動くもの
「……最近、北の地が何やら不穏ですね」
王の執務室でクラウディアード直々に渡された書類を読みながら、シェルファイスはため息交じりにしか言葉は出てこなかった。
他の者はあらかじめ人払いをしているため周囲に気を配る必要もなく、目の前にいる主も心なしか表情は暗い。
今の話題である『北の地』というとまだ二人が生まれていなくとも歴史には新しい内戦がどうしても浮かび上がってくる。
そして、その主流の血を引く人間は近しいところにいるから尚更この問題に対応するのは難しい。
この書類は、王が持っている密偵のものだからこそ信用性は高いからこそ無視もできないのだが。
「力をつけるのは構わない。元々かの地は、彼らの物だ」
アウリスは最後まで国として存続させることを打診した。
しかし、それを望まなかった。
首都や近い土地は結局自治区としての条件付きだがアウリスの属領になった。
そのほかの地は周辺国が分割して属領とすることを了承し、以来50年近く存続している。
表面的には今まで諍いなどは起きていなかった。
今振り返ってみればあの判断は妥当であり、そのおかげで北の地の復興は進み今では国の重要な拠点としての役割も果たしている。
それは王家の最後の一人の娘を主とした一族が、アウリスに忠誠を誓っていてくれているおかげだ。
だからといって、全員が納得している訳ではない。
元々は血を重んずるからこそ、内戦はあそこまで泥沼化とした。
ようやく平穏となった今、本来の主を望むものの声は少なくない。
「しかしアウリスに戦禍を齎すならば考え物だ」
「こうなると『彼』の帰還を望む声も多いのでは?」
『彼』は一族直系の者に当たり、彼の措置は本来ならばおかしいものだろう。
その不満がまだ表立たないのは、彼が王に忠誠を誓っているからではあるが。
「……それはできない。ベアティミリアとの約束がある」
クラウディアードから見ても美しく、まさに王の伴侶として相応しい教養を持つ少女。
ただ単純に国のためにとお互い思い通わすことができたのであれば、早い話だっただろうと思う。
強く思い返すのは白い花が咲き誇る宮での、彼女のひたむきな思い。
それは自身ととても似ていて近くて、お互いに対しては遂に遂に持てぬものだった。
だからこそよき理解者となれる。
「では引き続きこの件に関しては監視を続けましょう。私のほうでも情報を集めておきます」
「ああ、頼む」
シェルファイスも王の言葉に素直に従い手筈を整える。
幼少から見守ってきた彼にとって、第三者であるがゆえに当人たちより機敏に悟ることができた。
悟ることはできても、それしかできない。
見守ることはなんと難しいことか、と時折やるせなく思う。
「ところで、寵姫様のお加減はいかがですか」
唐突に話が切り替わったが、それに気を害することもなくクラウディアードは苦笑を返す。
アルディアンナの体調管理は、本人よりも周りが気にかけている。
その理由は明確であるが、当のアルディアンナ本人は自覚していないだろう。
シェルファイスもアルディアンナ次第で状況が変わるゆえに、臣下ながらに話を切り出す。
「変わらず、だ。しかし最近は笑みを見せてくれるようになったな」
アルディアンナのことを語るときのクラウディアードは、王としての表情も落ち着き穏やかに緩める。
唯一の王を癒せる人としての存在価値はどれほど大きいものか。
主の幸せを願うシェルファイスだけはそれを知っている。
このところの報告でもアルディアンナの傾向も良い方へと向かっているのが分かった。
「以前とまでとは言わないが、もっと笑ってくれればいいが」
「大丈夫でしょう。アルディアンナ様もクラウ様のことを想っていらっしゃるのは一目瞭然です」
シェルファイスの言葉に少しだけ陰のある微笑を返すに留まる。
だます形で連れてきてしまった罪悪感が心に燻っているのだろうか。
アルディアンナが拒絶していた頃、クラウディアードの表情はもっと痛々しかった。
それに比べれば、まだどこか暗いが今は穏やかにも見える。
「……シェルファイス、一つ頼みがある」
「仰せのままに」
「アディと……ベアティミリアとの仲を、ラングラド家としてとりなしてほしい」
一瞬、主の言葉が分からなかったのか虚をつかれた表情をしたがすぐに頭を下げる。
以前にもベアティミリアの希望で、シェルファイスのラングラド家が整えた。
予想ではこの一度きりだろうとは思っていたが。
「陛下はお許しになられたのですか?」
「私が提案した。もう一度会ってみるかと」
アルディアンナを壊れ物のようにひどく大切にして外界との接触を絶っていたというのに。
特にクラウディアードはベアティミリアと会うのを恐れていたはずだ。
会ってしまい、アルディアンナが恐れをなして益々拒絶してしまうことが予想着いたからだ。
ちらりと主であるクラウディアードを伺うと、その整った容貌は何の感情も示そうとしなかった。
自身を律しているのか、深く感情を閉ざしているのかは判断つかないが、断る理由などない。
「……では、かしこまりました。近々ラングラド家が責任を持って取り仕切らせていただきます」
アルディアンナは王の寵姫といえど、爵位は低く本来なら目通りさえ叶わない立場である。
前宰相もつとめたラングラド家がとりなすことによって、王家に強い影響を持つベアティミリアの家に配慮した形だ。
要望通りのシェルファイスの答えに、クラウディアードは一つだけ頷く。
話はこれで終わりだ。
シェルファイスは臣下の礼をとってから、王の執務室を後にした。
「陛下は難儀なお方だ……」
誰もいない長い廊下で、シェルファイスはぽつりと呟く。
もっと身分が違えば、もし彼女でなければ、王でなければ。
彼の人は苦労することも無かっただろうに、と思うとやるせないがそれを考えても仕方ないこともわかっている。
自身ができることといえば、主の手となり足となり尽くすことだ。
願わくは、安寧を。
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