたまいるが顔を青くした。柊の纏っていた空気が変わる。


「……俺の剣はどこだ、ちょっと戻って切り刻んでくる」

「ごめんなさい!!!」


 土下座せんばかりの勢いでまいるが壱琉の腰にすがりつく。


「えっ」

「変態にかわって謝ります!! 本当にごめんなさい!! なんでもするから殺さないで!!」

「し、知り合いだったんですか……? 友達?」

「恋人らしいぞ」

「えっ」

「違います、金銭的に世話になっている知人です」

「労働契約を結んでいるの?!」


 労働組合員補佐は俄然息巻いた。壱琉は自分の肩書をどんな時でも忘れてはいないのだ。


「結んで、は……ない」


 まいるは居心地悪そうに顔をそむける。


「アイツが勝手に……だけど私は衣食住世話してもらってるわけで……」

「衣食住の問題がなくなれば切り捨てていいか?」


 剣を佩いた柊が灰色の目を剣呑に細めた。


「アンタに職を紹介してやる。ウチの食堂は万年人手不足で皿洗いが足りないそうだ。寮にも入れる。これでいいか?」


「あの……私。その」


 言い淀み、申し訳なさをにじませながらまいるは壱琉と柊に頼んだ。


「お姫さまに酷いことをしたのは私からも謝ります……タダ働きでもなんでもして、償いますから、命だけは……ムシがいいこと言ってるってわかってるけど……アイツは、その……悪いヤツだけど、いいところも数える程度はあるっていうか……本当にごめんなさい。一生お姫さまのお皿を洗うから命だけは許してもらえませんか?!」


 泣きそうな懇願するまいるの顔。

 それに、悲壮と一抹の愛情を見つけて壱琉は苦笑する。


「……無償労働を労働組合員補佐が受け入れることは出来ませんよ、おねえさん」


 仕方がないと緩く首を横に振った壱琉は片手でそっと剣にかかっている柊の手を包むと、川に向かって空いている方の手を何かを呼ぶように振った


 ブクブクと川面に泡がたち、ぶはっとノラが顔を出した。

 水の中でスーッと一匹の魚が泳ぐ影がピチャっと彼に小さな水しぶきをかけ、消えていった。


「……くそ」


 ぜーぜーと息を吐きながらノラが水の中から出てきた、肩にぐったりと動かない黒瑪を担いで水の中をざぶざぶと進む。


「ファンタジーの怪物め、ノラさんは現実世界の住人だっての……! しっかりしてくんない魔法使い?! これ系が専門だろ」


 まったく動かない黒瑪に、ノラは文句を言いながらも岸に雑に転がした。桃花が膝をついて覗き込む。


「時哉さん……!」

「魚の化け物がきた瞬間ぶっ倒れたよ」


 呆れたノラが肩をすくめた、その時だ。

 黒瑪が水を吐いた。ゴホゴホとせき込む背中を桃花はさする。


「時哉さん、大丈夫?!

「…………きもちわるい、魔力酔いした……」

「魔力酔い?」


 聞いたことのない病状に、医者の娘たる桃花が眉を寄せていると、後ろからまいるの悲鳴が上がった。

 急いで桃花はそちらに振り返り、ぎょっとすることになる。


 ノラがまいるに無理矢理抱き着いてキスしようとしたからだ。


 まいるは直角に身体を海老反らせてシルバーアッシュの髪を鷲掴みながら手を突っ張った。


「や・め・ろ変態―!」

「浮気するようなビッチの言うことなんて聞くと思う? いますぐ躾けなおしてやるから舌をだせ」

「お姉さんを放して!」

「いてっ」


 壱琉の手から投げられた月兎がノラのシルバーアッシュの頭に噛みついた。


「このっ、兎! ふざっけんな、俺の毛並みが乱れる……!」

「頭髪で許してやるだけありがたいと思え」


 腰に佩いた剣をコツンと叩いて柊が冷ややかに言った。


「間男……!!」

「俺は間男じゃない、労働闘争に巻き込まれた哀れな組合員だ」

「うるせえ! 野良猫はフリーランスだから組合なんて……兎ウザい!!」

「お前が喚いてられるのは俺の主の温情とアンタの女の命乞いだってこと教えておく……それを尊重せず踏みつぶすような言動をしたら俺はお前を切り刻むぞ」

「あ?」


 逃げようとするまいるを片手でガッシリと捕まえたノラが柊とそしてその横でプンプン怒っている壱琉を交互に見た。


「あんたらだれ?」

「そっちこそ誰だ。扇田桃花の知り合いか? 本となんの関係がある?」


 その質問にノラの眉根がよった。暴れていたまいるがドキリと心臓を高鳴らせる。仕事の顔を見せる野良猫に、彼の腕の中の少女は大人しくなった。



「本?」


 なんのことだと壱琉が首を傾げた。


「アヌイ宰相閣下の本だ。もう一つあるらしい、そうだな扇田桃花」

「はい」


 ぐったりと顔を真っ白くした黒瑪を支えながら桃花がうなづいた。


「私たちが探していたグリモワールがシュッテパルムさんのお国にあるのとそっくりらしいんです」


 黒瑪とそして壱琉は同時に同じ言葉を口にした。


「ありえない」


 魔法使い同士は顔を見合わせた。

 黒瑪はジッと壱琉を伺うように見つめる。


「……なにがありえない?」

「アヌイの本が2つあることが。あれはアヌイって精霊の存在と一緒にこの世にあるものだから」

「その答えは明確だ。俺の師匠の得意なことのひとつにパクリ技っていうのがある。良いと思ったものは率先して真似するんだ。贋作が真作を超えた評価を得て、真作が贋作扱いされるのを眺めるのが趣味っていう……」

「ぅわ、悪趣味」


 後ろからホールドされながら頭にノラの顎を乗せたまいるが非難の声を上げる。聞いていた桃花は居たたまれなくなった。


「……私のお父さんなの」

「えっ?! なんかごめん」


 気持ちは分かると壱琉がうなづいた。


「わかります、ウチのお父さんもたまにネチネチと嫌味を笑顔で言うんです」


 まいるが失敗したと顔に出しながら黒瑪に続きを促した。


「ま、魔法使いさんはなにがありえないんです?」

「幸成が次元を超えていたってことになる。その精霊宰相の持つ本を幸成が複製するには世界を渡らないといけない、次元移動の術を確立させていたなら、幸成が俺にそれを伝えないなんてことはない」

「大いにありえるんじゃないですか」


 少しの辛辣を交えて桃花は黒瑪に笑顔を向けた。


「時哉さんだって私に黙って色々やってるもの」

「それとこれとは話が違う」

「一緒です、危険なことをお父さんは遠ざけたかったんです。知ってたらやるもの時哉さん」

「全然違う、俺は幸成とは対等だった」

「私と時哉さんは対等じゃないってことですか?」

「そういう意味じゃない! 子供と大人の違いって意味で」

「お父さんだって時哉さんを子供だと思ってましたよ!」

「俺に子供だったときはない」

「ほらね! 聞きましたシュッテパルムさんこれですよ」


 お手上げだと桃花は両手を広げ嘆げく。


「結局こうなんですよ。自分は子供されたくないくせに私のことをしてくるっていう……しかも10才にするような扱いをしてくるんです! やってられない! いまだって……まいるちゃんと一緒にいる人、誰?! あの場にいませんでしたよね! なにか私の知らないところでやってもらってたんじゃないんですか?!」


「か、彼は……あの、大学時代の後輩だよ。ね?! ノラくん!!」


 しどろもどろに答えた黒瑪は明らかに嘘をついていた、それを後押しするようにノラがにっこりと笑う。


「ボランティア同好会の後輩です」

「嘘だよ桃花ちゃん。この変態嘘ついて……うぐっ」


 余計なことを言うなとまいるの口にノラは指を突っ込んだ。それが決定的だった。桃花は決意のまなざしを湛え柊に向き直った。


「お願いしますシュッテパルムさん」


 柊は壱琉を一瞥したあと、まったくその気のない声で言った。


「毎日俺の為に食事を作って欲しい」

「いいですよ」

「駄目だ」


 黒瑪がにべもなく切り捨てた。柊に向かって険しい顔を向ける。


「許さない、会ったばかりの男にウチの子のなにが分かるって言うんだ」

「時哉さん、私に自由に恋愛して欲しいって言ってましたよね。運命の相手が見つかったので私はシュッテパルムさんの為にご飯を作ることにしました」

「それは大人になった時の話だ! まだ子供の桃花にそんなこと許可できない」


「はあ? なにそれバッカみたい」


 呆れた声を上げたのはまいるの頭に顎を乗せていたノラだ。


「恋愛に会ったばかりも子供も大人も関係なくない? ヒトメボレだって充分立派な動機だし。ねー? ダーリン」

「いや、魔法使いさんの言ってることが正しいでしょ」


 抱きしめられながらうんざりとまいるが言った。


「子供でいられるうちはいた方がいいって。ていうか大人が子供を子供扱いしないんておかしい。大人が子供に好いた惚れた言うとかありえない」


「そんなことないよ!」


 壱琉だ。


「恋愛に年齢なんて関係ないよ、気持ちがちゃんとあるのに年だけでダメなんて絶対おかしい!」


 ノラの目が我が意を得たとばかりに輝いた。


「なにこの子、超良い子じゃん。子兎ちゃん全部水に流すなら友達になろ、ノラさんと年の差恋愛について語り合おう。ツンデレの良さでもいい」

「いいよ」

「……そろそろ話を元に戻していいか? 2つの本について、どう思う? 俺の魔法使い」


 もう早く帰りたい、と柊の顔にはありありと浮かんでいた。


 ノラとペタッと片手タッチを決めた壱琉がうーん、と顎に指を当てて考えた。


「そのお師匠さんの作った本はもしかしてずっと使っていなかった?」


 少しだけ顔色が戻ってきた黒瑪がうなづいた。柊を睨んだままだが。


「……ずっと行方知らずだった。鍵がかかっていて、使える人間もいなかった。血が鍵だったんだ、桃花が触れた途端発動した」

「じゃあそれだ」


 ぽんっと壱琉は手を叩いた。


「アヌイがお父さんと喧嘩するのに本を使ったの。そのとき同期したんだと思う。本が次元移動の道具になっちゃったんだ。お師匠さんの本はなにが書いてある?」

「並列する世界に関する次元干渉論」

「アヌイの本をそういう風に解釈する魔法使いがいるんだね」


 感心したように壱琉はほーっと息を吐いた。


「すごいなあ、頭がとってもいいんだ。アヌイの本を知ってるってことはウチにも来たことがあるのかな? お名前は?」


「扇田幸成、あるいは『古の魔法使い』、もしかしたらユーリ・マカバイと名乗っているかもしれない」

「知らないなあ」

「知ってる」


 それは意外なところからの声だった。

 視線が一斉に一人に集まる。

 鍋島まいるはきょとんと目を瞬かせた。


「え、あの……さっきの本の作者だった気が」


 おろおろとしながら、まいるは足元に落ちていた本を拾い、作者名を指さした。


「ほら、作:ユーリ・マカバイ」




 それは白い革の装丁の大本だった。日本語で書かれた表題は『最果ての楽園』






「――そこは不思議な場所だった。精霊が実体をもち、人々が同じ言語を有する世界だ。魔法の理論機構も違う、なによりも魂の根幹に刻まれた魔法因子とは似て非なる力が大気に溶け込んでいた。この数年、十字軍の魔法使いとして砂塵のなか戦っていた私に、忘れていた探求心と好奇心を取り戻すには充分な魅力ある世界……。これ、お父さんの日記だ」


 直筆の本に桃花は感嘆の吐息をこぼす、今は亡き父親の手が残した文字たちが温かく桃花の目に映っていた。


「本当に別の世界に行ったんだ……」

「でも桃花ちゃんのお父さんは帰ってきたんだよね?」


 まいるが本の中を覗き込んだ。

 ずっとまいるのそばを離れなかったノラは、今は壱琉と膝詰めで恋愛談議に花を咲かせていた。


「んでねー、素直じゃない恥ずかしがり屋さんでツンツンしてんだよねー」

「だよねだよね! 素直じゃないのにたまに素直になるところがすっごく嬉しいの! 私だけに見せてくれる笑顔なんだって思うと、きゅーっとする」

「子兎ちゃんわかってんじゃん」


 意外と馬が合うのか、キャッキャッと会話している。付き合っていられない、と迷惑そうな顔で柊が本を囲む輪に入ってきた。



「帰り方は書いてあったか?」

「……あった、最後のページ――さまざまな出会いと実りある冒険のすえ、私はこの精霊と魔法が生きる世界から、自身の世界へと戻る日がとうとう来たことを悟った。ココで学んだことを私が本当に血肉にするには、我が魂のふるさとへの帰還を果たさなければならない。私は一匹の精霊から一枚の破れた羊皮紙を受け取った。いやはての賢者と呼ばれる彼の持つ本には未来が描かれ……」


 ハッと桃花は顔を上げた。黒瑪が静かに促す。


「続けて」


「――彼の持つ本には未来が描かれるという。彼曰く、未来とは並行する世界の続きでありながら本質すらも替える次元の変換であるとのことだ。十字軍遠征で聖教会とイスラエルの民の魔法が衝突した際に起きた私の次元旅行、それと同じことをこれで起こせるとアヌイは言った。魔法因子とその基本理念を異なるモノが等しい力でぶつかり合った時、そこに新しい道が拓ける」


 桃花は次の文字に瞠目し、そして少し期待に声を上ずらせた。


「精霊から渡された羊皮紙に私はそこで学んだ基本理念を書き記し、扉のない図書館した。蔵書という形をとったのは一つの遊びだ……この後の文字が読めない。時哉さん知ってますか?」

「俺にも読めない、古代ヘブライ語に似ているけれど文法が……」

「賢者は最後に私に言った言葉がある」


 2人が覗き込む本を真上から覗いた柊は読み上げた。


「俺達の使う文字だ……――賢者は最後に私に言った言葉がある。いつかお前のもとに幼い預言者が訪れるだろう、そのときお前が導くのだ、幼心をはぐくむように。その小さな預言者はお前に一つの弱さと、そして大切なものを運んでくる、と。そんな時がくるかはわからないが、もしそうならば、その預言者に私が楽園で学んだことを教えよう、預言者が大人になったとき、真っ暗闇のなかを照らす知恵の月となれるように、羊皮紙から作った図書館をここに残す。――どうした?」


 驚く桃花と黒瑪に柊はいぶかしんだ。


「いや、なんでもない……書いてあるのはそれだけか?」

「まだある。これは多分後から書き足したものだ……――さあ宿題だよ、『先見の魔法使い』お前が私のグリモワールの内の一つを見つけた時、あるいは二つの世界が同期した時、きっとキミはこの場所にくるだろう。脱出の方法は一つ。大きくなったお前に、ようやくこれを教えてあげられることを誇りに思う――終わりだ


 パタンと桃花は本を閉じた。呆けたように聞いていた黒瑪を見て、彼女はくすりと笑う。


「幼い預言者」

「……言わないでくれ」

「お父さんは誇りに思ってるそうですよ、大きくなった時哉さんを」

「だから……」

「で、帰り方は?」


 少しイライラしてきた柊が桃花と黒瑪を急かした。


「皆同じだと思うんだが、早いところ俺も帰りたいんだ」

「そ、そうですよね。お姫さまを皆さん心配してますよね……!」

「それもあるが、俺はこのあと夜勤番なんだ」

「……まだ働くんですか」

「夜勤のあとは寝ずに訓練がある」


 働き方改革を壱琉が訴える気持ちが桃花には少しわかった。

 桃花から本を受け取った黒瑪がパラパラとページをめくって言った。


「答えはもう書いてある。ようするに、俺がそちらの世界の理論を理解すればいいってことだ」











 しかしそれは口で言うほど簡単なことではなかった。


「だーかーら! そんなややこしい回路式はいらないの! こう……シュッとしてバッて感じ!」

「それじゃわからない、大体キミの言ってることはどれも感覚的なんだ。魔法術式の基本形は……」


 地面にガリガリと魔法式を書きながら壱琉と黒瑪は喧々諤々に声を荒げる。


「大体この術式無駄が多いよ。ココとココ……と、ココ! これだけあれば魔力は反映されるの!」

「されない、この術式は古代インドで確立されて以来最もシンプルとされているもので」



 少し離れた場所で、桃花と、まいるは月兎を撫でながら2人のやり取りを眺めていた。


「もう一時間以上やりあってる……」

「時哉さん、小さな子にあんなにムキになるなんて」


 申し訳ないとため息をつく桃花に、まいるの背に自分の背を預けてくつろいでいたノラが小馬鹿にしたように笑った。


「仕方ないんジャン? 魔法使いだって人間なんだし、意地になることだってあるデショ。あれで結構、了見狭い性格してるし」

「ノラさん……は時哉さんをよくご存じなんですね」

「知ってるよぉ」


 ノラが玩具を手に入れた猫のように顔を輝かせた。彼はとても暇だった。


「ぐ、重い!」


 まいるが呻く。頭の上にノラの顎と肩に腕を回されてもたれかかられる加重で身体がくの字に曲がる。


 ケラケラとノラが笑った。


「あの子兎ちゃんくらいの頃から知ってる。ついでにキミのパパの話も聞いてるよー。俺が魔法使いに最初に逢ったのがあの人が修行中らしいときだったからね。キミのパパはしょうもないことばかり魔法使いにさせてたよ。ヤクザの家で木彫りの熊を探させたり、道楽金持ちの熊手を盗ませたり、将棋のドでかい駒だったりね」


 桃花は眉根を寄せる。


「なんでご当地民芸品ばかり……」

「さあ? 赤べこの時はさすがにバッカじゃねえのって言ってやったよ。おちょくられてるって、それでも魔法使いは師匠が自分に探せっていったんだから何かあるはずだって真剣に悩んでた。毎回ね、なーんにもないの。ただのご当地土産。その度文句言ってたことを覚えてる」

「ちょっと待ってノラ」


 ノラにのしかかられて、ほとんど直角に曲がったまいるが苦しそうにしながら声を上げた。


「アンタその頃いくつ? アンタこそ何してたの?」

「んー? ふふ、俺の子供時代が知りたい? じゃあまず俺が一番最初に覚えたテクを教えてあげる。舌でねー、飴玉を舐めるみたいにぃ」

「言わんでいい!!」

「あの、本当にノラさんはなんでここにいるんですか? 今回、見えないところで手伝ってもらってたんですよね?」


 探るような桃花の視線にノラが不気味に笑う。


「キミ処女デショ」

「……は?」

「男に対する聞き方がなってない。それじゃあ野良猫さんのクチを割らせられないなあ、もっとこう……欲しいものがあるときは全力で誘わなきゃダメじゃん。こんなふうに……」


 まいるが鳥肌を立てて悲鳴を上げた。


「服の中に手を入れるなぁ!」

「はぁ、俺のツンデレさんは可愛い」

「な、仲がいいんだね……」

「これ見てそう思えるって桃花ちゃんお人好し過ぎるよ!!」

「だって言いたいこと言い合ってる感じするし……隠し事の無い関係っていいよ。私は聞いてもはぐらかされちゃうから」

「話したくないことくらいあるんじゃない?」


 口を尖らせながらまいるの服の中から渋々手を引いたノラが言った。


「大事な人だから話せないってことあるデショ」

「……ノラさんにもあるんですか?」

「俺にはない。なぜなら俺はまいるの全てを受け入れて、まいるも俺の全てを受け入れてくれるから。俺達は2人で完全体なの」

「違うからね、私はほとんどコイツを拒否してるから!」


「イチャつくなら向こうでやってくれ」


 藪の向こうから柊が姿を現した。手には枯れ枝の束をもっている。

 ノラがケラケラと笑った。


「可愛くない方のツンデレがきた」

「言っている意味はわからないが、俺の主は12歳だ。あまり好ましくない言動は控えてもらおうか」

「むりー、俺は落として落として15禁の男だから、18禁がノーマルなんだよねー」

「鍋島まいる、本当にコイツの女をやっていていいのか? 趣味を疑うところだ」

「私はコイツの女ではないです!!」


 ほとんど地面に頭が尽きそうになっているまいるが絶対違うと柊を睨み上げた。


「金銭的に世話になっている知人です!!」

「そだよねー、肉体関係のある知人だよねー。俺の買ってあげた部屋に住んで、俺の選んだ下着を毎日身に着けて、昨夜も俺にー……」

「やめろおおおお!! 私の恥を本編に収めておく誠意をせめて見せろおおお!!!」


 付き合っていられないと、柊は近場の手ごろな石を円形に組みだした


「扇田桃花、そこにある石をとってくれ」

「あ、はい」


 石を円形に組みながら、柊はそういえば、と思い出した。


「本当に俺の食事を作ってくれるのか?」


 少しだけ意地の悪い笑みを浮かべて笑った柊に桃花は頬を染めた。


「……う、やっぱり私はまだ家族以外には」

「残念だ」

「えっと……」

「アンタを城の食堂に連れて帰ったら俺の株も上がったんだがな」


 石をもじもじと動かしていた桃花がピタッと止まった。


「食堂、ですか?」

「俺の飯の世話をするってことはそこの厨房で働くってことだ。可愛い女の子はいるだけで癒しになるって俺の親友の1人が大喜びしただろうに」


 桃花の頬に熱が浮かんだ。

 てっきり、柊に求婚してもらったと思ったのに……仮ではあったが。


「ぅ、あ……あのっ! この石は何に使うんでしょう?! 儀式ですか?!」

「ただの焚火。壱琉! 火」


 枯れ木を薪にした焚火の土台を指さしながら柊は壱琉を手招きした。プンプン怒りながら黒瑪の腕を引いてやってきた壱琉が焚火をビシッと指さした。


「もう見てて! やってみるから見て覚えて!」


 ぶすくれながら壱琉が焚き木に向かってフッと息を吹きかけて呟いた。


私は火を焚く(アペ・アリ)


 ボッと炎が燈る。「おおー」とまいると桃花とノラが歓声を上げた。

 壱琉がこれでどうだと黒瑪に自信満々に胸を張った。


「こういうことです」

「意味がわからない」

「なんで!?」

「なんで何も媒介にしないで魔力が炎を生んだんだ。その回路はどういう理論で」

「だからさっきも言ったじゃん! 回路とか術式とか小難しいことじゃなくって、どれだけ精霊と接していられるかなの!! 魔法っていうのは精霊が起す現象を魔法使いが借りていて術式詠唱っていうのは精霊に対してお願いする言葉なの!」

「だからさっきも言ったけどその精霊っていうのは善き精霊(シーリーコート)に対してなのか悪しき精霊(アンシーリーコート)に対してなのか……」

「精霊に善悪の区別はないんだってさっきも言ったじゃん! そよ風に善悪つける?! ひぃらぎぃ~、このおじさん面倒くさい」

「頑張れ」

「おじさん!?」


 ショックを隠し切れない黒瑪が口元を引くつかせた。 実際、壱琉と黒瑪は一回り近く年が離れていた。


「お、俺はおじさんって年じゃないんだけどな……?」


 ノラがまいるの背から身を乗りだす。


「ねえねえ壱琉っち、ノラさんは? ノラさんはおじさん?」

「ノラちゃんは柊より一個だけ年上だからお兄さん」

「俺はそのノラくんと二つしか離れてないんだけれど! キミ、お姫さまか何か知らないけど年長者に向かって失礼じゃないか……!」


「だって頭の固い頑固おやじみたいなんだもん、私の言うことにいちいち『それは違う』『これはこう』って……私からしてみるとおじさんのやってる魔法はどうやったら精霊を介さないかにこだわってるみたい」

「魔法使いっていうのは血統と因子によるもので、精霊の加護なんて不確かなものは受けない」

「馬鹿みたい! 不確か!? ちゃんとそこにいるのに! なんでちゃんと向き合わないの? なんでこうだろうって決めちゃうの?! 見ようとしないだけだよ!」


 壱琉のその言葉に、桃花はハッとした。

 1人の少女に気付きを与えたこともお構いなしに壱琉は次第に癇癪を爆発させていく。


「ああもうヤダ! 無駄な術式! 無駄な手間! そっちの魔法は肩が凝る!! つまりはこういうことでしょ」


 バッと壱琉は拳を前に突き出した。


「そしてこう!」


 足元の小石を蹴る。


「それからこんな感じ!」


 頭をブルブルふる。はたから見ると、無駄な動きで遊んでいるだけにしか見えないが壱琉は真剣だった。


「それで最後に……こう!」



 バンッと壱琉が片足で地面を乱暴に踏んだ。

 その瞬間、世界に亀裂が入る。


「あ」


 パラパラと地面が薄氷のように砕け、光り輝くと視界が真っ白な閃光に包まれた。



















「……ん」


 ぼんやりとした意識のなか、喧騒と固い地面に横たわる感覚に壱琉は目を開けた。石畳の地面と瓦礫の山、そして彼女に覆いかぶさるようにして横たわる柊の身体。


「ひいらぎ? 柊?」


 壱琉はのしかかる大きな身体を揺り動かした。少しの間をおいて、ゆっくりと柊の意識が戻る気配がした。


「壱琉……? どうな……ああ、戻ってきたな」


 ホッと安堵するように笑って柊は身を起こした。

 2人がいるのは天井と壁が崩れた東棟の中だった。他にも何人もの城勤めの人間が衝撃で気を失っている。


 棟が崩れたと思った浮遊感は引き寄せられた引力によるものだったのだと、壱琉は理解した。


「結局私が向こうの理論を理解したってことでいいのかな……?」

「いいことだ」


 柊は肩をすくめつつ、身体についた細かい瓦礫を払いのけた。


「頭の柔らかさってヤツが身に染みただろうさ」


 これで少しは、向こうの彼女も報われるのではないだろうか。


「まだやってる……」


 喧騒の中心に壱琉は顔を向ける。

 東棟から戦場を桐の木の枝の上に移した穂積とアヌイが喧々諤々といがみ合っている。柊は思わず吹き出してしまった。


「さっきのお前と魔法使いみたいだ」

「え?! うそ?!」

「あんな感じだった」

「違うよ! 私はもっと……」

「魔法因子とその基本理念を異なるモノ、だったか?」


 精霊と人間も、それは同じことが言えるのではないかと柊は思う。

 そしてそれをつなぐのは彼の主だ。


「行ってこい。竜姫も宰相閣下に一発かましたいだろう」

「……わかった。ついでに柊の休日ももぎ取ってくるからね!」

「期待しないで待ってる」

「おとーさーん! 私もそっちにいくー!!」


 元気よく駆け出す壱琉の姿を見つめながら柊は灰色の目を細めた。

 扇田桃花の悩みは、きっと数年後――もしかしたら数か月後の壱琉の姿かもしれない。


「ないものねだりだってわかってるんだ」



 まだ子供でいて欲しい。


 キミの成長を誰よりも願っていると言えるのに、1人で飛び立つ日が来るのを恐れている。そこにいるのに、回りくどく答えを探している。



「俺も傲慢だな」




 そう呟いて、柊は壱琉のあとを追った。







 この交差劇は――


 春が本格的に始まる前の蕾の頃


 黄金の卵を産む鶏が、自分の意志を持て余す時期


 一度破滅した少女が、再起しようと立ち上がる為のあたらしい一歩を踏み出した時の、ほとんどだれにも語られない喜劇だ。


















お読みいただきありがとうございます。

この特別番外編は、「冬籠り」「黄金の卵を産む鶏の反乱」「病猫に憑かれて破滅寸前の少女」三作品をお読みいただき、そして作者に心温まるメッセージをくださったお1人の読者の方の為に書きました。


ありがとうございます。ネットの海の底にいる作者とその作品を見つけて下さったアナタに、そしてすべての読者の方に感謝申し上げます。


拙いモノカキですが、少しでもアナタのバラエティとなれることを目指して頑張っていきます。



最後に、この作品は一言一句、一文字も漏らさず、三作品を読んで下さり、さらには愛して下さったアナタの為のモノです。

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