知らない予感
どうやら王都へ向かっているらしいというのはすぐに解った。
いつの間にかに手配されていた数人の侍女に世話をされながら馬車での旅で、王都まで一日はかかるためか途中休息のためにとある館に立ち寄る。
王都と然程離れていないその館は、シェルファイスの持つ別荘のようなものらしい。
それでも、アルディアンナの実家とは比べ物にならないほど壮麗であり格式高かった。
休息のためと手厚く歓迎される一方で身に余る贅沢であり、この滞在のための数日間アルディアンナはずっと居心地が悪い。
勿論善意であることはわかっていたのでその態度は出せないが、知らず知らずに息を吐く。
「……どうされましたか、アルディアンナ様」
その中でも、一番アルディアンナの近くで世話をしてくれているリザが心配そうに伺う。
慌てて、アルディアンナは笑顔を作った。
「いえ、なんでもないです……それより、様付けは止めてくれませんか?」
聞けばリザは、下級貴族の出だそうだ。
嫁ぐものも居れば、女性でも稼ぎに出る者もいるこの国では珍しくない。
学があれば家庭教師、力があれば女騎士、その中でも一番手っ取り早いのは上級の貴族の侍女だろう。
しかしいくら女性の活躍が目ぼしいとは言え、やはり男性重視であるから結婚も重視される。
地方は特に顕著にその傾向で、働きに出ることはなかったし実際に働いている人は見たことがないが。
「それはできません。アルディアンナ様は我が主の大切なお方ですから」
アルディアンナが何度言っても、こう言って聞き入れることはない。
リザに限ったことではなく、他の侍女達もそうだ。
こんなときアルディアンナは心苦しくてたまらない。
本来なら自身がその立場であってもおかしくはないのだから。
それでも、何度目かのやりとりでようやくアルディアンナも諦めぎみだ。
そのかわりに、もう一つのわだかまりも切り出す。
「では、お願いがあります」
「なんでしょうか」
「食事の時は……いいえ、せめてお茶の時は同席していただけませんか?」
アルディアンナの言葉に、リザは目を丸くする。
本来令嬢は使用人と共にすることはないはずであり、リザだってそうだった。
いくら地方の子爵とはいえ、アルディアンナもそうではないのだろうか。
リザの表情には隠しきれない疑問が浮かぶ。
「私の家では貧乏だったんで、節約のためにも皆で一緒に食事を取るんです」
少し恥ずかしそうに苦笑するアルディアンナに、少々吃驚した。
どうやらリザの知る令嬢とは毛並みが違うらしい。苦い記憶が脳裏を掠めそうになるが、笑顔で押しとどめる。
さて、どうしようかと考えた。
リザはアルディアンナと然程歳は変わらないが、14歳の頃から働きに出ている。
侍女としては、主人に近いアルディアンナに小言を言わなければならない。
しかしアルディアンナは『命令』ではなく『お願い』と言った。
ならばこの数日、我が儘も主張もなかったアルディアンナのために折れようと決心がつく。
「……では、シェルファイス様と主様がいらっしゃらないときにはご同席させていただきます」
こっそり秘密めいて笑顔を作ると、アルディアンナも嬉しそうに表情を綻ばせた。
その笑みを見ていると、こちらも何だか心が温かい。
「では、アルディアンナ様。私のことはどうか、リザとお呼びくださいね」
リザの言葉に、今度はアルディアンナは固まる。
初めて会ったときから、リザのことを「リザさん」とさん付けて呼ぶ。
確かに今までの実家では使用人をよぶときに敬称をつけても構わないが、今後はそうもいかない。
今はまだ事情は話せないが、今後のアルディアンナのことを考えれば今のうちに慣れておく必要がある。
シェルファイスにも、遠まわしにだがアルディアンナのこれからのことを言い含められた。
……きっと、アルディアンナはこのままではいられない。
どんなときでも、アルディアンナの傍に控えようと密かに心に決めた。
アルディアンナには数日間でそう思わせるだけの魅力がある。
誰もが羨望する美姫ではないけれど、アルディアンナには凛と美しい瞬間があるのだ。
「……解りました。努力しますね、リザ」
困ったような笑顔のアルディアンナに、自然と微笑が浮かぶ。
さて、紅茶の用意でもしようかと時計を見るといい時間だ。
ちょうどその時、部屋に誰かが入ってきた。
「今日は、アルディアンナ嬢」
突然のシェルファイスの登場で、驚きつつもリザは一歩下がり礼を取る。
アルディアンナもそれに倣おうか迷っているうちに、シェルファイスがリザを下がらせた。
リザが退出してしまい、心細い。いつもシェルファイスの前になると言い知れぬ不安に苛まれる。
「こちらでの滞在に不便はございませんか?」
この館の主は、シェルファイスだ。
彼がアルディアンナのために、何から何まで手配してくれるお陰でアルディアンナは穏やかな生活を送っている。
そのためのお礼を言っていないことに気付いた。
「いいえ、私には身に余るようなことばかりで……ありがとうございます」
「いえ突然こちらに連れてきたのですし、貴女は大切な預かりものですから」
あくまでシェルファイスは、彼の主の言いつけどおりなのだろう。
悪意は見えないが、正体のわからない今居心地は決して良くない。
何度問うても質問には答えないので、『主』の正体も目的さえもアルディアンナは諦める。
「こちらの用意が整いましたので、申し訳ないですがまた馬車の移動になります」
シェルファイスはアルディアンナをこの館に連れてきて、直ぐにどこかへと居なくなった。
この口振りだと、準備をしてきたということだろうか。
「……ひとつだけ、どこに行くかは教えていただけませんか」
アルディアンナの不安を見抜くように、シェルファイスは一癖ありそうな笑みを浮かべた。
温和な雰囲気だが、一癖も二癖もある。
この国の宰相を輩出する家柄の人物に気を抜いてはいけなかった。
「王都、とだけ申しましょうか」
どこか、アルディアンナは予感している。
それでもその思考を追いやって考えないようにした。今はまだ知るときではないからと。
一行は王都までは半日掛けて、移動することとなった。