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愛しの花  作者: ぽち子。
二章
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別れの雨


 神がかったような美しさは相変わらずだが、次第に幼さ故の華奢さは消え逞しくなっていくクラウ。

 何度目かに訪れた時には剣を習いだしたと熱心に語った。そのためか筋力は付き、見る見るうちにアディと然程変わらなかった背も伸びていった。

 今では深窓の令嬢のような容貌はなく、すっかり絵本にあった王子様や騎士様のようだ。

 可愛らしさが消え、行動も格好よくなっていくクラウにアディは当然惹かれるが、言動の端々に高貴な雰囲気を漂わせるクラウには何も告げることは出来ない。

 貴族の掟は大きく、貴族でも足元にも及ばないような貧乏貴族であるアディには身分の差は越えられない壁でもあった。

 クラウもまた、変わらず素直で明るいアディに惹かれていた。

 さすがのアディも無鉄砲のお転婆娘のなりはひそめ、可憐な少女へと育っていく。クラウの母である貴婦人の教育が行き届いているのだろう、出会った頃より貴族としてのマナーは完璧に近い。

 幼いままであるならば気にしなかったが、クラウにはどうしても隠したい事情があった。

 お互い惹かれてはいるが、自身のことを思うと後ろめたくとても言い出せない。

 言い出せないが年に数回しかない逢瀬の度に想いは深まっていく。

 このもどかしい距離が、動き出せないお互いが望んでいる距離でもあったようだ。



 それでも一番輝いていた時期だと、大人になったアルディアンナは思っている。

 偶然の出会いだとしても、アディの大切な宝物のような思い出だ。

 この長いようで短い幸せな時間はあっ気なく終わりを迎える。



 その日は雨だった。まるで誰も悲嘆にくれるような、そんな激しい雨空だ。

 いつもは主人がそうだからか明るいはずの森の館が、陰鬱で沈んでいるようだった。決して雨の天気だけのせいではない。

 館で一番日当たりの良いはずの寝室で泣き止まないアディの頬を、苦しそうな息の貴婦人は弱弱しくだが優しく撫でた。

 アディは大粒の涙を零し、目も頬も真っ赤にして痛々しい。勿論アディだけではなく、寝室に控えている貴婦人の従者も同じく涙を流していたり、流していなくとも痛みに耐えるかのような沈痛な表情をしている。

「そんなに泣いては……いけませんわ……」

「奥様、いやです。まだ教えてもらいたいことが一杯あるのに!」

 縋りつくように泣くだけのアディに貴婦人は困ったような微笑を見せる。

 貴婦人は秋の終わりから体調を崩してあっという間だった。日に日にベットから起き上がれずに弱っていくばかりで、アディは見てることしか出来なかったのが歯がゆく思っていた。

 こちらに滞在していたのは病のための静養が目的であり元々身体が弱く、病のため長くはないとも診断されている。

 むしろここまで長く生きながらえたのが奇跡とも言われ、医者を驚かせていた。このまま治ってしまうのでないかと誰もが期待し錯覚したほどだ。

 しかし着実に進行していて、貴婦人はずっと病魔と闘い続けていたが、今晩でその命の日は消えるのは誰の目から見ても明らかだった。

 ただ貴婦人の優艶な面立ちはやつれて苦しそうだが絶望の色は見えない。ずっと自身の命の儚さを受けとめていたからだろうか。

 たった一つ心残りはあった。それをアディに託すかのように手をなけなしの力で握り締めた。

「アディ……おねがい、あの子を……クラウを……」

「もう少しでクラウが来ますよ!」

「クラウをお願い……きっとあなたなら……支えに……」

 返事をするかのようにぎゅっと弱弱しい手を握りかえしたアディは、貴婦人に仕えていた古株の侍女に突然引き離された。

 アディが抵抗する前に、一人の男が部屋に入って横たわっている貴婦人の胸に縋りつく。

 誰かに似ている髪の色の後姿しか見えなかったが、アディは一瞬で解った。

 貴婦人が心から愛した人。今の今まで一度も見舞いに来ることはなくても、貴婦人も心から愛されていたのだ。

 貴婦人に縋る男の慟哭を聞きながら、大人しく部屋から出されるとクラウもいた。やはり顔色は悪く青ざめている。

「クラウ!」

 すぐさまクラウの腕を取る。アディが軽く引っ張ってもクラウはその場から動こうとしない。

 貴婦人の寝室の扉の前で目の前で立ちすくんでいる。

 残酷な現実に対しアディも悲しくて怖いが、クラウも受け入れるのが恐ろしくて一歩も動けずに居るのだろう。

「アディ、母様は……」

「奥様はクラウにも会いたいと思うの……だから会ってきて!」

 恐らくもうこれで最期だ。最期に貴婦人が会いたいのは愛する人との絆であるクラウであろう。

 迷っていたクラウの背中を押すように、アディは懇願した。

 クラウは一瞬大きく揺らいだが目をきつく閉じて、ゆっくりと開いたときには覚悟を決めた。

「……いってくる。でもアディ……終わったら傍に、一緒に居てくれ」

 アディは、一瞬あの初めて出会った日の幼い少年が重なる。

 あの日、単独で貴婦人に会いに来た少年。いくら成長をしようと、母親を慕う子の気持ちはいつも変わらないのだ。

 繋がれた手をぎゅっと握り力強く頷く。きっと孤独な少年の悲しみを分かち合えるのは、貴婦人を慕っているアディだけだから。

 そしてその手が名残惜しそうにそっと離されてから、クラウの背を扉の向こうへと見送った。




 それから雨が止んだのは、翌日のことだ。

 憎いほどの青々とした空が眩しかったのがいつまでも印象に残っている。




 あの悲嘆に暮れた日から、三日。たった三日しか経っていないことにアディは少しだけ驚く。

 ようやく涙は止まった。それでもまだアディは心からの笑顔は作れない。

 喪に順ずる黒の服装で、アディは外から森の館を眺めた。隣には同じように黒の服装のクラウが寄り添っている。

「……もう、ここへくる理由もないね」

 貴婦人の墓は王都で建てられるらしい。貴婦人の愛した人の希望であり誰も反対しない。

 ここは貴婦人にとって故郷でもなんでもない関わりのない地のはずだ。ただ静養に訪れ、結果として終焉の地になってしまった。

 母である貴婦人が居なければクラウにも、もう縁はなく訪れる理由もない。

 森の館に一緒に住んでいた従者たちも王都に帰るらしい。明るく優しかったこの森には誰も居なくなる。

「……アディを連れて、王都に戻ってしまいたいがそれも赦されないか」

 ため息交じりでクラウは言う。まだその表情は沈んでいる。

 クラウの言葉が本音だとしても、アディは素直に喜んで頷けなかった。

 貴婦人が愛してくれたこの地を、故郷を愛している。アディにはこの地を離れることは初めから選択のうちにないのだ。

 だから王都へは行けないし、行くつもりもなかった。

「クラウ、お父上様の後を継いでしっかりね」

 ようやくできた、ぎこちない笑顔の返答がアディの精一杯だ。

 本当は離れたくない。アディは一度に貴婦人だけではなく、その子息であるクラウも失うのだから。身分さなど関係なかった幼い日々との別れだ。

 ただ一瞬だけ貴婦人の言葉が頭を過ぎるが、それはきっと時が解決してくれるだろう。

 痛みに耐えるかのように顔を歪めたクラウがアディを引き寄せ抱きしめる。

 すとんと抵抗することなくアディはクラウの腕の中に納まった。こうやって引き寄せられたのは初めてで、これで最後だろうとアディはぼんやりと思案に沈む。

「……いつか赦されるならば、必ず迎えに行く」

 耳元で囁かれた、いつかの約束。それはきっと無理だとしても。

 アディは願うように頷いた。





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