息衝くもの
離宮とアルディアンナの住まう宮の間には長い回廊が続く。
回廊といっても雨避けに屋根がある程度で壁はない。
豪華ではないが、宮に相応しいように整った景色に目を奪われてアルディアンナは足を止めた。
「……ここから逃げ出すのは不可能ですよ」
足を止めたアルディアンナに心なしかからかうような口調で、後ろを歩いていたヴォルフェルムは隣に並んだ。
警戒しているというよりは、様子をみて楽しいで居るようだ。
それにからかう様な笑みにむっとしたようにアルディアンナは顔を背けた。
「……知っています」
こちらに連れて来られてから何度逃げ出そうとしたのか解らない。
そのたびに無力で、ここからは出られないという絶望を味わった。
それに今は不思議と逃げ出そうとは思わない。
今までだったらこの機会を逃そうとしないのに。
「無礼を承知でお尋ねいたしたいのですが」
「え?」
「アルディアンナ様はどちらの御方から教育を受けなさったのですか?」
じっと探るようにヴォルフェルムは見つめる。
先程からの胡散臭さはないが、居心地が少し悪い。
「私の実家の近くにいらっしゃった貴婦人ですが……」
今思うと、クラウディアードの母親であったのなら『王妃』であったということだ。
道理で、礼儀作法が完璧で貴族勢力図のことも掌握していたはずだ。
今もアルディアンナに教育したのは何故か、それは解せないがこうして役に立っている。
複雑な気持ちが過ぎり、アルディアンナの視線は自然と床へと落ちた。
「……なるほど」
一方でヴォルフェルムも、合点がいった。
事前に知っている中で、アルディアンナの家族が治める領地は片田舎だと聞いている。
それなのに、教えなくとも王宮での礼儀作法をアルディアンナはやってみせた。
あの田舎に居て、アルディアンナに教育を施したのは、そしてその意味は。
「アルディアンナ様、あなたは……」
言いかけた言葉をヴォルフェルムは留め、途中にアルディアンナの向こうに何か気付いたようだ。
たたずまいを直し、忠誠を誓うように頭を下げる。
こんな動作をする相手は一人しか居ない。
「アルディアンナ」
滑らかなその声に、アルディアンナは一瞬だけ震える。
ベアティミリアとの話が一瞬にして思い返されて、まともに顔を上げることができなかった。
それに構うことなく、ヴォルフェルムはクラウディアードに声をかける。
「陛下、公務は終えられたのですか」
「ああ、予定より早く終わったので、こうして迎えに来た」
アルディアンナの手を取り、自身の腕の中に引き寄せる。
二人きりでもないのに構わずに甘い表情を見せるクラウディアードに、アルディアンナは顔を赤くさせた。
ヴォルフェルムも、やや苦笑気味な表情をしたかと思うとわざとらしく頭を下げる。
「では私はここで失礼致します」
そのまま、二人の前から辞する言葉を口にする。
王の寵妃であるアルディアンナには会う機会は今後そうないだろう。
「あの……今日はありがとうございました」
近衛団の将軍とはいえ、そう暇ではないはずだ。
それにヴォルフェルムはアルディアンナよりも本来は位の高い貴族である。
それなのに『寵妃』の護衛を任命されたのだから、アルディアンナには申し訳なかった。
「いえ、お気になさらないでください。自分から志願したので」
「え?」
「それよりどうか顔を上げてください……貴女は、陛下の大切な『花』だ」
聞き返す前に、今度こそヴォルフェルムは去っていく。
呼びかける声ももう届かず、すぐ後姿も見えなくなった。
「随分と、仲良くなったな」
「仲良くなんて……なってないです」
アルディアンナの不本意そうな声色に、クラウディアードが小さく笑う。
クラウディアードは仲が良いように見えたらしく少々不満げだったが、アルディアンナの返答が面白かったのかそれもなくなった。
引き寄せていたのを一歩分だけ話して、手を引く。
急がずゆっくりとした歩調で、二人は回廊を巡る。
「ドレスも髪型も良く似合っている」
「あ、ありがとう……」
「だが、髪を下ろしているほうが好きだな」
さらりと、サイドに流している結われていない髪を掬い上げる。
そういえば、幼い時はアルディアンナはきっちりと髪を結うことはせずに軽くまとめて背に流していた。
クラウディアードの印象ではそれが強いからか、こちらに連れてこられてからも殆ど結われることはない。
こうやって髪を触るのが好きなんだろうと、唐突に思うと何だか酷く落ち着かない気分がした。
「……ベアティミリアに会ってみてどうだ?」
髪から手を離され、ぎこちない言葉が届く。
本当は会わせたくなかったのか、と少しだけ焦燥が過ぎる。
不安げなアルディアンナに気付いたのか、クラウディアードはふっと笑うように表情を緩め頬に触れた。
「何といっていた?」
「ベアティミリア様は……クラウのことを愛してはいないと……」
傷つくだろうか、とアルディアンナは一瞬だけ焦るがそんな様子は見せなかった。
それどころか、少しもベアティミリアも自身の妃であるはずなのに気に留める素振りも見せない。
そのことにどこかでアルディアンナは安堵しているのに気付いた。
「ああ、ベアティミリアの愛している男のことは知っているんだ……」
懐かしいような、笑みだ。
ベアティミリアも同じような笑みを時折浮かべていた。
愛し合っていなくとも、アルディアンナには踏み込めない何かが二人にはある。
それこそが、周囲に望まれていた結果からもたらされたものなのか。
「ベアティミリア様は私がクラウを……愛していることを見抜かれました」
縋りつくようにクラウディアードの胸元に頭を寄せた。
今、顔を見られてくないからだ。
おそらく愛し合っていないのが真実だとしても、アルディアンナは嫉妬していると自覚した。
「私たちが羨ましいと……笑っていました」
そういった直後の笑みを、アルディアンナは忘れられない。
どういった形であれ、アルディアンナはこうやってクラウディアードに届く。
「アルディアンナ」
強引に顔を上げさせられる。
顔に掛かった髪を避けながら、クラウディアードはアルディアンナの目元を拭った。
「……私も、ベアティミリアも、アディに残酷なことを言う」
アルディアンナは本来王宮に足を踏み入れることもなく、彼女の愛する故郷で穏やかに暮らす人生があった。
それをクラウディアードの一存で曲げて、狂わせた。
そしてベアティミリアもそれを後押しする。
ずっと、アルディアンナは何も解らないまま抵抗していたのに。
「それでも、ずっと傍に居て欲しい……アディ」
真摯な瞳を真っ直ぐに受け入れて、アルディアンナは素直にクラウディアードの言葉が収まるの感じた。
ベアティミリアを実際に知ったからかどうかは解らない。
それでもこの美しいアイスブルーには、アルディアンナが写っていた。
何故か涙が止まらない。
絶望で流したものでも、悲しさでもない。ただ胸が一杯だった。
「愛している……」
瞼に降るような口付けを受け止めながら、アルディアンナも同じように心の中で囁く。
そしてゆっくりと二人の唇が重なり、アルディアンナは瞳を閉じた。
花がひっそりと息衝いていくのを感じながら。
お待たせしてしまい大変申し訳ございませんでした。
また時間があいてしまうかと思いますが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。