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舞台袖(悪役メランコリー)

 時里海音は愛らしい容姿の美少女だ。

 加えて彼女は、自分の『魅せ方』というものを熟知している。


 どうやって受け答えすれば、相手の好感度が上がるか。

 どうすれば自分を良く見せることが出来るか。

 そういったことに余念が無い。


 海音は自分の本来の性格が、お世辞にも良いとは言えないことを自覚しているので、とことん『容姿も性格も天使な自分』を演じ続けている。

 異性には可愛く愛想良く。同姓にはなるべく角が立たないように。

 両親でさえ騙して、彼女は持ち前のその『演技力』で、上手く世の中を渡り歩いていた。


 ――――しかし。

 そんな人生順風満帆な海音には、生まれてからずっと、大嫌いな人間が一人いる。



●●●



 ある放課後の時間。

 海音は長い廊下を、マドレーヌの入った透明な小袋を抱えて走っていた。


 足を動かす度に、大きな胸と二つに結った髪が揺れ、フローラルな香りが周囲に振り撒かれる。


 そんな自分を見て、「お、海音ちゃんだ。今日も可愛いなぁ」と騒ぐ男子を横目に、「当然でしょ? 走り方も女の子らしく徹底してるんだから」と内心で鼻を鳴らしながら、外面はあくまで『一生懸命に走る愛らしい海音』のままで。


 目指すは演劇部の部室。

 海音は最近そこの部長を狙っており、手作り菓子の差し入れで、彼へアピールする算段だ。


 ……といっても、本気でその部長に片思いしているとか、そんなピュアな恋愛模様があるわけではなく。

 ただ海音は、大嫌いな双子の片割れ・空花に彼が惚れていると勘付き、奪ってやろうとしているだけだ。



 一体いつからなのかは分からないが、気付けば海音は何事においても、姉より優位に立たなければ気が済まないようになっていた。

 理屈ではなく本能的な部分で、姉にだけは負けたくない。いや、負けたことなど一度も無いのだ。現に自分の方が人気はあるし、周囲からも親からも愛されている。空花の過去の彼氏だって、容姿と『演技力』で全員奪ってきた。


 それはこの先もそうだ。

 『海音は空花よりも上』。

 これを維持し続けることに、海音は並みならぬこだわりを持っている。


 だから今回も。姉に惚れている男を落としてやろうと、海音はいつもより時間をかけて髪を整え化粧をし、気合を入れてマドレーヌを焼いた。

 彼女の努力の大半は、自分を良く見せること、姉より優位に立つことの二点に注がれている。



 周りからの賞賛を浴びつつ廊下を走り続け、ようやく海音は玄関前の下駄箱へ差し掛かった。

 演劇部の活動場所は校舎から離れた小ホールなので、ここから外に出る必要がある。さっさと靴を履き変えて行こう――――そう思って、海音が走る足を緩めたところで。


 向かいから歩いてきた男子生徒が、いきなりフラフラと身体を揺らしたかと思えば、海音の数歩先のところでパタリと倒れた。

 驚いて思わず足を止めれば、虫の鳴くようなか細い声が、海音の耳へと届く。


「お、お腹空いた……」


 ――――茶色がかった髪に長身の、そこそこイケメンに入るであろう男子生徒は、そう無様に蹲って呟いた。腹を押さえ虚ろな瞳を彷徨わせ、「もう三日も水と塩しか食ってないんだ……」とか、聞いてもいない食生活を話しだす彼に、海音は呆気にとられて動けない。


「ああ、甘いものが食べたい……そう、手作りのマドレーヌとかそういうの。ふわふわで美味しい、茶色の焼き菓子が食べたい……」


 わざとらしくチラ見する視線は、海音の抱える小袋へと向いている。


 まさかこのマドレーヌを狙っているのか、冗談じゃないと、海音はぎゅっと袋を抱き締めた。これは自分が『彼』と接触するための小道具なのだ。何処かで見覚えある気はするが、こんな得体の知れない奴に渡して堪るかと、無視して横を通り過ぎようとする。


 しかし、今度はまた向かいから、一人の女生徒がポニーテールを靡かせ走ってきた。そして男子生徒の傍に膝をつき、これまた大袈裟に「ああ、なんて可哀想な朝陽……っ」と彼の手を取る。


「お小遣いも使い切って、パンの一欠片も食べれてないなんて。でも、私には貴方を救うことは出来ない……塩をあげることしか、私には出来ないの」


 いや何でだよ。

 金貸すか弁当の一口でも分けてやれよと、海音は内心でツッコんだが、唐突に始まった小芝居はまだまだ続く。


「こ、湖夜……。俺はもうダメだ。最後にせめて、大好物のマドレーヌが食べたかった……」

「マドレーヌ? マドレーヌが食べたいの? でも、そんな都合良くマドレーヌなんてっ」

「いや、あそこからマドレーヌの香りがするんだ……俺はあれが食べられたら、ここで死んでも悔いはない」

「朝陽っ……!」


 ――――とんだ茶番である。


 そこで海音はようやく気付く。

 目の前で不愉快な小芝居をする二人は、姉の仲間であり、『彼』と同じ演劇部メンバーだと。


 海音が部長である『彼』を狙っていることが、どうも姉の味方である部員たちは気に入らないらしい。だから奴らはこうして、海音が『彼』に近付くことを時折妨害してくるのだ。


 毎回毎回、アホな手できやがって腹が立つと、海音は心中で舌打ちをする。表に出さないのは流石だが、元は短気な彼女の苛立ちは着実に増していた。

 こんな二人など総スルーで、部長にマドレーヌを届けに行けばいいのだが、騒ぎを聞きつけてやってきた他生徒たちのせいで、どうもそうはいかなくなってくる。


「なんだ、何があったんだ?」

「ああ、また朝陽がバカやってんだよ」

「朝陽か。じゃあ仕方ないな」

「何でもマドレーヌが食べたくて死にそうなんだと」

「なんか可哀想。誰かマドレーヌ持ってないの? 朝陽君に分けてあげてよ」


 そんな感じで、いつの間にか演劇部二人の周りには人だかりが出来始めていた。少女の「誰か、彼にマドレーヌをあげてくださいっ! 心優しい方、お願いしますっ!」と必死な演技に流されて、朝陽と呼ばれた少年に、同情的な雰囲気が周囲には形成されている。


 バカバカしいことこの上ないが、さながら劇で観客を引き込むかの如く、演劇部コンビは完全に場の空気を掴んでしまっていた。


 あの人垣を越えなければ、海音は下駄箱にさえ近づけない。だけど行けば、海音はこのマドレーヌを手渡す運びとなるだろう。本来の性悪な自分ならともかく、今は『心優しい天使な海音』の演技中なのだ。 

 困っている人を見捨てることは出来ない。

 そういう『キャラ設定』なのだから。


 ならここはひとまず撤退するとか、他にも様々な選択肢が浮かんでは消えたが。

 悲しいかな、海音は演技に徹底するあまり、ここで自分が……みんなの知る『時里海音』としてのふさわしい行動がどれなのか、正しく選び取ってしまった。


「あ、あの。私、ちょうど手作りのマドレーヌを持ってるし、わ、分けてあげよっか?」


 そう言って、引き攣るのを我慢して愛らしく微笑み声をかければ、野次馬たちから「おお!」と歓声が上がった。


「ほ、本当ですか? 本当にそのマドレーヌを全部くれるんですか!?」


 全部とは言ってねぇ! と思いつつも、少女の迫力に負け、海音は袋ごと明け渡してしまう。


「ほら、朝陽! マドレーヌよ、これを食べて生き返って!」

「ほ、本当にマドレーヌが…………あ、なんか不思議と元気になってきた」


 弱々しかった(どうせ演技だろうが)少年は、海音のマドレーヌを手にした瞬間、意図も簡単に復活を遂げた。

 それに周囲は盛り上り、次いで海音への賛美の言葉が溢れ出す。


「流石は海音ちゃんだぜ、マジで優しいな」

「本当、良い子だよね」

「可愛いし性格も良いし、完璧だよな」


 自分への評価は上がっても、げんなりとした気持ちが拭えず、心なしか海音の顔には疲れが滲んでいる。それでも取り繕って「そんなことないよぉ、このくらい当然だよ」と笑う彼女であったが。

 流石に「うまっ! これマジで旨い! いや、本気でありがとう海音ちゃん!」と朝陽少年にガチでお礼を言われた時は、さしもの海音も笑顔が崩れた。


 このまま此処に居ては、長年やり抜いてきた演技が綻ぶ……そう考え、海音は適当にその場を切り上げ、仕方なく部長に会うのを諦め走り去ったのであった。



●●●



「ちょっと、そら! 何なのよ、あんたんとこの部員は! 頭おかしいんじゃないの!?」


 夕食を終えて時刻は夜。海音は今日あった『マドレーヌ事件』の鬱憤をぶつけるため、勇んで姉の部屋へと突撃した。


 カーペットの上に座り、台本の読み込みをしていた空花の方は、怒り心頭な妹の姿に小首を傾げる。


「えっと、まぁみんな個性的だからね。おもしろおかしいメンバーだよ」

「そういう好意的な意味じゃないわよ! あんたのその、すっ呆けた感じが本気でムカつく!」


 イライラが止まらず、海音は下ろした長い髪をぐちゃぐちゃと掻いた。


 ――――そう。いつだってこの姉は『こう』だ。


 自分がどれだけ意地悪しても、平然として堪えている気配すらない。彼氏を奪った時も、悲しそうにしたのは一瞬で、すぐに平常通りに戻ってしまった。


 海音はこんなにも、空花のことを見下して蹴落としてやろうと、必死になっているというのに。

 空花の方は、そんな自分を歯牙にもかけず、自分の好きな演劇にかまけていて。


 自分の方が可愛いのに。

 自分の方が人気があるのに。

 自分の方が、周囲から愛されてるはずなのに。


 どうしてかいつも――――空花に勝った気がしない。


 むしろ負けてるような気さえして、海音の空花への屈折した想いは募る一方だ。

 

「やっぱり私は、あんたなんて大っ嫌いよ!」

「? 私も海音のこと、あんまり好きじゃないよ」


 「でも役者として尊敬はしてるよ」という空花のきょとんした顔に、海音は衝動のまま、近くにあったクッションを掴んで投げつけた。

 それを演劇部で鍛えた反射神経(なぜ演劇部で反射神経が鍛えられたのかは置いといて)で軽く躱され、苛立ちが最高潮に達した海音は、大きな瞳を吊り上げて叫ぶ。


「――――私は、あんたにはこの先も絶対負けない! あんたのやること、全部邪魔して私の方が上だって分からせてやるから! お、覚えてなさいよ!」


 この演劇バカのボケ女! と捨て台詞を吐いて、海音は嵐のように空花の部屋から去って行った。


 残された空花は「何だったんだろう?」と数秒考え、「まぁいっか」とすぐに気持ちを切り替えて、また台本へと意識を向けるのだった。



●●●



 と、まぁこんな調子で。

 根性悪の海音は海音で、ますます自分の演技へと磨きをかけて、空花を叩き潰すための飽くなき挑戦を、今後とも続けていくことになる。


 結局、空花がいるから海音も演技力を鍛え続け。また海音がいたから空花も演技に目覚めたわけで。

 何だかんだ、仲が良いとは言えないこの双子も、持ちつ持たれずなのかもしれない。


 何はともあれ、明日もきっと。勝ってるようで勝てない姉を「ぎゃふん」と言わせるため、海音はマドレーヌを再び焼いて、部長に近付こうと頑張るのだろう。そしてまた演劇部の妨害に遇い、恐らく彼女の憂鬱はまだまだ継続する。


 ……果たしてコンプレックスを抱いてるのはどちらなのか。


 演技派双子の終わりの見えない若干一方的な戦いの幕は、この先も下りそうにはなかった。

読者様に色々と予想をしてもらっていた海音は、こんな感じの子でした。次回は山崎唯斗の受難(仮タイトル)をお送りします!

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