ボクは報われたのか?
この学園の定期試験の結果発表の方法は二つある。
一つ目は結果発表日に掲示板に貼りだされるクラス移動者一覧。もう一つはその日に教室でテストや浄化度、能力習熟度、イベント結果などの結果をまとめた成績表の配布。
もちろん普通の授業日扱いで、必ず出席しなければならないため、掲示板を見なくても必ず自分の成績を知ることになる、という事だ。
だが、ボクは結果発表日の朝、必ず掲示板を見に行くことにしていた。
教師に成績表を渡されるまで待つなんてしたくない。自分の結果は自分の脚で確かめに行かなければならない。もちろん普通に教室で結果をもらうのも、登校する以上は自分で確かめに行くことになるのだが、こちらは義務だ。権利ではない。だから厳密にいうと違ってしまうんだ。
夏だからか、もう太陽が昇りつつあり、外は大分暑い。すれ違う人影も汗を流している。やはり掲示板に向かった人は多いのだろう。いつにも増して人が多い。すれ違うのはだいたい上位クラスの生徒で、あまり十組生は見かけなかった。
気温は暑いが、体の奥は冷えているような感覚がある。風邪も引いてないし、水風呂に入ってから来た、というわけでもない。これはきっと緊張からだ。
ここに来て一年と一学期が過ぎた。最初は十組だったとはいえ、ボクは浄化を諦めた悪とは違う。
すぐにクラスを上げ、善の心を持った生徒達に追いつく――はずだったのだが、結局クラスが上がったのは一年生の一回目の試験だけだった。その試験では八組へと二クラス上げることができたが、そこで止まってしまった。そして今に至る。
どれだけ頑張ってもクラスが上がらない、というのは結構精神的に来るようで、ここ数日は眠れない日が続いていた。
ボクは所謂ショートスリーパーという奴で、あまり寝なくても日常生活に支障はない。しかしさすがに三日も睡眠時間が三十分というのは肉体的にも辛かった。それに加えて人使いの荒い風紀委員長にこき使われているのだ。よくここまで持ったと自分に言ってやりたい。
人の波を抜けて、掲示板の元へ向かう。朝だというのに生徒達が掲示板に群がり、声を上げている。中でも目立つのは喜びの声を上げている者だ。クラスが上がったのだろう。羨ましいことこの上ない。
ボクもクラスが上がっていればいいのだけど……。
背伸びをして掲示板に視線をやるが、人が多すぎて張り紙は見えてもその中身なんて全く見えない。
どうにか見ようと目を凝らしていたが、軽い頭痛を覚えた。一旦下がり、もう少し人が減ったら自分の名前を探すことにした。
人混みから離れようとした時だった。とんとん、と軽く右肩を叩かれ、顔をそちらに向けた――瞬間、右頬を押される感覚がした。古典的なイタズラだ。そして、こんなことをする奴はボクの周りには一人しかいない。
「あはは! 引っかかった!」
楽しそうに笑う女の子がいた。ピンク色の派手な髪が揺れる。そこについた青いリボンが脳に残った。身長はボクとあまり変わらないが、どこか小動物みたいな雰囲気がある。ネクタイはボクと同じ青、腕章は強欲を示す青。
数少ない同級生の友人、折鶴千羽がそこにいた。恰好は女子そのものだが、男子だ。
「……千羽、それは何回目だっけ」
「確か六回目?」
試しに聞いてみたが、そんなに引っかかっていたらしい。次に肩を叩かれた時は逆側から振り返ろうか。……前にやられた時もそう考えた気がする。
「日影さん、結局どうだったの?」
主語はないが、試験の結果についてだろう。
「まだ。人が多すぎて見れなくてさ」
「そっかー。日影さん俺とあんまり身長変わらないもんね。あ、俺はもう結果見てきたんだけどさ」
彼はボクとは逆に帰る途中だったらしい。引き留めてしまったように感じたが、彼は他人に付き合って自分の生活に支障をきたす人間ではない。声だけかけて去って行かないという事は、特に用事があるわけではないからこうしてボクと話をしているのだろう。
友人との時間を過ごすことは悪いことではないのだが、ボクは結果が気になって仕方なかった。そんな心情を察したのか、千羽はボクの向きを強引に変え、背後に潜り込み、背を押した。
「ほら、人も減ってきたし今がチャンスじゃない?」
「え、ああ、うん」
千羽に押されるがまま、人混みをかき分けて掲示板に向かっていく。学年内ではかなり有名な彼がいたからか、人は簡単に道をあけてくれ、ボク達は掲示板の一番前にたどり着いてしまった。
視線を巡らせ、二年生用のクラス移動者の書かれた紙を探す。それはすぐに見つかった。保健便りや生徒会からのお知らせのプリントの倍くらいの大きさのプリントだった。
真っ先に目が行ったのは九組への移動者が書かれた部分だった。その中に自分の名前は無い。その下にあった十組への移動者のプリントにもない。ひとまずは安心といったところか。
無意識にため息を吐く。背後から声が聞こえた。首だけ動かしてニコニコと笑っている彼に視線を向ける。
「どうしたの? 落ちてなくて安心した?」
「うん、落ちてなかった」
「おっ! よかったじゃん」
「それがボクの自習を何度も邪魔しに来た人のセリフか?」
千羽による自習の妨害。それは彼と仲良くなってからの恒例行事のようなものだった。ボクは自室ではあまり勉強をしないタイプだ。
自室には漫画や特撮DVDなど、集中力が削がれるものが多い。そんなものに気を引かれないように努力はしているが、万が一という事もある。そのため、放課後や消灯までの自由時間は図書室や自習室を利用するようにしていた。――そしてそこへしょっちゅう現れるのが千羽である。
調子はどう、から始まり、間違えた答えを読み上げてくる。ボクの苦手教科が文系に集中しているせいで、千羽にとってはネタの宝庫だったのだろう。文句を言えば「面白いから」とふざけて話を聞いてくれない。
間違えた問題の解き方などの解説をしてくれていなければ殴っていたかもしれない。
「まあまあ、気を取り直して結果を見てみようよ」
そう促され、視線を前に向けようとしたが、できなかった。
もし今回上がっていなければ、六回連続で進級できなかったことになる。五回という数字はいい節目になっていたようで、前の試験の結果が出た時は次で上がればいい、と思えた。だが、今回は違う。その節目を超えてしまっている。
クラスが上がらなくても浄化が進むこともあるということは知っている。急に浄化が進み、卒業していった十組生もいると聞いたことはある。でも、そんな都合よくはいかない。ボクがその十組生のように浄化できるとは到底思えなかった。
怒りに任せて正義を執行すれば浄化度は下がり、悪を野放しにすれば自分に対して憤怒の情を抱いてしまう。ボクは本当に卒業の可能性があるのか。そう不安になってしまう。
だから結果の確認が怖かった。いつもと同じように確認に来たつもりだったが、人が多かったり千羽と話していたりでなかなか結果が確認できず、いつの間にか覚悟が揺らいでしまっていた。もしどこにも名前が無かったらボクは耐えられるのだろうか?
「んー? 日影さんどうしたの? 急に泣きそうな顔になって」
「え、ああ、何でもない」
「あ、もしかして結果の確認怖くなったの?」
「……違う」
そうは言っても見透かされていたようで急に両手で頭を掴まれた。そのままぐいっと前を向けられたが、反射的に目を閉じてしまった。あのさあ、と呆れたようでいて、どこか楽しそうな千羽の声が聞こえた。
「日影さんずっと頑張ってきたんでしょ? だったらちゃんと確認してみなよ。どうせ後で成績表もらうのに、わざわざ見に来てるってのはそういうことじゃん」
千羽の言うとおりだ。きっと大丈夫だ。代わり映えのない結果でもいつかは繋がってくると信じていたから毎回毎回勉強して試験に臨んでいたんだ。「ていうか後で結果もらうんだから逃げれないけどね」という千羽の笑いの混じった声を聞きながら目を開いた。
それと同時だった。視界に入った夜川日影の四文字。瞳に焼かれたように衝撃的だった。あった。七組への移動者の欄にボクの名前が確かに存在していた。
「あった……」
吐き出された自分の声が他人の者のように聞こえる。一瞬で喉が乾き切り、声が出ない。ゆっくりと唾を飲みこみ、痙攣を起こしそうな舌を動かした。
「上がった……」
それでも自分の声のようには聞こえなかったが、全ては呑み込めた。ついにやったんだ。
「ほらー! 何も怖がることはないって言ったじゃん!」
突然千羽の声が上がり、首に腕を回される。そのままぐいっと抱き寄せられ、一瞬息が詰まった。
「おめでとう、日影さん」
「あ、ありがとう」
そこでようやく実感が湧いた。理解と実感は違うらしい。眼球と友人の体温を通してじわじわと脳に広がっていく。そしてそれは熱いものとなって零れ落ちた。
「今度こそは上がってるだろうなーと思って見てみたら本当に上がってたんだよね。だからちゃんと見ろって言ったんだよ。もしなかったら違う事言うって」
ぺらぺらと話す千羽の言葉に返事を返したくても、口から洩れるのは嗚咽ばかりで言葉にならない。何か返さないと。目元を手の甲で拭う。巻いた包帯が湿る感触がした。どれだけ拭っても溢れるものは止まらなかった。
それを見かねたのか、背中にかけられた体温はふっと消えて、ボクの腕を掴んで引いた。そのまま手を引かれて行った場所は校舎裏。あまり人が来ない場所。
「泣くならこっちにしなよ。皆こっち見てたからさ」
うん、あれだけ派手に泣き出せば周りには怪訝な目で見られていたらしい。そうした場で人気のない所に連れ出してくれる辺りは彼らしいというところか。
やっと報われたと思ったところで、さらに気遣いまでされてしまったら。もう完全に決壊してしまった。自分では記憶にないのだが、いつの間にか千羽に抱き着いて声を上げて泣いていた。
きっと一年前のままだったら、こうはいかなかっただろう。風紀委員会に認められて、千羽や緋色といった友人やデリアという後輩に恵まれて、何かが変わっていたのだろう。
どれが直接的な原因かは分からない。全ての複合的な原因なのかもしれない。それでも、進級という目に見えた変化で自分が変われたことが自覚できた。
きっと今日はこの学園で生活した中で指折りの思い出になる。それは確定事項だ。
ボクの涙が枯れて落ち着くまでにはどれくらいの時間がかかっていたのかは分からない。それでも付き千羽は付き添ってくれた。本当に恵まれたと思う。
正義の味方を名乗った、憤怒の罪人であるボクがこんなにいい思いをして本当にいいのだろうか? そんな疑問が胸に生まれてしまうことなど、この時は何も知らず、ただ、喜びに浸っていた。
余談だが、あの後、もうすぐ始業という時間になってしまい、千羽と教室へ向かっていた。
「そういえば、ボクはともかく君はどうだったんだ?」
「俺? 変わりないよ」
にっと笑ってピースして見せた彼から、また一組から落ちることがなかったことが窺える。ああ、やっぱりこいつはこういう奴だ。掴みどころがない癖に優しくて、それでいて何でもこなしてしまう。目元がひりひりしていたが、つい笑ってしまった。
1月お題『定期試験』
善知鳥さんより折鶴千羽君お借りしました。




