【冬籠り】「彼は私の名前を呼ばない」 ※現パロ
我が家は小さな漢方堂薬局だ。個人経営の店で、お得意さんもそれなりにいる。
主にお母さんが切り盛りしていて……お父さんは売れない小説家をしている。
「だからぁ。今どきの読者は質がものすごく低いんだよ、僕のなんというか……高尚な文学? ていうのかな。そういうのが理解できないんだ、だから僕が売れないのは運が悪い……というよりも、この極度に低下してしまった」
「お父さんうるさい」
朝ごはんの時間からブツブツと大して面白くもないことを語られてうんざりする。
お母さんはもう慣れてしまったもので、お父さんの話を受け流しつつ、テレビが伝える今日の天気に注目していた。
当たらないと噂のお天気キャスターも、お父さんの何千万回とパターンを変えて聞かせられる言い訳に比べればまだ傾聴しがいがある、ってやつだと思う。
「壱琉、今日で最後だから、小学校に忘れ物しないようにね。卒業式に荷物になるから」
「わかってまーす」
お母さんが念を押す。今日は小学校最後の登校日で、あとは両親と一緒に行く卒業式だけだ。明日からは春休み……というか中学校に入学するまでの休みの期間にはいる。
「ハンカチの用意は大丈夫かい?」
お父さんが大げさに肩をすくめた。
「なにせ六年間の思いである学び舎との別れってやつだからねえ、子供たちの無邪気さと成長が凝縮した小学校生活とお別れだなんてさぞかし壱琉も感慨深い……」
「友達はみーんな同じ中学に行くんだからまったくさみしさはないけどね。つまらないネタにしないでよね」
ミルクと砂糖がたっぷり入ったカフェオレをグイッと飲み干して、我ながら冷たいな、とは思いつつも言うことはキッチリ言っておかなければならない。お父さんはなんでも私のことをネタに小説を書くのだから。
「ごちそうさまでした!」
食器を台所の流しに片づけて、洗面台で歯磨きをして、髪をキッチリとブラッシングする。
寝癖がないか入念にチェックをしなければならない。
(髪結ぼうかな……ツインテール……は子供っぽいし)
鏡の前でにらめっこ。
どうすれば、少しでも大人っぽく見えるかが私の最近の重要課題。
「壱琉時間だよー」
「えっもう?!」
朝の支度の時間はあっという間に過ぎてしまって、結局寝癖直し用のスタイリング剤をつけるだけで終わってしまった。
「いってきまーす」
ランドセルを背負って慌てて玄関を出る、背中からお父さんとお母さんのいってらっしゃいの声が追ってきた。
朝の時間は一分一秒を争う、遅くなってもダメだし、早すぎでもダメ。
なぜなら――
「あ、おはようございますシュッテパルムさん!」
「朝から元気だな。大家の娘」
玄関を出ると、ちょうど大型バイクを向かいのアパートの駐車場から、手押しで出てきた男の人と顔を合わせた。
お父さんが大家で管理人をしている(この収入源があるからお父さんはお母さんから一応愛想をつかされない)アパートの住人である柊・シュッテパルムさんは眠そうにあくびをかいた。
どこかの欧州の国とハーフのシュッテパルムさんは、お父さんの昔の友達の息子さんという縁で、一年ほど前から向かいのアパートで暮らしている。
「だいぶ温かくなりましたねー、シュッテパルムさんいつまでマフラー巻いてるんですか?」
「俺は寒がりなんだよ……また寝癖がついてるぞ大家の娘」
「ウソ?!」
「ウソ」
とっさに頭を抑える。
シュッテパルムさんの口元はマフラーで隠れていたけれど、特徴的な灰色の目が意地悪に笑っているのが分かった。
真っ黒い毛糸で編んだちょっと歪なマフラーは、私が12月のクリスマスにシュッテパルムさんにあげたものだ。初めての手編みで、不格好だったけれどシュッテパルムさんは文句も言わず使ってくれる。
「ちゃんと手入れしてるもん……」
「子供が色気づくなよ」
「子供じゃありません」
「大家の娘が色気づくな」
「あのですね! 私の名前は『大家の娘』じゃなくて壱琉です、いーちーる!」
軽口をたたき合いつつ、二人並んで通学路を歩いた。
私はこの時間が好きだ。
バイクがあるのにシュッテパルムさんがわざわざ手で押して歩くのは、朝の住宅街に爆音を轟かせないようにという近隣住民への配慮らしい。夜はその配慮を忘れるけど。
「最近お仕事忙しいんですか?」
バイクの音が聞こえるのは夜10時をまわることが増えた。私がちょうど寝る時間、シュッテパルムさんは帰宅する。部屋の窓から、シュッテパルムさんの部屋の灯りが付いたのをこっそり確認して寝るのが最近の私の夜の習慣になりつつあった。
「まったく休みが無い。いいか、大家の娘。間違っても貿易関係の仕事にはつくな、大家になれ。そうすれば少なくとも丸いマンホールを発注したはずが四角形でコンテナ一杯に来やがったりはしない」
「四角いマンホール……」
シュッテパルムさんはげんなりとした顔で言った。
「角が四つある、こっちは円形を頼んだんだ。ちゃんと半径と図案を記載して。なのに四角だ。おまけにヤツら、再発注の料金までせしめようとしやがる」
「働くってたいへんなんですね……」
「大家の娘が大家になれば、あのおっさんの顔を毎月見ずに済むしな」
お父さんは月末になると、わざわざシュッテパルムさんに家賃を徴収しにいく。ひどいときはそのお金でシュッテパルムさんを引きずって飲みに行ってしまったりする。
酔っぱらったお父さんをシュッテパルムさんが担いで帰って来た時なんて、恥ずかしくて何度も謝った。
その時は、シュッテパルムさんも少し酔っていたから、私の顔面を両手で挟んでほっぺが赤くなるまで八つ当たりすることで、なんとか溜飲を下げてもらった。
「まあ、大家の娘が社会人になるのは先の話か」
「そうですね、その前に中学生になります。そうそうシュッテパルムさん、実は今日の私はスペシャルなんですよ」
「へえ」
「実は今日で私のランドセル姿を見納めなんです、どうですか。もう明日からは二度と見れない壱琉ちゃんです」
「そりゃめでたい」
「そう考えると寂しくなりませんか? 春からは中学生、もうこうやって一緒に朝の時間を歩くこともなくなるのだと思うとちょーっとは今日の私のレア度というものが……どうしました?」
シュッテパルムさんの足が止まった。
鳩が豆鉄砲を撃たれたような、ってかんじの顔でシュッテパルムさんはポカンとしていた。
「は?」
「……すいません、レア度っていうのはちょっと調子に乗りました。それじゃあシュッテパルムさんが小学生に価値を感じていることになりますよね、言い換えます。ええっと……」
「じゃあお前は朝どうするんだよ」
思いがけない言葉に今度は私がぽかんとした。シュッテパルムさんの機嫌は見るからに悪くなっていた。
「中学生になるからなんだっていうんだ? 『家族以外の男の人とは歩けません』ってルールでもあるのか? それとも他に誰か……」
「えっと……中学校は小学校と反対側にあるのでこの道はもう通らないんです……」
まだ冷たさの残る風が私達の間をすり抜けていく。
シュッテパルムさんの不機嫌が風船のようにしぼんでなくなっていくのが見ていてわかったけれど、同時に、とても困惑しているようだった。
「あのー……」
「じゃあ、今日で最後……?」
「あ、うん。そうなんです。だからあの……一年間ありがとうございました。一緒に歩いてくれてとっても楽しかったです」
昨夜から準備していた言葉がスルっと出た。
本当はもっと、雰囲気たっぷりに言いたかったけれど出てしまったものは仕方がない。言えないよりずっとマシだ。
(これで、あんまり逢えなくなっちゃうかな)
大家の娘と店子、お父さんが個人的に親しくしているようだけれど、しょせん大人と子供、社会人と中学生に接点はない。
(お部屋に遊びに行きたいけど、『来るな』って言われているし……)
個人的に関われるのは、もう偶然に頼るしかない。
私の部屋の窓からシュッテパルムさんの部屋の灯りが見える。それだけ充分だと思おう。
立ち止まっていたシュッテパルムさんが歩き出した。緩やかにバイクのタイヤが回る。
「大家の娘」
「はい」
「門限は何時だ?」
「六時です」
「なら五時五十分に帰るから俺の部屋で待ってろ」
シュッテパルムさんはぞんざいにアパートの鍵を私に投げた。
「え、え?? あの、遊びに行っていいの? 仕事は……?」
「定時であがる、すっ飛ばして帰ってくるから五時五十九分まで待ってろ。冷蔵庫のモノはなんでも食べていい。やることが無くて暇ならswitchがあるからマインクラフトで城でもつくって遊んでろ。いいか、絶対ぎりぎりまで待ってろ」
「……はい。あの、なんで急に? だって絶対に部屋には来るなって……」
「話がある、大事な話だ。いいか、絶対待ってろよ」
シュッテパルムさんの気迫に押されて、私は黙ってこくこくと頷くことしかできなかった。でも、シュッテパルムさんには充分な返事だったみたいだ。
住宅街を抜けて、大通り沿いに出た。
シュッテパルムさんのバイクのエンジンがうなりを上げる。
「約束したからな、忘れるなよ大家の娘」
「はい! あ、あの、気を付けて運転してくださいね」
「お前も早くいけ、遅刻するぞ……いってらっしゃい」
ヘルメットをかぶって、シュッテパルムさんのくぐもった声が、いつものそれを私にくれた。
一年間、変わらずくれた朝の挨拶。
最後の挨拶。
「いってきます!」
笑顔で、いつも通り言えただろうか。
そんなことを考えながら私はシュッテパルムさんにこの一年言い続けた最後の「いってきます」を言って学校へ向かった。
その日の午後五時五十五分、約束通りシュッテパルムさんは帰ってきた。
ゲームをしていた私が敵キャラにボコボコにされて、持ってたアイテムを半分以上失って涙目になっているときに帰ってきた。
彼の大事な話は一分で済んだ。
そして柊は、次の日から私を壱琉と呼ぶようになった。
さて、一体なんの話をしたのでしょう?
ー後日談ー
同僚のロット・マイルズさん(アメリカ人)「俺が苦労して手に入れたエリトラがない!」
柊「知らん」
小学生に人気のゲームを買って壱琉を休日遊ぶのに誘おうと思っていたけれど、よく考えたら密室に二人っきりは色々アレだと気が付いてゲーム機を放置していたら、よく遊びに来る同僚がなんか進めてた。