アンコールが終わらない 後編
「空花?」
「大地先輩……?」
学校裏の花壇のところに着いた空花は、そこに居た人物に目を見開いた。
赤、青、黄と様々な色が夕焼けの中で揺れている。そんなカラフルな花々に、ジョウロを片手に黙々と水を注いでいた大地の方も、突然の彼女の登場に驚いているようだ。
「どうして此処に?」と聞かれ、空花は「それはこっちの台詞ですよ」と返した。
「いや、俺は園芸部の友人に花壇の水やりを頼まれてな。お前は?」
「えっと、私は芹香先輩に、詳しい理由は聞いていないのですが、此処に行けと言われまして……」
「小折が?」
アイツ何企んでやがると、大地は眉間に皺を寄せる。
芹香の悪戯の被害者である大地からすれば、また遊ばれているのではないかと不安しかない。
しかし、素直で物事を深読みしない空花は、自分が告白の台詞で悩んでいたことも暫し忘れて、久しぶりに大地とゆっくり話せることを純粋に喜んでいた。
「そういえば、大地先輩は覚えてますか? 此処って、私が唯斗にフラれたとこですよ」
「ああ、お前が『健気ヒロイン』を演じたやつだろ。懐かしいな。あのときのお前の演技は、なかなかのものだったぜ」
そう大地が褒めれば、空花は小さな瞳と丸い頬を緩め、嬉しそうに笑う。
そんな彼女に「可愛いな、癒される」と素で思う大地は、なんかもう恥ずかしいくらいベタ惚れだった。
それからポツリポツリと、二人は思い出話に花を咲かせていく。
「それなら、こっちは覚えてるか? 部活動勧誘の際に、お前が風紀の演技で灯を助けたこと」
「もちろん覚えてますよ。あれ、確か大地先輩も見てたんですよね」
「ああ。あの時のお前の演技には、俺も舌を巻いたぜ。他にも、急に『小悪魔ヒロイン』を演じ出して、部員全員の度肝を抜いたり……俺は、お前に驚かされてばっかだな」
「そうですか? けど私も、初めて新入生歓迎会で先輩の演技を見たときは、レベル高くて驚きましたよ。この先輩と同じ舞台に立ちたいと思って、入部したとこもあるくらいです。他のメンバーもみんな個性的で楽しくて……私はこの部に入部出来て良かったです」
ああでもと、空花は言葉を切り、小さく眉を下げる。
頭上を飛び去る鴉の細い鳴き声が、普段明るい彼女にしては珍しい、何処か物憂げな雰囲気に拍車をかけた。
「先輩たちが、もうすぐ引退しちゃうのは寂しいです。もっといっぱい、一緒に演劇が出来るものだと思っていましたから。大地先輩と、部で会えないのも寂しいです。本当の本当に……寂しい、です」
「空花……」
大地は卒業後も舞台関係の道を目指しており、今後も演劇を続けていくつもりだ。決して部を引退したからといって、彼に舞台を離れる気はない。むしろこれから、より本格的にそちらの世界に踏み込もうと、色々と将来について考えている。
だけど、空花と共に舞台に立つ日がまた来るかは、現時点では分からないのだ。
空花はもっともっと、大地と演劇がしたかった。
――――いや、それだけではない。
空花はもっともっと……大地と一緒に居たかった、いや、『居たい』のだ。
この先も、自分の隣に彼が居て欲しい。
演劇関係のこともひっくるめて、空花は先の未来にもずっと、出来得る限り大地の傍に居たかった。
「あ、そっか」
「? どうした、空花?」
「いえ、なんかようやく、悩んでいた答えが見つかったみたいなんです」
薄らと鳴るチャイムの音を耳に、空花は胸の前でぎゅっと掌を握る。
今、彼女の胸中で緩やかに波打つものは、何処までも穏やかで優しい感情だった。過去に海音に乗り換えた元彼たちには抱いたことのない、不思議な柔らかさを持つ、甘くて綿毛のようなふわふわした感情。
それらはすべて、大地に対してのもので。
なるほど、それなら今まで、彼に対して時折感じていた、謎の想いにも説明がつく。この好意はてっきり『憧れ』だと思っていたのに、いつからそんな風に想っていたのか。
いやもうこの際、細かい話は置いておこう。
空花はこの瞬間どうしても、見つけた想いの答えを『言葉』にして、いや彼女らしく言えば『台詞』にして、目の前に立つ彼に伝えたかった。
「ちょっと待ってくださいね、大地先輩。私は今から、ついさっき気付いたばかりの大事なことを、とびっきりの台詞で先輩に打ち明けますので。三分ください」
「お、おう?」
疑問符を飛ばしながらも、ジョウロを地面に置いて待機する大地。訳が分からないだろうに、「じゃあ三分計るな」と腕時計を見る付き合いの良い彼に、空花は小さく笑う。
さて、それではどんな台詞で、彼にこの想いを打ち明けようか。
世良の意見を参考に、少し強気に『先輩のこと恋愛感情で好きになったんですけど、責任とってください』と攻めの姿勢で行くか。
それとも控えめにあざとく、『先輩が好きです。私の想い……受け取ってくれませんか?』と上目遣いで訴えかけるか。
やっぱり健気なヒロイン風で、『さっき気付いたんですけど、たぶんきっと私は、ず、ずっと前から先輩のことが……』と焦らして伝えるか。
なまじ今日、色んな人に意見を聞いたせいで、空花の頭の中では様々な『告白の台詞』が、目まぐるしく回っていた。
どう『演じるべきか』まで、つい考えてしまう。
けどどれも、台本の台詞に悩んでいたときと同じで、しっくりくるものは無く。
「あと一分だぞー」という大地の声と共に、浮かんだのは芹香のアドバイスだ。
『本気で好きな人に告白するときは、用意した言葉ではなく、その場で溢れた感情がきっと一番良い告白の台詞になってくれますよ』
――――そして空花は一度頭を真っ白にして、想いのまま口を開いた。
「あのですね、私はどうも、大地先輩が好きなようです」
「は」
「さっき気づきました。たぶん大好きな演劇と同じくらい、私は大地先輩のことが好きです。フラれたら悲しいので、出来れば先輩も同じ気持ちだと嬉しいのですが、先輩は私のこと、女の子として好きですか?」
言い切って、空花は自分でも、何て可愛げのない告白だろうと思った。
照れや恥じらいも見せず淡々と、ありのままを口にしただけの、ある意味『空花らしい』何一つ飾らない告白だ。
二人の間に、妙な沈黙が流れること数秒。
瞳をこれでもかと大きく見開いて、間の抜けた顔のまま固まっていた大地は、やっと恐る恐る渇いた唇を動かした。
「……もしかして、さっきのは『告白』か? お前が俺に、告白したのか」
「はい、そのつもりですが」
「お前が、俺を好きだと?」
「はい、わりと大好きです」
「演技の練習とかではなく?」
「はい、演技抜きのマジです」
「先輩への好意じゃなくて、恋愛感情で?」
「はい、どうやらそうみたいなんです」
「そうみたい……って何だそれ」と、大地は呆れ果てたような声で、ガクリと肩を落とした。そんな彼の芳しくない態度に、空花はこれってフラれてしまうのだろうかと、要らぬ心配をする。
だけど次いで、ブハッと盛大に吹き出した大地に、今度は空花が目を真ん丸にする番だった。
「クッソもう、何でお前はそう……っ。先に言われて俺の面子無いとか、何でこんなタイミングでだとか、色々言いたいことはあるが……はっ、もう、本当にお前は飽きないな」
「えっと、ありがとうございます?」
「そこで礼言うのか? あーダメだ。やっぱお前、本当に何ていうか、全部ツボだわ。……あのさ、空花。先に言われちまったけど、俺もやっぱお前のこと」
誰よりも心底、スゲェ好きだ。
少しだけ笑いを引っ込めて。
瞳の中に溢れんばかりの愛情を覗かせて。
夕陽に彩られた男前な顔に、大人びた印象の彼にはそぐわない、あどけない表情を浮かべつつ。
一点の曇りも無く、そうはっきり告げた大地に、空花は思わず小さく息を呑んだ。
次いで遅れてやってきた熱に、心音が鳴り顔が熱くなる。火照りを冷ますように頬をペチペチと叩く空花に、再び笑い出す大地。
その様子もまた、空花には二割増しカッコよく見え、彼女は両思いだった喜びよりも先に、何だか悔しい気持ちになってしまった。
笑い続ける大地に、少し意趣返しでもしてやろうかと、空花が思った矢先。
馴染み過ぎた「ヤッベ、録画ボタン押し忘れてた!」という元気の良い声が、少し離れたところにある、大地の背後の温室から響き渡った。
「うわー、せっかくの部長と空花の青春ラブシーンが、全部撮り忘れとかねぇわ! なぁ、どうしよう、湖夜。お前の動画、俺のスマホに送れる?」
「容量重いから無理。てか声デカイわよ! 二人に気づかれるでしょ、バカ朝陽!」
「静かにしてください、朝さん。今度、BGMも入れて編集した俺の動画を、DVDに焼いてあげますから」
「あ、私にもそれ頂戴、響介くん」
「お前ら纏めてうるせぇぞ。狭いんだから騒ぐなや」
「司馬先生! 僕の頭の上に腕を置かないでください!」
「あらあら、ミッチェルくんが潰れそうですよ。興奮するのも分かりますが、皆さんもっと落ち着いて……」
「――――――何やってんだ、お前ら」
半透明のビニールの入り口を開けば、大地の眼前に広がったのは、団子状態で積み重なる見知った連中の顔。
温室の入り口前を陣取る彼らの手には、各々のスマホが構えられており、タイミングよくピロリーンと、録画終了らしき音が土臭い空間に響き渡った。
大地の後ろから顔を出した空花も、いつものメンバー大集合の光景に驚いている。
いそいそスマホを仕舞うバカ野郎共に、大地はもう一度、「いやマジで。何してたんだお前ら」と半目で問い質した。
「あら、何って決まっているじゃないですか。覗きですよ」
「いっそ清々しいな!」
悪びれもなく白状する芹香。
皆は「あー暑苦しかった」や「もっと隠れて見たかったなー」などと勝手なことを言いながら、ぞろぞろと温室から出てきた。
こんなコンパクトな空間に、よくこれだけの人数が収まったものだ。むしろいつから覗いていたのか。
まったく気付かなかったぞ……と、大地は痛む頭を押さえた。
だが、彼の頭痛の本番はここからだ。
「と、いうか。ついに両思いですね。おめでとうございます、部長、空さん」
「私ったら感動しちゃったよ。ついに二人がって感じで」
生暖かい目で、祝福の言葉を述べる響介に灯。
「まぁ元々両思いでしたけどね。ふふ、私の采配に感謝してくださいね、大地くん?」
「うーついにお二人が……複雑です、超複雑です。しかも空花先輩から告白させるなんて。部長のヘタレ! ヘタレチキン! 幸せになってくださいね畜生!」
にこにこ笑みを浮かべる芹香に、血の涙を流しながら祝うミッチェル。
「つーかよ、お前ら鈍感演劇バカ二人がくっつくのを、今まで根気良く見守ってやったんだぞ? 観客である俺らに、サービスシーンくらい見せろよ、役者なら。もっといちゃつけ。キスくらいしろ、キスくらい」
「いっけーいけいけいけいけ部長!」
「やっれーやれやれやれやれ空花!」
教師として限りなくアウトな発言をする司馬に、それを手拍子つきで煽る幼馴染コンビ。
先ほどまでの甘酸っぱい空気など微塵も無く、至って通常時な演劇部のノリに(若干いつもよりタチが悪い気もする)、大地は深く息を吐き出した。
心なしか、先ほどまで綺麗に花弁を揺らしていた花々も、自分と同じで萎れたように見える。
しかしどうやら、気分を削がれたのは大地の方だけなようで。
「なるほど。役者なら、身体を張ってお客様を楽しませなきゃいけませんね。それじゃあ、大地先輩。ちょっと屈んでください。あと、目を瞑ってくれると助かります」
「お、おい空花……?」
くいくいっと大地を促すように、空花は彼の制服の袖を引いた。その強請るような仕草に、思わず「あ、可愛い」とか思ったのは置いといて。
大地は空花が今からしようとしていることに気付き、かつてない焦りをみせた。
「ま、待て待て。落ち着け空花。こんなアホどもの前で、下手なことしてみろ。一生ネタにされるぞ。こういうのは二人きりのときに……じゃなくておい、スマホを構え直すなお前ら!」
「私は別に、ネタにされてもいいですし。先輩と私は、もう恋人同士なんですから。見せつけてやりましょうよ。それとも大地先輩は……私からのキスは嫌ですか?」
そう吐息のような声で零し、拗ねたように唇を尖らせつつも、潤んだ瞳で見上げてくる空花に、大地はまさに心停止。
周囲も空花の生み出す独特の色香に呑まれ、誰もが録画ボタンを押すことさえ忘れ魅入っていた。
「屈んでください」と甘い口調なのに、有無を言わせない強い言葉に、大地は自然と足を曲げる。
空花の小さな瞳は、蠱惑的に細められていて。
やけに優美に弧を描く唇が、段々と大地の男らしい顔に近付いていって――――ようやく。
「あれ、前にもこんなん無かったか?」と、大地は一瞬だけ正気に戻った。
いつぞやの『小悪魔ヒロイン』を演じた空花の姿が、彼の脳裏に蘇った刹那。
空花の口は、大地の口元から大きく軌道をズレ、彼の耳許へと移動した。
「……なんちゃって。ちょっと皆と先輩をドキドキさせたくて、仕掛けてみました。本当にキスまでしませんよ? 私だってこういうのは、二人きりのときに取っておきたいですから」
そう悪戯っぽく囁いて、空花はあっさりと大地から身体を離す。
「騙したこと、許してくださいね。だって私――――」
そして耳を押さえ二の句が告げずにいる大地と、呆然とするメンバーに向かって。
夕陽というスポットライトを浴び、大舞台に立つ女優さながらの、自信に満ちた笑顔で一言。
「――――演技派ですので?」
絶句する皆に背を向けて、空花は部室の方へと歩き出す。
その顔が実は真っ赤に染まっていることに気付けたのは、大地を含めて誰も居らず。趣返しに成功したことに満足しつつ、彼女は最後まで「先に部で待ってますよー」と何でもない調子を演じ切って、早々に場を後にした。
取り残された『彼氏』の方には、メンバーからの憐れみの視線が降り注ぐ。
「なんつうか、負けるなよ、大地」
「ファ、ファイトッスすよ、部長!」
「空花ちゃんに今まで以上に振り回される、大地くんの姿が目に浮かぶようですね。凄く楽しみ……いえ、これからも末永く、頑張ってくださいね、大地くん」
司馬、朝陽、芹香からの激励に加え、同情に満ちた他の部員の眼差しに、大地はこの先の彼女との日々を思い描いて、「手強いな」と呟くのだった。
その後。
二人が付き合ったことを知った海音が、「奪う方が燃えるわ」と、諦めずに空花に張り合ったり。
唯斗の方も相変わらず空花にアタックを続け、部員に返り討ちにされ続けたり。
告白の台詞も無事に決まり、見送り会も大盛り上がりで幕を閉じたり。
卒業した大地を追って――――空花も彼と同じ進学先に進み、また新しくはちゃめちゃな毎日を送ったりと。
この先も大地と空花、彼らを取り巻く周囲の演劇ライフは、まだまだ騒がしさを加速させていくのだが。
それもまた、台本の無い未来の話である。
だからきっとこの先も――――アンコールが終わらない。
これにて、『演技派ですので?――開幕――』は閉幕となります。
短編から始まり、ノリでシリーズ化したこの作品でしたが、最後までのんびりまったり書けて楽しかったです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!




