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臆病の内側

作者: みつ

 自分は臆病者だと自覚していた。

 自分はどうしようもなく臆病で、見えないものがあるとその正体を考え、想像をめぐらせて、自分の考えうる中で一番恐ろしいものを思ってしまうのだ。

 夜は暗がりに何かいるようで、なるべく明るいところにいるよう心がけているが、一歩明るいところから暗がりへ踏み出せばそこは百鬼夜行、魑魅魍魎が跳梁しているような気がしてならない。

 眠るときも暗くするなどもってのほかで、必ず電気をつけて眠った。

 ホラー映画などで、登場人物が戸の隙間や自分の後ろに何かの気配を感じて恐る恐る確認し、ひどい目に遭う場面がある。怖いならなぜわざわざ確かめるのだと言う者がいるが、あれは臆病者の行動なのだ。

 そこには何もないのだと安心できねばずっと不安にさいなまれる。だから仕方なく確かめる。映画の行動は自分にとって身近で合点のゆくものだった。


 家には誕生日にもらった縫いぐるみが飾ってある。一メートルはあろうかという縫いぐるみは可愛らしい顔で、黒ボタンの目をこちらに向けて見守ってくれているようである。

 ふとその中身が気になった。

 中身は化繊の綿かパンヤであろうと頭では理解している。しかし本当は違うものであるかもしれない。疑いの感情がどんどん膨らんでゆくのを止められなかった。

 表面を指で押してみる。やわらかな感触は中身が軽い綿であろうと予測をさせた。しかしちょうど触った部分だけが綿かもしれないと、いろんな部分を押してみた。感触はどこも同じであった。

 中芯の部分はどうであろうかと、指で強く押してみる。

 大きすぎて芯がどうなっているのか分からなかった。

 とたんに不安が襲った。

 この縫いぐるみの中身は本当は何なのだろうか。

 外側の布のすぐ裏側までいっぱいの虫であったら。

 いや、黒い半円のボタンの目はまるで甲殻類の目のようだ。巨大な甲殻類が目だけ出して縫いぐるみの中に潜んでいたら。

 それは誰かに話せば笑い話になるのだろうが、笑ってくれる人など側にいない。この妄想が現実かもしれないと考えるとただただ恐ろしいという気持ちでいっぱいになる。

 もし自分のいないあいだに中身が這いだして部屋を歩き回っていたら。毎晩寝顔を朝まで見つめていて知らないのは自分だけであったら。

 妄想は膨らみ、いてもたってもいられなくて道具入れからカッターを取り出した。

 縫いぐるみの背中にざっくりと刃を立てて切り裂くと中の綿が現れた。カッターの刃を限界まで引っ張りだして綿に突き刺し中を探るように動かしながら深く深く突き立ててゆく。

 どこまでも綿の軽い手応えばかりでおそれていたものは何もないようであった。

 中綿をすべて取り出しこまかに検分する。しきりに恐れていたような異物が何も見つからないことを確認するとようやく安心して日常に戻ることができた。


 家の中のすべての縫いぐるみは大小にかかわらず検分を終えた。中身はどれもありきたりの素材で、心配するような生き物は何も入っていなかった。

 全部の縫いぐるみを確かめたところで、ようやくじぶんが何を恐れているのかを理解できたような気になる。

 中身が自分の知らないうちに別の生物になっているのが恐ろしいのだ。

 無機物と信じ込んでいたものが実は有機物であったという事実は、自分の常識への裏切りである。

 常識とは一種の約束事だ。その約束事から外れてしまうことが恐ろしい。

 約束事の中をひっそり生きてゆくことこそが、自分にとって一番望ましい生活なのだ。



 それが、雨の日に、保っていた均衡はあっさりと破られた。

 虫の死骸が落ちていた。何気なく目に入ったそれは中から別の生き物が這いだしていた。

 外見は見慣れた虫の形をしていたのに中身は別の生き物に乗っ取られていたのだ。

 悲鳴をあげて急いで家の中に入るとドアに鍵をかけてベッドにもぐりこんだ。布団を頭からかぶってがたがたと震える。

 外見と中身が違うものが平気で存在することが信じられず、何もかも中身の違うものではないかと不安になった。


 カッターを取り出し切り裂いて、中身が予想通りのものであることを確かめては安心した。

 今のところ自分の近くにいるものたちはどれも内外が一致している。きちんと中身は正しく綿であり肉であり細胞であるようだ。だがいつ侵蝕されるか分からず気を抜くことはできない。

 内側から侵蝕してゆくのならば誰も気づかない。侵蝕された当事者でさえ気付かないだろう。

 ふと自分の中身がどうなのか不安に思った。

 一度とりついた考えはなかなか拭うことができず、不安感は次第に肥大してゆく。もうこれは確かめなければ安心できない。臆病者は不安の元を確かめて、大丈夫だった何でもなかったと己を安心させなければどうしようもできないのだから。


 ざくりという手に伝わる感触は痛みと同時で少し安心した。しかしもっと深い部分も確かめなければならない。

 カッターを持つ手に力を込める。

 赤い肉、黄色いつぶつぶとした脂肪、白い腱とその奥の骨。滴り落ちる赤い赤い血液。検分している最中に意識が朦朧としてしまう。このままでは最後まで検分する前に意識を失ってしまう危険が生じる。

 それではいけない。芯まで検分しなければ安心できないのに――……



 2010/03/02 初出

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