透明な足跡 ―実務修行(ワーク・プルーフ)選挙―
「またこれか……」
サトシは郵便受けから溢れんばかりの通知をゴミ箱に放り込もうとした。 2032年。選挙制度が改正され、候補者には「最低賃金での半年間の実務修行」が義務付けられている。しかし、政治に絶望しているサトシにとって、それは「どうせ新しいパフォーマンスだろう」という冷めた認識でしかなかった。
ところが、何度捨てても新しい広報が届く。そこには大きなQRコード。 「あなたの通勤路、あと12分短縮できます。その全記録はこちら」
その文句に、毎朝の絶望的な渋滞を思い出したサトシは、半信半疑でスマホをかざした。
画面に現れたのは、候補者・カワダの「修行日誌」だった。 動画のなかで、カワダは作業着を着て、夜中の交差点で役所の担当者と議論していた。これまでの候補者のような「お願い」の連呼ではない。 「この信号のサイクルを5秒変えるだけで、3キロ先の渋滞が解消されます。データはこうです」 官僚が「前例が……」と渋る横で、カワダは実務修行で得た現場の一次情報と、公認会計士顔負けのコスト分析で論破していく。
ふとSNSを開くと、タイムラインはその話題で持ちきりだった。 「カワダが役所の担当者を説得した瞬間の動画、神すぎるw」 「現職のタナカ、掃除の修行中にサボって料亭行ってるのGPSログでバレてて草」
そこにあったのは、かつての退屈な選挙運動ではない。 「誰が一番有能な仕事人か」を競う、最高にエキサイティングなドキュメンタリーだった。支持者たちの応援メッセージは、もはやアイドルへのそれではなく、プロジェクトの成功を願う「株主」の声に近い。
「……これなら、一票入れる価値があるかもな」
投票日。投票率は過去最高の80%を超えた。 サトシはアプリをタップし、一票を投じる。そこには「あなたの選んだ候補者が公約を裏切った場合、支持者の30%が署名すれば、即座に再評価プロセスに移行します」という警告文。
数ヶ月後、カワダは当選した。 しかし、彼の本当の仕事はここからだ。 彼が役所で行う決済、予算の使い道、官僚への指示。それらはすべて「透明な足跡」として市民に共有される。サトシはアプリを通じて、カワダが官僚の古い慣習を打破し、市民のために汗をかいているのをリアルタイムで「監視」し、そして「応援」していた。
政治家は「選んで終わり」の殿様ではなく、市民が雇った「最も優秀な実務家」になったのだ。サトシは、初めて自分の生活が自分たちの手で動いているという実感を得ていた。




