リスタート。
血の海――というほどでもないが、赤い水たまりが床の一部を占拠していた。そんな中で服の汚れも気にする余裕もなく、座り込んでいたのがボク、夜川日影と、前の試験から同じクラスになった男子、切崎羨だ。
正直に言うと、アイツはあのまま十組で三年間を終え、地獄行きになると思っていた。人生何があるか分からないものだ。ボク達の人生はとっくに終了している訳だけど。
ボクは頬に着いた血液を手で拭うとため息を吐いた。切れた頬の傷から流れた液体が、手のひらに巻いた包帯に沁みこんで少し不快な気分になる。切崎はというと、目立った傷は腹から血が出ている程度で、後は軽傷といった具合だ。むしろ体力が尽きたといった感じか。
何故こうなったのかというと、切崎が悪共に絡まれていたからだ。つい助けてしまったことは自分でも意外だった。何の因果かまた同じクラスになり、多少は気にしていた。二年になってからの初絡みというものがこの事態というのは予想外としか言いようがない。
クラスが上がったという事は、多少の変化はあったようだ。だが、だからと言って油断ならない相手であることに変わりはない。コイツがあの時クラスメイトにしたことをボクは忘れていない。
それでも、現在コイツは被害者だ。保健室に送り届けるのが義務だろう。いや、寮まで運んで医務室に連れて行った方がいいのかもしれない。一年も争いの絶えない委員会に所属していれば、いつの間にか傷を見れば重症度が分かってしまう。
「切崎、とりあえず保健室に行こう」
誰のものか特定できない血を踏みしめて立ち上がる。少し血が足りない感じはするが、支障はない。彼に視線を投げても、動く気配はない。
「どうした? 大分やられただろう? 早く誰かに診てもらわないと辛いぞ」
切崎はボクの方を見もせずに口を開いた。
「いい」
呆れそうになったが、そういえばコイツはこういう奴だ。以前緋色に聞いたことがある。
「君は今の状態を分かっているのか? その腹の傷、深そうだ」
「ナイフで刺されたの見たでしょ」
「見た。だから来たんだけど」
じろっと深緑の瞳が動いた。視線は僕の脚先から舐める用に上り、顔までたどり着いたところでふっとボクから外れた。
「……なんで助けたの」
「五人で寄ってたかってとか、そういう悪をボクは許しておけない。たとえお前が悪だとしてもだ。ボクは正義の味方だからさ」
切崎の眉間にシワが寄った。視線はずるずると落ちて行き、床に投げられている。
「お前、人殺しだろ。おれは知ってる」
「そうだよ」
その話にはあまり触れられたくないのだけど。とは言いださず。彼の言葉を受け止めた。そうだ。ボクは自分の心の正義のためだけに大量殺人を働いた悪だ。
「意味が分からないんだよお前、犯罪者のくせに風紀委員だなんだって。おかしいよ」
「あれ、ボクが委員会に入ってること、知ってたんだ」
有名だよお前、と言葉をため息に紛らわせた。うん、だいたい予想は付いている。それよりもこの切崎が知っていたことに驚いたんだけど。何ていったらまた話がこじれそうだ。
「話を戻すけど、行きたくないならいいや、保健室。強引にでも連れて行くから」
座り込んだままの彼の腕を掴んだ。上着に血が付いてしまったかもしれないが、黒いから問題はない……と信じたい。そもそも洗えば取れる。
「いいよ! やめてくれ」
「放っておけないんだって。保健室に行ったら後は自由でいいからさ」
「善人面するなよ。犯罪者のくせに」
いらだたしげに言う切崎には、はっきりと言ったほうがよさそうだ。はっきりと主張しておかないとまたトラブルを起こす気がする。
「確かにボクは罪を犯した人間だ。でも、ここでやり直してみせる」
そして、彼女を助けに行く。
「やり直せるわけ……」
「やり直すよ。だって、どうにかしないと消えるだけなんだから」
そもそもこの学園の目的は「罪を犯した若者がやり直すこと」だ。だったら、ここで最大限努力すれば、それができるのではないか。実際、やり直して学園に就職した先生方も見たし、卒業した先輩も何人も知っている。
地獄行き云々以前に、ここが最後のチャンスなんだよ。君のために。そして正義の味方であるための。
「ボクは絶対に生き返ってみせる」
もう一度深緑が動いた。
「切崎、お前はどうするんだ?」
瞳だけでなく、仏頂面も少しだけ緩む。
「……おれもやり直そうと思ってたところなんだ」
コイツのこんな顔は初めて見た。本気のようだ。ボクは自分が変われたと思っているが、変化は切崎にも訪れていたようだ。
「そっか。だったら一緒だな」
ボクは能力名を口にすると、掴んだままだった切崎の腕を離し、身体ごと持ち上げた。
「ななな何するんだよ!」
「やり直すなら、まずは健康第一だ。強引にでも保健室……いや、医務室に連れて行く」
「分かったから、下せって、自分で行くから」
「いやいや、こういう時くらいいいじゃないか。これから一緒に頑張る仲間だろ?」
「は?お前何言って」
男のくせに軽い切崎を抱き上げるとそのまま歩き出した。体を叩いてくるが、腕力はあまりないようだ。ボクが能力を使っているというのもあるのだろうが。
そして彼を抱いて歩いて数十秒。ふと気が付いたことがある。
「そういえば、何で急にそんなことを思い始めたんだ?」
「……ひ……友達ができたから」
「ああ、緋色か」
「知ってるのか? ……うん。そいつなんだけど。最近そいつの事ばっかり考えてて、浄化を目指すのも悪くないかなって」
ん? 緋色のことをずっと考えてて? あれ、緋色ってアイツ、男だぞ? ああ、そうか。そういう事か。
「安心しろ。 僕は同性愛に偏見はない。それどころか愛は正義だろ? 応援するさ」
「違う」
「いや、気にするな、切崎がゲイだろうと、ボクには関係ないよ」
「違う。あと地味に気を使ってホモって言わないあたりがすごくムカつく」
「あ、だったら、緋色をよんであいつに抱いてもらった方がいいだろ?」
「いい加減にしてくれ」
切崎は気を使っていたようだが、そんなものは関係ない。
「いいんだよ。もうお前はボクの仲間だからさ。またいろいろと話が聞きたい」
そういうと切崎は黙りこんでしまったが、少しすると口を開いた。
「話すにも、緋色のことかあの娘のことしか……いや、やっぱりなしで!」
「うん、いつでも待ってる」
周囲の視線にさらされながら歩き、寮零棟の医務室前まで来たところで、切崎の方から口を開いた。
「やり直すってこれからどうする?」
「……とりあえずは成績を上げることかな……もうすぐ期末だし、せめて六組には上がりたい」
「そうか」
「何だよ、もっと具体案が欲しかったのか?」
「いや、あんたに期待はしない」
「なんでだよ!」
切崎は少しだけため息を吐いた。
「なんか、変な気分だ」
「ボクもだ」
「でも、悪くはないよな」
「うん。そうだね」
ボク達がどうなるのかはまだ分からない。それでも同じ先を目指す仲間がいればどうにかなる気がするんだ。
「よろしくな、ジジ」
「……うん」
この時の変な気分の意味が分かるのは大分先。ジジと緋色の関係を誤解していたことが分かるのはこの翌日の事である。
とにかく、この時は唯一の対等な立場の仲間ができた瞬間だった。
それは血の匂いがしても、まぎれもない青春の瞬間だったと、後になって思うのだった。
3月お題「決着」
敵対していた彼との決着は仲間。
海音氏よりジジ君お借りしました。




