可愛い後輩。
二年生になって一度目の試験が近づいた頃、ボクは風紀委員の仕事に奔走していた。
最近では学校に慣れたばかりの一年生が主犯となる事件が多く、まだ犯人が見つかっていないものもたくさんある。窓が割られたり、一組生がクラス章を盗まれたり、教師に重傷を負わせたり――とにかく様々な事件が頻繁に起きていた。
中でも危険度が高い案件は、学園内で女子生徒が襲われる事件が多発していることだ。犯人は分かっていない。被害者の証言によると、犯人は一組の金髪の男子生徒だとのこと。特進クラスの生徒が事件を起こすなど珍しい。
もちろん風紀委員の上層部は既に全一組生の調査を終えたらしいが、犯人はわからなかったという。
それにしてもここまで割れないとなると、能力が絡んでいるとしか思えない。姿を変えたか、体を透明にしたか。被害者の記憶に干渉した可能性もある。
委員も放課後や休み時間のパトロールを開始することになり――今に至る。
ボクは浅くため息をついた。今日の放課後は校舎付近の担当だ。もう授業も終わり、ほとんどの生徒が帰寮したこともあって、人影は少ない。金髪の一組生も見かけない。
後はもう一回りしたところで報告をして帰るとしようか。
「……日影さん?」
突如名前を呼ばれ、振り返った。特徴的な銀色の髪。西洋人らしいすらっとした身体。肩に羽織ったブレザーの袖に巻かれた緑の腕章。
「デリア!久しぶりだな!」
一ヶ月半ぶりだろうか。風紀委員会の仕事で担当した女子生徒だ。あれから会うことはなかったが、こんな時に会うとは。
「今日も風紀委員会ですか?」
「ああ、うん。ほら、話は聞いてると思うけど例の事件で忙しくて」
デリアのリアクションを見ると、事件の話は聞いているらしい。
「そっちはどうした?こんな時に女子が一人で歩いてると危ないぞ」
「ちょっと図書館に寄った帰りです」
「そっか、巻き込まれたら面倒だろう。寮まで送ろうか?」
デリアは少し考える素振りを見せたが、首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。それに仕事中ですよね。それじゃ」
少しくらい大丈夫だけど。そう言おうとしたが、デリアは軽く頭を下げて歩き出した。遠慮しなくてもいいのに。追いかけたいところだが、気を使ってくれている以上、それを無下にするのも申し訳ない。
積もる話もあるが、またお互い暇なときに会ったらいい。そう考え、ボクも歩き出した。……いや、ダメだ。彼女が何と言おうと、寮まで送るべきだ。寮まで遠くないとはいえ、万が一という事も有り得る。
デリアの後を追うべく、少し息を吐いて振り返った。すると大分小さくなった銀髪。その隣に金色の髪の男がいる。
デリアは気付いていないのか無視しているのか、そっぽを向きながら話しているのかは分からないが、彼の方を向くことはない。ふと、彼の腕章を見た。桃色の腕章。色欲だ。
事件の性質に彼の髪の色。それに彼の腕に巻かれた大罪の因子の象徴を見て。直感的に感じた。
「……危ない」
喉の奥で呟き、異能力の名を呼ぶ。そして湧き上がる感覚を確かめると、頭の奥で何かが切れる音を聞きながら二人の方に駆けだした。
横に顔を向けるデリア。彼が視界に入ったのか、身構える。少し顔を動かし、辺りを見回しているが、その様子だけを見ると、男子生徒の存在を感じ取った雰囲気ではない。まさか、姿を隠す能力を持っているのか……?
男子生徒の手がデリアに伸びる。ボクは助走をつけ、彼に飛びかかるように拳を突き出した。彼はそれに気づいたようで、こちらに視線を向けたが、躱されるようなドジは踏まない。足にかける力を強め、一気に距離を詰め、彼の顔面に右ストレートを叩きこんだ。
突然空を殴ったボクを見たデリアの目が少しだけ丸くなる。その様子からすると、男子生徒の気配は感じられたようだが、原因が分かっていなかったのだろう。
現に今、デリアの視線はボクと少し距離をとった男子生徒を行き来している。ダメージを与えたことで能力が解除されたらしい。
「あの、日影さん……その人……」
「ああ、驚かせてごめん、君に何かしようとしてたみたいだったからさ」
デリアと男子生徒の間に割って入り、彼の容貌を眺める。人種は西洋人。犯人特定の要素として用いられていた金髪は染められたものではないようで、自然な綺麗さだ。
首にぶら下げたネクタイの色は赤。二年生であるボクの一つ下の学年だ。しかもブレザーの襟に止められたクラス章は金色の物、つまり一組生だ。
「……お前は彼女に何をしようとした?」
「別に? お前には関係ねえだろ」
この空間では相手の言葉が自国語に変換されて聞こえるが、やはり外国人の言葉が流暢な日本後で聞こえるのは少し違和感がある。
――などと考えている場合ではない。彼を抑え込み、風紀委員会室に連れて行かなければ。じわじわと脳を侵食していく怒りを抑え込んだ。
僕の後ろで少し困惑気味な表情を浮かべていた彼女に顔を向ける。
「デリア、ボクは彼と話をするから先に帰っててくれ」
「え、でも……」
「いや、大丈夫だからさ。相手も一年生だし」
「『クリアライズ』!」
能力名を叫ぶ声。男子生徒に顔を戻したが――そこには誰もいなかった。やられた……と漏れそうになる声を飲みこみ、辺りを見回す。男子生徒の姿はない。
これが彼の能力だろう。さっきはボクには彼が視認できていて、デリアには見えていなかった。あの時の状況を考えると、一定の範囲内にいる人間からは見えなくなる能力、といったところか。近くにいたデリアには見えなくて、遠くにいたボクには見えた。
「デリア、気を付けて。どこにいるか分からない」
「……大丈夫です」
とにかくデリアを守らなければならない。彼女は罪人ではあれど、事情もある。今では問題なく浄化に向けて励んでいるらしい。人間のクズであるそこらの犯罪者とは違う。それに、ボクのたった一人の風紀員会外の後輩だ。
「日影さん、あの人の位置、分かるんですか?」
「いや……でも、近くにいることは……」
ボク達の周りを何かが動いている気はする。だが、正確な位置は分からない。足音も消しているようで、位置が全く特定できない。
すっとデリアの唇がボクの耳に近づいた。
「音で分かるようにします。聞こえたらそこに攻撃してください」
どういう事かと聞き返す前に、デリアは自分の持っていた鞄の中に手を突っ込み、一本のペットボトルを取り出した。フタを開け、飲み口を下にする。水がこぼれ落ちた。
「『フリュッスイ・ヒカイト』」
能力の発動。それと同時に地面に向かって落ちる水は意思を持ったかのように動き出す。デリアの能力は液体を操る力だ。水は地表に着くと薄く地を這い、面積を広げていった。銀髪の後輩に操られた液体は地面に沁みこむこともなく、地表に残ったままだ。
そうか。音で分かるように、とはこういうことか。
聴覚に集中し、辺りの音を探る。敵はこちらが何かしていることが分かっているはずだ。きっと決着を急ぐ。その時が勝負だ。
ぴちゃ、と小さな音がした。ボクの背後にいるデリアの左斜め後ろ。左足を踏み込み、右足を振り上げた。グシャッと奇妙な感覚が伝わり、金髪の人間が吹き飛んだ。安全靴で武装した爪先がろっ骨にぶち当たったようで、気を失っている。
どうにか倒したようだ。デリアのおかげだ。正直、ボク一人ではどうにもならなかった。頭のいい彼女らしい素晴らしい機転だ。ため息をつき、能力を解除した。
「何か……ボクが助けられたな」
「いや、そんなことないです……。私一人じゃ、彼にも気づけなかったので」
確かに、あのままだったら危なかった。それでもこの結果はボクの成果ではない。
ボクは倒れた男子生徒に歩み寄り、ポケットをまさぐる。そして学生証を取り出し、クラスや名前を確認する。そしてあることに気づいた。彼のクラスは一年十組。一組ではない。それにも関わらず、ブレザーの襟には金のクラス章が光っている。
「こいつ……盗難もしてたのか。本当ふざけるなよ」
再度能力を発動し、手足をへし折ってやりたいところだが、過剰な追撃は委員会でも禁止されている。
まだ犯人の見つからない一組の生徒が被害にあった盗難事件。彼が犯人だったようだ。
おそらくは自分の身分を隠すため。さらには犯行前後を目撃された際に、一組の生徒がまず疑われることになる、という事も理由の一つだろう。
他にも、犯行直後を見られたとして、一組生が問題を起こすわけがないと思われて追及を逃れたり――盗んだクラス章にはメリットがたくさんある。
実際、運悪く姿を見られても、疑われたのは一組の生徒で、彼はノーマークだった。
「随分厄介な事をしてるみたいですね、その人」
「ホントだよ……おかげでボクが書く報告書が二倍だ」
同一犯だったのだから、盗難事件も一つの報告書で出したいところだが、風紀委員会の規則でそれは認められていない。
携帯電話で委員長に連絡を入れた。仕事のキリが付いたらすぐに来るらしい。それまで犯人を押さえて、被害者になりかけたデリアを待たせておけとは……人使いが荒い。
「デリア、悪いんだけど事情聴取に付き合ってくれる? ちょっと委員長来るまでここでボクと一緒に待つことになるけど……」
「大丈夫ですよ、今日はテスト勉強をしようと思ってたけど、もうテスト範囲は一周して大分頭に入ってるので」
「……そっか、聞いてた以上に勤勉になったな」
一か月半ほど前、ろくに授業も出なかったころの彼女と比べたら大違いだ。もう当時の悩みとは無縁そうだ。明らかに面倒くさそうなテスト絡みの話を自発的にしてきたことや、その時の表情を見ても、成長が分かる。
「私も、頑張ってみようと思えたので」
「そっか、僕も頑張らないとなー……」
ああ、テストの件は考えたくない。二年生になってから一気に難しくなった。
いつかデリアに勉強を教わることになってしまうかもしれない……そう考えると少し憂鬱にはなるが、前向きになった彼女と話していると、それくらいどうにでもできる気がする。
きっと少し前の彼女なら、こんなことに巻き込まれても面倒だと最低限の自衛しかしなかったかもしれない。それがボクをサポートして敵の確保に導いてくれた。
一か月半ほどの短い時間でも、人は変われるもんなんだな。ボクも早く浄化を進めなければ……。
だけど、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。だから今は後輩と楽しむくらいのことはしてもいいだろう。
「そうだ、テストが終わったら一緒に食事でもしないか? ボクが奢るから」
「はい、是非。あ、でもお金は自分で払いますから……」
「えー……遠慮しなくてもいいのに」
いい後輩を持ったなあ……少しだけ笑みがこぼれた。
10月お題『邂逅』
スガキユさんよりデリア・バルシュミーデさんお借りしました。