もう一度
当作品は企画小説です。
詳しくは http://nanos.jp/7sin/(七つの大罪企画『To the end of atonement』) をお読みください。
本当に“いつの間にか”だった。
死んだはずのボクは踏んだところが沈むほど柔らかい絨毯の上に立っていた。薄暗く、辺りは見づらい。少し目に力を入れた。
右手側、左手側、共に天井まで届くような本棚が壁を覆っている。その棚には少しの隙間を残してハードカバーの分厚い本が詰め込まれていた。
そして正面。壁を背にして置かれた高級そうな雰囲気のデスク。ところどころに紋様が掘り込まれ、“高級そう”という印象だけでなく、実際に高価なのだろう。そんなデスクに付いている人影。ボクの立っているところからは距離があり、その顔を拝むことはできないが、体格からして男性のようだ。
「おはようございます。夜川日影さん」
人影は特に動きも見せず、ボクの名前を呼んだ。表情も見えない。声は男性にしては少し高めだが、ある程度年は重ねている雰囲気だ。三十代後半から四十代前半といったところか。
「……それにしても」
呟くような男性の声。それに耳を傾ける。
「随分悪役っぽい名前ですね。それに女の子らしくもない」
ブチッと脳内で音がした気がした。何だこの男は。確かに彼の方が年上のようだが、初対面の相手に失礼すぎる。
「いや。そんなこと知ってますけど……」
つい殴りかかりたくなる衝動を抑え、彼に言葉を返す。元運動部の性だからか、つい目上らしき人物には敬語超になってしまう。理不尽なことを言われても。
「まあ、そんなことは置いておいて。本題に入りましょう」
男性が少しだけ身を乗り出すのが見えた。大事な話、なのだろう。そう考え、聞く体勢を作り、耳を傾ける。不快だが、馬鹿にされたのはボクだ。我慢すればいい。
「夜川さん。貴方にはこの私が学園長を務める学園で“大罪の因子”の浄化を目指してもらいます」
大罪の因子? 聞きなれない言葉に首を傾げる。ボクが良くわかっていないことを察したのか、学園長の男性はさらに言葉を投げた。
「“大罪の因子”とは……人を罪に誘う要因です。七つの大罪というものを知っていますか?」
記憶を漁りながら頷く。国語の授業で少し聞いたような気がする。傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰の七つの罪だ。
「人は皆七つのうちのどれかの因子を持っていますが、生きている間に様々な理由からこれが成長してしまうことがあります。そして、これが一定以上まで成長した時、人は因子に対応した罪を犯す」
「……という事は、ボクの因子はかなり成長していて。だから罪を犯したと?」
脳裏に血まみれの教室が浮かぶ。それを振り払った。学園長先生は頷いた。
「呑み込みが早くて助かります。ではこの学園のことを説明していきますので、良く聞いてください」
この学園は罪を犯して死んだ若者達の更生施設である。そこでは“大罪の因子”の浄化を目指して学校生活に励むこととなる。
三年間のうちに浄化しきることができれば合格。生き返り、因子が育つ前から罪を犯すことなく生きること、もしくは、転生し、新たな人となる権利が与えられる。逆に、浄化が済まなければ、不合格。学園から消滅し、魂は地獄に送られることとなる。
因みに、浄化した中で極少数の優等生のみにこの学園に就職する権利が与えられるらしい。
「わかりましたか? それでは三年間頑張ってください」
「……学園長先生、ボクの意思は無視ですか? ボクは……」
罪を犯した自分に猶予など必要ない。浄化等せずに、地獄に送ってほしい。そう告げた。しかし、首を振られた。
「先ほども言ったはずです。もし、浄化が完了すれば、やり直すことができれば、君の大切な人を救えるかもしれない」
その言葉にすっと視線が落ちた。血まみれの上着に隠れた右手の甲。血で汚れた皮膚にはケジメの跡があった。そして、ボクの心に湧きかけたモノを感じ取ったのか、学園長先生は言った。
「彼女を救いに行くことが、本当のケジメで、君の正義なんじゃないですか?」
顔を上げる。眼前のデスクに座る彼の表情は見えない。だが、笑みを浮かべているような気がした。
「ボクは……チャンスをもらってもいいんですか?」
「そうでなければここに呼びません。まあ、元から断る権利はありませんけどね」
やってやろう。親友を救いに行くんだ。失敗すれば地獄行きだと聞いたが、怖くなどない。
「入学する意思は固まったようですので入学祝をプレゼントしたいと思います」
人影はすっと手を上げた。すると、ボクの斜め上に扉が出現した。重厚な作りの金色の扉。突然のことに息が詰まる。扉が突然現れる等、普通に考えてありえない。
扉は見た目に反したコミカルな「ぱかっ」という音を立ててひらいた。それと同時に、黒い物が降り注ぐ。急に視界が覆われ、心臓が跳ね上がる。慌ててそれをむしり取るように顔から引きはがした。
「……服?」
どこか見慣れた形状の服。学校の制服でよくあるタイプのブレザーの上着だ。色は黒く、シックな印象がある。学園、という事はこれが制服か。
足元には先程の扉から出てきたらしい、制服の他のパーツが落ちていた。灰色のワイシャツ、上着と同じ黒色のスカート。それらが二着ずつ。さらに赤いネクタイとリボンも落ちている。顔を上げたが、扉はすでに消えてしまっていた。
「我が校の制服です。ネクタイとリボンは好きな方を使ってください。……少し大人っぽい、いいデザインでしょう」
学園長はそう言っているが、いたって普通の制服だ。むしろ地味な部類に入る。
ふと、服以外にもいくつかの物が落ちているのに気付いた。タッチパネル式の携帯電話。生徒手帳とカードがセットになった学生証。「10」と数字の入った丸い鉄製のバッジ。そして――赤い腕章。
「学園長先生、このバッジは何ですか? あとこの赤い腕章は?」
「バッジはクラス章です。貴方のクラスは十組。最下層です。最初のクラス分けは生前の罪の程度が目安になっていますから。そのクラスが嫌なら早めに試験で成績を上げて上位クラスに入ってくださいね」
罪の程度が最下層と言われ、突然殴られたような気分になる。まあ仕方がない。試験を頑張るしかない。
「そして、腕章はあなたの大罪の種類を表しています。赤は憤怒の色です」
やはり、か。怒りに任せて罪を犯したことを思い出す。しかし、過去に浸る暇はなかった。
「もう一つ。入学祝があります」
またドアでも出てくるのかと反射的に顔を上げる。帰ってきたのは学園長先生の小さな笑い声だった。
「よくあるリアクションです。少しもったいない。三十点」
時折軽口を挟む男性に少し苛立ちを募らせながら、制服を床に置いて、立ち上がった。
「あなたに相応しい能力を与えます」
「能力?」
「この学園にいる者には等しく、個人に見合った異能力が与えられます。例えば、火を操ったり、刀を扱う力を増幅したり……扉を出現させたり」
突然現れた金の扉。それは“能力”とやらの産物だったらしい。少年漫画を読んで生きてきたせいか、その説明で納得できてしまった。
「この学園では能力を与えられ、それと共に戦い、生きることになります。脅威を阻むためだったり、誰かを守るためだったり――とにかく戦うことが付いて回ります」
詳細を聞こうと口を開きかけた時、ボクの身体を光が包み込んだ。眩し過ぎず、熱過ぎず、柔らかい光だった。
脳の片隅に、ふわっと何かが浮かぶ。自在に肉体を操るヴィジョン。
「それでは能力を引き出しましょう。貴方に宿る力はもう分かっているはず。名前を付けてあげてください」
学園長の声、そして体に染み入る感覚。もし、この能力とやらで、ボクの正義のために戦えるとしたら――
「ソール・ユースティティア!」
叫んだのは憧れのヒーローの必殺技の名前。言い切ると同時に、バシュッと何かが弾ける音がした。体には薄く水色のオーラが纏われている。そして、体が軽い。ボクの物ではないような感覚だ。そして、力も湧いてくる気がする。
「はい。肉体教化の異能系ですね。夜川さんの中に眠っていた能力。想像以上に貴方らしい」
学園長先生の笑い声。そんなに面白くもないと思う。彼の良くわからない笑いのツボに首を振った。
ボクの中に眠っていた力か。不思議と違和感や驚きはない。昔からこの力が使えたかのように、しっくりくる。
「能力を使うときはさっきの名前を呼んであげて。解除する時は頭の中で解除するようなイメージを作る」
解除するようなイメージ……体を纏うオーラが、すっと消えていく様子を想像した。すると、それに呼応したように水色が消え、体が少し重く感じた。解除できたようだ。
不思議と驚きはない。死んだはずがこんな部屋にいて、生き返りや転生のチャンスを与えられ、異能力まで引き出された――まるで漫画の中の出来事だ。それなのに、ボクは少し慌てたものの、能力の使用やら解除やらできている。
その理由は自分でも分からない。あの日、吹っ切れてしまったのだろうか? 元から順応性が高いのだろうか? きっとこれは考えても無駄なのだろう。
「それでは入学祝も渡し終わりました。あとはその学生証の生徒手帳の部分をよく読んで、新生活の準備をしてくださいね。入学式は四月一日。明日です」
四月一日が明後日。という事は今日は三月三十一日?
「え、あの、今日って二月十七日じゃ……?」
そうだ。罪を犯し、命を捨てた日を忘れるわけがない。明らかに日付がおかしい。あの寒い日、ボクは雪の中に倒れ込んだではないか。
「あなたが死んでから魂は漂っていました。それを学園の職員が拾い、入学式直前まで保存していたのです。寮に空きがありませんからね。……そろそろ次の生徒の面接が始まります」
その言葉で、ボクが理事長から様々なことを聞けるチャンスは打ち切られた。それでも、彼の言っていた通り、生徒手帳を読めば何かは掴めるのだろう。大人しく引き下がることにした。少し軽口がイラつく人だからといって、先生に逆らうわけにはいかない。
学園長先生は、また、手をすっと動かした。ボクの隣に、二メートルはありそうな金の扉が現れる。そしてまた軽い音を立てて扉は開かれた。中は様々な光が渦を巻いていて、見ているだけで酔ってしまいそうだ。
「その扉から学生寮に向かえます。まずは寮母さんへ挨拶をしに行ってくださいね」
「……ありがとうございました。これからよろしくお願いします」
「はい。この学園は挨拶ができる子が本当に少ないから、先生は感心しました。ではまたいつか」
ボクは軽く礼をして、大切な人を守る権利を手にするため、扉に飛び込んだ――
――ところで目が覚めた。僕は一年前の夢を見ていたらしい。この学園に来た日。あれからいろいろなことがあった。今日から二年生だ。ネクタイの色も青に変わる。数度の試験を経て、クラスは八組にまで上がれたものの、それ以上の進歩はない。早く生き返って親友を守りに行きたいのに。
汗をぬぐい、時計に視線をやる。四時二十三分。まだ学校までに時間があるが寝付けそうにないが、特にしたいこともない。
新年度はどうなるだろうか。きっと、一年生とはトラブルが多発するんだろう。自分たちの代もそうだった。布団を頭まで被り、ため息を吐いた。
指先で頬のケジメの跡に触れた。どんなことがあっても。必ず正義は貫いて君を救いに行くから――待ってて。