王の寵姫
前国王陛下には、いくつかの側妃がいた。
といっても現国王陛下が王位を継いだときには名ばかりになっていて殆どが降嫁するなど、今後の世話を手配を行った。
それにより後宮は今は存在はあるものの、無用のものとされ気にかけられることは少ない。
しかし現国王陛下は誰をも虜にする美貌の持ち主で、後宮に望む女は少なくない。しかし大国の威厳と賢王と周辺諸国にまで称えられる英知を持ってして全て退かれていた。
見目にも美しく善政を布く陛下に人望が集まらないわけなく、その威光は決して翳る事はない。
以前は政を行う王宮は伏魔殿と実しやかに囁かれていたが、王が変わると共に従えていた家臣もほぼ代替わりが行われた。今では多くの優秀な家臣が陛下の周りを囲まれており、今後数十年は安泰と言われるほどだった。
陛下は、王位を継ぐ18歳のとき妃を娶った。
王妃は陛下の幼馴染で、幼少からの決められていた婚約者だ。
その王妃となるべく育てられた姫は、陛下の負けず劣らずの美しさを持ち、傍目からも側近からも見てもよくお似合いで側近自身の誇りでもあった。
実は秘密を持った夫婦だと誰も思いすらもしていない。
彼女は、今までの物思いから顔を上げる。窓辺でまどろんでいると、日が彼女を暖かく射す。
窓の外には、優美な庭園が広がっており澄み切った青空と瑞々しく広がる翠のコントラストが眩しい。
こういった日に庭園をゆっくり歩くのが彼女は好きだった。
しかし今はもう直ぐに願いは叶わない。
窓を見つめる。この窓には柵が付いており、彼女は窓から出ることは出来ない。
そして外へつながる扉の向こうには彼女付きの侍女と警備兵がいて、彼女が外に出ようとする道を阻む。
彼らは彼女を守るためにいるが、彼女の言うことなど聞かない。
彼らの敬い傅く主はただ一人であるからだ。
「アルディアンナ様、お茶のご用意をいたしましょうか」
そっと呼ばれた彼女、アルディアンナは部屋に入ってきた侍女の方へゆっくりと顔を向ける。
アルディアンナの無表情で空ろのままこちらを見つめる様子に、侍女であるリザは胸が突かれる思いがした。
アルディアンナも初めの頃はこういう表情をする人ではなかった。
訳のわからぬまま連れてこられたのか、おどおどと戸惑いはしていたが笑顔は花が綻ぶ様であった。
やがて何故ここに連れてこられたのか、真実を知るとアルディアンナは抵抗した。
抵抗して、それでも変わらない状況に絶望した。
次第に明るい声は消え、愛らしい笑顔は消えた。
優しい性格のアルディアンナは初めから従者にも優しく親切であった。
あまり大人数ではない侍女たち皆が穏やかなアルディアンナを慕っている。
アルディアンナに仕える侍女たちは、初めの頃は新たに姫に仕えることを拒んだ。
侍女自身達が他所の姫に仕えたときの苦い記憶を引きずっているからだ。
そんな中彼女自身の生い立ちも関係しているとは思うが、彼女は対等に接してきた。
それにどんなに救われたことか。だからこそ、変わったアルディアンナからは離れないようにした。
いつか、またその笑顔を見せてくれる日を願って。
「リ……ザ……?」
アルディアンナは、今日は意識を向けていてくれるようだ。
反応してくれたことがリザは嬉しい。閉じ込められてからは心を赦してはくれなくなったからだ。
お茶の用意をしようか、と無防備なアルディアンナに近付く。
「ねえ……リザ、わたしをここからだして?」
縋りつくようなアルディアンナの懇願に、リザの今までしていた笑顔が強張る。
この言葉は別に今初めて聞いたものではない。いつもアルディアンナが望んでいたことだ。
「……そんなこと、おっしゃってはいけませんわ」
リザの脳裏に敬うべき本当の主が思い浮かぶ。それと同時に畏怖も。
以前にもやはり哀れなアルディアンナの願いに答えた者がいた。
後一歩のところで事は露見し、アルディアンナはすぐさまこの檻にも似た絢爛を尽くす部屋に連れ戻された。
それからアルディアンナがここから逃げ出そうとするたび、部屋は一層逃げ出さないように強固なものにされてきている。
同じくしてアルディアンナを手引きしたものは、王宮から姿を消した。
おそらく生きてはいるだろう。しかし王宮勤めは一部のエリートの証だ。
やめさせられたということは、左遷されたも同じ。おそらく隠居した貴族の田舎暮らしに付き合う羽目になっているだろう。
それでも命が助かっただけでも、神に祈らずにはいられないはずだ。
事が露見し手引きしたものと対面した時普段は温厚な主の恐ろしさを、見守っていた他の従者も思い知ることとなった。
それと同時に、主の深い執着にも似たアルディアンナに対する寵愛が垣間見えた瞬間でもあった。
「私のアディ。今日はいい子にしておったか?」
はっと、弾かれるように考えから抜け出しリザが扉に目をやる。
いつの間にかに男がいて、その優美な動作でこちらに近付く。
リザは急いで間を取るように下がり距離を置く。
そして臣下の礼をとるように頭を深く下げた。
一方のアルディアンナは懇願していた表情から、唐突に現れた男に気付いてからは恐怖で怯えている。
仕方がない、アルディアンナをこの檻に閉じ込めている張本人なのだから。
男はアルディアンナの元までたどり着き、結われていない長く艶やかな胡桃色の髪にキスを落とす。
「……あ……」
びくっと身体を震わせアルディアンナは身を引くが、男はそれを赦さない。
腰に手をやり強引に引き寄せ、自身の腕の中にアルディアンナを閉じ込めた。
美しくも、妖艶に残酷に微笑む。アルディアンナからは見えなくても、今までで何度も見た表情だ。
「私の愛しいアディ。お前は私からは逃げられぬよ」
「…へ、いか」
アルディアンナは絶望に呻く様に、呟いた。
この男こそが、この豊かで平穏な大国を導く国王陛下である。
そしてアルディアンナはこの男の寵姫であるのは誰の目からも明らかであり、彼女がどれだけ拒もうとも変わらぬ事実だ。
……そうして花は囚われたまま。