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アンコールが終わらない 前篇

「『ここで先輩に告白。告白台詞は台本指定なし』かぁ……」


 空花は難しい顔で手元の台本を凝視しながら、そこに書かれていた一文を読み上げた。


 先日の会議で、見送り会の台本が決定した空花たちは、先輩方には内緒で昼休みに部室に集まり、二年と一年だけで『台本研究』を行なっていた。

 役決めもすでに終えており、空花は、演劇部の日常を描いた青春コメディ・『ああ、素晴らしき演劇部』の『後輩の女の子役』をすることになっている。


 芹香が書いたこの台本は、基本は愉快な演劇部メンバーがドタバタを繰り広げ、演劇の素晴らしさを観客に魅せていくというもの。だけどその中には、先輩に恋する後輩の少女が、彼に告白をして両思いになる……という、甘酸っぱい場面もあったりするのだ。


 空花は今回、見送り会でそのシーンをやるのだが、そこの台詞に彼女はとても困っていた。


「どうしたの、空花? 台本に疑問でもあった?」


 体育座りで百面相をしている空花に、しゃがんで声をかけたのは湖夜だ。

 彼女は『ああ、素晴らしき演劇部』で、空花の相手の『先輩の男の子役』をやることになっている。以前は部長である大地がした役で、ここは性別的にいけば男性陣がやるのが妥当だろうが、純粋な『カッコよさ』で湖夜が選ばれたのだ。

 ちなみに朝陽は真っ先に省かれた。


「あのね、ここの一番大事な『先輩への告白台詞』が、台本には書かれていないの。役者が自分で考える仕様になっていてさ。どんな台詞がいいかなぁって悩んでた」

「なるほど、それは悩みどころね。役者の力量が試されそうだし……」


 一緒になって腕を組んで悩み出した湖夜に、釣られて他の部員も空花たちの周りへ集まってくる。

 

 空花の持つ台本を覗き込んで、「こんなのはどうですか?」と提案したのは、愛用のイヤホン常備の響介だ。


「夏目漱石の『月が綺麗ですね』とか。文学的で素敵じゃないですか?」

「月も出てないのに? それはないだろー」

「……じゃあ、朝さんはどんな告白がいいんですか」


 横で茶化してきた朝陽を、長い前髪の隙間から睨む響介。湖夜はむしろ、「朝陽、あんたって夏目漱石の言葉の意味知ってたのね……」と、そっちの方に驚いている。


「俺だったら女の子には、もっとストレートに言って欲しいなぁ。『先輩のこと好きになっちゃたんだけど……ダメかな』みたいな!」

「ごめん、リアル回答過ぎて気持ち悪いよ」


 頬を染めながら身体をくねらせ、『ダメかな』とか言った朝陽に、灯は真顔でドン引きした。


「私はもっと遠回しでも良いと思うよ? 『先輩と一緒に居るのが、一番落ち着くんです』とか」

「でもそれだと、この鈍感な先輩には伝わんないかもよ? 朝陽じゃないけど、もう少しストレートな方が、台本的にはあってるかも」

「うーん、そっか……」


 控えめな灯の案に、湖夜は台本のキャラも考慮して意見を述べる。それらのやり取りを黙って聞いていたミッチェルは、「台詞一つ考えるのも大変なんですね」と、天使の顔に難色を浮かべた。


 そもそもこの台本を書いた芹香は、どうしてこの台詞だけは役者に丸投げしたのだろうか。

 皆がそれぞれに考え込み、部内に刹那の静寂が落ちる。


「……やはり此処は、空さんがご自分で考えた方が良いかもしれませんね。それか、もっと別の人の意見を聞くとか。けどその上でも、空さんが『これしかない』と思うセリフを、選んで決めた方がいいと思います」

「そうだね、力になれなくてゴメンね、空花ちゃん」


 申し訳なさそうな表情をする響介と灯に、空花は気にしないでと笑う。


 見送り会の本番までは残り二週間。

 先輩たちの引退まであと僅かだが、考える時間はまだあるのだ。


 空花だって役者として、何より尊敬する先輩を見送る後輩として、最高の形で舞台を仕上げたい。

 もっと考察を深めてみようと、彼女は台本を持つ手に力を込めた。



●●●



「でも、やっぱり難しいなぁ。ぴったりな『告白の台詞』って」


 部室を出て教室に戻る道すがらでも、空花は絶賛お悩み中だった。


 決して空花にだって、アイディアが皆無なわけではない。

 それこそ、以前に唯斗にフラれる時に演じた『健気ヒロイン』のように、「誰よりも、ずっとずっと大好きだったよ」みたいな(こちらは状況的に過去形だったが)、シンプルなのが一番良いのではないかと思っている。


 だけど、その単純な一言を選ぶのもまた難しい。

 唯斗の時の台詞をそのまま使うのは、使い回しのようで嫌だし、どうも今回の役にはしっくり来ないのだ。


 大事な劇の大切なシーンだからこそ、自然と感情を込めて言えるような、ピタリと当て嵌まる『台詞』を見つけたい。


 響介の言うように、参考としてもう少し他の人の意見を聞こうかな……と、思考を働かせながら、台本片手に廊下を歩んでいたら。

 偶然にも、前方から自慢の胸とツインテールを揺らして歩いてくる、自分の片割れを空花は見つけた。


 あ、ちょうどいいやと思い、空花は彼女を呼び止める。


「ねぇ、海。ちょっといいかな」

「なぁに? 空お姉ちゃん」


 偶々開いていた近くの準備室に二人で入り、用心深く鍵までかける。

 ここまでしないと、海音は学校で本性を晒してはくれないのだ。


「どうしたの? 用件があるなら、早く言ってくれると助かるな」

「海。周囲に人気もないし、もう演技を止めても大丈夫だよ」

「…………チッ、あんたにそんなこと言われなくても、それくらい分かってるわよ。で、なに? 用ならさっさと言って。くだらないことだったら許さないから」


 相変わらず、見事な切り替えである。

 纏う雰囲気を一瞬で変化させるのだから、「さすがは海音」と空花は感心せざるを得ない。……空花のそういうところが、また海音の癪に触るわけだが。


「いや、実はね」


 準備室の狭さと埃臭さに、段々と苛立ちを増す海音に、空花は手短に状況を掻い摘んで説明した。そして「海なら好きな人に、どんな告白をする?」と尋ねれば、海音はその大きな瞳に侮蔑を浮かべ、嘲るように鼻を鳴らす。


「また馬鹿なことしてんのね、あんたの部活は。それに、その質問もくだらないわ。私なら自分から告白なんてしないもの。相手に告白させる、これ一択よ」

「なるほど。凄く海らしいね」

「あんたの元彼共だって、みんなあっちから私に告白してきたのよ?」


 どう、悔しいでしょ? と、明らかに空花を挑発するような態度で、意地悪く唇を歪める海音。普段の演技モードしか知らない者が見たら、その悪役面に誰もが同一人物であることを疑うだろう。


 対して、そんな海音の本性に慣れきってしまっている空花は、「これは新しい意見だ」と、胸ポケットに常に携帯している『演劇メモ』を取り出し、真剣にペンを走らせている。

 海音の挑発など微塵も聞いちゃいない。


「~っ! やっぱり、あんたなんて大っ嫌い! 二度と学校で話しかけないで、バカ!」

「え、あれ?」


 いつの間にか鍵を開け、海音はピシャンッとドアを乱暴に閉めて出て行ってしまった。

 残された空花は「お礼言いそびれちゃったな」と、あくまでマイペースに書き終えたメモを仕舞う。知らぬ間に海音がキレているのもいつもの事なので、空花も特に気にせず準備室を後にした。


 まだまだ、色んな意見を集める必要があるな、と思いながら。



●●●



 それからその日一日中。

 空花は様々な人に『理想の告白』について聞いて回った。 

 演技の向上の為なら、飽くなき探求心を持つ彼女は、本当に幅広くインタビューしまくった。


 同級生の世良せらに尋ねれば、「私に愛と忠誠を誓いなさい」と命令風に言われたいと返され、つい彼の行く末を案じたり(しかし、世良をそっち方面に目覚めさせたのは、悪女の演技をした空花本人である)。

 顧問の司馬しばに聞けば、「貴方を一生養ってあげる」と言われたら一瞬で惚れると返され、「これが本物のダメ人間か」と感心したり。


 レアなことに暦先輩にも遭遇したので聞いてみると、「恋と愛は紙一重」という、答えにもなって無いし意味も分からないが、なんか深いことを言われたりもした。

 

 ――――けれど、どれだけ聞いても、空花の中で答えは見つからず。

 

 気付けばあっという間に時は経過し、時刻は放課後になっていた。



●●●



 一番乗りで部室に来た空花は、普段の騒がしさが失せた空間で、行儀悪く腹の上に台本を広げて床に寝転がっていた。

 

 通りがかったサッカー部らしき男子勢の声が、茜色の陽と一緒に、小窓から部内に入り込んでくる。サッカー部繋がりで唯斗のことを思い出し、「そういえば唯斗からの告白の言葉は、単純に『俺と付き合って欲しい』だったなぁ」と考える空花は、まだ『告白の台詞』に悩んでいた。


「あら、空花ちゃん。お一人ですか」

「!」


 相変わらず気配なく現れたのは、最近は来る頻度も少しずつ減ってきている、三年の芹香だった。

 急な彼女の登場に、空花は慌てて身体をお越し姿勢を正す。


「しかも、あらあら。随分懐かしい台本を引っ張り出してきましたね」

「あ、それは……」


 空花のすぐ傍にそっとしゃがみ、目敏くも芹香は、黒紐で綴られた手作り感漂う『ああ、素晴らしき演劇部』の台本に目を留めた。


 先輩方には秘密の企画なので、空花は一瞬焦りを覚えるが、別に激励会のことに触れなければ問題はないかとすぐに思い直す。


 むしろこれは、悩み解決のヒントを得る、格好のチャンスなのではないだろうか。


「あの、それって、芹香先輩が書いた台本なんですよね?」

「そうですよ。空花ちゃんたちを迎える新入生歓迎会用に、私が書き下ろしたやつですね。大地くんが先輩役、私が後輩役をしたんでしたっけ」

「その、台本自体は目について読んでいただけなんですけど……一つだけ気になる点があって。質問してもいいですか?」


 そう問えば、「どうぞ」と芹香は快諾した。

 空花は台本を開いて、『ここで先輩に告白。告白台詞は台本指定なし』の一文を指差す。


「あの、どうして芹香先輩は、ここは役者任せにしたんですか? 劇の見せ所の一つだし、普通は作者が気合を入れて考えて、一番作者が良いと思った台詞を書くんじゃいかなって思うんですけど……」

「ああ、それですか。それはですね――――」


 上品な笑みを浮かべて、彼女は何でもない口調であっさりとカミングアウトする。


「――――実は単純に、良い台詞が浮かばなかったんですよ」

「え」

「ギリギリまで悩んだんですけどね。どうしても浮かばなくて、ついに本番まで、告白セリフは白紙のままでした。だから本番はアドリブで、その場で自然と出た言葉を言って。あとから、『指定なし』という一文を加えておいたんです」


 何とも言えない裏側に、空花は目を瞬かせる。もっとこう、深い理由があると思ったら、蓋を開けてみればこれとは。

 唖然とする空花に、芹香はふふっと笑う。


「でも案外、本気で好きな人に告白するときは、そんなものかもしれませんよ? 用意した言葉ではなく、その場で溢れた感情が、きっとそのまま一番良い『告白の台詞』になってくれます」

「本気で好きな人……」

「はい。空花ちゃんには今、そんな人はいませんか?」


 「その人に告白することを想定して演じてみたら、空花ちゃんの悩みはきっと解決しますよ」と、そう芹香はすべてを知っているかのように、空花を見つめて何処までも穏やかに微笑んだ。


 熟した空から零れる赤い光が、彼女の諭すような眼差しと混じり合う。


 その視線を受けている空花の方は、動きを止めて、脳内で『本気で好きな人』というワードをリフレインさせていた。


 唯斗を含め、過去に海音に奪われた元彼たちの顔が次々と浮かぶが、『本気で』という単語の重みには、どれも当てはまらないような気がする。

 過去にちゃんと恋愛感情で好きだったはずなのに、それは芹香が問うている質問の答えとは、どうも何かが違うのだ。


 あと少しで、あらゆる答えが見つかりそうなのに。


 ラストピースが嵌らず悶々とする空花に、芹香は「ダメ押しいっときますか」と心中で呟き、そっと内緒話でもするように耳打ちした。


「空花ちゃんの悩みの答えは、今から校舎裏の花壇のとこに行けば、恐らくすぐに見つかりますよ」

「花壇、ですか?」

「ええ。騙されたと思って行ってみてください」


 訳が分からなかったが、それでも空花は素直に立ち上がって、言われた場所に向かうために部室を出て行く。「全体練習までには戻ってきます」と言い残す辺りが、演劇大好きな彼女らしい。


 ――――その演劇と同じくらい、自分に『本気で好きな人』が居ることを、空花はようやく自覚するのだろうか。


 本日、大地は園芸部の友人に頼まれて、花壇の水やりをしてから部に来ることを、芹香は知っている。あそこは人通りも少ないし、花々が演出に一役買っていて、学生たちの告白スポットとして有名だ。現に、空花が唯斗に告白され、また別れたのもあの場所だったと聞く。


 二人がゆっくりと言葉を交わし、お互いの気持ちに気付き合うには、これ以上ない舞台だろう。


「お膳立てはしましたので、あとは当人たち次第。大地くんも空花ちゃんも、恋愛劇のクライマックスシーンを頑張ってくださいね」


 さてそれじゃあ、皆が揃ったら全員で覗き……いえ、二人を見守りに行きますか。


 残された芹香はそう楽しげに呟いて、開かれたままの台本をゆっくりと閉じたのだった。

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