側近の思惑
大陸の東に位置するアウリス王国は陸にも海にも恵まれている資源豊かな国である。
広大な国領を持ち、それに裏付けさせるように長い歴史もあった。
長い歴史はときに歪に変容するが幸いなことに今まで王家の血は穢れることなく、輩出される王は皆が優秀であった。
アウリス国はいくつもの同盟国があり政敵はややいるものの無闇に戦を仕掛ける国もなく、よって危機迫るような戦の心配もない。
だからといって平和に甘んずることなく軍力強化にも手を抜かず、武芸にも長けた国王陛下直々に鍛えられた大陸一の屈強な軍を持つ。
さらに現王は賢王と称えられる英知を持った王であり、全てにおいてまさしく安泰の世だと謳われている。
現代の王の名は、クラウディアード・フィルディール・アウリス。
その名を知らぬものは、まだ物心の付かない幼子を除きこの国にはほぼ居ない。
公式の場では隣に立つ女が居た。
そのベアティミリア・フィーネリアこそが、かの唯一の妃であった。
見目麗しい二人が並ぶと一枚の絵画の様だと専らの評判で、その姿を誰もが一目拝見したいと願う。
それと同時に二人の仲も良くお似合いの夫婦と皆が憧れの眼差しを向け、その姿を褒め称えた。
今王宮では一つの噂が囁かれている。
王が妃以外の女を愛し、囲っているという。
その噂の真実を知るのは、ごく一部だ。陛下の側近さえも知らされていないことも多い。
「陛下、一部で側妃などの噂がされているようですが……」
陛下の直属の手足ともいえる側近の一人が、恐る恐る言葉にする。
戸惑う部下を陛下は一瞥しただけで、仕事の手を止めない。
「あまり広がりすぎると、ベアティミリア様のご評判が……」
「放っておけ」
やっと発した言葉は、ぞっとするほど冷たかった。
それでもしつこく側近は食い下がる。側近にとっても妃は敬う対象であり、ひいては陛下の評価にも繋がるからだ。
この側近以外の者も口には出さないが、概ね同じ意見なのだろう。視線を感じつつ、次の言葉を繋げる。
「ですが、噂は外聞悪く陛下の御威光さえ落としかねません」
「ならばお前が噂をもみ消せばよかろう」
陛下の言葉に側近が言葉に詰まる。
この側近は表向きの仕事は優秀だが、そういった噂を消すなどの裏方に発揮される力は持ち合わせていない。
黙り込んだ側近に目もくれず、陛下は書類のサインの続きを止めない。
最後の一枚が終わったのか、筆をおき立ち上がる。
「それか私から『あれ』を取り上げてみるか?それは……見ものだな」
薄く陛下は笑う。いつも温厚な陛下はこんな冷たい微笑はしない。
その笑顔をみたとき、途端に側近は背筋に寒気が走った。
すぐさま陛下の怒りに気付き、すぐさま膝まつき否定の言葉で謝罪する。
そんな恐れ戦く側近に声をかけることも一瞥さえくれることもなく、息を潜め見守るだけであった側近達も残し退室していった。
「陛下、どちらへ?」
唯一陛下の一番の右腕ともいえる側近である男が後を着いてくる。
この男は事情を知っているがあえて行き先を聞いた。
「アルディアンナのところだ」
予想はしていたが、思ったとおりの答えだ。
そのために仕事を早く終わらせたのだろう。
側近のこの男は別に止めはしなかった。仕事は終わっているのだから、文句はあるまい。
王とて、人である。心から休まる時間も必要であろう。
ただ周囲の思惑としては、その対象は妃でなくてはならなかった。
「あまり構いすぎても『花』は枯れてしまいますよ」
「……どういう意味だ?」
殺気立ち睨み付けんばかりの陛下の様子に、今更男は怯えたりはしない。
ただ苦笑まじりに肩を竦めた。無礼だが陛下の言葉に答えは返さない。
男はそのかわり廊下から見える外に目線を移し一つ提案した。
「今日は天気もよろしいですし、アルディアンナ様と庭園散歩でもされたらいかがです?」
アルディアンナはいつから外に出ていないのだろうか。
陛下の脳裏に、眩しそうに外を眺めるアルディアンナが浮かぶ。
しかし一つの懸念もあった。それで中々気が進まないのだ。
迷う陛下に男は言葉を重ねる。
「それに陛下とご一緒であれば、好からぬ事も考えないでしょう」
以前に一度侍女だけの共を付けさせ、庭園の散歩を赦したことがある。
するとアルディアンナは隙を見て庭園の侍従が利用する通用口から脱出を試みたのだ。勿論それは直ぐに捕まってしまったが。
それ以来、必ず外にでる時は近衛兵も一緒につけて逃げ出さないように監視している。
今は部屋から出ることさえ叶わないようにしてはいるが。
「そうだな…緊急時以外はお前に任せる」
陛下の一言で余程のことがない限りはこの男に権力は任された。
幸いなことに、現在政に差し迫った事柄はないので安心して任されるだろう。
側近の男は一歩下がり頭を下げて、迷いなく向かうアルディアンナの元へ向かう陛下を見送った。
この見送る側近の男、シェルファイスはアルディアンナと何度か面識がある。
シェルファイスの記憶の中だとアルディアンナは薔薇のような華美な花ではないが、菫のような可憐な花だ。
一目見て何度か接するにつれてアルディアンナの素直さに触れ、陛下が惹かれて深く愛して、だからこそ王宮奥深くに隠すのも頷けた。
二人を知っている身としては、二人には幸せになってほしいが。
「花が枯れるのが先か……」
手折られた花はそう長くは持たないだろう。
何より花自身が強く咲き誇る『覚悟』をする必要がある。
そのことにまだ、気付いていない。