侍女の憂鬱
アルディアンナの評判は純真で愛らしくはあるが、絶世の美女というわけではない。
普通のなかで、まあまあ可愛いというところだ。
妃であるベアティミリアの美しさには足元にも及ばないとの噂。
そんな女がどうして国王陛下の寵愛を一身に受けているのか謎だ、というのが王宮に勤めるものの意見であった。
「かわいそうなベアティミリア様」
彼女は思わず呟く。
そもそも陛下も陛下だ。お美しいベアティミリアを放っておいて、足元にも及ばないような側妃に足を運ぶ。考えられない、と妃付きの侍女は何度目か解らない憤慨をした。
といっても妃付きは大勢おり、彼女は下っ端に過ぎない。妃に声を掛けてもらうどころか、一日のうちで一目見るのでさえあるかどうかという位置だ。
今も、妃の側近の言付けのとおり花を貰いに行っている。こういった仕事は下っ端である彼女たちの役目でもあった。
いつもの第一庭園に行けば今日は第五庭園に庭師はいるという。摘むのはいつも庭師に任せているので彼女も第五庭園へと向かった。
第五庭園は妃ベアティミリアの部屋からはかなり離れており、当然妃付きの彼女には殆ど足の踏み入れたことのない場所だ。
噂だと、第五庭園には寵愛を受けている側妃が住まう場所があると言う。
それでもまず会うことは無いだろうと高を括っていた。一度も側妃に仕える関係者に会ったことが無いのが根拠でもあった。
側妃の住まうという噂の第五庭園は花より緑の美しい庭園で、だからといって花がないわけではないが豪奢な花は少ない。かわりに控えめな可憐な花が咲き誇っている。
それを見て彼女は鼻で笑う。やはり麗しい陛下に相応しいのが、薔薇の美しさも霞むベアティミリアだと妙に納得する。
彼女がしばらく庭師を探しながら迷路のような第五庭園を歩いていると、茂みが揺れて突然女が飛び出してきた。
「……きゃっ!」
「あっ……」
ぶつかりそうになった女は侍女姿の彼女を見ると、怯えた表情を見せる。女は姫であったら結われているはずの髪は下ろしており、宝石を着けていない淡色のドレスも質素に感じさせた。
その不審な女を問おうと口を開きかけたが、どこか違う方から声がしたかと思うと急いで女は茂みへと身を隠した。
また別のところから葉ずれの音がして人が飛び出す。
新しく現れた息を切らせながら辺りを見回す女は、彼女と似たようで違う侍女服を着ている。ということは侍女なのだろうと予想が付いた。
「ちょっと、貴方失礼ですわ」
ぶつかりそうになった彼女は先程の怒りも込めて冷ややかに言った。
そこでようやくその侍女は彼女の存在に気付く。頭からつま先まで眺めて、侍女の方が問う。
「貴方のその服装は……ベアティミリア妃付きの女官がどうしてこのようなところに?」
謝りもせず怪訝な表情の侍女に益々憤らせた。
そもそも自分は高貴なる王妃殿下の命を受けてここにいる、と優越感に似た誇りがある。
「妃様の命で華を摘みにまいりましたのよ。貴女こそ一体何をしているのかしら」
見覚えの無い侍女は、妃付きでないなら恐らく王宮に所属する小間使いの侍女だろう。
仕える相手の居ない侍女のことは立場を下に見ていた。主人に選ばれなかった侍女であるということだからだ。
「私は……それはそうと、こちらに誰か見えませんでしたか?」
自身の後ろの茂みについ視線をやりそうになった。
確かに先程不審な女が来て、その後も今も草の音一つもしなかったからそこに隠れて息を潜めているのだろう。
しかし彼女にそれを教える筋合いはない、と意地の悪い心が膨れ上がった。
「さあ……どうでしたかしら」
「いいからお答えなさい」
彼女のつんっとした表情に、侍女は鬼気迫る様子を見せた。
それに思わず彼女が後ずさりしそうになるが、後ろには女が隠れている茂み。これ以上は下がれないので踏みとどまる。
「早くしないと陛下が御戻りに……」
焦るように目の前の侍女は呟く。ここ後宮で侍女が言う『陛下』をさす人物は唯一人しか居ない。
その言葉に彼女はようやく気付いたように息を呑む。
もしかして、この茂みに隠れている女は。その考えに行き着く頃二人に近付く足音が聞こえ始めた。
「知っているならば言わないと命に……」
「リザ」
突然耳に届いたのは低いテノールの美声。
声だけで人が惑わせそうなその声の主はやはり美しい国王陛下だ。
侍女のリザも彼女も顔色が変わり、すぐさま膝まついてを頭を下げた。
「申し訳ございません!お茶の御代わりをと視線が外れたときに……」
「よい。あれの行動など予想できたことだ」
くくっと低く笑っている陛下は、どこか楽しげだ。
しかし侍女のリザはまだ震えている。リザにはアルディアンナがさらに籠の鳥になるだろうと予想付いたからだ。
一頻り笑った陛下の視線が隣にいる彼女へと移る。笑みは消え、身を暴くような鋭利な表情だ。
「さてお前は誰だ?」
「あ……私はベアティミリア妃陛下付きのリアンナと申します」
答えを聞いた陛下の目が細まる。リザには陛下の考えが解らないが、嫌な予感に似た不安が胸を過ぎる。
一方の彼女、リアンナは遠目から陛下の姿を拝見したことがあるがこんなに近くは初めてだ。やはり想像したとおりベアティミリアと一緒に並んだときの姿は美しいだろうと思いをはせる。
次の瞬間までは。
「誰の許可を得て、この庭に潜り込んだ」
リアンナの首元には冷たい刃の感覚、気付いたときには陛下に剣先を向けられていた。
リアンナは恐怖のあまり舌がもつれて言葉を発することは出来ない。
出入りした扉は外からは自由に入れた。人の通りのある廊下から繋がっているからか、特に見張りも居らず使用人の出入りもあるために鍵も掛けられていない。
実際リアンナは途中に声をかけられたが、王妃の命を受けているというと皆引き下がった。
まさかこの奥が本当に側妃アルディアンナの居室だとは思いもしないから、リアンナも強気でこられたのだ。
「お、妃様が…は…なをご所望で…」
「ほう?」
リアンナの言葉に陛下の瞳に一瞬にして残忍な光が宿る。
そしてなにやら楽しいことが思いついたのか、口元を歪ませた。
「アルディアンナ、出て来い!出てこぬと、この知らぬ女の首が飛ぶぞ!」
ひっ、と陛下の発した言葉でリアンナの表情は恐怖に染まる。
陛下の顔は楽しげではあるが本気だ。本気故に、陛下の後ろに居る近衛兵も侍女のリザも口も挟めぬまま息を呑む。
誰も動けぬまま一瞬間があったかと思うと、がさっと茂みが揺れて隠れていた女がのろのろとした動作で現れて、陛下の前で力尽きたようにしゃがみ込んだ。
「アディ、そこにいたか」
陛下の厳しい声色が、甘く愛しいものに向けるものへと変わる。
すぐ剣を収め、力尽きたようにしゃがみ込んだアルディアンナを軽々と抱き上げた。
「そう泣くでない。この者の命は保障いたそう」
抱き上げられたアルディアンナは陛下の腕の中で、ひたすら泣きじゃくっていた。
どうしてかはリアンナには解らなかった。普通、陛下の寵愛を受ける者となると違う表情をする。陛下は紛れもなく寵愛を注いでいるというのに。
あまりのことに茫然としているリアンナの肩に近衛兵の手が乗る。拘束はしないが、リアンナは動けないようにされているのだろう。そんなことをしなくともリアンナはあまりの出来事に動けずにいた。
陛下はリアンナの存在はもう気にも留めていない。泣いている子をあやす様に抱きしめる。
そして、そっと囁いた。
「残念であったな。お前は私からは逃げられぬ」
大切な宝をしまうように、大事に抱えて陛下とアルディアンナは去っていく。
花は、再び檻の中へ戻されるのだろう。